◆根本裕幸 -110ページ目

◆根本裕幸

恋愛や結婚、性などのパートナーシップ・家族に関する問題からビジネス、対人関係、健康・病気・死など幅広いジャンルを扱う。感情・感覚をフルに使った“目からウロコ”な心理分析や、じんわりと心に響くハートフルな癒しには定評がある。

いつも名残惜しみながら福岡を後にするので、今日は便を遅らせてゆっくり福岡を楽しんでました。
昨晩から「明日はどう過ごそうか?」を考えてたら、なかなか寝付けなかった上に、朝は早く目が覚めてしまいました。
遠足前の小学生みたいですけど、疲れも眠気もなく、とても気持ちよい目覚めでした。

気分がいい時は、きちんと過ごせますね。
シャワーを浴びて、歯を磨いて、水で喉を潤して、窓を全開にして深呼吸。
毎朝こんな生活ができたらいいですね・・・。
*ホテルをチェックアウトしてから「シーサイドももち」へ。明るい日差しで気持ちい天気の中、埋め立て地に作られた人工の街を歩いて浜に向かいます。「本当の自然よりも人工的に整備された自然の方が人には心地よい」って言ってた人がいたらしいのですが、その言葉にうなづけるような街ですね、ここは。街路樹も広々とした通りも、ビルの谷間に見えてくる海も、無機質なようでいて心地よさを感じます。シーサイドももちシーサイドももちって看板は道路標識でも、パンフレットでもよく見かけるんですけど、どうしても「シーサイドもちもち」に見えてしまうんです。「もちもち」って言葉の響きはとても心揺さぶるものがありまして、それだけでなんか嬉しくなってしまい、その後、「あ、“もちもち”じゃなくて“ももち”だった」と思い直すわけです。そんなぷにぷにした名前とは別に砂浜にはオープンカフェが並んでいまして、パラソルの下でのんびりぼーっとゆっくり過ごせます。百道浜のカフェ人気の少ない海辺には気の早い子ども達が早くも海パンで海に突撃していまして、「タオルないなあー、海パンないなあー」と言い訳を考えてしまう自分がちょっと虚しい。そんなこと気にも留めずに飛び込めたらいいのに。百道浜とはいうものの、明るい空と海と風に包まれてぼーっとしていると、どんどんアイデアが溢れてきます。僕はいつもメモページが豊富についてるスケジュール帳を持ち歩いています。思いついたアイデアとか考えとかをすぐに書き留めるためなんですけど、今回は書き留める先から次々にインスピレーションが沸いてきて、後から読み返したときに果たして解読できるのかどうかちょっと不安になるくらいです。このすべてが形になるわけではないんですけど、こうして解放されて自由なフィールドに自分を置くと色んな意味で「ネタ」には困らない生活が送れると思います。それはどんな場、時間でもいいんですよね。自分が好きな時空間なら何でも。もちろん、仕事に繋がるアイデア(記事のネタや心理学、カウンセリングの新しい解釈など)もあるんですけど、同時に自分自身を見つめなおすアイデアもたくさん出てきます。家族の大切さや有難み、仕事やお金に対する感謝、自分を大切にする気持ち、夢、ヴィジョンなど。こうして文字にすると大層なことのように思えるんですけど、書き付けてる言葉はいたって子どもっぽい。(ぷにゅぷにゅ、かわいい、大好き、楽しい、悦び、ふわふわ、どかーん、みんなとパーティ、笑う、しゃべる、ぎゅー、自由、解放、遊ぶ、ありがとう、大事大事、!!!!等々)そうした思いを浮かぶままに書き付けていくと、後で見返してみるとまるで一葉の絵のように見えることがあります。僕は絵のセンスはからきし無いんですけど、ちょっと芸術的かもと自画自賛したくくらいで。*じっくりエネルギーをリリース&チャージして、そのまま天神へ向かってお土産を買います。そんな気持ちだから、ついつい予算オーバーしますし、試食コーナーでは必ずといっていいほど呼び止められます(よほど暇そうに見えるんだな、きっと)。そのまま前回見つけた今泉のお気に入りカフェへ。ウォーキングシューズ万歳ですねー。全然足が疲れてない!一度見つけた良い場所には出来るだけ足を向けるようにしてます。マーキングみたいなもんですねー。そうしてその場の匂いを自分に染み込ませ、逆に自分の匂いをその場に染み付かせていくと、次に来たときはもっと落ち着けるようになります。そして、もっと好きな場所になっていくわけです。*なんてことをしていたらもう時間が迫ってきたので空港に向かおうと思います。
福岡滞在も最後の晩。
今回もあっという間に過ぎまして、後ろ髪を引かれながら帰りの準備をしています。

ただ、今回は鬼の霍乱のごとく体調(おなか)を崩しまして、ワークショップの後の打ち上げではいつもの居酒屋にて「ホットウーロン!」、2回目にして既に馴染みになってしまったバーにて「ホットミルクティ&冷えてないミネラルウォーター」という意表を突くオーダーにて参加メンバーの失笑を買わせていただきました。

