「高齢者講習」のハガキが届いた。免許証更新する前に、自動車学校で講習と実地運転を受けて、運転免許センターか警察署で更新を受ける。前回の時は、警察署で講習を受ければOKだったが、さすが、70歳を過ぎると実地検証されるわけだ。昭和52年に普通免許を20日間の合宿で習得した。だが、43年の東京生活では、運転することは皆無の仕事。交通網が完備した都会では車は必要なかった。当然、ペーパードライバー。帰郷してからは、車なしではダメな地方生活だったが、幸いにも、田舎でも都心?に住んでいるので、自転車で何も困らない。パートナーが安全運転者で近郊への旅行には助手席に座っていればすむ。

さて困った。誕生日の11月更新まで時間があるから、今から車運転の練習して免許更新の道もある。けど、それは必要か?今さら運転してメリットはない気がする。判断力は年々衰えている。自主返納すると、各種料金の割引とか受けられる。その時、「そうだ、俺は高校生の時に自動二輪の免許を取ったんだ」

そう、自主返納したら、普通免許と一緒に自動二輪免許証も失ってしまう。

それはもったいない。教習所に聞くと、自動二輪は実地なしの講習のみとのこと。ご近所には、80歳でスクーターに乗る女性もいる。原付なら乗る可能性がある。私の場合、1300CCのハーレイだって大丈夫だ。そこで、二輪の講習を受けて、普通免許は自主返納することに決めた。

 今までは、身分証明書としか使ってこなかったが、マイナンバーカードもあるし、もう免許証にこだわる必要ないかも…。

 そういえば、「70歳を過ぎたら半人前なのか?」の投稿記事(朝日新聞)があった。高齢者の詐欺事件のため、銀行が引き出し限度額を厳しくしている。今は、ATMの引き出し額は50万円。ところが、70歳以上は20万円が上限とのこと。75歳の投稿者は「70歳を過ぎているということだけで、あなたは一人前ではありません。半人前です」と、宣告されたようで情けなく、悲しい!と…。オレオレ詐欺登場から20年以上になるが、昨年は4千件の被害で、130億円を超えた。古希を迎えたら、もう世間様からは半人前の存在とは…。悲しい現実だ。

 

 自民党の補選挙や県知事選連敗に、民意にも少しは冷静なる判断能力が残っていたか!と気を良くしていた。そこに、7月の都知事選に蓮舫議員出馬。面白くなってきた。タレント知事か自民党系の知事ばかりが続いた都知事。

 元自民党議員の小池都知事が対抗馬もなく、すんなり3選かと思っていたから楽しくなってきた。遠い九州の端から蓮舫議員を応援したい。 

 さて、私が自民党嫌いの大きな理由のひとつに、このご時世に、同性婚や選択的夫婦別姓に必ず反対していることだ。世界の情勢からかけ離れた思想の持ち主ばかり。つまり、故・安倍晋三がそうだったたが、戦前の核家族からなる小家族制度が絶対的という考え方。未婚者が増え、子どもを産まない(産めない)社会を自分たちが作っておいて、しかも、小手先の政策しかしない。子どもは成人まで国が教育、医療の全部丸ごとの費用を持てばいい。先ごろ、国立大学の学費値上げが話題になったが、何で私立大学と比べるのだ。昔から、家庭が貧しいが頭の良い子は、学費の安い国立大学に行けたからバランスが取れていた。おバカな子は、親が金持ちなら私立大学に行けばいいのです。まあ、私は理系がさっぱりでしたから、私立大学に行きましだが、自分でバイトして(昔はキャバレーなど高額を稼げる場があった!)大学を出た苦学生でした。

