今日は随分蒸し暑い。確か天気予報では気温はあまり上がらないと聞いていたのだが、それはどうやら私の聞き違いだったようだ。私は雨の日は決して嫌いではないのだが、雨の日の電車というのはどうも苦手だ。今朝は幸運にもあまり混んでいない車両に乗り込むことが出来たので良かったが、たいていこんな日はいつもより車内が混んでいて空気も悪く、深い極まりないものだ。そのうえ大幅にではないが電車も遅れるので、乗り換えが必ず遅い方のものになってしまう。そうした様々な不快な要素が重なって、あちらこちらでちょっとした小競り合いを目にすることもしばしばだ。


昨日だったか一昨日だったか、関東も梅雨入りしたのだそうだ。傘の生地を洗おうと思っていたのだが、こう度々傘を使う機会があるようだと、しばらくは洗ってきれいにしてやることも出来ないようだ。もちろん洗ってやるだけならいつでも出来るのだが、きちんと陰干しをして発水スプレーを吹いてという作業をするとなると晴天の日が二日は必要になる。そうした始末が不十分だと、かえって傘の生地や骨を痛めてしまうことになり、それでは本末転倒だ。


つい数日前まで咲き始めだった紫陽花が、今朝通り掛かりに見てみるとちらほらと花を咲かせ始めていた。淡い赤や青の花塊がしとしとと降る静かな雨に濡れて押し黙ったように立っていた。近くには昨日子供達が忘れて帰ったのだろう、ピンク色のビニール製の縄跳びが、半ば水溜まりになった砂利の中で雨ざらしになっていた。そうした楽しそうな空気の残り香が近くにあるせいか、雨に打たれてひっそりと立っている紫陽花が何となく淋しそうに見えた。


雨の日にいつも見る光景だが、雨合羽を着た小さな子供が母親に手を引かれて歩いている姿はいつ見ても愛らしいものだ。直径1メートルにも満たない小さな傘が自分の膝近くでちょろちょろと動き回っている様子は、言葉は悪いかもしれないが、何やら小さな愛らしい動物のようで、独特の可笑しさというかほほえましさがある。小さな子供が雨靴を履いて大きめの雨合羽を着ていると、まるで三等身のマスコットのようにさえ見える。母親が子供の方を気遣いながらも、水溜まりを避けながら時間に追われてあくせくと手を引いて歩く様と、強引に手を引かれるがまま、母親の大変さなどどこ吹く風といった表情でトコトコと歩く子供の姿の対比が何とも可笑しく、母親にすれば大変な家事のひとつなのだろうが、正直笑ってしまうような光景である。こうした光景が見られるのも雨だからこそだ。




私は雨は好きなほうだが、だからといって傘もなしに雨に降られて濡れ鼠になるのが好きなわけではない。まぁ、そういった人間などは極小数であろう。だいたい、そうしてびしょ濡れになると服が痛むし、体を冷やして体調を崩す原因になる。それに携帯を始めとした電子機器を幾つも持っているので水は大敵である。早い話が不都合なことしかないと言える。そのため普段から気をつけて天気予報を見るようにして、降水確率が低めの日でも用心のために傘を持って出掛けるようにしている。しかし、今では殆どなくなったが、それだけ注意していてもついうっかり傘を持って出掛けることを忘れるような時が昔は私にもよくあった。傘くらい盗んだとしても大したことなどないといった感覚の持ち主ならば、雨が降り出したとたん人の傘であろうと平気で盗んでゆくものだが、私は昔からどうしてもそういったことをよしとしない、妙に意固持で頑固なところがある損な気性だったので、そうして途中で雨に降られてしまったような日は、潔く諦めて降られるがまま、びしょ濡れになって帰ったものだった。


もちろん気分は最悪である。いいわけがない。傘を忘れたのは他でもない自分自身なのだから誰に対しても腹を立てることなど出来ようはずはないのだが、それでも行き場のない腹立たしさを抱えて家までの道をびしょ濡れになって歩いたものだった。しかし、そうして腹を立てているのはほんの一時のことで、時間にすれば10分ほどのものだった。最初はたしかに体を濡らす雨が恨めしく苛々もするのだが、時間が経って靴の中や下着までぐっしょりと濡れてしまうと次第にもうどうでもよくなり、家に着く頃にはすがすがしくさえ思えるようになっていることがほとんどだった。ことに気分がくさくさしている時や何か悩み事がある時、じっくり考え事をしたいときなどは、わざと傘をささずに濡れて帰るような時もあった。