図らずも、
「アルコールが無くても打ち上げは楽しい」
ということを再認識した次第です・・・。

そうした心がけにより、一日で見事復活しまして、今日は元気です、とても。

昨日も「いつもと変わりませんよね?ほんとに具合悪いんですか?」という調子でしたけど・・・。いつものように朝まで飲んでましたし(ソフトドリンクを)・・・。
* * *ながのが書いていた“サバの鉄引き”とは下記のような代物です。サバの鉄引きこんなサバ、初めて見ました。もちろん、うまかったです。高架下のような路地裏にある居酒屋さんで、いかにも「おっさん好み」風な畳の座敷も心地よく、いい時間を過ごせました。*今回滞在している百道はハイソな街で、天神のような都会に出ると人や車の多さにちょっとびっくりします。それに色々なものがあって好奇心が疼きますから、街を歩くときはきょろきょろ周りを見ながら歩いちゃうんですよね・・・。そのたびに「ああ、こんなところに、こんなものがあるんだー」と発見したり、面白そうなお店にはふらっと入ってみたり、店先の資料を手にとって見てみたり、神社があれば由来を読んでお参りしてみたり、暇人そのものです。(僕はたいてい時間をかなり余裕目に見て行動する人なので、待ち合わせよりも随分前に到着しているものです)その姿が田舎モノに見えるせいか、気が弱そうに見えるのか、それとも、やはり暇そうに見えるのか、福岡に来るといつも道を聞かれたり、キャッチのお姉さんに声をかけられたりします。そういえば、この前、名古屋でも声かけられたなあー。「カモ見つけた!」とばかりに人ごみを縫って近づかれたりすると、「え?僕、ご指名ですか?」って気分になったりします・・・。
自分を好きになる、というのは・・・皆さんにとって難しいテーマでしょうか?

以前、心理学ワークショップでこのテーマを扱ったときに、1,2割の方は「自分が好き」って答えてくださいました。
かつては嫌いだったけど、今は好きって方もいらっしゃいました。
「好き」になってしまうと、どうして自分のことが「嫌い」だったのかは忘れてしまうようで・・・なんでだろう?て不思議がっていたのが印象的でした。



* * *かつては僕も自分のことが好きじゃなくて、それが当たり前だと思ってた時代もありました。今から思えば、異様に自分に厳しくしていて苦笑してしまうんですけど、「嫌い」というよりも「好きになっちゃ駄目」ってところもあったんですね。今はどうか?というと「アイ・ラブ・マイセルフ」(←この辺で僕が恥ずかしがりやなのが分かりますね(笑))。自分のことは好きになりましたね。ナルシスなくらい。なぜか?今僕のライフスタイルは「好きなこと」が大勢を占めてます。しんどいこともあるし、泥臭い場面もあるけれど、好きなものにたくさん触れてます。好きなものリストってのをカウンセリングの中でもよく宿題に出しますし、このコラムでも触れてますけど、好きなものを持っている自分のことは好きになりやすいと思うんですね。冬の仕事帰りに飲むあったかい缶コーヒーでもいいし、お風呂上りに飲む冷たい三ツ矢サイダーでもいいし、セックスや女の子でもいいです。「好きなもんは好き」そこに素直になれると、自分のことを好きになりやすいんじゃないでしょうか。そうすると、例えばホテルの窓の向こう側が壁だったとしても、雨ばかりの毎日だったとしても、何かしら「好きなものに触れる」=「楽しもう」という姿勢が生まれます。悪いところ(欠点)もあれど、良いところ(長所)を探せるようになります。*対人関係も同じで、うまく行かないときは必ず自分か相手の悪いところばかり見ています。無意識に悪いところに目が行っちゃっても、それに気が付けば方向転換できます。「よし、いいところを見てみよう」て思い直せばよいわけです。でも、どうしても悪いところが目について離れない・・・という場合は少し根深いですね。自分が意識していない世界(潜在意識や無意識)に何らかの要因があると思います。そういう時は“手放し”。ある意味、自分ひとりではどうしようもないことを知るときです。だって自分であっても自分自身ではコントロールできない領域ですものね。皆さんも例えば手や足などはある程度コントロールできるでしょう?道を間違えたと思えば、引き返すこともできます。でも、そこで方向転換できなかったとしたら、たぶん、お医者さんに行って診てもらおうとするんじゃないでしょうか?足がいうこときかないんです・・・って。そこで無理やり足をひねってみたり、叩いてみたり、ぐりぐりやってみると余計に悪化してしまいますね。体の場合はお医者さんですけど、心の場合はカウンセラーです・・・なんて言うとうまく纏まった感じになるんですが、そうは簡単にいかないですね。お医者さんも信頼できる相手じゃなきゃ診せようとは思わないように、心なんて元々目に見えないものなので尚更信頼が大切です。だから、家族でも友人でもいいし、そこで「誰に頼ろうか?誰に助けを求めようか?」って考えてみることが抜け出せない場合の処方箋になると思います。*そして、自分を認めてあげることも自分を好きになる秘訣です。認めるのは自分自身です。周りの人がどれだけ褒めてくれても、認めてくれても、自分がそれを認めなければ意味ありませんよね。そこでは「自分なりに」がキーワード。うちの奥さんも自己嫌悪が強い人で、ケンカすると「私のこと邪魔なんでしょ?」って良く言ってました。自分のことが嫌いだから、いつかは私のことも嫌いになっちゃうんでしょ?という意味から。僕はそういう風に思ってないんですけど、奥さん自身はそう思ってしまうんですよね。だから、僕の言葉の端々にそれを見つけようとしてました。でも、最近そういうこと言わなくなってきたなあ・・・と思っていたら、「育児頑張ってるもん」とのこと。頑張ってるのは育児だけじゃないくせに・・・と思いつつも、少なからず自分を認められるようになってきたことは良いことです。(家庭の平和のためにも・・・)社会では結果を求められることも多いし、結果で判断されたり、評価されたりしますけど、結果はあくまで結果です。結果と言うのは絶対的に見えるけれど、心からすれば「自分がどう捉えるか?」によっていくらでも変わる不安定なものなんですね。ずるしてうまく行って評価されても、ほっとするだけで嬉しくはないはずです。その誤魔化してしまった自分が心の中に引っかかります。本当の自分は良く分かっていますし、ちゃんと知っています。でも、自分なりにベストを尽くせたと思ったら、結果が伴わなくても充実感を得られます。そして、そういう時って必ず「次はまた頑張ろう!」って思えます。だから、「自分なりに」という点にフォーカスを当てれば、僕がよく出す宿題は「今日の自分を5個褒めてあげよう!」とか「今週の私に何かご褒美を買ってあげよう!」という形になります。*「好き」ってのは感情で、変わり行くもので、また100%もありません。僕も自分自身が好きだと思うところもあれば、いまだにイヤだなあ~と思うところもあります。100%を目指す必要はないと思うんです。それを目指したら疲れますよね。大切なのは、好きなところ、嫌いなところをきちんと知っておく(受け入れておく)ことだと思います。好きが100%もこれまた危ないと思うんです。盲目になっちゃってる可能性もあるし、そもそも成長の余地がなくなってしまってます。イヤだなあ~という感覚は、自分を成長させてくれる“のりしろ”のようなものですね。いわば“余った生地”のようで、ゴミにすることもできるけど、生かすこともできる代物です。*自分に対して「嫌い」だけじゃなく、「好き」な方向にも目を向けられるようになると、心に覆いかぶさっている鎧から解放されていくのではないでしょうか?そうすると「嫌い」だったことを忘れられるくらい「好き」なエネルギーに満たされるようになります。それはとても自由を感じられる時間になるはずです。
住民票をここに移そうか?って思うくらい素敵なホテルに滞在中です。
こんなにコストパフォーマンスの良いホテルは初めて。
44平米もあるのに1万円を切るのはすごい。
なんせ、広すぎて愛用のアロマテラピーの芳香が消えるくらいなんです。
教えてくれた大谷ときわさん(ボランティア・カウンセラー)に感謝!

