「AIが人類を凌駕した」「人類の命運をAIが握る」「超知能AIに人類が支配される」今は、SNSに一方的に動画が流れてくる時代。とくに国政選挙ではすごい量だ。朝日新聞「天声人語」が高市早苗秘書疑惑を取り上げていた。   私は、文春の記事が出た時に「やはりなあ、いかにもやりそうだ!」とおもった。自民党(石破茂政権)が少数与党になった時に、彼女はSNSの威力を知ったに違いない。だから、総裁選で本命と前評判の高かったライバル小泉進次郎に対しても解散衆院選でもこれを活用して勝利した。

「私は秘書を信じる」(それはあんたの勝手)と答弁するのではなく総理大臣としての事実関係を皆知りたいのだ。

「丁寧に誠実に首相説明があっていい」との天声人語。高市首相は常にはっきりと物事を言わない。はぐらかす返答しかしない。物価高、原油高の今、消費節約を言うのが普通なのに、事足りている!と頑な姿勢だ。そんな事ないはず!と国民の誰もが分かっているのに…。政権として弱腰と見られるのが嫌だけで現実が見えていない。

閑話休題。この画像SNSで身近なフェイク体験をした。バンド仲間から、東京スカイツリーの下で、若い女性とのツーショットのメールが届いた。誰だ?と騒動になった。愛人との秘密旅行だという。男達からは「上手くやりやがって!」と批判の嵐。奥さんに同情した。ところが、これがスマホAI処理画像だった。アプリを使えば、場所、ファッション、顔のシワまで修正できる。それも、言われるまで全く分からない精密度。驚いた。何でもできるのだ今は!

 米国の人工知能開発会社「アンソロピック」は、新型AIの公開を見送ったとの記事があった。画期的なAIなのに、サイバー攻撃に悪用されるのが理由。

 やはり、AIが自らプログラムを書き換えさらなるプログラムを作る。やがて、国家戦略インフラとなる。国家と技術が密になっていくのでしょう。だから、冒頭の人類を超える知能の出現はもうそこまで来ている。まさに、今そこにある危機だ。千葉大学教授の神里達博さんの「権威主義や独占企業が手段としてAIを使って人々を支配するリスクを心配した方がいい」の指摘こそ私たちは噛みしめた方がいい。文春問題に正面から向き合わない高市早苗にその危険性をプンプンと感じる!

「老々介護」が始まった。間もなく99歳になる母親が脊椎の圧迫骨折となり、現在、寝たきり生活が続く。背骨を支える部分(椎体という)が押しつぶされる。整形外科の医師からX線写真を見せてもらうと、椎体のまん中あたりが「へ」の字みたいに白くなっている。骨粗鬆症の薬を飲んでいたが、尻餅をついたりしてでも折れる。何しろ超高齢者だ。治療法は、これ以上悪くさせないため、コルセットを付けるだけ。それと、痛み止めの💊を飲むしかない。

 好きな作家である久坂部羊(現役医師)さんの「人間の死に方」(幻冬舎新書)を読んだのは2014年。麻酔科だった父親の看取りを関西人らしいおもろく書いた介護ドキュメント小説だ。再読すると、もう実体験の今と昔では読了感は百八十度違った。おしめ交換も、前立腺がんだった父親には末期には導尿カテーテルを入れてからは、週に2回ほどだが、我が家は毎日交換する。便は幸いにも2008年に大腸がんて人工肛門のストマーなので袋を交換するだけ。

 久坂部さんは、濡らしたペーパータオルで父親の尻を拭いた。温タオルで陰部もきれいに拭ってあげる。陰嚢や尿道口も…。笑ったのは、陰嚢の皺の間まで洗うと、父親は「うっ」とか「ああっ」とか言う前に「痛い!」と声を上げるので、「そんなに痛いの?」と聞くと「痛い!というたら楽になるねん、怒らんといて…」と答えた。私の母親は毎日「腰が痛い!」と嘆く。一日で記憶が消えるから、骨折していることが理解できない。紙オムツ交換の度に「痛い、痛い!」嘆く。私は、久坂部さんの本を思い出して「この人は本当に痛いのだろうなあ」と、処方された痛み止めを与える。ある時「私は赤ちゃんみたいやね」と言った。人は、赤ちゃんで生まれて、赤ちゃんになって逝くんだなあ!と思った。思えば72年前、私自身が母親の手でオムツ交換してもらい大きくなったのだ。

