橋幸夫さんが引退宣言を撤回して、再び歌手業に戻るそうだ。昨年の5月の宣言を、私は好意的に受け止めた。御三家(橋幸夫、船木一夫、西郷輝彦)の中では一番歌が上手かった。2021年「この道を真っすぐに」の新譜を聴いた時、すでに往年の張りのある艶かな声はもうなかった。だから、昨年の引退宣言には納得していたのに…。

「ファンの後押しで背中を押されて浅はかな血断(引退宣言が)だった。声が出なくなるまで歌い続けたい」と語る。そりゃあ、長年のファンは、憧れの歌手を見て歌声を聴けることに満足する。分かる人なら、昔より音量も声の張りも衰えたことを分かる。でも、大方が憧れの人が目の前にいるだけで質は問わない。それが真のファン道なのでしょう。

 私が小学生の頃、「いつでも夢を」「雨の中の二人」には魅せられた。その頃の歌唱力を知るがゆえに、年齢と共に落ちていく声の張りに寂しい思いを抱いてきた。それは、音楽をプレイする世界に私を導いてくれた加山雄三さんも同じ。80歳を過ぎてからは年々無残な状態だった。劣えるとはこういう事だと知らされた。だから、今回の橋幸夫さんの選択には否定的だ。

 ピアニストから朝日新聞記者になり、現在は編集委員の吉田純子さんが音楽家の記事の事を書いていた。音楽家、ダンサーは音や身体という特殊な言語で魂を表現して生きている。年齢と共に変化する己の肉体に、静かに対峙する。内面の深まりも、筋肉の衰えも待ってはくれない。観客には、いつまでも華の夢を託し続けられる。そういう仕事だ。吉田記者は、19歳の最年少でパリ・オペラ座のエトワールになったダンサー、シルヴィギエムの記事をこう書いた。

「自身が自分に対する一番厳しい批評家であること。常に自分で人生を選択し変わっていく自分に責任を持つこと」と語りギエムさんは50歳で引退した。

 橋さんと御三家仲間だった船木一夫さんの「コンサート2023ファイナル」をアップルで聴いた。もう聴けたものじゃない。あの美声はなく、空気が漏れて音程も危なっかしい。私も、師匠・加山雄三さんの晩年の新譜は聴きたくない。芸術家は、老害を晒してはいけない。いくら、固定ファンがいても、自分自身が昔とは違い、もう小手先のごまかしも通じなくなったら潔く身を引くべき!橋さんは選択を誤った!と私は思いますよ!

 

 健康食品漬けになった私たちの生活。BS放送なんて、再放送番組と健康食品広告でしかない。

 さて、「紅麹」問題です。小さい頃から丸み屋食品の「すき焼きふりかけ」が大好きで、今でも私の食卓の片隅に必ず置いてある。小学生の頃には、このふりかけの中に8マンのシールが入っていた。このシール欲しさで買ってもらった。以後、60年以上愛用しているが身体に何の異変もなかった。

「紅麹」が騒がれだしてふりかけにこの「紅麹」が食材として使われているのを知った。詳細が少しずつ解明してきて、紅麹を作るときに異常菌が混入したみたいだ。  

「何なのよ、どこから来たのプベルル酸」(朝日川柳)

「すき焼きふりかけ」もこの異常菌がなければ…と今も食べている。

「ラジオ深夜便」の五木寛之さんコーナーで知ったが、現代人の食養生は、「何をどう食べるか」につきる。だから、人はこの食品が健康に良い!と言われるとすぐに飛びつく。健康食品の類とは無縁の96歳になる母親が毎日食べるのがりんご。

「一日一個のりんごで医者いらず!」と昔から知られた言い伝えは、あながち間違ってない気がする。ただ、五木さんは「太りやすいかどうかとなる観点に限定すれば、果物に含まれる果糖の方が砂糖やお米よりも高く危険だ」とも。  卵も以前は「コレステロールが多いから一日に一個まで…」と言われたのも今は問題なし!肉にしても、高齢者こそどんどん食べなさい!の時代です。

 96歳の母親のメニューは、りんご以外に、肉と魚を交互に作っています。月に一度の検診に連れていくとかかりつけ医からも何の問題もないです!と太鼓判を受ける。帰郷した時に飲んでいた血圧のクスリも一年前が から不用になった。問題はやはり、農薬や遺伝子組み換えの品種の食品でないものをどう選ぶかでしょう。そうなると、安全な卵や国産大豆、無農薬野菜なら安全なのか。そこが、そう簡単にはいかない。

 五木さんは、問題なのは「食べ方」になってくると。よく噛んで腹八分目を心がけながら、いろんなものを少しずつ食べることだと。確かに受け身の健康対処ですが、五木寛之さんは「腹八分目」(後期高齢者なら七分目でも可)と一緒に「よく噛む」ことだと。そう言えば95歳で亡くなった父親は30回は咀嚼していました。私はその三分の一で飲み込む早食い。五木さんは90歳になられても白髪の食養生でいらっしゃる。

 当然ですが、大好きなふりかけは以前ほど毎日ではなく2~3日に一回にして食べています。高齢者になったら好きな食べ物を止めるのではなく腹八分の生き方で良い!と思うのです。

 