周辺環境も良いですし、部屋からは福岡ドームや福岡タワーが見えたり、観覧車が見えたりしています。

* * *来るたびにはまる福岡の魅力って何なんでしょうね?人、街、自然、色んな要素が絡んでのことだと思います。僕にとっては欲しいもの、好きなものがすぐに手に届くところにある街ですね。そういう好きな街だから、空港に着いて、地下鉄に揺られてるうちに空が晴れてくるんですよ~(笑)蒸し暑いけれど、歩いていて気持ち良かったです。ホテルの1Fにはドレッシングで有名な「ピエトロ」や紅茶専門店「レピシエ」のレストラン、ワークショップの打ち上げでいつも使っている居酒屋さん、アジのフライがこんなに美味しいとは・・・とびっくりしたトンカツ屋さん、そして、コンビニが揃ってます。そう、滞在初日にもう押えるところ押さえてます(笑)ホテルから一歩も出なくても生活していけそうです。出張先では遠出しない僕には十分なロケーションです。仕事がらみといつものマッサージを受けに天神にも出向きましたけど、4月の頃より街路樹が青々としていて都心を歩くのも心地よいですね~明日のオフタイムは付近のカフェ探索に出かける予定です。海が近いんで、ぜひ行ってみたいですね。
大阪地方はだいぶ蒸し暑くなってきまして、夜などは「除湿」稼動率が高くなる今日この頃です。

