ジムに通い出したのは去年の10月頭からなので、ちょうど1年を経過したことになる。
私の場合いきなりジムに通い出した訳ではなく、その前段階にジョギングをしていた期間があったので、1年通ってみたがとくに気持ちが切れるようなこともなかった。


私なりにこうしてジム通いが続いている理由を考えてみると、筋肉を動かすことが好きになっているという基本的なことを除けば、ジムが通勤経路にあることであろうと思う。これは非常に大きいことだ。休みの日に家から全く別のエリアへ通うとなると誰しも足が遠のくと思うし、会社から一旦別のエリアに電車なりで移動して通うとなるとどうしても気持ちが切れてしまうだろう。私はこの点において非常にラッキーだったのだろうと思う。

もうひとつ挙げるとすれば、頑張り過ぎていないことだろう。
私の場合、基本的に週4日、多い時で週に5日通っているので、人によっては凄く頑張っているように見えるかもしれないが、私自身としては頑張っている実感はまるでない。楽しいので通っているというのが実際のところだ。


筋肉をガシガシ動かして負荷をかけると、なんだか筋肉が熱を持った感じになって奇妙に心地よい。心の中のもやもやしたことも、その時だけはどこかへ吹き飛んでしまう。それでも足りないような時はランニングマシンで100メートルダッシュを3~5本ほどやるのだが、汗と熱が体から目一杯放出されて、ほんの暫くの間だが最後の方は頭が真っ白になる気がする。まるで体の中にある心の容器が真っ赤に焼けて、その中にある様々なもやもやとした感情が自然発火して灰になっているような気分だ。肉体と精神が互いに影響を及ぼし合うということを強く実感できる瞬間であると思う。


最近気付いたのだが、腹筋に縦溝が出来てきた。横溝は意外に早く出来たのだが、この縦溝は今までなかなか出来なかったのだ。縦溝というのは体の真ん中の線に沿った溝と、その両サイドにある腹筋の外側の溝のことである。おそらくこれまで使われていた内臓脂肪があらかた使われて皮下脂肪が使われる段階に入ったのだろうと思う。喜ばしいことだ。腹筋がある程度付いていても皮下脂肪があるとどうしてもそれらは見えにくいものなのである。こうしてやってきたことが目に見えて表れるというのはやはり嬉しいものだ。


広背筋や大胸筋も順調に大きくなってきているが、大胸筋の方はやはり腕の付け根、脇の方から大きくなっていくようなので、胸の中心部分はまだまだ不足しているように思う。それでも大胸筋の筋肉量自体はどうやら増えているようで、そのせいかこれまでのウェイトでは負荷が足りなくなったために最近ウェイトを5キロ上げた。セットの最後の方などでは胸の中心付近がピリピリと痛むような感覚がしてくるが、それがなんとも奇妙に心地よい。断っておくが私はそういった変人ではないぞ、こうしたことはそういうものなのだ。誤解のないように。


何にしろ、体を鍛えるのは面白い。それに何よりよく眠れる。
精神衛生上も良い効果があるようなので、これからも無理をせずに続けていきたいと思う。


先日、ジャケットを新たに購入した。
私は下着やタオルなどは消耗品だと考えているのでかなりこまめに買い替えるが、服などは一度購入すると少なくとも3年は買い替えないので、今回のように3年以内に買い替えたのは珍しいことなのだ。

それというのも、ジムに通うようになってから大胸筋や広背筋が以前より大きくなったために、それまで着ていたジャケットが着れなくなってしまったからなのである。いや、全く着れないという訳ではないのだが、体の前と後ろで厚みが増えた分、今までのジャケットでは身ごろが合わなくなってしまい、以前まで着ていたジャケットでは前が空きすぎて、まるで陣羽織のような状態になってしまうのだ。姿見を見た時にさすがにこれはみっともないと私でさえ思うほどの状態だったので、勿体ないとは思ったが買い替えることにしたのである。


