日本では、平成より、ほとんど不況といっても差し支えないほどである。


 しかし、日本が好景気と感じられた平成の時代があった。


 それは、ライブドアショック直前期だった。


 なぜ、ライブドアはあげられたのか。


 わざわざ、検察までが動いて、ライブドアをつぶしたのか。


 どうも裏があるのではないか。


 結局、あのライブドアショックで日本の株価が下がることにより、誰が得をしたのか。


 フジテレビだろうか。


 たしかに、ライブドアに支配権を奪われそうになったフジテレビにも動機があるのかもしれない。


 それとも、ただの民衆の反発感なのだろうか。


 一つの仮説を示したい。


 日本の株価が上がると、政治問題になる国があるのではなかという視点からみると、中国が浮かび上がってくる。


 中国は、自らの国の活力というよりも、多くの外国からの投資によって、経済が栄えていると行っても過言ではないような国である。


 その中国に奔流するマネーが、日本に流れることになれば、中国にとって一大事ではないか。


 そういった線から、ライブドアショックに、中国の工作の跡は見られないのだろうか。


 こういった経済の大きな枠組みには、実は、国と国の覇権を賭けた陰謀があるとだけ言っておく。


アメリカは、モザイク国家といわれるほど、いろいろな民族や文化が混じり合った国である。


 そのアメリカの統合を保つためには、常に、なんらかの理念と利益を必要としていた。


 ある時は、フロンティアスピリッツであり、自らの耕す土地を手に入れることにあった。


 そして、現在では、イスラムテロとの戦いであり、多少の豊かさである。


 果たして、イスラムは、本当の敵としてアメリカにあったのか。


 冷戦後、悪の帝国ソ連と社会主義との戦いに終止符を打ったアメリカはあらたな敵を探していた。


 それが、文明の衝突であり、イスラムにねらいを定めた。


 また、オイルの安定的供給についても、中東をアメリカ帝国主義の毒牙にかけるためにイスラムを敵とみなすことが重要だったのではないか。


 しかし、本当に文明の衝突として、イスラムとの衝突があったのか。


 実は、これははなはだ疑問である。


 こうしてみると、第二次世界大戦において、我が国日本が標的にされたことも理解できる。


 アメリカは闘う国であり、正義を自ら作り出す、作り出そうとする国である。


 その現実を我々日本人は冷静に見つめなければいけない。

冷戦が終わり、東側の国々が、資本主義社会に加わることにより、反対に資本主義である西側の国々に異変が起きている。


 これが政治の現実であり、冷戦に勝利した資本主義の国々とて、未来はわからないということの一例である。


 必ずしも強国が未来永劫繁栄するというわけではないことがあらためてよくわかる。


 そのことは、日本とて同じであり、平成にはいってから日本はずっと経済の問題があり続けている。


 東側の安い労働力を使い、その物を輸入することを考えれば、われわれ日本人は、以前よりも豊かになるはずであるにもかかわらず、反対に、暗い世相を見続けている原因は何なのか。


 日本が、時代に対応できていないのか。


 それとも、富が一部の場所に偏在しているせいなのか。


 筆者は、日本があらたな時代に対応していいなからだと考える。


 要するに、日本社会が実は豊かになっているにもかかわらず、いろいろな面で停滞している部分があるからであろう。


 それが、日本の政治構造であり、国の制度であろう。


 また、あらたな発見、あたらしい機器、たとえば、豊かさをかじる象徴となった自動車や三種の神器と言われたテレビや洗濯機のようなものがうまれてこないことによるのだろう。


 現在、日本は、一時期日本社会に示されたあたらしい形にたいする反発や過去の世界への揺り戻しが来ている。


 戻ったところで、一時的には満足するかもしれないが、その後のことを考えるともはや未来がないことは、われわれ日本人はよくわかっているのだろう。


 だからこそ、このような暗い世相を好む大衆心理があるのではなかと思う。

 初詣にゆくと、たくさんの人だかりがある。


 こういう日本の行事をみると、神社関連のものが非常に多い。


 初詣もそうだし、厄年もそうだろう。

 

 このように、われわれ日本人の日常生活には神社とむすびつきのあるものが多い。


 しかし、戦後日本では、神社は宗教であるとして、一方的に廃棄することが知的とみなされてきた。


 政教分離がそのひとつである。


 しかし、そもそもなんらかの宗教的な価値観なくして、その国の儀式など人間の感情を処理することができるかという根本的な問題には触れようとはしてこなかった。


 実際、政教分離というアメリカですら、キリスト教の影響は強い。


 国立墓地であれ、大統領の宣誓であれ、キリスト教の結びつきを無視することはできない。


 ましてや、ブッシュ大統領を見てもわかるように、かなりのキリスト教原理主義である人物が大統領になることこそ自然な雰囲気があるという国がアメリカであり、政教分離である。


 ヨーロッパを見れば、露骨に政党名にキリスト教がついてる場合もある。


 それだけでなく、教皇に大きな影響力がある、それがヨーロッパである。


 そのくらい宗教とわれわれの生活は密接なつながりがあるということを忘れてはいけない。


 もし、宗教を忘れ、人間は物としてしか価値がないとすれば、それは荒廃である。


 人間の未知なる精神があるからこそ、その救いとして宗教を求めるし、かつ、宗教は生活の規律を定めるのである。


 その現実を忘れてはいけないように思う。


 決して、理論では価値を決めることはできないのだ。


 科学が、歴史に価値を与えたことはないという現実をよく考える必要があるだろう。


 与えたことがあると考える人たちは、根本的な人間の及ばざる知恵をすべてが可能であると考えている傲慢さの中にあるだかだろう。


 しかし、宗教を、新興宗教のような極端な宗教を思い浮かべることは、まったく、劇薬だけを薬と思うことと同じである。


 歴史と伝統に根付いた宗教こそ、われわれの社会を平穏にするために必要なものではなかと思う。


 ユダヤ人とは、なんなのだろうか。


 血統なのか、それとも、ユダヤ教を信じる人々という意味なのか。


 このこのユダヤ人という用語について、非常にあいまさを感じる。


 ただ、このユダヤ人という人たちが、20世紀を動かしてきたことは確かなようだ。


 なぜ、ユダヤ人たちが、このように20世紀を動かし、そして、21世紀を動かすことができるのか。


 そのひとつに、ユダヤ人たちの頭脳。


 教育があることは確かだろう。


 そして、ユダヤ人たちに共有されるナチスへの反省。


 そのための、政治的活動の巧妙さがあげられるだろう。


 しかし、今回のガザ地区への攻撃をみると、ユダヤ人の矛盾を感じずにはいらえれないのである。