明日から福岡出張で、準備万端「百道浜」のカフェを検索しまくっていました。
もちろん、名古屋にて購入したウォーキングシューズも臨戦態勢OKです。

ただ、明日は普段起きる頃に飛び立つ便を予約していまして、福岡へ行くまでのプロセスに少々不安を覚えています。

* * *自分の中心のことを「センター」と言います。そして、そこに戻ることを「センタリング」なんて表現します。サッカーやバスケットボールで言うと、ゴール前にぽーんとボールを蹴りいれる(投げ入れる)ことですね。私達はしんどいことがあったり、ストレスが溜まったり、犠牲的だったり、無理したりすると本来の自分らしさを見失うことがあります。そうすると、自分の中心(センター)からずれて行き、物事がうまくいかなくなったり、トラブルに見舞われたり、すれ違いが生じるようになるんですね。それはまるでシャツやブラウスのボタンを掛け違えたような違和感を感じるものです。普通、服を着るときにボタンを掛け違えたら気付きますよね?でも、そういうもんだと思ってしまったとしたら、ずっとそのまんま違和感が「普通」の状態になってしまいます。そうするとずーっと自分の中心を見失ったまま、心のどこかで「うーん・・・。おかしいなあ・・・」と感じながらも日常を過ごしてしまうようになるんですね。周りの人を気にしすぎたり、仕事や何か他のものに意識を取られすぎるとそうした現象がよく起こりますし、故に、私たちの多くが日常の中でそうした“掛け違い”を少なからず経験しているものと思います。「本意じゃない言葉を口走ってしまった・・・」「充実感が感じられない・・・」「周りの人との分離感をよく感じる・・・」「人とうまく行かないって感じることが多い・・・」「嘘を付いてまで自分を守ろうとしてしまう・・・」など、そんな状況に関するテーマは無限にあります。私達は自分が気持ちいい、楽しい、嬉しい、ホッとするなど、心地よい感覚を感じていないときは少なからずセンターからずれているんですね。朝眠たいけれど無理やり起きる、満員の通勤電車に我慢して乗っている、苦手な書類を纏める・・・それだけでセンターからずれてしまうものです。ただ、そうした出来事があっても、昼休みや休憩時間、仕事帰りの一杯、家に帰った後のひと時などで自分の中心に戻ることができれば、問題ありません。自分の思い通りに事が進むことなんて稀なわけで、むしろ、そうした葛藤に対して、センターを広げていく(心の器を広げていく)ことが大人として、あるいは成長として求められると言ってもいいでしょう。でも、センターに戻れないまま次の日を迎え、そのまままた新たな一日を過ごし、そうした生活を続けていくと、やがて無味乾燥な感覚の日々が続いたり、望まないのにあちこちでうまくいかないこと(トラブル)が生じたりするものです。カウンセリングの中でも「自分の中心を探す/戻る」というのは大きなテーマの一つです。センターというのは「自分らしさ」とも言えるんですけど、要するに「心地よい状態」なわけですね。人や物事との関係ではなく「あたしが気持ちいいと感じるポイント」を探していくわけです。時に心の器を広げる必要がある場合もありますし(寛容さ、とか)、逆に自分を主張した方が良いケースもあるでしょう。それは自分の経験などによって都度判断していくわけですが、そのためにも、今の自分のセンターを探しておくことが大切なんですね。自分(器)を広げるのは、センターを見つけてから初めて可能なものです。ずれてる時に器を広げようとしたら、ますますずれていってしまうでしょう?*カウンセリングの中でもよく「自分らしさ」を探すアプローチとして、“私が心地よい、ホッとする場所”を探したり、“話しやすい、居心地が良い人”を探すことを提案してます。そこでは、本来どうあるべきか?じゃなくて、今の自分の心地よさが一番のポイントなんですね。そこで他人の視線が気になったら、センターを自ずから消してしまうことになります。その心地よいのは、自宅傍の駐車場かもしれないし、星空が望めるベランダかもしれないし、徒歩15分の海浜公園かもしれません。また、通いなれた小汚いラーメン屋かもしれないし、社内の喫煙ルームかもしれません。カフェ好きな僕としては、お気に入りのカフェを探すこと、通うことがセンタリングの方法の一つです。だから、若者が多いと分かっていても、おっさん一人で出向いていくわけです(^^)また、うちの奥さんとああだこうだとおしゃべりすることもセンタリングになります。うちの奥さんは夜、パソコンに向かって仕事してる僕の隣で、今日あった出来事とか、感じた物事などをしゃべってたりするんですけど(で、「ちゃんと聞いてる?」なんて尋ねたりするわけですが)、そうした時間も僕にとっても(奥さんにとっても)センタリングになります。誰もがそうしたセンタリングを少なからずしてるはずなんですね。でも、仕事や物事、“人”に追われたりすると、ついついセンターからずれたまんま日常を繰り返してしまいます。今日は自分のセンターを探してみましょう。「あたしにとっての心地よいのは何だろう?」を見つけてみるんです。場所、人、モノ、音楽、美術何でも良いです。カウンセリングでは今も「好きなものリスト」をよく宿題として出させてもらってます。自分のセンターに戻れる大切なリスト作りとして。日常の中で、この「センター」を意識してみると、帰る場所が見つかったように心がイキイキとしてくるはずです。「ああ、あたし、ずれてるなあ~」と感じた皆さん(少なくないと思います)。自分のために、センタリングをする時間を作ってみましょう。この時間は敢えて作らないと難しいですよ、本当に。誰のためでもない、自分のためだけの時間、ですから。だから、最初は人によらないものがいいですね。場所、モノ系。(人が絡むと相手の思惑も影響しますから)*そういうわけで、出張に合わせて妻子が実家に帰ってしまったので、好きなカフェ・ミュージックを聴きながら、好きな文章を作る時間にしてみました・・・(笑)
今日は木村家の人々(といっても夫婦ふたり)に誘われて、友人宅に遊びに行ってきました。

その友人夫婦には4ヶ月の乳児がおりまして、早速対決・・・。
・・・のはずが、うちの乳児は早速挨拶代わりの“反閉”を開始しまして、まずは玄関から廊下を、続いて和室~リビング~洋室を、最後はキッチン~リビング間をひたすら歩いて往復。首が据わったばかりのかわいいみさきちゃんなど眼中にも止めぬ勢いで傍若無人ぶりを発揮してました。いやー、ほんと、何かの意味があるんじゃない?っていうくらい歩き回ってました。親としては何かモノを倒す、壊す、引っ張り出すんじゃないかと少々冷や冷やしながら付いてまわりますから、けっこうな運動量です。(でも、こういう時にも慣れてるからなのか、ママはけっこう平気な顔してるんですよねー。なんで?)*4ヶ月というと、うちの子の場合は10ヶ月前になるのですが、そっかー、こんなだったよなー、うんうん、ということがいっぱい。抱っこしても「軽~い」って感じで、柔らかい体がまた懐かしい。まだ自分では寝返りも、お座りもできないので、ひたすらママやパパ、木村(妻)、うちの奥さんに抱っこされていました。僕は抱っこしたけど泣かれました・・・。でも、泣かれてもあんまりびびらないのは経験なんでしょう。以前ならめっちゃ怖かったと思いますから・・・。*その友人宅には、うちにあったベビーベッドが置いてあります。寝返りを打つようになって使わなくなったので、引き取ってもらったんですね。うちに来る前は源河の家にありました。その前にも何軒か転々としているようで、どの家でも母子共に健康で生まれ、すくすくと育つようで、縁起良い逸品となってます。さて、次にそのベビーベッドが向かうのは木村家なのか、それとも昨日遊びに来たという塩田家なのか、今後の動向が楽しみです。意外に吉見家だったりして。もちろん、現在オーストラリアにてペンギンを見物してる原家という線もあります。*そんなかわいい4ヶ月の乳児がすやすやと寝始めると、家の空気もまったりとした、静かな雰囲気が漂い始めます。育児を頑張ってるパパやママにとっては一息つける時間ですね。この空気が流れ始めると深く落ち着いた気分になってきます。うちでも乳児がごろんと横になって寝息を立て始めるとつい引きずり込まれるように眠たくなるんです。これは月齢が低いほど顕著なようで、かつては僕もよく一緒にお昼寝しました。最近は慣れたのか、乳児のパワーが落ち着いたのか、以前ほど引きずり込まれる感覚は無くなったのですが、今日は久々にその空気を味わいました。友人の書棚にあった本を読んでたんですけど、とてもゆったりした気分でページを括れます。まるでシティホテルに来てるような空気なんですよ、ほんとに。パパと木村(夫)は床にごろんと横になって眠ってました。こういう雰囲気、男性にはたまんないんですよね・・・。なんなんでしょうねー。男性性を癒すんでしょうか?包まれるような柔らかい空気です。ママ達はキッチンにて子育て談義に花を咲かせてました。やはり“ママ”という人種はキッチンが落ち着くんでしょうか?で、うちの乳児は・・・そんなまったりした空気をものともせず、首筋に汗をしたたらせながら、ベビーベッドのある洋室とリビングとを行き来しておりました。どこから見つけてきたのか分からないビニール袋やぬいぐるみを手にして。*新しい場所に行ってエキサイトしたのか、お昼寝が一回少なかったのに夜はなかなか寝付かず苦労しました。大人でも眠たさ通り越すとテンションが上がってハイになりますよねー?今日はキムタクを夢中で見ている妻の代わりに僕が寝かしつけたんですけど、まさしくハイテンションな状態で、「もうパパ寝るでー。おやすみー」と言っても、お布団の上を這いずり回ったり、急にきゃっきゃ笑い転げたり、お得意のかくれんぼを始めたり、柔道の受身のように後ろに何度も倒れたり(危ないっての)。でも、気付けばすぐ隣で爆睡してまして、このまま朝までぐっすり行きたいところです。そんな乳児と一日一緒に過ごすと疲れもするけど、とても癒されます。やはり最高のヒーリンググッズではないかと思うわけです。***追伸。慣れだよ、慣れ。パパってのは子どもが生まれてからなるものだから大丈夫。
最近の僕の主題は
「乳児がちゅーしてくれるシーンをビデオカメラに収めること」
なのですが、自分でカメラを廻しながら気まぐれにちゅーしてくれる場面を撮るのは非常に高度が技術が要求されるようでして・・・。

