今日もかなり涼しくて過ごしやすかった。
二日ほど前からエアコンをつけなくても暑さを感じなくなったし、暑さ寒さも彼岸までという言葉は地球温暖化の時代でもいまだに通用しているようだ。

人間とは身勝手なもので、こうしてようやく涼しくなって過ごしやすくなったというのに、涼しくなったら涼しくなったで勝手に寂しさなどを感じるのだから本当に我が儘なものだ。
それでも、こうした時期にはあのうんざりするようだった暑さがなんだか奇妙に恋しいようで、まったく複雑な気分にさせられる。

私が歳をとって老人と呼ばれるようになった時にも、どれほど悩んだり苦しんだりしたか分らないような若かりし頃の様々なことを、過ぎ去った季節を思い起こすようにして恋しく想うのだろうと思う。
このように考えると、決して若者とは呼べないような年齢の私でも不思議と精一杯懸命に生きなければならないと思えてくる。
きっと今現在の事でさえも、未来の老人になった私は過ぎ去った時間の中のひとつの記憶として恋しがると思うからだ。きっとそうだと思う。

決して今の私は未来の老人になった私のために生きているわけではないが、未来の私が過去の私を見ながら落胆するような私ではありたくないと思う。全ての物事が上手くゆくことなどはありえないことだが、それでも未来の老人になった私が、あの時は負けはしたが自分は逃げずに戦った、得た勝利は小さいものだったがそれでも自分は勝利を得たと思えるようでありたい。自分自身のためにもそのようであらねばならないだろう。




携帯を変えるのを機会に、私はSoftBankからauへ乗り換えることにした。
そうなった理由は次のようなことからだ。



予約開始日に予約したはずなのに、未だにiPhone5は購入できないでいる。
予約の申し込みは予約開始日に完了し予約番号も発行されたのだが、本予約のメールが全く届かないのである。
オンラインショップで予約したのだが、予約が成立するのは在庫の確認が取れてから送られてくる本予約のメールからサイトへアクセスし、必要事項を登録してから完了することになっている。
ちなみにその本予約のメールは通常24時間以内に送られるのだそうだ。しかし、今日の時点で1週間以上、いや10日くらいは経っていると思うが今日も送られてきていない。


つい数日前にそのことについてメールで問い合わせてみた。あまりにも遅いからだ。
とりあえず予約した日と、その時に発行された予約番号を書き、どういった状況になっているのか、いつ返事はもらえるのかといった内容である。送り先はオンラインショップ内の問い合わせ先だ。
すると、返信された回答にはこちらでは分らないからサポートセンターに電話で問い合わせてくれという内容のみが記されてあった。どういう状況になっているのかを聞いているのに他の場所へ電話をして聞けという。やれやれ、まるで質問の答えになっていない。


なんとも腑に落ちないが、電話して聞いてみれば分ることがあるのだろうと思い、私は案内された番号へ電話をかけて聞いてみることにした。
するとどうだろう、コールセンターのオペレーターどころか、それ以前に自動音声が本予約のメールが来ないことについての問い合わせはこちらでは受け付けていないと言っている。まったくどうかしている。なんでもその自動音声が言うには、SoftBankのホームページを確認してくださいとのことなのだそうだ。それで分らないことだから電話をして聞いているというのに。何とも馬鹿馬鹿しい。

その後、待てど暮らせど電話はつながる様子がない。おそらく20分位は待ったと思う。
なぜそれほど待ったかといえば、この無機質な自動音声の案内で門前払いをされたのがはっきりいって面白くなかったからだ。それで私はオペレーターにこの事に関して事細かに突っ込んで少しばかり意地悪をしてやろうと思ったのだ。しかし残念なことに電話は繋がらなかった。まぁ、意地悪はしなくて正解だったのだろう。


その後、それまで起こったことを、最初のメールでの案内のことや電話での案内がどのようにされているかなどを合わせて再度メールにて問い合わせたところ、数日後に回答があった。
どうやら内容を見た感じでは最初にメールで回答をした人物の上役らしい。