私は肩幅に対していくらか腕が短い。標準とされている肩幅と腕の長さの比率からするとおそらく2~3センチほど短いと思う。そのうえ指も薬指を除いて短い。薬指だけが長く、中指とほとんど変わらない長さがある。そのせいで小指がやたらと短く見える。もともと東アジアの人間はヨーロッパ種とくらべると腕が短い傾向にあるとのことだが、私はその中でもさらに短い部類に入るのだろう。まったく、なんというプロポーションであろうかと思うが、これも個性といえば個性なのだろう。あまり好ましい個性でないのが残念ではあるが。

そうした訳なので、こうしてジャケットやワイシャツを購入する時に私は本当に苦労するのである。肩幅に合わせると、上着かワイシャツか、メーカーなどによっても差があるのだが、袖がいつもおよそ2~5センチほど余る。それらの比率が標準体型に近い人からすれば、それくらい気にするほどのものでもないと思うかもしれないが、これがなかなか馬鹿に出来ない部分なのだ。気にしていない人もいるかもしれないが、袖の長さの合っていないジャケットというのは、はっきり言って相当にみっともない。七五三の幼い少年の方がずっと凛々しく見えるほど、袖の長さの合っていないジャケットを着ている人は幼く、頼りなく見える。フレッシュさが全身から滲み出ているような就活中の女の子ならまだ可愛らしくもあるが、年齢を問わず、男で手の半分が隠れるような袖の長いジャケットを着ているのは私は非常に見苦しいことだと思う。実際見苦しい。


そういうわけで、今回もいつものごとく袖を詰めてもらった。
作りが本式のものは肩の方からしか詰めることが出来ないので、お店の方でやってもらえなかったり、また出来たとしても費用が高額になってしまったりするのでその場合はしかたなく諦めるのだが、今回は袖口の方から詰めることの出来るものだったので、幾らかお金はかかったがきちんと採寸して長さを合わせてもらった。

出来上がったものを受け取りにいって試着してみたが、きちんとサイズのあった服というのは心地の良いものだ。ほんの数センチの違いでしかないはずなのに見栄えがまるで違う。

そんなに変わる訳がないと思うかもしれないが、私と同じような問題を抱えている人は騙されたと思って一度試してみて欲しい。ほんの数センチでも、袖の余ったジャケットはダボダボとした印象でまるで馬鹿に見えるが、それをきちんと直すことによってキリリとした印象に変わる。袖口から詰めるタイプのものであれば費用は千円以内で出来る場合が多いのでこの程度の金額なら何ら問題にならない。安いものだ。


服飾業界もこの部分はもう少し消費者に向けてアピールしてもいいと思う。パンツの裾上げに関しては細かくやってくれるし種類もあるのに、上着の方は一切お構いなしというのは少し変じゃないかと思うのだ。私の場合は一見して変だと分るほどなので、こうしたことが半ば必然のようになっているが、世間には袖が長いと感じながらもしかたなく着ている人も一定数はいるはずなのだ。気にしない人の方が多いのかもしれないが、そうしたことを知らないだけの人に向けてはきちんとアピールしてゆくべきだと私は思う。



iPhone5も先日ようやく入荷したので、入荷日の翌日が休日だったということもあってさっそく購入しに行った。予約してから4週間弱待ったことになる。いやはや長かった。もちろん、以前ここで話した通りSoftBankからauへ乗り換えたことは言うまでもない。


私の場合、以前使っていたのが3GSであるため、今回のiPhone5の間にあったフルモデルチェンジの4と4Sを飛び越えたことになるが、そのせいもあってかiPhone5の重量バランスに未だ慣れないでいる。おそらく4や4Sからの人ならここまでの戸惑いはないのかもしれないが、3GSからいきなり幅と厚みがこれだけ減るとかなり違和感を感じるものなのだ。といってもまだ1週間も経っていないので単に慣れの問題だろうということは私自身もよく理解している。3GSにした時、その頃はまだスマホという言葉もなかった頃だが、その時もしばらくの間は片手での操作は危なっかしいものだった。今回も半月ほどもすれば手の方が自然と慣れてゆくと思う。


iPhone5に変えてみて、もう戻れないなと感じた点はやはりLTEだろうと思う。はっきり言って上部の表示が3Gに切り替わるとがっかりしてしまうほどの快適さだ。3Gとは比べ物にならない。