 朝日新聞の記事に、先ごろレインボープライド(TRP)に、世界的最大ファッショングループ「モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン」がスポンサーとなり、社長から社員家族250人がパレードに参加。今回のTRPへの協賛団体数314社。来場者27万人、。パレード参加者1万5千人という新記録。LGBTへの理解は年々増えている実態を、自民党議員や党員は、どう受け止めているのでしょうか?すでに、国民のほとんどがLGBTは自然な社会的状況だと思っているのに、永田町だけが気づいていない。嫌、気づいているのに認めてたくないのでしょう。LGBTの人は、左利きの人と同じ、10人に1人の確率で存在しているのに…。裏金作りを仕事だと思っている自民党議員に、国民のため!という自覚はない。こんな楽な仕事はないから、世襲議員ばかり生まれるのです。

 芸能界でも生き残れなかったおバカタレントばかりが、参議院議員になり高額な報酬を国民の税金から受け取っている。選ぶ国民もバカだけど、もうこんなテイタラクは終わりにしないと。都知事選を楽しみにしております。

 

 民生委員になってペット問題に遭遇した。80代後半の男性は、見るからに衰えた猫ちゃんとの二人暮らし。生ゴミの日に、難儀そうな振る舞いを目撃して代行を申し出た。実際、三軒ほど週2回の生ゴミの日に、高齢者の代わりに私はゴミ捨てをしていた。そのNさんは「少しでも動かないと身体がダメになるから…」と断られた。ただ、一つ悩み事があり、それはもう施設に入りたいけど、愛猫と別れるのは辛い!と。そこで「一緒に入居できる施設を探してみます」と、日南市福祉長寿課に相談。すると、宮崎県都城市に一軒だけあった。住宅型有料老人ホーム平屋建て。35室あり、介護保険付きだから、要介護4なら、1割負担30936円。2割負担なら61876円。3割負担92814円。元海運業界の船員だったNさんなら、年金から出せる金額だった。

 犬猫の平均寿命は14~15年。Nさんの愛猫も12年少しで、いつ見ても床に横たわっていた。愛猫同居できる施設が見つかったが、Nさんは今ひとつ心が動かない。要は、生まれ育った日南市を離れたくない。やはり、この地で終末を猫と一緒に迎えたい。その思いがひしひしと伝わってきた。

 高齢者とペット問題は、社会現象でもある。朝日新聞の記事にあったが、2010年半ば頃から、ペット業界が「犬を飼うと健康寿命が延びる!」キャンペーンをはじめた。もちろん、犬だけじゃなく猫も同じて「サプリメント(高齢者にとって)と思えばいい!」なる業界関係者の暴言も出た。

 問題は、飼い主亡き後をどうするかだ。Nさん今年亡くなったが、自宅には、3日間、飼い主不在でもエサが出る自動エサ器が置いてあった。よく、検査入院していたNさんなりの解決策だったのだろう。その後、老猫は知人に引き取られたが、飼い主のNさんを追うように召された。

 犬猫を飼う高齢者にとって、我が子が巣立っと、老後にはペットが新たな家族となる。その絆は断ち難いものなのだろう。私は、新たなパートナーだけで、ペットは必要としないが、たぶん「ペットと高齢者福祉」という新たな関係性が問われる社会となるのでしょう。そこには、ペットも高齢者も幸せになる!という方策を作らないといけない大問題がある。

 

 サンデー毎日の高齢者にあるのは、お金ではなく自由な時間だ。ただ、人にはいつ何が起こるか分からないことは理解しているから、限りある命の時間だけは無駄にしない!と常に肝に銘じている。

 朝日新聞編集委員の近藤康太郎さんの「百冊で耕す」なる本を図書館で借りて読んだ。自分の本棚に、国内外の名著を百冊。近藤さんの百冊と重なるのはほとんどない。まあ、古典的な名作はほとんど読んでないから仕方ない。長く、仕事のための読書ばかりしてきたから、芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外も一冊くらいしか読んでない。この本で一番共感したのは「勉強は終わりがない」こと。つまり、本を読むことが勉強のひとつだとすれば、読書だけは自信を持って続けられる。