それによると最初の入荷分に私の予約が当らなかったこと、そして次回の入荷が未定であることから在庫の確認自体が行えず本予約のメールが送れない状況であることなどだった。
最初からこのように回答していれば私も電話で確認などせずに本予約のメールが来るまでのんびり構えていられたのにと思わずにはいられなかった。
先の回答に合わせて最初の回答の不手際などが詫びられていたが、正直後の祭りである。


こういったことがあって、今日auで同じものを予約し直してきた。
先方の話では入荷の時期は未定だが、3週間ほどで次のものが入るのではないかという話だった。
しかしあくまでも未定なので、それより遅くなったり早まったりすることもあるとのことだそうだ。



最初に回答した者のメールを見返してみると、どうやらテンプレートの名前だけを変えたもののようだ。また、いくつかのユニットの組み合わせのようにも見える。最初の出だしから最後の挨拶まで、あいだの回答の部分を含めて使われている言葉の感じがバラバラなのだ。

つまり、この最初に私に回答をした人物は純粋に私の質問に “ 回答 ” しようとは思っていなかったのだろう。ひょっとしたら最初から答える気などはなく、また、私が何を聞いているのかさえ理解しようとしていなかったのかもしれない。おそらく機械的に最初に誘導したコールセンターの番号へ案内するように言われていて、ただそのように行動しているだけのロボットなのだろう。


私はぞんざいな仕事をする人間が嫌いだ。
同じ物を買い、同じ金額を払うのであれば、よりそうでない者の方へお金が回るようにしたいと常々思っているし、実際そのようにしている。
世の中には盲目的にどこそこ一筋という人もいるが、私にはそういった部分は全くない。
お金でつながっている相手などに義理立てなど無意味だと思うからだ。
まさに “ 金の切れ目が縁の切れ目 ” という関係だからである。


SoftBankは今回の私の件に関していえばサービスを提供する側としては失格者だった。
そういうわけで、今後すくなくとも二年間はauと付き合うことにしようと思う。
昨日、今日とかなり涼しかった。
今日などは雨も降ったので、ポロシャツではいくらか肌寒さを感じたほどだ。

私は普段、出来るだけ朝のうちは部屋の蛍光灯の灯りをつけないようにしているのだが、今日は灯りがないとあまりに薄暗くて再び眠気に襲われそうだったので仕方なくつけることにした。
もちろんこれは日が長くて朝が明るい季節だけのことで、冬場などは当たり前のように灯りはつけるのだが、それでも朝の光を浴びることなく一日の最初に蛍光灯の灯りをその身に浴びるのはあまり気分のいいものではない。
どう表現したらいいか分らないが、なんだか凄くがっかりするというか、うんざりする、いや、一日の最初なのに心が疲れる感じがするといった表現が一番近いだろうか。
なにしろ、蛍光灯の灯りは心を疲れさせるというのは確かである。

ついこの間までうんざりするほど夏の暑さが残っていたように思うのだが、季節は私のそうした思いなど置き去りにして、まるで時計の秒針のように正確に、淡々と自分の仕事を進めているようだ。
もう少しゆっくり仕事をしたらどうかと勧めることが出来ればそうしたいものだが、こればかりはどうしようもない。
時間はこの世界が始まってから現在まで、たった一人で黙々と仕事をしている目も耳も口も、他の何の感覚も持ち合わせない孤独な労働者であるために誰も彼の仕事に干渉することなど出来ないのだ。
塵ひとつの存在にさえ値しない私に彼の仕事を送らせることなど出来ようはずがない。


今週からトレーニングのメニューにダンベルを組み込んだ。上腕二頭筋をもう少し鍛えたいと思ったからだ。

フリーウェイトなのでスタッフに正しいフォームを教えてもらい、鏡でフォームを確認しながらゆっくりと呼吸に合わせて行っている。ウェイトはそれほど大きくないのだが、きちんと正しいフォームで行うとかなり筋肉に効いているのが分る。
マシンで " 引く " ことによって同じ筋肉に負荷はかけられていたはずなのだが、ダンベルを " 待ち上げる " 動作による負荷はそれよりもより直接的で大きいもののようだ。