テザリングも試してみたが、かなりいい感じだ。Wi-Fiの端末を持ち歩くスタイルが前時代的なものに見えるほどだ。私個人としては多用する機能ではないが、かなり使えるものであることは確かだと思う。

一番意外だったのは地図アプリである。巷の評判は散々なものだが、実際使ってみた感じではそう悪くないもののように思えたからだ。たしかにこの部分は利用者の生活している地域による部分は大きいと思う。Googlemapも地方の農村部ではスカスカで写真表示などは非常にお粗末なものだからだ。しかし、私の生活圏に関して言えば意外なほど充実していて不足はまるで感じられなかった。これに関してはAppleもこれから充実させてゆく方針なのだろうと思う。それよりも地図が指の動きに連動してリニアに、スムーズに動く点に個人的には非常に感心した。というよりもむしろ3Gでの地図アプリがストレスの塊だったと言う方が正しいかもしれない。

どうにかして欲しい、いやすべきだという部分もある。それはこれまでのドックが使えなくなったことと、純正のドックを販売しないというアナウンスをしてしまったことだ。

今は新しいコネクタに対応した市販のものも無いに等しい状態なので机に平置きにしているが、ジョブスはこうしたスマートでないことを何より嫌ったはずなのだ。実際間抜けで不格好極まりない。優れたデザインも台無しである。彼等なりに考えていることもあるのかもしれないが、私個人としては一刻も早くこんな不格好なことをユーザーに強いている状況を解消すべきだと思う。新しい小さなピンでは自重を支えきれないからというのは甘えだと思ってもらいたい。いやそれははっきりと甘えだ。


結果的にこのふたつの買い物は非常に満足のいくものだった。
ウールのジャケットは暖かくてサイズはぴったりだし、iPhone5の動作は快適だ。

先日、といっても木曜日のことだが、さっそく風邪をひいてしまった。
熱はほとんど無かったのだが、鼻水と悪寒が酷かったのでその日は仕事を休むことにした。


風邪が鼻からくるタイプの人にはおそらく分るだろうが、そういう状態になると鼻から白湯のような粘性のまったくない鼻水が垂れてきて仕事どころではないのである。
しかも、鼻の粘膜が腫れているせいなのかは分らないが、鼻が完全に詰まってしまって全く鼻呼吸が出来ないのだ。
世間には正常な鼻呼吸が出来ないために、いつも口を半開きにして口呼吸をしている人がいるが、私にはそれは到底考えられないことである。何故なら、口からどれほど多くの空気を取り入れても全然酸素が足りない感じで、まるで酸素のなくなりかけた水槽で横倒しになっている金魚にでもなった気分になる。あの感じは実に嫌なものだ。本当にストレスが溜る。


風邪を引いた時、私はおかゆなどをすすりながらひたすら安静にするなどという腑抜けた直し方はしないことにしている。そんなことをしていたのでは風邪が長引くばかりだからだ。

風邪かなと思った時には、胃がまだ食べ物を受け付ける間は出来るだけカロリーの高いものを食べる。その上でいつもより多くの果物を摂ってビタミンを補給し、さらに十分な水分を摂る。がぶ飲みはいけない、断続的に摂取し続けることがコツだ。そうしてエネルギーを十分補充した後で布団に入り、枕やシーツがぐっしょりになるほど汗をかくと、これで熱が40度以下で目眩いなどがない場合の風邪なら一日で治る。いや、半日でベッドから起き上がれるようになる。私は子供の頃からこれで治してきたので間違いない。コツは決して弱気にならないことである。

ただし、壮年を過ぎて老境に差し掛かった人や女性にはこの方法はお薦めしない。さらに、おかしな咳や目眩い、頭痛などのいつもの風邪とは違った症状の時もやはりお薦めできない。そういった場合は素直に医者にかかった方がいい。とくに老人は肺炎や気管支炎になりやすく、肺炎でまるで小鳥の雛のように簡単に死んでしまうからだ。私は実際にそうして亡くなった人を幾人か知っているので確かである。本当に冗談のようにあっけなく死んでしまう。命とはかくも脆いものかと思い知るほどだ。


