平成を考えると、バブル経済、そして、オウム真理教によるテロは見逃すことができない問題である。


 オウム真理教とは、なんだったのか。


 このオウムの問題が、ただのカルト集団の爆発とだけみることはできないと考える。


 なぜなら、オウムのサリン事件は集団による、官僚組織を狙ったテロを行っているからである。


 官僚組織に対する冷静な分析をオウムはどうやら行っている形跡があるのだ。


 つい最近、小泉容疑者による厚生官僚の暗殺事件があったが、官僚こそ日本国を作り出す組織としてとらえ、テロの手段してとらえたのは、オウムだったといっても過言ではない。


 オウムがサリン事件を起こしたころ、当時の政権は村山政権であり、社会党の党首が総理であり、実質の政権運営は自民党により行われていた。


 また、阪神大震災時に村山はリーダーシップのなさを明らかにしていた。


 政権の弱さを露呈してなかでのテロ行為だったのである。


 ただ、たとえサリン事件で日本の官僚組織に対して一撃を加えたとしても、その後の実権掌握のためには、なんらかの力が必要になったはずだ。


 その力の担保無くしてサリン事件を起こすことがあるだろうか。


 もし、その力の担保がないのであれば、大金をもって、南米辺りにでも逃亡したほうがいいのではないか。


 そう考えると、なんらかの力が日本に迫っていたのではないかと考えるのは当然だろう。


 しかし、そういうことが全く明らかにされずに、オウムの事件は幕を閉じ、かつ、マスメディアでもほとんど言われなくなってしまった。


 はたして、この裏にあるものは、何だったのか。


 また、その恐怖は再度ありうるものなのか。

 

 オウム事件とはわすれてはならない重大事件なのである。

 日本の株価の下落は、日本の会社の実力と見合うものなのだろうか。


 円高から考えると、日本の経済力の強さがわかる。


 通常、有事の場合、軍事力のある国の通貨が強いわけだが、なぜか、憲法において軍事力の行使を行えない日本の通貨である円が異常な強さをもっている。


 このことからみて、市場は、日本の底力を認めたといえるのではないだろうか。


 しかし、日本の株価自体は異常に低いことは、要するに、日本人の心理的な問題ではないかと思う。


 日本人自身が、日本企業に対して弱さを勝手に想像しているにすぎないのではないか。


 簡単にいえば、異常な外国神話の上で投資活動をすすめている結果ではないかと思うのだ。


 よって、日本の力を、日本人自身が正当に評価するならば、日本の会社の株価が上昇し、かつ、日本に再投資が行われた結果、更なる景気上昇があるのでhないかと考えるわけである。


 果たして、日本人自身がみずからの力に気づくときはいつなのだろうかと考える。

 サミュエル・ハンチントンが亡くなった。


 なぜか死因は公表していないとのこと。


 なぜなのだろうか。


 個人的な意見として、彼の論文である「文明の衝突」は、アメリカをイスラムへとの対決を表明した論文と言える。


 その見解がアメリカの外交政策に与えた影響は大きい。


 その彼の論文をもとにブッシュ政権のイラクへの攻撃を支えたとえいる。


 そういう中、ブッシュ政権が終わりを迎える中、彼の胸中はいかほどのものであっただろう。


 


 バブルというと、「実態のないバカが浮かれて踊り狂った時代」というような否定的な響きしかない。


 本当にそうだったのだろうか。


 私自身は、バブル時代という時代を経験することがなかったが、「戦前の日本軍は、バカだった。魔法がかかったようにバカになった」という言葉と同じくらいバブルに対する認識の甘さがあると思っている。


 たしかに、バブル時代というのは、日本という国が、その基礎的な文化をもって、世界一になろうという覚悟のないまま、絶頂を迎えた時期とはいえるかもしれない。


 だからこそ、人々は、絶頂を迎え、踊ったが、どこかこの絶頂は終わるのではないか、おかしいのではないかと思っていたに違いない。


 しかし、それから、早いもので20年近くがたとうとしている。


 日本人が海外に出かけることが多くなった。


 世界をみる日本人が増えたのである。

 

 よって、日本と世界を冷静な視点で比べることができる日本人が増えたはずである。


 そういう日本人は、自分たちの豊かさに対してどのようなことを思うのであろうか。


 個人的な意見であるが、この日本の豊かさこそは、理由ある豊かさであることを示しておきたい。