おかげでここ二日間ほど上腕二頭筋にかなりの筋肉痛があった。ピークは昨日から今日の朝くらいまでだったが、ちょっと経験したことのないようなものだった。
自宅にもダンベルはあるので普段から我流でやってはいたが、ここまでの筋肉痛は経験したことがない。
なんとも笑ってしまうような話だが、その痛みは腕をまっすぐに下に降ろせないほどなのだ。さらに、その降ろした腕をまた曲げ直すのにも痛みがあるという悪い冗談のような状況である。健やかな体を作るためにやっているというのに、その動きはまるで老人のようだ。錆び付いて動きの悪くなった蝶番のようでもある。

なんにせよ、筋肉痛は不思議なことに半日でかなり治まった。しかしそれでも明日のトレーニングは筋肉痛が違和感を覚えるほどに残っている状況なら見合わせようと思っている。トレーニングはウェイトや回数よりもフォームこそが大事だと私は思うからだ。
体とは不思議なもので、無理なウェイトでも回数でも、その負荷を体全体の筋肉に分散してなんとか対応してしまうものなのである。体を守るという上ではこれは非常に優れた機能なのだが、任意の筋肉を鍛えようとした時にはこの機能はかなり厄介なものなのだ。鍛えたい部分ではなくそれとは違う場所を結果として鍛えてしまっているということが往々にしてあるからである。

そうした理由から痛みを残した状態でトレーニングを行うことは極力避けている。ついつい痛みのために他の筋肉をつかって形だけメニューをこなしてしまうからだ。つまるところ効果が小さくなってしまうからである。


暗い日曜日
つい数日前『人類は衰退しました』を見終わった。
とてもよい作品だったと思う。
私が見終わった今期夏アニメの中では最高に気に入ったもののひとつだ。
といっても私の場合、今期どころか前期、いや前々期のものすら見終わっていないものもあるので、良い作品はまだまだたくさんあると思う。

私はアニメでも映画でも、作品の中にかなり入り込み、感情移入して見てしまう方なので、一見して中身の濃そうな作品はついつい後回しになってしまうのである。そうした作品を鑑賞すると、内容によってはただの1本でも、あたかも登場人物達と同じように動き回ったかのごとく気分がくたくたに疲れてしまうのだ。だから連続したストーリーをきちんと追いかけていかなければならないような作品を見るのはどうしても躊躇してしまう。少なくとも平日に見ようとは思わない。

そうした理由から『人類は衰退しました』は非常に見やすかった。
基本的に2話完結でひとつのエピソードが展開されるようなもので、1話完結のものも加えながら全体の物語が語られるといったものである。
まだ完結していない物語なので全体の構成や最終話に向けての展開、最終話自体をどうするかなどはアニメの制作者側はかなり考えられただろうと思うが、私はかなりよく出来ていたと思う。

主要なキャラクターの肉付けは説明的にならない程度によくなされていたと思うし、2話完結の物語も構造的に本当によく考えられていたと思う。
なにより独特のアートワークが緩やかに衰退してゆく人類の物語をあっけらかんと、ぼのぼのとするくらいドライに表現してあって非常に魅力的だった。なにやら人類が衰退しているという物語の中のその世界の方が私のような現代の人類には魅力的に映ったほどだ。

なんといっても主人公である『わたし』と『妖精さん』のキャラクターがとても魅力的だったと思う。
『わたし』は心に純粋な部分を多く残している一方で現実的でシニカル。権力にはめっぽう弱く、若くして長いものには巻かれろ的な処世知を備え、さらに若さ故の頭でっかちでもある。
一方『妖精さん』は愛らしい姿には似つかわぬブラックなユーモアや物事の本質を突く言動など、人類とは明らかに違う同じ世界に住みながらも異質な存在である異形のものとしてよく描かれていたと思う。

なんにしろ、『わたし』は私のかなりお気に入りのキャラクターになったことだけは確かである。
原作のストックはあまり無いようなのですぐには二期を期待できないようだが、出来ることなら二期をお願いしたい作品だ。