その日もそうしていつものやり方で安静にしていると、午後を少し回ったくらいで鼻水も悪寒も収まり、ベッドから起き上がれるようになった。下着も枕もシーツも、全て汗でびっしょりだが気分は爽快である。

風邪も収まり眠くもなく、テレビは見るどころか眺める気さえ起こらないくらいくだらなかったので、私は撮り溜めておいたアニメをまとめて見ることにした。

$暗い日曜日


結論から言うと、「 TARI TARI 」がここまでいいアニメだとは予想していなかった。嬉しい誤算である。これがあるから始まる前は「どうかな…」と思ったアニメでも私は一応録画しておくことにしているのだ。

このアニメを評するにあたって最も適当と思われる言葉は「隠れた良作」であろうと思う。
アートワークや物語全体のインパクトの無さなどから傑作と呼ぶような感じではないが、非常に良心的で丁寧に物語が描かれた良質な青春群像劇である。


物語はファンタジックな要素の絡まない純粋な日常劇で、およそ2話でひとつのエピソードが完結するというスタイルである。
3人の女子高生と2人の男子高生の5人の高校3年生が主要な登場人物であるが、物語全体を通した主人公は3年前に母を亡くしている坂井和奏(わかな)という少女で、それに加えて物語のミクロな舞台となる合唱部を作り、物語的に話を展開してゆく推進力として働く宮本来夏(こなつ)と、その友人である沖田紗羽(さわ)の3人が物語の主要な部分を担当している。男子高生2人は主要な登場人物とはいえ、上記3人が展開す物語を支えるうえでの脇役といった具合で、合唱に例えると華やかな旋律部分を支える低音パートのような存在である。

物語全体としては音楽を軸にしてはあるが、それはあくまでもモチーフで、実際には人生がテーマになっているのだろうと私には感じられた。

母の面影や、図らずも果たせなかった約束など、母があまりにも急に亡くなったことで問題だけが残り、いつまでもそれらを乗り越えられずに苦悩する和奏。具体的に差し迫った将来の進路のことで悩む紗羽。失敗ばかりしながらも今やりたいこと、今しか出来ないことに不器用ながらも持ち前の明るさとバイタリティで懸命に取り組む来夏など、三者三様それぞれの悩みと葛藤、そしてそれらを乗り越えてゆく様をそれぞれの悩みに絡めながら非常に丁寧に描かれている。

それに、見ていて何より感心したのは昨今のアニメには珍しく、不自然で不必要、露骨で下品な “ ファンサービス ” がなかった点である。この点は私は高く評価したいと思う。
あの不自然で無意味なカットは物語の流れを止めてしまうばかりか興味自体を削いでしまう、いわば現代アニメの癌細胞であると私は思うからである。
まぁ、私もそれらを全て無くせなどとはどこかの原理主義者でもないので言いはしないが、ああしたものはせめて必然性を感じるくらいに自然に挿入して欲しいと思う。そう思えるほど、ちょっと悪趣味だなと感じるものを目にすることが多いのだ。


しかし、作品としてよく出来ているとは思うのだが、もう少しどうにかならなかったのだろうかと思うところも何点かあった。その中でも主なものが以下の2点である。


◎ウィーンのキャラクター、エピソードが他の4人と比較するとあまりにも弱すぎる。

まずキャラクターの肉付けが不十分のように思えた。ちょっと意地悪な言い方をすると、部の最低人数の5人をクリアするために入れたどうでもいいキャラクターのように見えなくもない。それくらいキャラクターとしての質量が不足していると思う。
エピソードも、ヤンのことについて話を掘り下げられなかったために、書いた手紙が戻ってきちゃって心配だなくらいの非常に軽いものになってしまっている。観ている側はウィーンがヤンのことをとても大事に思っているということを「説明」はされるのだが、それを「感じる」ことが出来ないのだ。