その日はあることで気分が塞いでいた。そのせいか、朝の天気予報で雨が降るかもしれない予報が出ていたにもかかわらず、面倒という横着な理由から傘を持って家を出なかった日だった。なに、天気予報だってたまには外れることもあるさとたかを括って出掛けたのである。昼間の間は降る気配もなく、やれやれ持って出ないでよかったと天気予報士を嘲笑っていたのだが、その日の夜、地下鉄から地上へ出るとかなりの大粒の雨が大きな雨音を立ててかなり本格的に降っていた。その日はただでさえ気分がささくれていた日だったので、エレベーターで地上に出てその光景をはじめて見た時は、自業自得とはいえ何とも腹立たしく思ったものだった。そういった時でも傘を盗んで帰ろうなどとは考えず、なるようになれとばかりにやけっぱちで濡れて帰る決心をしてしまう自分が何とも馬鹿者に思われてならないが、私はその日も携帯だけをビニールの水の入らない場所に収め直して、大雨の中ずんずんと歩き出した。


かなりの本降りなので、周りには私のように傘をささずに歩いている者など一人もいない。そんな中、びしょ濡れになって歩く小男を見る通行人の目には好奇の色がありありと見える。完全に変人を見る目だ。しかし、そういったときの私はそうした周囲の目など全く気にならない。頭に溜まった雨が眉から睫毛に伝ってくる。10分としないうちに頭のてっぺんから爪先まですっかりびしょ濡れになってしまった。靴の中では大量に入った水が隙間を動き回って足に独特の感触を与えている。ぐっしょりと雨に濡れて肌に張り付いていたズボンの裾の感覚は、膝から腿、さらに上へと拡がっていった。雨粒が目の中にやたらと入ってきて目を開けているのが辛く、前が見にくかった。


家の近くの信号まで着いた頃には、もうすっかり体も冷え切っていた。人間の体とは不思議なもので、最初は濡れても冷たくさえなかったし、気温もそれほど低くはないのだが、あるとき急に寒気を感じて体が震え出してしまう。おそらく、極端な冷水でなくとも雨粒のひとつひとつがそれだけ体温を奪ってゆくのだろう。信号を渡って家のあるブロックに入り、途中から細い路地に入る。路地に入らずにそのまま大通りを歩いても家には着くし距離も変わらないのだが、その日はどうにも車の音や人影が目に入るのが疎ましかったので、すっかり暮れて暗くなった路地に吸い込まれるように入って行った。


その頃の私の住まいは街中だがかなり古い住宅街の中にあった。細い通りがいくつもあって、ずいぶん以前から営業していると思われるような蕎麦屋や建具屋、仏壇を売る店など、小さな店が普通の住宅の中に混ざっていくつもあるような所だった。私は得体も知れないようなどろどろとした感情が心の中で渦巻いている状態で、暗い路地をとぼとぼと俯いて歩いていた。すると不意にすぐ傍で私を呼び止める声があった。ふと我に返り顔を上げて目を凝らして見てみると、その時ちょうど通り掛かっていた蕎麦屋の勝手口から、店の主人と思しきおじさんがずぶ濡れの私をニコニコしながら見ていた。そのおじさんは笑顔のまま「えらい濡れとるな、風邪ひくぞ。」と声をかけてきた。私は少し面食らってしまったが、しかし、すぐに答えようと言葉を発しかけた。しかしおじさんは間髪入れず「ちょっと待っとき。」と言ってさっと店に入り、「さしてき。」と言って傘を持って店から出てきた。もうその時には家まで5分ほどの所へきていたので、もうすぐそこだからと言って断ってみたのだが、おじさんは「ええから ええから、持ってき。そんなん風邪ひくわ。自分のええ時に返しといてくれたらええし。ほら、ここんとこに立てかけといたらええわ。持ってき、ほらっ。」と、おじさんは半ば強引に私に傘を握らせた。私はそれではと差し出された傘を受け取り、おじさんに礼を言うと、強引に持たされた傘をさして家までほんの数分の道程を歩いた。熱が出たわけではないし、気温が上がったわけでもない。傘のおかげで雨に濡れずに済むようになっただけなのだが、不思議とさっきまであった寒気が薄れ、何やら体が暖まったような感じがしたのを覚えている。びしょ濡れの体で傘をさしているのが何とも奇妙な感じだったが、そうして歩いていると、さっき路地に入るまで私の心の中でうごめいていたどす黒く醜い何かが、家に着く頃にはまるで霧が晴れるように跡形もなく無くなっていた。