「本を読むことは、孤独に耐えられるということ。本読みは、人を愛せる。本があれば何とか生きられる人は必ずしも愛されることを必要としない。ただ、人を愛することができる」と近藤さん。そして「人を愛する人こそ、自分を幸せにする人。自分を愛するのが幸せではない。なぜ本を読むか?幸せになるためだ。幸せな人とは本を読む人のこと」と言う。なるほど…。

 太宰治も、読書とは「むごいエゴイストにならないため」だと言っている。確かに、インプットがあってアウトプットができる。仕事ではなく、楽しむための読書になってから、スーッと頭に入りやすくなった気がする。電子新聞と図書館での各紙閲覧だから、常にメモしながらの読書となる。自分の本ならドッグイヤーといって、本の上端、下端を三角に折ることもする。赤線も引く。だが、借り物の読書だと、ノートに書き写すしかない。この手間が勉強だと私は思う。

 評論家の内田樹さんも、無知とは知識の欠如ではなく、ジャンクな情報で頭がギッシリと詰まっていて新しい情報の入力ができない状態のこと。勉強による学びとは、入力がある度にそれを容れる器そのものの形状や容積が変化してゆくことだと…。納得だ。

 近藤さんは「本の世界から外界に出る。世間に戻る。それは「書く」という行為だとも。ネットだろうがインプットしたものを発表することなんですね。

 高齢者にとって、読書という勉強を焦らず騒がずにできるって、こんな安上がりで贅沢なものはない!それこそが勉強なのだと思う。

 

「血圧が高いですよ!このままだと、いつかライブステージで倒れることも…」風邪で近所の医院で高校の1つ下の医師から言われた。考えておくわ!と答えた。すぐに昔取材した免疫学の大家だった故・安保徹さんの著書を引っ張り出して調べた。私が40代初頭の頃。インタビュー後に、同席したカメラマンの血圧の話になった。私より一つ下のカメラマンは150あり、医者から降圧剤をすすめられた。安保さんは「私が医学生の時に、血圧の正常値は年齢に90を足しなさいと教わりました」と答えた。確かに、40歳のカメラマンなら130が目安だ。安保さんは、暴飲暴食の彼に、まず食生活と適度な運動をしてから医師に相談したら?とアドバイスしてくれた。

 日本人の2千400万人近くが降圧剤を飲んでいる高血圧大国。140くらいから医師は降圧剤をすすめる。でも、安保さんは「年を取ると血管が硬くなります。すると、血圧を若い頃より少し高めにして、抹消まで血液を押し出さないといけない。降圧剤を続けると、脳に血流が回らなくなり早く認知症の症状が出てしまいます」と言った。そして、当時は聞き流したが、降圧剤を飲み続けている人は、白内障、緑内障に罹りやすいとも。確かに、血流不足になれば、目や脳、腎臓にダメージがくるのは素人でも分かる。

 安保さんの「年齢プラス90」法則でいうと、古希の私は160で年相応の数字だ。高校の後輩医師の168の私の血圧に心配してくれるのは有り難いが老人なんだからいいんじゃないか!?と医者嫌いの私は自己判断した。ただ、気になったのが「ステージで倒れたらもうギター弾けませんよ!」のひと言だった。

 もう一人、お会いしたことはないが、信頼している精神科医の和田秀樹さんも、血圧170あり、心不全でもあり、降圧剤を服用したが!頭がフラフラして力がわかない!と、140まで下げているそうだ。何か気分的な面もあり、身体が火照るような息苦しい思いもあり、最後は主従医に相談した。

「倒れる!危険性を一日一錠のクスリで回避できるなら飲み続けた方がよくないですか?」

 好きな音楽をプレイしながら、舞台で死ねるなら本望!とは、さすがに決断できない。まだまだ、後10年は現役でいたい!そう思い降圧剤を飲み出した。

それまで、160~180あった血圧も120代に落ち着いた。私たち、高齢者が外食ランチした後には、全員がバッグからクスリを取り出して飲む光景を冷めた目で見ていた私もその仲間となってしまった(笑)

 まあ、70年も生きていれば、身体のどこかにガタもくる。今は従容たる態度で応対している。