来夏のエピソードも軽いと言えば軽いのだが、彼女の場合は十分に肉付けされたキャラクターと物語のミクロの舞台となる合唱部の創設、他のキャラクターに絡みながらストーリーを進めていく推進力としての役回りがそれらを全く感じさせない。
もう一人の男子高生である田中はバドミントンというキャラクターとしての「持ち物」を最初から与えられており、さらにストーリーを通じて折々に3人の女子高生と関わり、場合によってはきっかけを与える存在にさえなっているので質量不足感は感じない。
やはりウィーンだけがキャラクターとしての肉付け不足なのだ。これはかなり惜しく思われる部分である。


◎突然の廃校話と学園祭の力づくの中止が現実的にありえない。

廃校の決定、それに伴う学園祭(白祭)の中止、半年以内で校庭にプレハブの校舎を建設して生徒を移動させ、追い出すような形で学校を閉めるというやり方は現実ではまずありえないために違和感しか感じない。
こういった場合、業者側は偽善者と人から言われるくらい善人ぶった手法を取るものだからである。廃校が決定した時点で在籍していた学生が無事に全員卒業してから、恭しく礼をいい工事を始めるというのが現実の常套手段なのに、こうしたやり方はまずありえない。
6学年ある小学校なら低学年だけ他の学校に移してということはありえるかもしれないが、3学年しかない高校でこれだけ無理なプランを強いることはまずないと思う。少なくとも力づくで学園祭を中止させるようなことは絶対に無いと言える。そんなことをして地元のコンプライアンスを得られる訳が無い。そんな計画を推し進める経営者がいたとすれば、それは豪腕ではなくてただの無知無謀な愚か者だろう。

それでもどうしても学校を廃校にしたかった、校長がどうしても言い出せずにずるずると時間ばかりが過ぎてしまったということにしたかったのであれば、そうした描写を物語の始まった当初から少しずつ小出しにするなり匂わせるなりしておくべきだったと思う。なにしろあまりにも唐突すぎるし、現実的ではない思う。
何より廃校はともかく、学園祭を力づくで中止させるという設定は蛇足だったように私には思える。それが無くても他の生徒まで巻き込んだ大団円というエンディングは可能だったと思われるからだ。


以上、2つの点は実に惜しかったと思う。


しかし、それ以上に印象深かったシーンがたくさんあったのも事実だ。
それらひとつひとつを挙げることは出来ないが、中でも終盤のエピソードで田中が音楽劇の振り付けをする紗羽の姿を偶然見かけた時に抱いた最初の恋心の描写などは秀逸だった。
恋ともいえないような、何か未知のものが心を風のように吹き抜けたようなあの一瞬の心の様を見事に表現していたと思う。その後の別れまでの一連の描写も、端的でありながらも丁寧で良心的なもので、ともすれば下品で俗っぽくなりがちな部分をきちんと纏めており、そこには制作者の良心を感じた気がした。


エピローグにしても安易に5人はいつまでも一緒といった感じにはせずに、きちんと現実のそれのようにバラバラになり、それでもそれぞれがそれぞれの人生をきちんと歩んでいるように見せたのは正解だったし感心した点だった。

皆がそれぞれの人生を選択し、少しだけ大人になって、それぞれが選んだ先の舞台で新たな人生を生き始めている。きっと彼女たち、また彼等は失敗することもあるだろうし、悲しみに打ちのめされることもあるに違いない。想像もしなかったような困難に直面することもあるだろうが、それでも人生は続いてゆき、それはまた新たな人生へと繋がっている。そして、振り返ればあの高校3年の年に5人で頑張ったあの時ともしっかりと繋がっている。

そうした笑ったり泣いたりしながらも、懸命に生きてそして続いてゆく人生をこうしてエピローグまでしっかりと描いてくれたことは本当に素晴らしいことだと私は感心し、感動した。


たかがアニメごときに過大評価だろうと思われるかもしれないが、私はこの作品に出会えて本当に幸運だったと思うし、この作品はもっと高い評価を受けてよいと思う。


最後に、この作品に携わった全ての方々に感謝である。ありがとう。