翌日はすっかり雨は上がっていた。その当時、朝早い出勤だった私は、前の日に借りたあの傘を持って家を出た。その蕎麦屋は古い店で細い通りにあった。朝早いので当然店は開いていなかったが、私は持ってきた傘を、昨日おじさんがいて、ここに立てかけといたらいいと指差していた勝手口の木戸に、聞こえるわけではないのだが礼を言いながら立てかけ、すぐに朝の出勤を急いだ。別段アレルギーというわけではないが、私は年越しでさえ蕎麦を食べる習慣がない人間なので、結局その後その蕎麦屋に入ることはなかったし、傘を貸してくれたおじさんと会うことも一度もなかった。




何故こうしたことが今日突然思い出されたのかは分からない。しかし、なぜだか不思議とこの日のことはよく覚えている。冷たい雨の日で、大粒の雨が空から落ちていた日だった。

最近はようやく喉の痛みもなくなった。免疫が形成されたと思われるので、これでしばらく風邪をひくこともないだろう。


今朝の天気予報では雨は降らないと言っていたようだったが、家を出ると霧雨のような極小の粒の雨がぱらぱらと降っていた。あまり本降りになることはないだろうと私も思ったのだが、当てが外れて濡れ鼠になるのは嫌だったので荷物だが傘を持って出ることにした。


今日はとても光の弱い日だ。日の出からかなりの時間が経っているが、朝の早い時間のあの独特の青い光が街のあちこちにまだ残っている。青白い空を鼠色の厚い雲が覆っていて、もう既にだいぶ強くなった感のある日の光を遮っている。そうして日の光が遮られているせいで気温の上がりかたも鈍いようだ。通勤客の中には、最近続いた夏日のせいで仕舞い込んでいた春物のコートを急遽出してきたのだろうと思われる人々も多く見られた。私も昨日からジャケットを再び羽織って出かけているが、夜の帰り道などはそれでもいくらか肌寒いくらいだ。



最近つくづく思うことがある。私は今の賃貸住居生活を始めてからかなりの時間が経つ。それにともなって行った引っ越しは、かなり多いとまでは言わないまでも多い方の部類に入るだろう。思えば色々な土地、色々な部屋に住んだものであると思うが、しかし、そうした貸間に住むことが最近はつくづく嫌になってきたのだ。どこへ行っても代わり映えのしない間取りや同じような壁紙、模造品の床や建具も、なにもかも本当にうんざりする。贅沢な悩みかもしれないが、まるで小綺麗で巨大な段ボール箱の中に住んでいるような感じがするのである。



私の育った家は太い張りのある、いわゆる古民家というものだった。母屋と離れの間に玄関があって、それが土間でつながっている様式のものである。何でも、祖父が何処からか今家のある土地へ移築したものであるらしい。そうした経緯から、移築する以前からの材に腐食などの理由により移築時に新たに組み込まれた材が所々に見られるような状態だった。それに加えて父親が屋根を修繕した時の材が組合わさっていたので、悪く言えばつぎはぎのような姿をしていた。


一番古い材は、祖父母の生まれた年や一緒になった時期などから推測して、江戸時代後期の物であろうと思う。私がごく小さい頃は、今とは違って屋根も茅葺きだったので、上を見上げると黒々した太い張りが縦横に走っているのを見ることが出来た。その時代の張りは仕上げも美しく、曲がったままの形状がそのまま生かされており、大きな材がとても上手く組み合わされて出来ていた。今では新たに張られた天井のせいで見ることは出来なくなったが、その太い張りのことは今でもよく覚えている。母屋の基本的な骨格はその一番古い材で構成されていて、壁のほとんどの部分は土壁にしっくいを塗った昔ながらのものだった。以前にも話したことだが、その祖父の時代から既に私の家は豊かではなかったので、その壁にしたってあまり目に触れないような所や、居住空間に直接接していない場所などにはしっくいは塗られておらず、土壁のままの部分も多くあった。