今、その恩返しをしている。久坂部さんの父親も「昔は親孝行したいときには親はなし!と言うたもんやが、今は親孝行したくないのに親がおり!やなあ(笑?)」と言ったそうだ。

 現在、高齢者の4人に1人は認知症か予備軍で約700万人いる。父親を看取った久坂部さんは「父は認知症のおかげで死の恐怖や家族に世話をかける申し訳なさをほとんど感じなくなっていた。認知症は自然の恵みかも…」と書いている。それは、看護する側の思いとはまた別の問題だが、確かに認知症になった方が勝ち(?)かもしれない。老々介護がしばらく続く。

「天災と違って、戦争は人間の叡智で防げるものです。戦争は悪であると、私は心から憎んでいます。あの恐ろしい体験をする者も、それを目撃する者も、二度と、決して生みだしてはならない。それが私たち戦争体験者の願いなのです」歴史探偵家でもあり、昭和を書き続けた半藤一利さん(2021年1月死去)の妻でエッセイストの半藤末利子さんの言葉です。末利子さんも8月1日の長岡空襲を体験しています。

 今、この地球では狂った暴君者により、ウクライナ、イスラエル、イランで戦争が続いています。「二度と戦争はしない!と、我が国は戦後80年憲法九条を掲げてきました。

 この憲法九条で、トランプ大統領の無理難題も乗り越えられたのが高市早苗だ。改憲論者の高市は、その憲法に助けられたことに何の発言もしてない(できない)

 反省して、深く恥いるさまを忸怩(じくじ)といい、「力及ばずじくじたる思いだ」のように表現する。数の論理で憲法改正しょうとしても、さすがに我が国の人々が改憲にすんなり賛成しないと思う。高市支持者は、国民の三分の一弱だからだ。

 話は末利子さんに戻る。半藤一利さんの最後の言葉を書いている。

「墨子(ぼくし)を読みなさい。2500年前の中国の思想家だけど、あの時代に戦争をしてはいけない、と言ってるんだよ。偉いだろう」

 この言葉が、戦争の恐ろしさを語り続けた一利さんの遺言だった。私も何冊か半藤さんの著書を読んだ。「日本型リーダーはなぜ失敗するのか」(文春新書・2012年発行)の中に、いかに日本人は歴史から何も学ばない!と力説していた。

「国家が危機に直面したときに、失敗を徹底的に検証して乗り切るだけの研究と才覚と覚悟とをきちんと身につけておくことです。過去の戦争のときに身をもって体験し学んだ(死を鴻毛より軽し)とする考え方、根拠のない自己過信、無知蒙昧、底知れぬ無責任など、私たち日本人の愚劣さ、見たくない本質を正しく見つめなおすことが大切。歴史から少しは学んでほしい。日本人がもう一度、この眼でみた悲劇を歴史の教訓とできるかどうか、問われていると思う」ここにこそ、半藤さんのライフワークの箴言があると思う。

 半藤さんのお孫さんで編集者の北村淳子さんは、祖父の最後の本「戦争というもの」(PHP研究所・2021年発行)を出した。そこに「戦争は、国家を豹変させる 歴史を学ぶ意味はそこにある」と半藤さん直筆の色紙がある。トランプなんか、まさに歴史から何も学ばない頭の悪いジャイアンにしか見えない。そんなトランプを、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドトランプだけ」と称賛した高市も、まるで歴史から何も学ばない、「あんぽんたん」だと私は思うけど…。

「日本人として恥ずかしい!」高市早苗のトランプ会談後のメディア対応に違和感を覚えた。このタイトルのコラムを書いた前川喜平さん(元文科省事務官)は、高市が師と慕う故・安倍晋三政権で干された官僚。とはいえ、隷属のような首脳会談だった!のに評価する報道をしたメディア。

 醜悪な写真だったのが、カラオケでも歌うというX JAPANの曲が演奏された時、狂喜乱舞というか狂った年寄りの様にならない踊り狂う姿だ。いくらなんでも無様すぎる!ドラムを叩いた時もひどいリズム感だったが、高市早苗には音楽のセンスゼロ!

