今日は随分蒸し暑い。確か天気予報では気温はあまり上がらないと聞いていたのだが、それはどうやら私の聞き違いだったようだ。私は雨の日は決して嫌いではないのだが、雨の日の電車というのはどうも苦手だ。今朝は幸運にもあまり混んでいない車両に乗り込むことが出来たので良かったが、たいていこんな日はいつもより車内が混んでいて空気も悪く、深い極まりないものだ。そのうえ大幅にではないが電車も遅れるので、乗り換えが必ず遅い方のものになってしまう。そうした様々な不快な要素が重なって、あちらこちらでちょっとした小競り合いを目にすることもしばしばだ。
昨日だったか一昨日だったか、関東も梅雨入りしたのだそうだ。傘の生地を洗おうと思っていたのだが、こう度々傘を使う機会があるようだと、しばらくは洗ってきれいにしてやることも出来ないようだ。もちろん洗ってやるだけならいつでも出来るのだが、きちんと陰干しをして発水スプレーを吹いてという作業をするとなると晴天の日が二日は必要になる。そうした始末が不十分だと、かえって傘の生地や骨を痛めてしまうことになり、それでは本末転倒だ。
つい数日前まで咲き始めだった紫陽花が、今朝通り掛かりに見てみるとちらほらと花を咲かせ始めていた。淡い赤や青の花塊がしとしとと降る静かな雨に濡れて押し黙ったように立っていた。近くには昨日子供達が忘れて帰ったのだろう、ピンク色のビニール製の縄跳びが、半ば水溜まりになった砂利の中で雨ざらしになっていた。そうした楽しそうな空気の残り香が近くにあるせいか、雨に打たれてひっそりと立っている紫陽花が何となく淋しそうに見えた。
雨の日にいつも見る光景だが、雨合羽を着た小さな子供が母親に手を引かれて歩いている姿はいつ見ても愛らしいものだ。直径1メートルにも満たない小さな傘が自分の膝近くでちょろちょろと動き回っている様子は、言葉は悪いかもしれないが、何やら小さな愛らしい動物のようで、独特の可笑しさというかほほえましさがある。小さな子供が雨靴を履いて大きめの雨合羽を着ていると、まるで三等身のマスコットのようにさえ見える。母親が子供の方を気遣いながらも、水溜まりを避けながら時間に追われてあくせくと手を引いて歩く様と、強引に手を引かれるがまま、母親の大変さなどどこ吹く風といった表情でトコトコと歩く子供の姿の対比が何とも可笑しく、母親にすれば大変な家事のひとつなのだろうが、正直笑ってしまうような光景である。こうした光景が見られるのも雨だからこそだ。
私は雨は好きなほうだが、だからといって傘もなしに雨に降られて濡れ鼠になるのが好きなわけではない。まぁ、そういった人間などは極小数であろう。だいたい、そうしてびしょ濡れになると服が痛むし、体を冷やして体調を崩す原因になる。それに携帯を始めとした電子機器を幾つも持っているので水は大敵である。早い話が不都合なことしかないと言える。そのため普段から気をつけて天気予報を見るようにして、降水確率が低めの日でも用心のために傘を持って出掛けるようにしている。しかし、今では殆どなくなったが、それだけ注意していてもついうっかり傘を持って出掛けることを忘れるような時が昔は私にもよくあった。傘くらい盗んだとしても大したことなどないといった感覚の持ち主ならば、雨が降り出したとたん人の傘であろうと平気で盗んでゆくものだが、私は昔からどうしてもそういったことをよしとしない、妙に意固持で頑固なところがある損な気性だったので、そうして途中で雨に降られてしまったような日は、潔く諦めて降られるがまま、びしょ濡れになって帰ったものだった。
もちろん気分は最悪である。いいわけがない。傘を忘れたのは他でもない自分自身なのだから誰に対しても腹を立てることなど出来ようはずはないのだが、それでも行き場のない腹立たしさを抱えて家までの道をびしょ濡れになって歩いたものだった。しかし、そうして腹を立てているのはほんの一時のことで、時間にすれば10分ほどのものだった。最初はたしかに体を濡らす雨が恨めしく苛々もするのだが、時間が経って靴の中や下着までぐっしょりと濡れてしまうと次第にもうどうでもよくなり、家に着く頃にはすがすがしくさえ思えるようになっていることがほとんどだった。ことに気分がくさくさしている時や何か悩み事がある時、じっくり考え事をしたいときなどは、わざと傘をささずに濡れて帰るような時もあった。