○「パパにちゅーして~」という声の後に、さっさと背中を向けて歩き出す乳児。○パパの必死の哀願の後に堂々とママにちゅーする乳児。○最近お気に入りのクマのぬいぐるみにちゅーする乳児。ばかりが収められ、さりげなく郷愁や苦笑を誘う内容となっております。今日こそは!と気合を入れたのですが、カメラが近すぎたり、角度がおかしかったり、貴重なちゅーシーンは未だ不完全なままです。今だけのチャンス!と思ってるので、早々にばっちり録画して・パパ嫌い!と叫ぶ2歳になったときの娘・パパ臭い!出てって!と冷たく言い放つ思春期の娘・娘の結婚式での「深希さんの今日までの成長ビデオ」にて、「お前は昔はパパにこういうことをしてくれてたんだぞー」と押し付ける秘密兵器にしたいと思います。・・・。こういうことを考えてビデオを廻す父親は間違いなく嫌われるであろう事例です。ま、いいんだー。一人でにやにやしながら楽しむから・・・。*でも、夕暮れになり眠たかったり、お腹がすいたりで非常にご機嫌が悪くなると、まるで虐待されてるんじゃないか?ってくらいの大声で泣くらしく、うちの奥さんは「このシーンを証拠としてビデオに撮っておかねば」と画策を練っているようです。でも、そんな泣き喚いているときはなだめるのに一生懸命だったり、逆切れして「もうママしらないから」と放っておいてしまうらしく、これもまた不十分なようです。僕が帰ると打って変わってニコニコするんですけど、やはりパパとママと両方そろっているのが一番嬉しいんですね。*最近、友人達が我が家を訪ねてくれる機会が増えまして、うちの奥さんも育児疲れがまぎれると喜んでます。そんなに人見知りしないうちの乳児ですが、さすがに初対面では大人しくしていることが多く、「わあ、大人しい~。かわいい~」って言われてます。でも、30分くらい経ちますと徐々に本領を発揮して、「ほんと、じっとしてないねー。ずっと動いてる。」って言われています。*そんな乳児のよちよち歩きも、徐々に人間らしくなってまいりまして、子どもの成長には驚くばかりです。来週にはうちの実家にちょこっと帰る予定でして、3ヶ月ぶりに会う、うちの母殿がその成長に目をまわすことは請け合いです。言葉も「パパ~」「まんま~」「☆%♪◎□★#・・・(意味不明)」「んー!」など、バリエーションも豊富になってきました。ただ、時々、にっこり笑って「ぱぱ~、ばかー」らしき言葉を発するのは空耳だと信じております。
ご参加くださった皆さんありがとうございました。
アンケートにて頂きましたご質問に回答させていただきます。
参加されていない方にもできるだけ分かりやすいようにさせて頂いているつもりですので、どうぞお時間のある時にお楽しみ下さい。