土間を挟んで母屋の隣りに建つ離れは、その大部分が移築された際に組み込まれた新材で出来ていた。所々に母屋と同じ古い材が残ってはいたがそれはごく一部で、ほとんどの材は新しいものだった。新しいとは言っても、建てられてから既に五十年以上経過している訳なので決して新しいとは言えないのであろうが、それでも、それ以前のものと比較するとやはり新しいのである。その移築の際に新たに組まれた材は、決して粗悪なものではなかったが、それでもそれ以前の古い材から比べると随分と見劣りのするものだった。材自体の加工もさることながら、組みや継手の仕事も十分なものではなかったし、木材の質自体も良くはなかった。それでも仕事自体は不真面目ではなくきちんとなされたものだった。それはもともとの古材が元のようにきちんと組み戻されている点からだけいってもよく分かった。


父親の代に、それまで茅葺きだった母屋の屋根が今ような瓦葺になった。離れは移築された当初から瓦葺きだったのだが、母屋はそれまでの間ずっと茅葺きのままだったのである。瓦葺きにしたのはいつのことだったか、何故だか不思議と覚えていないが、私がごく小さな子供の頃だったように思う。その瓦葺きにするまでの間に、確か一度だけ茅の葺き替えがあったと記憶している。おそらくまだ小学校はおろか、保育園にも入園しているかどうかくらいの時期だったと思うので細かなことは全く覚えていないが、多くの大人がせわしなく動き回っていたようなことだけはぼんやりと覚えている。今思えば、その最後の茅の葺き替えからそれほど屋根の茅が持たなかったのは、その当時すでに竈の火が絶えて久しかったせいだろうと思う。私が生まれるずっと以前に水道は整備されていて、それまで使われていた井戸はとっくに使われなくなっていたし、竈突と呼ばれる竈は元の場所にそのまま残っていたが、それも当時全く使われなくなっていた。そのため屋根を内側から燻す煙がどこからも立つことがなく、茅には煙に含まれる油もつかないし、燻されることによる防虫効果も生まれなかった。煙の煤が付着し茅の層の表面が炭化することによって葺かれた茅が長持ちするような効果も勿論生まれなかった。そうした様々な負の作用が茅の屋根の寿命を著しく縮めてしまった原因であろうと思う。


勿論そうしたこと以外にも様々な理由があって瓦葺きに変えられたのだと思う。その当時においてさえ、既に茅葺きの屋根は手間や費用のかかる、維持管理の大変なものになってしまっていたのである。そうして私の家の屋根が茅葺きだった頃は同じように茅葺きの屋根が周囲にも多くあったものだったが、瓦葺きにした頃に周囲にあった茅葺きの屋根も次々と姿を消していった。そうして母屋の屋根を瓦葺きにしたのだが、それにともなってそれまで茅葺きの屋根を支えていた古い構造部を除いて作り変え、新しい新材で多くの部分を組み直すことになった。しかし、その時に行われた屋根の修繕の跡を見てみるとそれ以前のものと比べるとはるかに、いや、比較にならぬほどお粗末なものであることが素人目にもよく分かる。はっきり言って粗雑である。材自体も細いし、木組みではなくボルトやナット、鉄板などで固定しているような有様なのだ。このような仕事ではほんの少し大きな地震でもきたらきっと材が割れてしまうだろう。なにより材木自体の質も悪く加工も酷い。良い点などは探してもまず見当たらないのだが、強いて挙げれば材の寸法が揃っていることくらいのものだ。


そうしたモザイク状の家の構造を見渡してみて思うのは、時代が下るにつれて材にしろ仕事の質にしろ、段々に程度が落ちているということである。それはもう嘆かわしいほどにだ。


こうした古い建物を直しながら住み続けてゆくのには費用も時間もかかる。直す程度によっては、全て取り壊して新たに立て替えるほうがはるかに安くつく場合が多いという。そのため私の実家のある地域でも、私が幼い頃にはまだ沢山あってよく目にしていた古い民家などは、私が成長するにつれ年々失われていった。取り壊されてさら地になった場所へ建つのは、鉄骨か外国産の木材の骨組みに外壁材を貼り付けただけのような、趣も何もない一般住宅である。そうした建物は、なるほど機能的で居住空間としての密閉性も高く、清潔で快適、暮らしやすいことこの上ないものなのだろうが、しかし、その建物の佇む姿には何とも言葉にならない、やり場のない虚しさを感じてしまうものである。建って十年ほどのまだ新しいうちは、それなりにぴかぴかして立派に見えるのだが、それより古くなって二十年、三十年と年を経てゆくと、そうした建物は随分見苦しい古びかたをするものなのである。昔の建物は年を経てゆくと、いい具合に枯れて趣を増してゆくものなのだが、そうした建物は時間が経つと見苦しく古びてゆくのである。そうしたものには何というか、侘びとは違う独特の悲しさがあり、まるで山奥に打ち捨てられたバブル期の廃墟になったリゾート施設にも似た醜さがあるのだ。