この作品を生み出してくれた全ての人々に感謝である。
 今日は雨が降るかと思ったが、どうやら降らなかったようだ。
晴れたり曇ったり、今も空には水をいっぱいに含んだような鉛色の雲が街と空の境を塞いでいる。
それでも私はこういった日も案外に好きだ。もう少し涼しくなってくれるとさらにいい。


 前に話した際にはやくも忘れていたが、しばらく前に半年程かけて歯の治療をした。
歯医者に行ってきちんと歯の治療をしたのは確か小学1~2年生ぶりだ。そうやって最後に行ったのが正確に思い出せないほど昔のことだ。

 きっかけは親知らずの生えている周辺が腫れたことだった。
下の親知らずが生えている周辺の歯茎が腫れることはこれまでにも何度もあったのだが、しばらくすると自然と収まっていたのでその時もしばらくすれば収まるだろうと私はいつものごとく呑気に構えていたのである。
しかし今回はどうも、いつまでたっても腫れが引かない。それどころかだんだん酷くなって、ちょうど顎の L字型になった辺り周辺が外から見ても分るくらい腫れてきて、しかも激痛ではないが痛みまで出てきてしまった。おかしいな、いつもと違うなと思いながらも、なお放置していると今度は上顎と下顎を噛み合わせることが出来なくなってしまった。いつもどうりに口を閉じても、奥の歯茎が腫れていてつっかえてしまい、前歯周辺が噛み合ないのである。

 こうなるとほとんど食事らしい食事は取れない。
腫れのせいで歯がまるで噛み合ないので、ほとんど物を噛むということが出来ない。噛んだとしてもほとんど甘噛みのような状態だ。腫れた歯茎同士が圧迫し合って痛みを生じるために普段どうりに噛めないのである。
そんな状態であるために、何を食べても味などしない。より正確に言えば、体の方が味を感じている余裕が無いといった感じだ。なんとか飲み下せる状態にして飲み込むのが精一杯なのである。
そうしたわけで、そういう状態が続いた間の私の食事のメニューは昼はウィダーインゼリー、夜は具を細かく砕いたシチューになった。そう、まるで病院食だ。

よく歯の不自由な人が食事が楽しくないというが、その理由を私は身を以て理解する経験をした。
本当に、楽しみの欠片も無い。まるで苦行のようだった。


 私もさすがにこれはどうやらいつもとは様子が違うようだぞと思いだし、いよいよ歯医者に行くことにした。
いい歳した大人だが、記憶が定かでないほど遠ざかっていたような場所に行くのはやはり緊張するものだ。まずもって歯の治療というものに幾らかかるのかさえ想像がつかない。人は分らないことに恐怖を憶えるものだというのは、こうした小さなことにも適応されるもののようだ。

 それでもどうにかしなければならない状態にまで悪化していたので、私は通勤経路の間にある歯医者をあたってそのなかのひとつに目星を付け、今現在口の中がどういう状況か、診察には予約がいるのかどうか等を一通り確認した後、仕事を定時で切り上げて大急ぎでその歯医者へと駆け込んだ。

 歯医者へ着くと、どんなシステムになっているのかは分らないが " 親知らずの辺りが痛くて堪らないから何とかしてくれ ” 的なことを伝えて診察カードを作り私は順番を待った。
受付の女の子からすれば、そこまで酷くなる前に歯医者に行けよといったところなのだろうが、前述した通り、歯医者と無縁の生活をしてきた者にはその発想がなかなか出てこないのである。歯茎が腫れるようなことがあっても自然と治るという楽観的な考えの方が勝ってしまうのだ。
後で歯科医に聞かされた話だが、私の歯は非常に密で丈夫ないい歯をしており、幸運にも虫歯になりにくい歯なのだそうだ。しかし皮肉にもそれが私を歯医者から遠ざけることになっていたらしい。