*心理学ワークショップ(名古屋)*
2005/5/21(Sat) 18:30~20:30『表現力を身につけよう!~伝える/伝わるコミュニケーション~』
名駅・中小企業センター<ご質問>Q.「自分の感覚を信じる」と言われましたが、信じすぎてイタイ女のような気がします。私、このままでいいのでしょうか?A.何事も“過ぎる”とうまくいかないことが多いですね。どういうところで「信じすぎる」って感じるんでしょうか?今回のワークショップでは「まず自分」とお話をしました。でも、その後に「相手」が出てくるわけですので、まずは自分の感覚を信じること、そして、相手の状況や態度などによって調整していくこと、が大切です。ですから、自分の感覚を信じられるのならば、それは素晴らしいことですので、相手の態度によって・・・という部分を磨かれてはいかがでしょうか?信じすぎると、相手を否定してしまったり、受け入れられなかったりしてしまうことも多いと思うんですよね。その辺を新しいテーマに捉えてみて下さい。Q.「自分の感覚を信じることが大切」というお話と、「他人からの指摘の方が、思い込みよりも当たってることが多い」というお話は相反するように感じるのですが?A.ケースバイケースでもありますが、先ほどのご質問にもありましたように「まず自分、次に相手」という見方が大切かと思っています。対人関係(男女関係も含みます)の問題には、「自分」を飛び越えて「まず相手」というところで失敗なさる方が多いように感じています。だから、まずは自分の感覚を信頼してみることが第一で、その上で、相手の意見や見方を尊重してみることをお勧めしています。自分があって、その上で相手の話を聴くことができれば、必要により自分自身の考えや思いを修正することもできますが、相手の言葉が先立ってしまうと自分を見失いやすくなると思うのです。そんな風にご理解いただけたら幸いです。Q.ずっと「良い子」できたので、少々しんどいことがあります(母の影響)。母とうまくコミュニケーションできるようになるには?A.「良い子」をずっとされてきたとしたら、我慢していることや自分の意志をもてないことなど辛いことがたくさん積み重なってしまうかもしれませんね。それがお母さんとの関係で生じてきたとすると、今もお母さんとの関係は苦手意識を持ってしまいますし、社会の中でも「お母さんを感じるような人」に対してもうまくコミュニケーションがとれずに悩むことが出てくるのではないでしょうか。ですから、お母さんとのコミュニケーションを上手に取るのは、今の自分にとっては最難関のテーマですから、いきなりそこからチャレンジするのは無謀に見えるところもあるかもしれません。まずは自分が「話しやすいな」と感じる人とのコミュニケーションを深めてみるのはいかがでしょうか?そうして少しずつ自信を付けていくと、お母さんとのコミュニケーションも少しずつ改善されるのではないでしょうか?具体的な問題についてはカウンセリングなどを使って見られると良いと思います。無料の電話カウンセリングもございますので、一度トライしてみてください。<コメント、メッセージ、ご要望など>○バディ(ペア)での実習は恥ずかしかったですが、たくさん褒めてもらえて、ポカポカ暑くなり嬉しかったです。Q.いつもワークショップでは何らかの実習をしてますが、今回のようなペアを組んでの実習は直接的に対人関係を見つめることができますので、参加された皆さんそれぞれに様々な思いが感じられるかと思います。このポカポカ暑くなるというのは、自分の内面的な魅力が湧き出してくるサインです。あとからふわーっとした気分になったりもします。その気分をただ味わっていただけたら嬉しいです。○実践するワークはいつも死にそうな気分になります(対人恐怖なので)A.心理学ワークショップでは、ただレクチャー(講義)を聴くだけだとなかなか実感しにくいので、より学びを多くしていただくために実習を取り込んでいます。(陶芸教室で実際に粘土をこねたり、ろくろを廻してみるのと同じような感覚ですね)対人関係が苦手な方は抵抗を感じたり、恐怖心を持ったりされることも多いかと思うのですが、逆にそうした実習にチャレンジしてくださることで、少しずつその苦手意識を克服していくこともできます。(レクチャーを聴いても実践できないと改善されることは難しいですから)ですから、できるだけ安全な雰囲気、場を作ろうと僕側も努力しています。無理をなさる必要はありませんが、2時間程度の短い時間ですので、こうした場ではチャレンジしてみられると様々な気付きがあるのではないかと思っています。今回も実習はチャレンジしてくださいましたよね?対人関係が苦手と感じられるのならば、2時間実習できたことだけでも素晴らしいことだと思います。ぜひ、そんな自分を褒めてあげて欲しいな、と思います。○打ち上げがあるってびっくりしました。とても良いアイデアだと思います。A.ありがとうございます!!ワークショップの後はもっと話がしたかったり、聞きたかったり、あるいは個人的にご相談したかったりと色んな気持ちになろうかと思うんですね。ですから、カウンセリングサービスの心理学ワークショップは、何らかの不都合が無い限り、毎回打ち上げは開催しています。そこでワークショップの内容で分からなかったことをご質問いただいてもいいですし、また、ワークショップを通じて知り合った方とより話しこんでみてもいいでしょう。打ち上げはお腹を満たすだけじゃなくて、親交を深める場になればいいな、と思って開催しています。○ピン芸人みたいで話しに引き込まれ楽しかったです。○ユーモアと論理のバランスがGood!A.ありがとうございます!(^^)こういうコメントをいただけると、わたくしとしましては非常に嬉しいのです。やはり面白くなければ・・・と思いますから。○名古屋でのワークショップをもっと増やしてもらえたら嬉しいな、と思いました。A.ありがとうございます。現在は原と僕で交互に毎月1回ずつ開催していますが、今後カウンセラーが増えたり、状況によって変えていくつもりです。またご都合宜しければご参加くださいね。ありがとうございました。
テレビに映るカンニング竹山さんを指差して「ぱぱ~」とわが子に叫ばれた根本です。こんばんわ。
正直、いつかは来ると思っていました・・・( ̄。 ̄;)