しかし、田舎の人間というものは、どうやらそうした新しいものをやたらに有り難がるようなところがあって、いつまでもそうした古い民家に住まっているのが恥ずかしいことのように思い込んでいるところが多分にあるように私には思えた。彼らは立て替える資金のめどがつくと、長い年月を経てきた古い家を何の躊躇もなく取り壊してしまって、もはや手に入らないであろうような太くて十分な長さのある立派な材を廃材として処分してしまう。その後で先に話したような建物を建てて得々としているような始末なのだから、全く嘆かわしい限りである。


しかし、こうしたことが彼ら特有の無知と了見の狭さからきているのだということは私も十分理解しているつもりである。狭くて多様性のない社会に生きているのだからそれも仕方のないことであるとも思う。


都市の人々の間では、まるで田舎の人々は自然と共に暮らしている、心の温かい、優しい人々だと無邪気にも信じ込まれているところがあるように見える。そうしたことを殊更に吹聴するマスメディアの影響も多分にあると思われるが、しかし、その考えは甚だ間違っているように私は思う。それが嘘か本当かは、そうした田舎で自分自身が五年も暮らさないうちに自ら知ることが出来るようになるだろう。そうは言っても、別段私は田舎の人間が悪い人間ばかりだと言いたいわけでは決して無い。夏目漱石もある作品の中で登場人物の口を通して語らせているように、田舎の人間だから悪い人間はいないとか、都会の人間はそうではないとか、またその逆であるとかいうような、そういったことではないのである。人間の良い悪いなどというのはそうした事とは全然なく、どこにでも善人はいるし、また誰でも悪人になり得るのである。


一見楽園のように見える辺境の田舎でも、この国の内に山積した様々な問題とも決して無関係ではなく、世界的な規模で動く経済ともちゃんとつながっているのである。そうした楽園のように見える田舎でも宙に浮いている島ではなく、この国のあらゆる都市ともつながっているし、世界の様々な都市とも海を介してつながっているのである。




ずいぶん話が脱線してしまったが、私はこうした古い家で育ったせいか、つくづく今のような賃貸住宅に住まうのが嫌になってしまったのだ。そのため最近は古い民家の借家を探して住みたいと思っている。酷い雨漏りさえしなければぼろでも構わない。ただ、戦後に建てられたものではなく戦前に建てられたもので探そうと思っている。戦後に建てられた民家はどうしても数を供給するというその時代の要求に応えて建てられたものなので趣というものがないのだ。そうしたものを個人的記憶から懐かしがる人はいるが、私の場合はそうした懐古趣味ではなく美しさを求めてのことなので、どうしても戦前のものでなければならないのである。


こうした古い民家に住まいたいと私が思うのにはもうひとつ理由があるのだ。それは自分が手を使って家を修繕し、作り変えてゆく楽しみが欲しいということである。もちろん私は大工ではないから出来ることは限られると思うが、それでも自分の手で住まいを作ってゆくという、まるで大きな工作のような楽しみが私にはとても魅力的なのである。今のような賃貸物件ではそうしたことは叶わない。植物を植えることさえままならないのだ。



五年か十年後にはそうした所へ引っ越したいと思っている。まぁ、この辺りは戦争で大半のものが焼き払われてしまったのでそうしたものは残っていないと思われるので、もっと周辺まで足を延ばさなければならなくなるだろう。

ここのところずっと暑くて上着無しで通勤していたが、今日は久しぶりに上着を着て出掛けることにした。ズボンの裾が濡れたり靴が汚れたり、電車内のむしむしとした暑さは嫌なものだが、それでも今日のようなひんやりとした静かな雨は私のとても好きなもののひとつである。


梅雨時のひどく蒸して、やたらと気温の高い日などは別だが、雨の日というのは何かこう、普段より空気が澄んでいるような気がするものである。適度な湿度とひんやりと冷えた空気がとにかく鼻に心地よい。