 何より「はぁー???」と声が出たのがトランプに抱きつくなり「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」の台詞だ。前川さんも書く。

「お追従にもほどがある。中国と対話しょうとすると媚中と叫ぶ連中は、なぜこれを媚米と言わないのか。僕が日本人として恥ずかしいと思うのは、ここまで愚鈍で下品で卑屈な首相を持つ国の主権者だからだ。なんとか早くこの首相を辞めさせなければならない」その通りです。今、世界中の経済に大混乱を起こしている張本人を日米首脳会談の頭で褒めそやす言動は全面支持したと同じこと。あの作り笑顔と上目遣いでトランプの顔色を伺う仕草にはヘドが出る。

 今回の会談で対米従属は仕方なかったとしても、自衛隊派遣表明が出なかったのは皮肉にも憲法九条があったからではないか!高市は憲法九条を改憲しょうとしている。もし、改憲後に今回の立場なら前線派遣は断れなかった。高市早苗は、嫌いな、いや改憲したい憲法九条に今回は助けられたのだ。

「中村哲という希望/日本国憲法を実行した男」を著した評論家・佐高信さんも「アフガンで銃撃されて命を落とした医師・中村さんは生前、戦争といってもこれは殺人行為ですよ。対米協調だとか、国際社会の協力だとかそんな綺麗なオブラートに包んだ言葉を使っても協力するということは殺人幇助罪です。そのことがちっとも考えられていない」と語っていた。佐高さんは、日米首脳会談報道を見ていたが途中でテレビを消したそうだ。私はチャンネルを変えた。

「今、日本は中村哲か高市早苗かという岐路に立たされているのです」という佐高さんの指摘は正しい。何より、トランプが真珠湾攻撃を例に出した時に、高市は何も返答できず押し黙った。佐高さんは、トランプの奇襲正当化の真珠湾攻撃の時に「実際、日本は原爆を落とされました!くらいは言い返すべきだった!とも。媚びへつらい外交しかできなかった高市早苗こそ、あまり使いたくない言葉だが国賊としか言いようがない。

「AIに書けない文章を書く」(ちくまプリマー新書/前田安正)を図書館で借り読み終えたとき、朝日新聞「声」に、16歳の女子高校生の「AI頼りすぎ上手に付き合う」投稿を目にした。文章の下書き、自由研究のヒント、アイデア出しに活用して「ChatGPT依存症」と彼女はまわりから呼ばれているそうだ。

「このままでは自分で考える力を失ってしまうんじゃないか?」と自省している。私は、AIなんか使用したことないから便利さは想像できるけど、新書を読んでから、何となく分かる気がする。前田さんも「まとめ作業、定形の文章を書く作業はAIがもっとも得意分野」と書いている。元新聞記者の前田さんは「究極の文章はとてもシンプル」と、3つをあげる。

①自分にしか書けないことを誰にでもわかる文章で書くこと

②一文は短く、自信を持って書くこと

③無駄なことばは全て削除すること

①は作家・井上ひさしさん(これができたらプロ中のプロ。ほとんどノーベル賞に近いです)と、続けている。②③も作家ヘミングウェイの言葉。新聞記者や週刊誌記者は必ずこの三つに悩み苦しむ。

 AIは、人が打ち込んだデーターを読み取る能力には優れる。SNSではいかに検索されやすいかが最優先。するとどうなるか。

「AIの検索エンジンが読み取って検索順位が決まります。そのため、AIにどういうキーワードを組み合わせて入れれば、それに見合った文章を得られるかがAIで文章を書く際のポイントになっています。AIが書いたものをAIが判断する。どうにも、AIのマッチポンプ的な様相が気になります」と前田さん。

 レポート、報告書には便利だが「AIは文章を書いているはずが文書になっている」とも。「声」に投稿した女子高校生もだからこそ「自分で考える力を失うのでは…」と心配してしまうのだ。

 自分にしかないエピソードを書け!これは作文にとって一番大事なこと。AIの文章はよく書けているが「人」が描かれていない。そこをAIが進化して解決したなら、もう人というか個性もなくなってしまい人間が存在しない。私は、紙と鉛筆があれば文章を書けるが、スマホ世代はスマホやパソコンがないと文章を書けないのではないか?

 しかし、便利な世の中になったものだ。資料探しに図書館や大宅文庫(マスコミ愛用の資料館)に足を運んだ日々は遠い昔のこと。今はデスクの前に座って検索し記事も書ける。老兵は去るのみ!