こんにちは朱堂です






今回は、京都編


「薩摩藩邸跡」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町601)




ココには、幕末頃に薩摩藩邸がありました


元々は中京区にあったらしいですけど、


手狭だったのでココに移転したらしいです






ちなみに現在は…住所見て気づいた方もいるかもしれませんが、


敷地全部が「同志社大学」になっています




つまりは、幕末に起きたあんなことやこんなことは


同志社の上で行われた、ってコトです






ちなみに、この「薩摩藩邸跡」ですが、


天皇の御所である「京都御所」のすぐ北にあります




薩摩藩は天皇のこともいろいろ考えて、


幕末にわざわざ藩邸を移転したのかも…なんて


考えることもできたりします




奥深きかな






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、京都編


「同志社大学」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町601)




この大学は、明治時代の有名な教育家・新島襄が立ち上げた「同志社」が前進です


関西有数の私立大学としても有名ですが、


明治・大正期の建物がかなり現存していて、


史跡的にもなかなか見所満載です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


キリスト教系の学校なので、西洋風のレンガ造りで


とってもオシャレであります




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


設立者・新島襄の言葉が彫られた「良心碑」なんてものもあったり






2013年の大河ドラマは、新島襄の奥さん・八重が主人公なので、


再来年はおそらく「大河ドラマゆかりの史跡」のメインが


この大学になるのではないかな、と思います


2013年の同志社フィーバーで何かやってくれるんじゃないか


…と、勝手に期待しています






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、京都編


「相国寺」です






悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市今出川通烏丸東入相国寺門前町701)




このお寺は、室町幕府3代将軍・足利義満が、


この時代の有名な高僧である夢窓祖石を開基として建てたお寺です


室町時代の京都の有力な禅寺である「京都五山」の1つで、


金閣や銀閣のボスにあたります




朝、ちょっと時間が空いたのでいってきました


でも、法堂とかは全然開いていなかったので、


外観をグルーッと見るだけでしたが




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


コチラが、このお寺観光のメインともいえる「法堂」です


豊臣秀頼が再建したお堂が現在でも残っています


この中にある「鳴き龍」といわれる天井絵が有名です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


「方丈」(左)と「庫裏」(右)です


方丈のほうは現在修復中…なのかな




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


このお寺の所蔵品を見ることができる「承天閣美術館」です


朝なので当然開館していませんでしたが、


機会があればまた行って見学したいです




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


コチラも名物「放生池(ほうしょういけ)」です


季節になればキレイな蓮の花でいっぱいになります


…正直、フェンスが邪魔です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


コチラは「鐘楼」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


そして、「経蔵」です




両方とも、江戸時代に建てられたものだと思われます




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


最後に、「後水尾天皇歯髪塚」です




「後水尾天皇」は江戸時代初期の天皇で、


徳川秀忠の娘・和子を后に迎えたことで有名です


また、幕府が発行した武家諸法度の公家版「禁中並公家諸法度」を破って


高僧に最高級の色の服である「紫衣(しえ)」を勝手に与えて


幕府とモメた「紫衣事件」の張本人でもあります




「歯髪塚」ということは、生前墓なのか、


それとも死後に分骨したお墓みたいなものなのか…




とりあえず、皇族関係ということで、例に漏れず、


宮内庁管理です






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、京都編


「大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市下京区大政所町)




ここは、京都の三大祭りの一つ「祇園祭」の神輿(みこし)が置かれていた場所です




平安時代中期の円融天皇の時代に、


この辺りに住んでいた秦助正(はた すけまさ)が見た夢のお告げによって


神輿の安置場所に選ばれたといいます




ですが、秀吉によって神輿は四条河原に移転されたので、


現在ではちっちゃな八坂神社が残されています






いやぁ…ぶっちゃけ言いますと、「大政所」という名前が付いているので


秀吉の母親である「なか」さんの関連史跡かと思ったんですよ…


一応説明の中に秀吉は出てきますけど、


全然関係なかったです


早とちりだったなぁ…






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、仙台編


「感仙殿」と「善応殿」です






悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:宮城県仙台市青葉区霊屋下)




「感仙殿」と「善応殿」は、政宗様の墓所「瑞鳳殿」の敷地内にある霊廟で、


それぞれが仙台藩2代藩主・忠宗、3代藩主・綱宗の墓所となっています




こちらも瑞鳳殿と同じようにライトアップされておりました




上の写真は、忠宗の墓所「感仙殿」です




忠宗は、政宗様の次男で、正室の愛姫を母として生まれたために、


長男の秀宗をさしおいて仙台藩主になった人物です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


そして、こちらが綱宗の墓所「善応殿」です




綱宗は、忠宗の六男で、兄の光宗が早世したのを受けて藩主になった人物です


ですが、結構素行が悪くて、たったの2年で隠居


これが、小説「樅ノ木は残った」で有名なお家騒動である


「伊達騒動」につながっていきます…




そんな彼ですが、一流の芸術家としても有名で、


副葬品として芸術品がたくさん出土したそうです






以上、朱堂でした