私の住まいの近くには幸いなことに多くの公園が点在している。最近まであったコンビニも無くなってしまったし、その他の点からいっても不便なことの方が多いような地域だが、この公園の多さだけは気に入っているところだ。海からは遠く、近くに大きな河川もない内陸の土地では公園の緑でもなければ息が詰まってしまう。


一口に公園といってもいくつかの形式がある。中央がグランド状になっていて、その周囲にいくつかの樹木と遊具があるだけの校庭型の公園や、街の中心部に多く見られるような、敷石やブロックなどで地面が覆われており、中央に噴水などのある広場型などである。そのほか様々な形式の公園があるが、私の住まいの近くにある公園の多くは森林型の公園である。そうした公園は滋味豊かな黒い土が剥き出しになっており、そこに様々な樹木が植えられている。地域のグランドとしての機能がかなり抑えられているので広場があったとしてもとても小さく、そのおかげで植えられている樹木はかなり大きく成長しているものが多い。植えられている樹木にはやはり桜が多く、その次に団栗などの堅果をつける仲間が植えられている。鬱蒼と繁った木々の緑の中を遊歩道が通っており、その所々に風雨によって程よく枯れ、いい風情になった木製のベンチがならんでいる。


当然のことながら雨の日に公園などを訪れる者はほとんどなく、晴れた日によく聞こえる子供達の楽しそうな声も聞こえてくることはない。聞こえてくるのは地面を叩く雨の音や、木葉を伝ううちに大きく成長した雨粒が、空からの雨とは別のリズムでたてる少しだけ大きな雨音ばかりである。そうした雨音に、近くを通る幹線道路の車の音が混ざる。信号が青になるたびにその音は高まり、しばらくすると疎らになる。いくつもの車が止まる音が聞こえ、その後でまた多くの車が発進する音が聞こえてくる。そうしたゆっくりとしたリズムが雨音だけが響くひっそりとした公園に繰り返されてゆく。休日に雨に降られた日など、そうした公園の側を通り掛かると、私は何となくふらふらと足を踏み入れてしまう。靴は汚れるしベンチにも座れないので立っているしかないのだが、そうした雨の日の公園には何とも不思議な空気というか時間が流れているのである。



私の住まいの近くを通っている幹線道路を挟んで向こう側にひとつの公園がある。そこは森林型の公園で、ブランコなどの遊具の横に50メートル四方ほどの樹木だけが植えられている区画があって、かなり晴れているような夏の日でも他の場所よりひんやりとしていてとても心地よい場所で私のお気に入りの場所である。その場所はよく整備されているせいかほとんどいつも下草が生えていることはなく、その木々が落とした落ち葉が辺り一面に敷きつめられている。落ち葉の上を歩くと、まるで絨毯の上を歩いているようなふわふわとした心地よい感触が足の裏に伝わってくる。落ち葉のすぐ下は夏の暑い日でもいつもほんのりと湿っていてその場の空気を清涼に保つ効果を果している。


雨の日にその木々の下をひとり歩いていると、静かな雨音の中、足元からは雨に濡れた落ち葉の香りが土の匂いと共に立ち上ってくる。薄汚い、下卑た煙草の煙や排気ガス、ビルの間に吹き溜まった形容しがたいような猥雑な臭気の中で日々を送っていると、そうした清涼な空気が私の鼻だけでなく心まで洗い清めてくれるような気がしてくるのである。木々の下では生い茂った葉が傘になって雨足は弱まり、その辺り一帯だけ静寂に包まれている。弱まった雨音の中、落ち葉の上に落ちる雨音と傘を打つ木々の葉の滴の音がそれぞれのリズムで音を立てている。べつだん何をするというわけもなくそこへそうして立っているだけなのだが、ただそれだけのことが私の心を安らかにしてくれるのである。


考えてみれば、心の平安を得るなどというのは簡単なことのように思える。少なくとも私にはそう思える。世間にはそうしたものを得るために大枚をはたく人々もいると聞くが、私には理解できないことである。まぁ、そうした人々ははたくだけのものを既に持っている訳だから、好きな時に好きなだけ、好きなように使ったらいいと思う。しかし、それが単なる憂さ晴らしだったとしたら、それは地球の反対側、またはこの星をたとえ何週飛び回ったとしても心に平安は得られないし、得られたとしてもそれはほんの一時のことであろうと思う。



しかし、雨の日というものはとかくこういったことをぐずぐずと考えてしまうものだ。弱々しい光や曇った空がそうさせるのであろう。