「完ぺき主義」について | ◆根本裕幸

◆根本裕幸

恋愛や結婚、性などのパートナーシップ・家族に関する問題からビジネス、対人関係、健康・病気・死など幅広いジャンルを扱う。感情・感覚をフルに使った“目からウロコ”な心理分析や、じんわりと心に響くハートフルな癒しには定評がある。

少しずつ日差しが強くなってきて「暑いなあ~」という日が増えてきました。
今日は今年初めて半そでにて出勤。
エアコンもちょっと稼動。

でも、空はきれいで、日差しも気持ちよく、からっとしてるので、どうしても外に出たくてうずうずしてしまいます・・・。

* * *「完ぺき主義」について。何かに対して完璧にしなければ・・・というプレッシャーをかけてしまうと、自己評価がとても厳しくなってしまい、自分を否定すれども認められなくなります。また、1かゼロ、白と黒などはっきりさせないと気がすまないようになりますから、考え込んでしまうことも増えるでしょう。こうした完ぺき主義は思春期の頃に芽生え(だから、中学生くらいの時にもてるのは美男・美女だけになってしまうんですね)、多かれ少なかれ大人になった今にも引き継がれていきます。そもそも「完璧さ」というのは理想にはなれど、テストのように上限(例えば100点満点など)があるわけではありません。だから、そこでは“青々とした隣の芝生”を探してしまうものですし、常に自分を否定するような方向に自分を向かわせるようになります。そうした経験が繰り返されると、何をやっても駄目なような、自分に自信が持てなくなって無価値感が強まります。何かを始めようとしても、最初はモチベーションがあったとしても「否定」から入ることになって長続きしなくなったり、途中で投げ出してしまいやすくなります。そうして、また自己嫌悪に捉われる悪循環に入っていくんですね。*どうしてそうなってしまうか?と言えば、一つには思春期の頃に感じたコンプレックスがあります。例えば、自分はかわいくないんだ・・・と何かのきっかけで思ってしまうと、かわいくなるように過剰に努力したり(ダイエットしたり)、あるいはかわいらしさを求めることを捨てて化粧っ気なく過ごすようになったりします。両極端になりやすいんですね(それが白黒はっきり、につながります)。もう一つは自分が自分に、あるいは周りが自分に期待をかけた分だけ、それに応えようとする自分です。自分自身や周りの人が見るのは“理想”で、それに応えようと必死に頑張るんですね。認められよう、褒められようとして、あるいは、自分の居場所を確保しようとして。でも、その期待に応えても、また次の課題(期待)が与えられ、ずーっと何かに追われるように頑張り続けることになります。頑張ることが悪いわけではなく、何か必ず得られるものがあるはずなんですが、それを受け取る前に次の課題に向かうようになりますから、後から振り返ると無駄だったような、価値・意味が何もなかったように感じてしまいます。(これはやがて燃え尽き症候群へと発展することもあります)さらにもう一つ理由があるとすれば、完璧じゃない誰かへの攻撃です。例えば、お母さんを完璧じゃない!って否定してしまった時期があったとすれば(それは誰彼とも無く少なからずあると思いますが)、完璧じゃない自分は許せなくなります。お母さんを「完璧じゃない!」って攻撃した分だけ、完璧じゃない自分もまた誰かに攻撃されるような怖れを抱くんですね。*こうした完璧主義は自分のあら探しには精を出すんですが、良い方向を見ることを徹底して嫌うようになります。そして、常に完璧じゃない自分(というか、自己嫌悪している部分)を探し出しては攻撃するたとえ誰かに褒められたとしても「きっと何か裏があるんだわ」と疑いを持ってしまったり、また、そのときは「そうね、ありがとうね」などと受け取ったふりをして捨ててしまったり(忘れてしまう)するんですね。だから、そこは敢えて敢えて自分のポジティブな部分に光を当てようとする気持ちが大切です。(難しいです。すごく難しいですが)完ぺき主義はここでも自分の進路を邪魔します。つまり、完璧に光を当てようとしてしまうんですよね。*カウンセリング/セラピーの方向性。こうした癖のようなパターンを変えていくには根気よさが大切です。あるお客さまがうまいことおっしゃってたんですが、「金魚すくいをするように自分の良い部分をすくいあげる」気持ちが大切なんですね。焦ってしまうとこけてしまいますから。だから、カウンセリングをさせていただく僕の方も焦らず根気よくっていうのを何度も自分に言い聞かせたりします。結果を早く出したくなったり、早く何とかしてあげたい気持ちにさせられますから。見方としては特に思春期の頃の人間関係や、それ以前からの親子関係などにフォーカスを当てて、その時代に束縛された自分自身を解放してあげられる方向を見ます。完ぺき主義に陥る背景には、自分をがんじがらめに縛って自由を奪った存在(自分自身も含む)がいるはずですから、その呪縛を解くような感覚です。それは「観念」「義務」「禁止」といった縛りを感覚的に解いていくものですから、セラピーとしては鎧を剥ぐ、鎖をほどく、殻を破るようなイメージを作り出していきます。また、誰かを攻撃していたり、誰かの期待を一身に請け負ってきたような場合には、その誰かを許すこともプロセスとしては大切なアプローチです。完璧じゃないって攻撃していた手を緩め、完璧ではないなりによくしてくれた、頑張っていた、という不完全さを受け入れる(許す)ことです。これも感情的には激しい抵抗を伴う場合も少なくないです。でも、どうしてその人は自分をそんな風に扱わなければならなかったのか?と善意で見つめることができると、その人の痛みや苦悩に共感できるようになっていきます。例えば、自分に過大な期待をかけたお母さんに対して怒りを持っていたとして、その怒りを解放しつつ、どうしてお母さんはそんなに自分に期待をかけたんだろう?って目で見つめてみるんですね。時代背景やお母さんの育った環境にも踏み込む場合もあります。こういう見方ができるようになること自体、自分自身をより成熟させ、成長させることでもありますし、むしろ、大人にならなきゃできないことでもあるんですね。いわば、お母さんと対等な目線で見ることになるわけですから。そもそもこういうアプローチっていうのは今までしたことのない初めてのものですから、やはり最初はうまく行きません。完ぺき主義に陥っていると、もうこの時点で諦めたくなります。また、うまく行かない苛立ちはもちろん、過去の痛みが強すぎて、そうした見方が受け入れられない場合も少なくありません。「どうしてお母さんを許さなきゃいけないのよ」って風に。ただ、根気よくそうしたアプローチをしていくと、少しずつですが確実に変化が訪れるようになります。そうすると、白でも黒でもない、グレーな世界を受け入れられるようになっていくんですね。いい意味でアバウトな、寛容な姿勢が生まれるんですね。そうすると、そこから大人の成熟した魅力(いわばフェロモン)が溢れ始めます。この頃には「最初にお会いしたときの写真撮っておけばよかったですね~」なんて軽口が叩けるようになったりしますね。それでも「へえ、そうですかー。自分ではあんまり実感ないんですけど・・・」て答えもよく返ってくるんですけどね(笑)*こうしたカウンセリングで僕がよくお出しする宿題(日常できるエクササイズ)。「夜お風呂に入っているときなどに、今日の自分を5つ褒めてあげましょう」「友達やパートナーに自分の魅力を見つけてもらいましょう。ただ言ってもらうだけでは忘れてしまうんで、反論したい気持ちを抑えつつ手帳などに必ずメモしておきましょう」「一日の終わりに誰かに感謝する時間を作ってみましょう。感謝は許しを作り出すアプローチです」