ここのところずっと暑くて上着無しで通勤していたが、今日は久しぶりに上着を着て出掛けることにした。ズボンの裾が濡れたり靴が汚れたり、電車内のむしむしとした暑さは嫌なものだが、それでも今日のようなひんやりとした静かな雨は私のとても好きなもののひとつである。
梅雨時のひどく蒸して、やたらと気温の高い日などは別だが、雨の日というのは何かこう、普段より空気が澄んでいるような気がするものである。適度な湿度とひんやりと冷えた空気がとにかく鼻に心地よい。
私の住まいの近くには幸いなことに多くの公園が点在している。最近まであったコンビニも無くなってしまったし、その他の点からいっても不便なことの方が多いような地域だが、この公園の多さだけは気に入っているところだ。海からは遠く、近くに大きな河川もない内陸の土地では公園の緑でもなければ息が詰まってしまう。
一口に公園といってもいくつかの形式がある。中央がグランド状になっていて、その周囲にいくつかの樹木と遊具があるだけの校庭型の公園や、街の中心部に多く見られるような、敷石やブロックなどで地面が覆われており、中央に噴水などのある広場型などである。そのほか様々な形式の公園があるが、私の住まいの近くにある公園の多くは森林型の公園である。そうした公園は滋味豊かな黒い土が剥き出しになっており、そこに様々な樹木が植えられている。地域のグランドとしての機能がかなり抑えられているので広場があったとしてもとても小さく、そのおかげで植えられている樹木はかなり大きく成長しているものが多い。植えられている樹木にはやはり桜が多く、その次に団栗などの堅果をつける仲間が植えられている。鬱蒼と繁った木々の緑の中を遊歩道が通っており、その所々に風雨によって程よく枯れ、いい風情になった木製のベンチがならんでいる。
当然のことながら雨の日に公園などを訪れる者はほとんどなく、晴れた日によく聞こえる子供達の楽しそうな声も聞こえてくることはない。聞こえてくるのは地面を叩く雨の音や、木葉を伝ううちに大きく成長した雨粒が、空からの雨とは別のリズムでたてる少しだけ大きな雨音ばかりである。そうした雨音に、近くを通る幹線道路の車の音が混ざる。信号が青になるたびにその音は高まり、しばらくすると疎らになる。いくつもの車が止まる音が聞こえ、その後でまた多くの車が発進する音が聞こえてくる。そうしたゆっくりとしたリズムが雨音だけが響くひっそりとした公園に繰り返されてゆく。休日に雨に降られた日など、そうした公園の側を通り掛かると、私は何となくふらふらと足を踏み入れてしまう。靴は汚れるしベンチにも座れないので立っているしかないのだが、そうした雨の日の公園には何とも不思議な空気というか時間が流れているのである。
私の住まいの近くを通っている幹線道路を挟んで向こう側にひとつの公園がある。そこは森林型の公園で、ブランコなどの遊具の横に50メートル四方ほどの樹木だけが植えられている区画があって、かなり晴れているような夏の日でも他の場所よりひんやりとしていてとても心地よい場所で私のお気に入りの場所である。その場所はよく整備されているせいかほとんどいつも下草が生えていることはなく、その木々が落とした落ち葉が辺り一面に敷きつめられている。落ち葉の上を歩くと、まるで絨毯の上を歩いているようなふわふわとした心地よい感触が足の裏に伝わってくる。落ち葉のすぐ下は夏の暑い日でもいつもほんのりと湿っていてその場の空気を清涼に保つ効果を果している。
雨の日にその木々の下をひとり歩いていると、静かな雨音の中、足元からは雨に濡れた落ち葉の香りが土の匂いと共に立ち上ってくる。薄汚い、下卑た煙草の煙や排気ガス、ビルの間に吹き溜まった形容しがたいような猥雑な臭気の中で日々を送っていると、そうした清涼な空気が私の鼻だけでなく心まで洗い清めてくれるような気がしてくるのである。木々の下では生い茂った葉が傘になって雨足は弱まり、その辺り一帯だけ静寂に包まれている。弱まった雨音の中、落ち葉の上に落ちる雨音と傘を打つ木々の葉の滴の音がそれぞれのリズムで音を立てている。べつだん何をするというわけもなくそこへそうして立っているだけなのだが、ただそれだけのことが私の心を安らかにしてくれるのである。
考えてみれば、心の平安を得るなどというのは簡単なことのように思える。少なくとも私にはそう思える。世間にはそうしたものを得るために大枚をはたく人々もいると聞くが、私には理解できないことである。まぁ、そうした人々ははたくだけのものを既に持っている訳だから、好きな時に好きなだけ、好きなように使ったらいいと思う。しかし、それが単なる憂さ晴らしだったとしたら、それは地球の反対側、またはこの星をたとえ何週飛び回ったとしても心に平安は得られないし、得られたとしてもそれはほんの一時のことであろうと思う。
しかし、雨の日というものはとかくこういったことをぐずぐずと考えてしまうものだ。弱々しい光や曇った空がそうさせるのであろう。