願わくば、妻夫木聡さんの映像を見て「ぱぱ~」とにじり寄ってもらいたいものです・・・。


* * *このところ、お会いするお客さまから再び「痩せましたねー」とか「若返りましたねー」とか言われます。先日の名古屋出張ではほぼ全員からそのお言葉を頂きましたので、3月からの2ヶ月で結構痩せたんだなあ~とマメに付けてる体重表を見てみました。3月の中旬からですと約3~4kg減。「何して痩せたんですか?」ともよく聞かれるんですが、あれこれやってみたので何が効果あったのかはいまいち定かではありません。でも、一番効果があったのは、お風呂に入る前に体重計に乗ること。これ、前も書いたと思うんですけどね。ほぼ毎日記録していくと、イヤでも意識しますから、食事も控えめになるのかもしれません。あと今更ながら気付いたんですけど、満腹状態でカウンセリングするよりも、少し空腹の方が調子いいんですよね。お腹にモノが入ってる分、その消化にエネルギー使うせいなのかもしれませんが。だから、朝食はしっかり摂るけど、昼食は軽めにすることが多いんですね。話す(声を出す)のは、思っている以上にカロリー消費をするようで、聴くだけじゃなく、独演会&セラピー付きのカウンセリングをしてる僕としては案外「カウンセリング・ダイエット」になっているのかもしれません(笑)事実、出張中はカウンセリング三昧になりますから、出張明けには体重が落ちてることが多いですねー。元々体重オーバーでしたんで、だいぶ健康的になってきたようです。後は運動かなー。しばらく休会していたフィットネスクラブにも復帰しようと思っています。*ダイエットでも、何か悩みを解決するにも、魅力的になろうと頑張るのも、成功するために必要なのはその「目標設定」です。マニュアル化やハウツー本などが溢れていて、情報も氾濫していますから、消費者としては「方法」を求めてしまうことが多いんです。しかも、その方法は具体的で簡単なもの。でも、どんな方法を用いても、その目標設定がきちんとしていないと途中で頓挫してしまうことが多いと思います。ダイエットするにも方法論としてはそれこそ無数にありますね。なんでそんなにたくさんあるかというと「これをやれば誰でも絶対成功する!」って方法が無いからだと思うんです。そういう方法があれば、他の方法は自然淘汰されていくはずですから。逆に言えば、その方法よりも、「どうしてダイエットするのか?」という目標設定が大切なんですね。その目標が設定されて、次に数ある方法論の中から“選択する”のが望ましいと思います。そして、ダイエットするということは、今の自分が太っているという“現実”を受け入れる必要があります。「ダイエットしなきゃあかんねん」といいながら、体重計に乗るのが怖い思いをされた方も少なくないかと思います。「もうちょっと痩せてから・・・」と先延ばしにしてしまったり。そして、現実を受け入れ、目標設定さえきちんと立てられたら、後はどんな方法を使っても成功する確率が高くなるのではないでしょうか?*「どうしたら彼ができますか?」「どうしたら夫が浮気相手から戻ってきますか?」「どうしたらもっと魅力的になれますか?」など、「どうしたらこの悩みが解決しますか?」といったご相談を頂きます。カウンセリングではその問題の背景を見つめたり、あるいは今起きている現実を受け入れたり、そして、どうしたら解決していけるのか?を一緒に考えていくわけが、最初はとかく抽象的な形になりやすいんですよね。「女性としての自信がないんですよね?じゃあ、まずは自信をつけることを目標にしてみましょう」「でも、なんで自信を失ってしまったんでしょうね?」「なるほど、そうするとお父さんを許すこと、元彼を手放すことが必要かもしれませんよね。ちょっとしんどい気持ちが出てきますけれど、向き合っていきましょう」「それに自分を殻の中に閉じ込めてしまってるのかもしれませんね。何となく束縛されてるように思うことも多いでしょう?ということは、まずは自分を自由にしてあげるってことを目標にしてみましょうね」なんて風にね。「許し」「手放し」「自由にする」などは、本当に抽象的な目標だと思います。必ず「どうしたら許せますか?手放しって何ですか?どうしたら自由になれますか?」って疑問が浮かぶものと思うんですよ。でも、それをまずは「感覚的に」つかむことが大切だと僕は思っています。「お父さんを許せたら、どんな気持ちになると思います?どんな私になると思います?」「元彼を手放そうと思ったら、どんな気持ちになります?怖い?悲しい?」「自由ってどんなイメージがありますか?」その答えがすぐに出てくる/出てこないってのはあまり重要ではないんですね。出てくることに越したことはないですけれど、出てこなくても、そういう見方をしてみることが大切だと思うんです。そうすると少しずつ感覚的に、感情的にその気分をつかめるようになります。この感覚的なものが僕が言う目標設定です。それに一つの問題につき、一つの原因があるってわけじゃないですから、例えば上の3つの目標を同時に立てて、平行して進めていくんです。だから、どれか一つでも具体的なイメージが浮かぶものがあれば、まずはそこから取り掛かっていきます。「許し、手放しはちょっと分かりにくいけれど、自由ってのは何となくイメージできます」っておっしゃるなら、「じゃあ、自分を自由にしてあげることをまずは意識してみましょうね」って風に。その上で、エクササイズ的な日常でもできる宿題を出すようにしてます。例えば、自由な私がイメージできるとしたら、こんなイメージをしてみましょう。・自由な私はどんな服を選ぶと思います?・自由な私はこのカウンセリングの後、どこで何をするでしょう?・自由な私はお風呂でどんな時間を過ごしますか?そうすると結構具体的に今できることが見つかってくるものです。日常の中ではそうしたできることから始めてみればOKです。カウンセリングの後、カフェでお茶したいって気分になれば、じゃあ、このカフェに行ってみるといいですよーなんて話になります。*方法論に振り回されるよりは、まずは現実を見つめ、目標を立ててみるってことをお勧めしたいですね。
少しずつ日差しが強くなってきて「暑いなあ~」という日が増えてきました。
今日は今年初めて半そでにて出勤。
エアコンもちょっと稼動。