 順番がきて中に通された。治療室内には治療を行う椅子状のものが5つほどあり、その中のひとつに案内された。
ほとんど初見に近い私には、それらの機材の全てが古いものなのか最新のものなのかさえ判断がつかなかったが、どうやら設備は新しいもののようだという印象を受けた。
椅子につくと目の前のスペースは一面が窓になっており、ビルの中に入居しているところだったので眺めがよく、遠くにはどの街かは分らないが、少しばかりのビル群が見えた。
目の前にモニターがあって、私が腰を落ち着けた時にはディズニーのアニメが流れていた。どういうわけなのかは分らないが、映像がやたらチラついていた。

 しばらくすると歯科医がやってきてレントゲンを撮ると言う。
なるほど、基本的な情報を集めるのだなと納得しながら、されるがままにレントゲンを撮られる。
さらにしばらくして歯科医がやってきて、先程撮ったレントゲンを目の前のモニターに映し出した。「なるほど、このためにこのモニターはあるんだな。なかなかハイテクじゃないか。」などとぼんやり考えながら、普段見ることのない自分の歯と頭蓋骨のレントゲンに見入った。他の部分ならそれほど感じないが、自分の頭蓋骨をみるのはなかなか奇妙な感じがするものである。
実際のところ、こうした設備がハイテクなのかどうかさえ私には分らない。当たり前のことなのかもしれない。ただ、レントゲンといえば後ろから蛍光灯の光を当ててみる古いスタイルのものをイメージしていたのでその時にそう感じたまでのことだ。


 医者の中には横柄で何事にも説教臭く、尊大な態度をとる人が少なくない。
「あれもこれもお前のせいだが、心優しく素晴らしい腕を持った私が有り難くも治してやろう。我を賛美せよ、我に感謝せよ。」といったような態度の医者はじつに多いものだ。私もこれまでそういった医者に何度も会ってきた。しかし幸運にも今回私を担当した歯科医はどうやら当たりだったようだ。
何度も同じことを繰り返し言ってしまうという奇妙な癖を持った人だったが、嫌みなところはまるで無く、事細かに今の私の口腔内の状態を説明してくれた。

  ◎なんでも、これまで歯医者に行っていなかったぶん歯石が相当に溜っているとのことで、その        歯石を巣にして病原菌が繁殖し、歯茎に腫れを生じさせているとのこと。
  ◎歯石は見えやすい部分ではなく、目で見て確認しにくい歯の裏側や奥の方にあるのだというこ        と。
  ◎現状、その腫れのせいで親知らずには全く手が付けられない状態であるということ。
  ◎親知らずは下2本だけでなく上の2本も生えているということ。
  ◎親知らずの生えている向きには異常はないということ。
  ◎下の親知らずよりも上の親知らずの方が虫歯になっていて抜く処置が必要であるということ。
  ◎親知らずは生えはじめの乳歯のように虫歯になりやすい不完全なものであるということ。
  ◎下の親知らずは歯根が大きく、顎の神経がその近くを通っているので、場合によっては処置を        することにより痺れ等がしばらく残ることもあり得るということ。

以上のように、今現在私の口腔内がどのような状況かを細かく説明してもらった。そのように細かく説明しなければならないくらい私が歯科医を質問攻めにしたという部分もあるかもしれない。

 とりあえず歯科医が言うには、治療には歯茎がどれくらい腫れているかを調べる検査が必要であり、それが終わってから音波を利用した機械によって大まかに歯石を取るとのこと。それが上下3分割で計6回。
その後、麻酔をかけて手作業によっての歯石除去を行う。やはりこれも上下3分割で計6回。
これらの処置の間、腫れが引いた時を見計らって上の親知らずを1回づつ抜く処置を行う、上2本で計2回といった具合になるという。

 なんだかお金も時間もかかりそうなプランだなと思ったが、とりあえず腫れをなんとかしないとという思いがあったので、最初の検査と機械による歯石除去は一旦受けてみることにした。


 その後、検査と機械による歯石除去を受けてみて、そんなにお金がかからないこと、痛みも殆ど無いことなどを確認すると、私はいい機会だしここはひとつ完全に治してやろうという思いが出てきてプランの全てをやってみることにした。


