ここのところ就寝時間が遅いせいか忘れ物が多くなっている。財布や定期券を忘れるよりはましだが、今日もまた携帯を家に忘れたまま出かけてしまった。どんな忘れ物もそういうものだが、たいてい何かを忘れたことに気が付くのは、取りに戻るには時間がかかりすぎると思えるくらいの微妙な所まできてしまったときである。今朝も家を出てから7、8分ほど歩いたときに、胸ポケットにいつもの重さがないことに気がついた。またやってしまったと思ったが、そこから引き返すと、いくら余裕をみて家を出ているとはいえ、確実に遅刻する思われたので30秒と考えることなく、すぐに今日は携帯なしで過ごすことにしようと決めてしまった。まぁ、仕事に携帯を使うことがないので直接的な支障は皆無だが、それでも今あったらなと思うことも決して少なくはないのでやはり不便には思うものである。
しかし携帯が無いぶん、その時間を全て読書にあててしまうことになるので、今日のような日はページがどんどん進んでゆく。わずか一時間にも満たないような通勤時間だが、意外と読み進むもので、知らない間に読んだ方の側のページの厚みがずいぶん増していることに本を閉じるたびに驚かされる。
私は小さい頃、あまり本を読まない子供だった。いくらか読むようになったのは中学生もやっと後半くらいになってからである。それにしたって、特に気に入ったものを読み込むような感じで、ジャンルを問わず広範囲に読破するようなものではなかった。それ以前は、つまり小学校の頃は読書などしたためしがない。もちろんいくつかの短編や偉人の伝記などは、私も子供らしい好奇心を発揮してわくわくしながら読んだものだが、それら以外の、一般に小学五、六年生が読むような本でさえ私は読むことがなかった。それより小さな頃は、私か私の姉が買ってもらった絵本を、その絵本の絵の中に吸い込まれるようにして夢中になって読んだ記憶はある。
私の記憶が始まる保育園の年少クラスの頃からずっと私の家庭は共働きだったので、保育園から帰っても、小学校から帰っても、家には祖母しかいなかった。しかも祖母はいつか話した通り、一日中、家の外といわず中といわず忙しなく動きまわっているような人だったので、私達兄弟にかまうような人間は家にはいなかったのである。そのため外に遊びにも行けないような日には、先に話した絵本を読んでいるくらいしかなかったのだ。そんなふうだから、よく母親が絵本を子供に読み聞かせているような場面が映画やテレビドラマで展開されていたりすると私の目にはそれらがとても奇異なものに映ったものだった。ひらがなを読むのさえ難しいほど幼い子供ならともかく、もう易しい漢字くらい読めるであろうような子供がそうして読み聞かせてもらっていたりなどすると、“自分で読めないのだろうか?”とか“甘やかしすぎなのでは?”と昔はよく思ったものだった。しかし、そうした私の認識の方が世間から見ればずれていたのだということを後になって私は知ることになった。
小学校の頃は国語の教科書すら一冊通してまともに読んだことがない。国語の授業自体もとくに面白く感じなかったので、授業中は専ら、まぁ誰でもやったことだとは思うが、文豪の顔に色々と描き加えたり、教科書の余白に落書きをしたり、隅のところにパラパラ漫画を作ったりして遊んでいた。まぁ、これ以外にも机に落書きをしたり外をぼんやり眺めたりなどして授業時間を過ごしていた。間違いのないように言っておくが、私は決して反抗しようと思ってそうしていたわけではない。ただ、つまらなかったのだ。もちろんそうした態度はけして良いことではないので、期末の通知表の連絡欄にそうした私の悪行が書かれることになるのである。そんな状態でも、私もやはり日本人だからか、テストでも特に酷い点数をとるようなことはなかった。漢字はともかく、他の問題は聞かれていることに言葉で答えれば済むことなのでとくに難しいとも思わなかった。しかし、それでもこうしたことが通用したのは国語の場合だけで、算数などはこの頃から既に酷いものだった。算数、数学に関してはこの頃からずっと、高校まで母には心配をかけたものだ。それぞれの期末が綱渡りの状態だったからだ。しかしまぁ、それでも他のことで挽回して大学までいけたのだからよしとすべきだろう。
本を読まない人間はたいてい文章を書くことも苦手なものである。その頃の私は作文や読書感想文なるものが心底苦手だった。400字詰めの原稿用紙を前にして何を書いてよいやら皆目分からず、よく頭を抱え込んだものだった。夏休みの宿題の中に含まれる読書感想文などは、私にとっては最強の敵であり、最大の難関だった。他のものは人海戦術である程度何とかなるのだ。あの苦手な算数のドリルさえ、電卓や姉の頭を駆使して何とか仕上げることが出来る。しかし、この読書感想文だけはごまかしがきかないのだ。人の書いた文章というのは、代わって書いてもらって、その出来映えがよく、どれほど上手くやりおおせたと思っていても、言葉というものは不思議なもので、必ずその当人が書いたものでないということがばれてしまう。言葉の与える印象というものだろうか、書かれた内容だけではなく、その書かれた言葉自体が著者とされる者が自分の主人ではないと証言するのだ。そのためこうした作文だけは、仕方なくいつも頭をひねって言葉を搾り出すようにして自力で書いていた。
そうはいっても、渇いた布をいくら搾ったところで水が出るわけはないのである。結局、その対象の物語のあらすじをなぞって、要所要所に簡単な感想をくっつけるのが当時の私に出来る精一杯のことだった。そうしてたいてい最後に称賛の言葉を付けて閉めるのである。やれやれ、全く自分のことながら何と嘆かわしいことかとは思うが、その当時はそんなものでさえ私にとっては大仕事だったのだ。しかもその上、その粗末な文章さえ頻繁に段落を変えたり、句読点を増やしたりした水増しものなのだ。その涙ぐましい、狡っ辛い努力は、今思い出してみると微笑ましいというか可愛らしいというか、何とも可笑しなところがあるものだ。
しかし、そうした愚にもつかない、出来映えとしては平均点以下の、国語の先生がやれやれこの児童はと思うような粗末な文章でさえ、自分の頭と手で作り出したときは、大仕事を成し遂げたような気がして文豪にでもなったような感じがしたものである。
思えば文章の内容とは別に、そうして書き上げる、完成させるということにも教育的意義が持たされていたのだろう。
下手くそでも何かをやり通すということは尊いことである。こうしたことはくれぐれも忘れないようにしなければならないことの一つだろう。