でも、空はきれいで、日差しも気持ちよく、からっとしてるので、どうしても外に出たくてうずうずしてしまいます・・・。

* * *「完ぺき主義」について。何かに対して完璧にしなければ・・・というプレッシャーをかけてしまうと、自己評価がとても厳しくなってしまい、自分を否定すれども認められなくなります。また、1かゼロ、白と黒などはっきりさせないと気がすまないようになりますから、考え込んでしまうことも増えるでしょう。こうした完ぺき主義は思春期の頃に芽生え(だから、中学生くらいの時にもてるのは美男・美女だけになってしまうんですね)、多かれ少なかれ大人になった今にも引き継がれていきます。そもそも「完璧さ」というのは理想にはなれど、テストのように上限(例えば100点満点など)があるわけではありません。だから、そこでは“青々とした隣の芝生”を探してしまうものですし、常に自分を否定するような方向に自分を向かわせるようになります。そうした経験が繰り返されると、何をやっても駄目なような、自分に自信が持てなくなって無価値感が強まります。何かを始めようとしても、最初はモチベーションがあったとしても「否定」から入ることになって長続きしなくなったり、途中で投げ出してしまいやすくなります。そうして、また自己嫌悪に捉われる悪循環に入っていくんですね。*どうしてそうなってしまうか?と言えば、一つには思春期の頃に感じたコンプレックスがあります。例えば、自分はかわいくないんだ・・・と何かのきっかけで思ってしまうと、かわいくなるように過剰に努力したり(ダイエットしたり)、あるいはかわいらしさを求めることを捨てて化粧っ気なく過ごすようになったりします。両極端になりやすいんですね(それが白黒はっきり、につながります)。もう一つは自分が自分に、あるいは周りが自分に期待をかけた分だけ、それに応えようとする自分です。自分自身や周りの人が見るのは“理想”で、それに応えようと必死に頑張るんですね。認められよう、褒められようとして、あるいは、自分の居場所を確保しようとして。でも、その期待に応えても、また次の課題(期待)が与えられ、ずーっと何かに追われるように頑張り続けることになります。頑張ることが悪いわけではなく、何か必ず得られるものがあるはずなんですが、それを受け取る前に次の課題に向かうようになりますから、後から振り返ると無駄だったような、価値・意味が何もなかったように感じてしまいます。(これはやがて燃え尽き症候群へと発展することもあります)さらにもう一つ理由があるとすれば、完璧じゃない誰かへの攻撃です。例えば、お母さんを完璧じゃない!って否定してしまった時期があったとすれば(それは誰彼とも無く少なからずあると思いますが)、完璧じゃない自分は許せなくなります。お母さんを「完璧じゃない!」って攻撃した分だけ、完璧じゃない自分もまた誰かに攻撃されるような怖れを抱くんですね。*こうした完璧主義は自分のあら探しには精を出すんですが、良い方向を見ることを徹底して嫌うようになります。そして、常に完璧じゃない自分(というか、自己嫌悪している部分)を探し出しては攻撃するたとえ誰かに褒められたとしても「きっと何か裏があるんだわ」と疑いを持ってしまったり、また、そのときは「そうね、ありがとうね」などと受け取ったふりをして捨ててしまったり(忘れてしまう)するんですね。だから、そこは敢えて敢えて自分のポジティブな部分に光を当てようとする気持ちが大切です。(難しいです。すごく難しいですが)完ぺき主義はここでも自分の進路を邪魔します。つまり、完璧に光を当てようとしてしまうんですよね。*カウンセリング/セラピーの方向性。こうした癖のようなパターンを変えていくには根気よさが大切です。あるお客さまがうまいことおっしゃってたんですが、「金魚すくいをするように自分の良い部分をすくいあげる」気持ちが大切なんですね。焦ってしまうとこけてしまいますから。だから、カウンセリングをさせていただく僕の方も焦らず根気よくっていうのを何度も自分に言い聞かせたりします。結果を早く出したくなったり、早く何とかしてあげたい気持ちにさせられますから。見方としては特に思春期の頃の人間関係や、それ以前からの親子関係などにフォーカスを当てて、その時代に束縛された自分自身を解放してあげられる方向を見ます。完ぺき主義に陥る背景には、自分をがんじがらめに縛って自由を奪った存在(自分自身も含む)がいるはずですから、その呪縛を解くような感覚です。それは「観念」「義務」「禁止」といった縛りを感覚的に解いていくものですから、セラピーとしては鎧を剥ぐ、鎖をほどく、殻を破るようなイメージを作り出していきます。また、誰かを攻撃していたり、誰かの期待を一身に請け負ってきたような場合には、その誰かを許すこともプロセスとしては大切なアプローチです。完璧じゃないって攻撃していた手を緩め、完璧ではないなりによくしてくれた、頑張っていた、という不完全さを受け入れる(許す)ことです。これも感情的には激しい抵抗を伴う場合も少なくないです。でも、どうしてその人は自分をそんな風に扱わなければならなかったのか?と善意で見つめることができると、その人の痛みや苦悩に共感できるようになっていきます。例えば、自分に過大な期待をかけたお母さんに対して怒りを持っていたとして、その怒りを解放しつつ、どうしてお母さんはそんなに自分に期待をかけたんだろう?って目で見つめてみるんですね。時代背景やお母さんの育った環境にも踏み込む場合もあります。こういう見方ができるようになること自体、自分自身をより成熟させ、成長させることでもありますし、むしろ、大人にならなきゃできないことでもあるんですね。いわば、お母さんと対等な目線で見ることになるわけですから。そもそもこういうアプローチっていうのは今までしたことのない初めてのものですから、やはり最初はうまく行きません。完ぺき主義に陥っていると、もうこの時点で諦めたくなります。また、うまく行かない苛立ちはもちろん、過去の痛みが強すぎて、そうした見方が受け入れられない場合も少なくありません。「どうしてお母さんを許さなきゃいけないのよ」って風に。ただ、根気よくそうしたアプローチをしていくと、少しずつですが確実に変化が訪れるようになります。そうすると、白でも黒でもない、グレーな世界を受け入れられるようになっていくんですね。いい意味でアバウトな、寛容な姿勢が生まれるんですね。そうすると、そこから大人の成熟した魅力(いわばフェロモン)が溢れ始めます。この頃には「最初にお会いしたときの写真撮っておけばよかったですね~」なんて軽口が叩けるようになったりしますね。それでも「へえ、そうですかー。自分ではあんまり実感ないんですけど・・・」て答えもよく返ってくるんですけどね(笑)*こうしたカウンセリングで僕がよくお出しする宿題(日常できるエクササイズ)。「夜お風呂に入っているときなどに、今日の自分を5つ褒めてあげましょう」「友達やパートナーに自分の魅力を見つけてもらいましょう。ただ言ってもらうだけでは忘れてしまうんで、反論したい気持ちを抑えつつ手帳などに必ずメモしておきましょう」「一日の終わりに誰かに感謝する時間を作ってみましょう。感謝は許しを作り出すアプローチです」