 痛みも殆ど無いと言ったが、細い検査具を歯と歯茎の間に挿入してその深さを計る最初の検査は正直辛かった。奥の方は何ともないのだが、前歯や犬歯周辺は頭の天辺に電流が走るような、痛みとは違う、何というか衝撃のようなものがあった。ちょっと表現できない嫌な感じのものだ。

 親知らずの抜歯は想像していたものとは違い、拍子抜けするようなあっけないものだった。
私のイメージではワインの栓を抜くように “ 引っこ抜く ” 感じだと思っていたが、実際には歯根膜から歯根を剥がして “ 取り除く ” といったような表現がより近いものだと思う。
歯科医に「はい、終わりましたよ」と言われた時は「?」と感じたものだ。それほどあっけないものだった。

 抜歯した親知らずは外側はあまり見た目に変化は無いが、中は虫歯がかなり進んでおり、割れたピンポン球のようになっていた。ちょうど中身が食い荒らされて皮だけになっている果実のような状態だ。
第2臼歯とは比較にならないほど矮小で未発達な親知らずは歯根もほとんど発達していなかった。形状は座薬の長さを少し切り詰めたような形をしていた。
私は抜いた親知らずをまじまじと眺め、あらためてこれらは退化の途上にあるものなのだなと奇妙な納得をした。


 手作業による歯石除去は施術者とのコミニュケーションが重要だなと感じた。
私は日によってなかなか麻酔が効きにくかったりしたので、遠慮会釈なしに麻酔を増やしてくれるように注文した。また、少し引っ張るのが強すぎるだの、そこはまだ感覚があるから麻酔を増やすか時間をおいてくれだの、私は歯科医と歯科衛生士にかなりたくさんの注文をつけたと思う。

こんなことを言うと随分嫌な患者だなと思われるかもしれないが、そうやってそれは嫌だ、こうしてくれないかということを具体的に伝えるのは私は双方にとって良いことだと思う。
施術者側もプロであるが故に患者の負担のより少ないやり方にトライしてそれをマスターするのは成長につながるし、患者側も当然痛みは少ない方がいいに決まっている。
あそこの歯医者に行ったらこんな目にあったなどと陰口など言いたくないし、治療プランを実行している最中に医院を変更したくもない。
何といっても、やはり必要の無い痛みなら無い方がいいのである。


 治療ごとに1週間の期間を空けて通院するというスタイルにしたために半年ほどかかってしまったが、夏前には治療は完了した。
結局様々なリスクを考慮した結果、下の親知らずは抜かずに経過を見守るということになった。
上の親知らずと違い、虫歯になっていなかったからである。
抜歯したばかりの親知らずの後には、しばらくご飯粒が2粒ほど収まるくらいの穴が空いていて苦労したが、最近はその場所にご飯粒が残るということもなくなった。

 その後、これまで歯茎が腫れるということは一度も無い。歯茎の色も健康的なピンク色を保っているし、気のせいか歯磨きの時にえづく回数も4分の1ほどに減ったような気がする。
歯科医にフロスを使う習慣をつけるように言われたので、いつもではないもののやってはいるが、前はともかく犬歯より奥はどうしても上手く出来ないでいる。


 結果として、きちんとした歯石除去をしてよかったと思う。歯の治療に関して考え方が変わったのだ。
以前は歯医者は文字通り歯の治療をするところだと思っていたが、実際にはそうではなかった。
歯自体は程度の差こそあれ、削った部分は足すことが出来る。しかし、歯茎に関しては減った部分は一生戻らないのである。これは大きい。
そしてその歯茎を失わせるのは病巣としての歯石なのだ。
私は今回のことで予防歯科というものを理解したように思う。

 歯科医が言うところによると、ちゃんと毎食後歯磨きをしている人でも3か月くらいで歯石は溜り始めるということなので、3か月ごとに機械による歯石除去の案内を送ってくれるらしい。
その施術は上下まとめて1回で終わるとのこと。私の場合秋頃になるだろう。



 最初に歯茎が腫れた時には何と不運なと思ったものだが、実は手遅れになる前に歯医者に行く機会が得られた私は非常に幸運だったといえるかもしれない。感謝である。