その日はあることで気分が塞いでいた。そのせいか、朝の天気予報で雨が降るかもしれない予報が出ていたにもかかわらず、面倒という横着な理由から傘を持って家を出なかった日だった。なに、天気予報だってたまには外れることもあるさとたかを括って出掛けたのである。昼間の間は降る気配もなく、やれやれ持って出ないでよかったと天気予報士を嘲笑っていたのだが、その日の夜、地下鉄から地上へ出るとかなりの大粒の雨が大きな雨音を立ててかなり本格的に降っていた。その日はただでさえ気分がささくれていた日だったので、エレベーターで地上に出てその光景をはじめて見た時は、自業自得とはいえ何とも腹立たしく思ったものだった。そういった時でも傘を盗んで帰ろうなどとは考えず、なるようになれとばかりにやけっぱちで濡れて帰る決心をしてしまう自分が何とも馬鹿者に思われてならないが、私はその日も携帯だけをビニールの水の入らない場所に収め直して、大雨の中ずんずんと歩き出した。
かなりの本降りなので、周りには私のように傘をささずに歩いている者など一人もいない。そんな中、びしょ濡れになって歩く小男を見る通行人の目には好奇の色がありありと見える。完全に変人を見る目だ。しかし、そういったときの私はそうした周囲の目など全く気にならない。頭に溜まった雨が眉から睫毛に伝ってくる。10分としないうちに頭のてっぺんから爪先まですっかりびしょ濡れになってしまった。靴の中では大量に入った水が隙間を動き回って足に独特の感触を与えている。ぐっしょりと雨に濡れて肌に張り付いていたズボンの裾の感覚は、膝から腿、さらに上へと拡がっていった。雨粒が目の中にやたらと入ってきて目を開けているのが辛く、前が見にくかった。
家の近くの信号まで着いた頃には、もうすっかり体も冷え切っていた。人間の体とは不思議なもので、最初は濡れても冷たくさえなかったし、気温もそれほど低くはないのだが、あるとき急に寒気を感じて体が震え出してしまう。おそらく、極端な冷水でなくとも雨粒のひとつひとつがそれだけ体温を奪ってゆくのだろう。信号を渡って家のあるブロックに入り、途中から細い路地に入る。路地に入らずにそのまま大通りを歩いても家には着くし距離も変わらないのだが、その日はどうにも車の音や人影が目に入るのが疎ましかったので、すっかり暮れて暗くなった路地に吸い込まれるように入って行った。
その頃の私の住まいは街中だがかなり古い住宅街の中にあった。細い通りがいくつもあって、ずいぶん以前から営業していると思われるような蕎麦屋や建具屋、仏壇を売る店など、小さな店が普通の住宅の中に混ざっていくつもあるような所だった。私は得体も知れないようなどろどろとした感情が心の中で渦巻いている状態で、暗い路地をとぼとぼと俯いて歩いていた。すると不意にすぐ傍で私を呼び止める声があった。ふと我に返り顔を上げて目を凝らして見てみると、その時ちょうど通り掛かっていた蕎麦屋の勝手口から、店の主人と思しきおじさんがずぶ濡れの私をニコニコしながら見ていた。そのおじさんは笑顔のまま「えらい濡れとるな、風邪ひくぞ。」と声をかけてきた。私は少し面食らってしまったが、しかし、すぐに答えようと言葉を発しかけた。しかしおじさんは間髪入れず「ちょっと待っとき。」と言ってさっと店に入り、「さしてき。」と言って傘を持って店から出てきた。もうその時には家まで5分ほどの所へきていたので、もうすぐそこだからと言って断ってみたのだが、おじさんは「ええから ええから、持ってき。そんなん風邪ひくわ。自分のええ時に返しといてくれたらええし。ほら、ここんとこに立てかけといたらええわ。持ってき、ほらっ。」と、おじさんは半ば強引に私に傘を握らせた。私はそれではと差し出された傘を受け取り、おじさんに礼を言うと、強引に持たされた傘をさして家までほんの数分の道程を歩いた。熱が出たわけではないし、気温が上がったわけでもない。傘のおかげで雨に濡れずに済むようになっただけなのだが、不思議とさっきまであった寒気が薄れ、何やら体が暖まったような感じがしたのを覚えている。びしょ濡れの体で傘をさしているのが何とも奇妙な感じだったが、そうして歩いていると、さっき路地に入るまで私の心の中でうごめいていたどす黒く醜い何かが、家に着く頃にはまるで霧が晴れるように跡形もなく無くなっていた。
翌日はすっかり雨は上がっていた。その当時、朝早い出勤だった私は、前の日に借りたあの傘を持って家を出た。その蕎麦屋は古い店で細い通りにあった。朝早いので当然店は開いていなかったが、私は持ってきた傘を、昨日おじさんがいて、ここに立てかけといたらいいと指差していた勝手口の木戸に、聞こえるわけではないのだが礼を言いながら立てかけ、すぐに朝の出勤を急いだ。別段アレルギーというわけではないが、私は年越しでさえ蕎麦を食べる習慣がない人間なので、結局その後その蕎麦屋に入ることはなかったし、傘を貸してくれたおじさんと会うことも一度もなかった。
何故こうしたことが今日突然思い出されたのかは分からない。しかし、なぜだか不思議とこの日のことはよく覚えている。冷たい雨の日で、大粒の雨が空から落ちていた日だった。