この間東京は梅雨入りしたはずだと思うのだが、いったい全体この晴天続きはどうしたものであろう。こうした天気が続くのは後半月ほど後であろうと思うのだが、何とも暑苦しく恨めしい日が続いている。




男のくせに全く情けない話だが、私は日の光に長い間直接当たっていると、それだけで体が疲れてしまうという不甲斐ない体質である。今日のような日が一日終わると、やたらと肌がヒリヒリして頬が熱っぽく、運動らしい運動など何もしてもいないのにもかかわらず、まるで慣れないジョギングでもしたかのような疲れが体中に溜まっている。こういう日は食事をとった後に迂闊にベッドに横になったりなどすると、それからはもう起き上がる気力さえ無くしてしまう。本音を言えばこのまま眠ってしまいたいのだが、このまま眠ってしまうと次の日に今日溜まった疲れを殆どそのまま持ち越してしまうようなことになってしまうので、腹の中では心底面倒に思いながらも、いつもシャワーだけは浴びて眠るようにしている。




しかし、今日はいつもよりも体の疲労が激しいらしく、ついつい迂闊にもベッドに横になってしまった。今、寝転んだ状態でこれを書いているが、もう既に意識が飛びそうである。

朝はけっこう本降りだったが、今はかなり落ち着いているようだ。朝家を出る前は、おそらくぱらぱらとした小雨くらいだろうと思っていたのだが、ドアを開けたとたん出鼻をくじかれた思いだった。大雨というほどではないが、大きめの雨粒が風に吹かれて少し斜めの線を空中に描き、暗い雨空から音をたてて落ちていた。


幼稚園へ向かう小さな子供達は、皆黄色やピンクの可愛らしい雨合羽を着て、同じく可愛らしい色の長靴を履き、小さな傘を手に母親に手を引かれて歩いていた。やはり小さな子供の場合は地面からの距離が近いせいで雨水の跳ね返りの影響が大人より大きいのだろう、私が見た子供達は皆そうした恰好をしていた。よくよく考えてみれば当然のことで、我々大人でも少々雨足の強いときには膝から下はびっしょりと濡れてしまうものなのだから、我々の膝の高さがお腹や胸辺りになる子供達にとっては、多少雨足が強いくらいの雨でも、我々大人が大雨と感じるくらいのものと同じなのだ。そう考えれば、何もこれくらいでと思われるような雨であっても、そうした完全防備を整えるのは当然のことだ。


そうした雨具を着せていたためなのか、はたまた単に歩道に水溜まりができて足場が悪いせいか、その子供達を連れた母親達は、皆普段よりせかせかと忙しそうに見えた。私は詳しくは知らないが、おそらく幼稚園にも何時に着かなければならないといったような時間があるのだろう。どうやら今朝は普段よりいくらか遅れているように見える。しかし、そうした母親の大変さなどどこ吹く風といった表情で、子供の方はわざと水溜まりの中に入って歩いたり、持っている傘で遊んだりしている。「ほら、ちゃんと傘さしてよ!」「もう、ちゃんと前見て歩いて!」「ちょっと、人来てるから端っこよって!」など母親は大変な騒ぎようである。しかし、子供の方はそうした言葉など耳にも入らない様子で母親に制止されるまで喜々としてそれを続けている。その様子は母親には大変申し訳ない言い草だが何とも滑稽で可笑しく、まるで私には夫婦漫才のように見えた。間違いなく下手な芸人の芸よりも数段面白く、毒のないそのやり取りは心の中にほくほくとした温かいものを起こさせた。




もう今日は雨は降らないらしい。すっかり雨は上がってしまった。まぁ、降ったら降ったでこうした楽しみもあるのでとくに苦とも思わない。雨もまた楽しいものだ。

明日からまた少し降るらしい。どれくらい降るかは分からないが、静かな雨であってほしいと思う。


空が一面真っ白い雲で覆われている。濁った灰色の部分はほとんどないのだが、こういう天気の日は光が弱いせいで、白い雲もこころなしか調子が落ちて灰色に見える。


気温はそれほど高くないはずなのだが、湿度が高いせいで朝からじとじとと不快な暑さがある。もうずいぶん以前にジャケットは着なくなっていたが、どうやらもうそろそろ長袖のワイシャツも厳しくなってきたようだ。


ここのところ毎朝よく注意して見るようにしていたのだが、以前話した緑の小道に植えられているオレンジの百合が、今朝見たときに一株だけ蕾をつけているのを見つけることが出来た。その蕾はかなり大きくなっていたので、ここまで成長したのは昨日今日の話ではないのだろうと思う。私もよく見ているようで見落としていたのだろう。その一株には三つか五つほどの蕾がついていた。大きくなっていたとはいえ、まだ花を咲かせるにはいくらか時間があるように見えた。おそらく花を開くのは十日ほど後のことだろうと思う。


この百合に限ったことではないが、こうして花々の蕾を見つけたり、芽を出したばかりの若葉を見ているだけで、何故だか訳もなく嬉しくなるのはどうしたことであろうかとつくづく思うものである。べつだん口をきく訳でもなく、笑いかけてくる訳でもないのに、何故だか心にほくほくとした喜びが沸いてくるものだ。この百合にしても、べつに私が植えて育てたわけではないし、一度だって水を与えてやったわけでもない。それなのにその成長の過程が気になって、葉が伸びただの花芽が出ないのとお節介な心配をしているのは全く滑稽である。しかし、そのようなことを百も承知の上でさえ、こうして花芽がつくなどすると嬉しいのである。


まだ青々としているが、その蕾の真ん中辺りはもうぷっくりと膨れていて、俯いたその姿がなんとも愛らしい。例年より今年はいくらか蕾が出るのが遅かったように思われるが、このぶんならどうやら今年も元気な子供のようなオレンジ色の美しい花を見られそうである。