 歌手・三山ひろしの「落語歌謡厩火事」を苦笑いしなが楽しく聴いている。

姉さん女房のお崎さんは腕のよい髪結。年下の旦那はろくに働きもせずに昼間から酒ばかり飲む絵に描いたような髪結の亭主。お崎さんが惚れて一緒になったが喧嘩が絶えない。別れてしまえばいいものを、この遊び男の亭主はすぐに自分の方から謝ります。でも、また些細な事で喧嘩になる。夫婦喧嘩は犬も食わない仲みたいだがある日、堪忍袋の切れたお崎さんは仲人の所に愛想がついたから別れたい!と相談にくる。仲人が「あんな遊び男はダメ!だと結婚には反対したけどお前がどうしても…というから嫌々仲人を引き受けたんだ。別れろ!」と答えると「何もそんな言い方しなくても!あの人だって優しいとこあるんですよ!」と今度は亭主をかばう。じゃあ、「亭主の了見を試してみろ!」と提案する。それには、亭主の一番大事にしているモノを壊してみろ。そして、二つのたとえ話をする。中国の孔子が大切にしていた白馬が火事で死んでしまった。弟子たちは叱られると戦々恐々。孔子は「家の者たちにケガはなかったか?」と使用人たちの無事を心配し馬のことはひと言も触れない。それを境に「ご主人様のためには命もいらない!」と全員が感服した。かたや、麹町のある殿様は大の陶器好き。ある日、奥方に一番大事な皿を来客用に持参するよう伝えた。二階から皿の入った箱を持って階段を降りる時に奥方は滑って落ちてしまう。その時「皿は無事か、皿皿皿」と陶器のことしか口にしなかった。後日、奥方の家から使者が来て「妻よりも皿を大事にするような人に娘をおまかせできません」と離縁の申し出。この殿様は、その後一人で寂しい晩年を過ごした。仲人は大事している茶碗をわざと落として、その時に亭主がどんな態度を示すかで本心が分かると…。

サゲは「おい、ケガしてねえか?」と、麹町じゃなく孔子様だった。お崎さんは感涙しながら「そんなに私のことが大事かい?」「あたりめえよ、お前にケガでもされてみろ、明日から遊んで酒が飲めねぇや!」

 三山ひろしくんは、立川流の噺家の弟子になり、落語を勉強中とか。三波春夫の講談風の浪曲歌謡ではなく、落語歌謡の道を進んでいる。落語を聞かない人は多い。吉本の漫才なんかより何十倍も楽しく勉強になると思うのだが…。

 もともと他人の夫婦円満には、とにかく先に謝ることだ!と言うのは噺家・立川談慶さん。元都庁出身の作家、童門冬ニさんは「過度の忖度は控えること。忖度は、相手の気持ちを察するということで善意です。あまりしっこいと、相手の迷惑になる。愛情も善意も八分目でおさえておいた方が無事であり長続きする」そうです。夫婦円満も適度な距離感で付き合うことですね。自分はどう思われているかを確かめる方法も落語みたいに着地すればいいのですが現実は大喧嘩になるかも!私がギターを壊されたら…、やはり許さないかも?!

 

 3月は「案山子」の季節だ。別れと旅立ちの3月~4月のこの頃には、多くの若者たちが故郷から都会へと出る。親子の旅立ちの名曲「案山子」は、さだまさしさんの作品。そのさださんが敬愛する日本のシンガーソングライターの元祖である加山雄三さん夫婦の体験には、全ての親が共感する。

 加山夫妻の長男が米国に旅立った。成田まで見送り帰りの車中は沈黙が続いた。気まずさからか、加山さんがラジオをつけた。そこに「案山子」が流れていた。ある歌詞の所で夫婦はグッときた。

「手紙が無理なら電話でもいい 金頼むの一言でもいい お前の笑顔を待ちわびるおふくろに聴かせてやってくれ」

 助手席の奥さんは号泣していた!

「案山子」は、「元気でいるか?街には慣れたか?友達できたか?寂しかないか?お金はあるか?今度いつ帰る?」からはじまる。加山さんのエピソードを知ってからしばらくして弾き語りライブで「案山子」をリクエストされた。歌本を見ながら歌い出した。それが途中から我が子のことを思い浮かべたら絶句してしまったことがある。歌詞が我が身に入り込み一体化したのだろう。以後、私はこの「案山子」は人前では歌わない迷曲になってしまった。

 朝日新聞「声」欄に長崎県の相川さんという同年の男性が先日亡くなった仲宗根美樹さんの「川は流れる」について書いていた。歌詞に「病葉」が出てくる。「病葉」とは、病気や害虫により変色した葉っぱのこと。昭和36年に発売されレコード大賞新人奨励賞の曲。笹舟や葉っぱを川に流して私たちは遊んだ。相川さんは「長い時を経て、悲しみや切なさなどの哀愁の情が込められ、忘れ去るために葉を川に浮かべている曲」だと捉えている。

 ドラマとしては二番煎じの「さよならマエストロ」で、指揮者が言う「音楽は人の心を救う!」には同感!「案山子」も「川は流れる」も、ある時季が来ると何故か沁みるのです。旅立ちの季節には、数多くの歌が人の心を揺さぶる気がします。

 

「四季を感じる毎朝音読」(寺田理恵子/さくら舎)を図書館で借り、タイトル通り声を出して読んでみた。本の副題に「心と脳が若くなる」とあったが、確かにいろんな効果があった。寝起きに声を出すとマイナスではなくプラス面に!

 寺田さんは音読は口腔トレーニングとも言っている。少し大きな声で本を読むと口周りの筋肉だけでなく、舌、肺をも刺激する。腹式呼吸のイメージで読みましょう!とも書いてあったから素直に従う。黙読ばかりの読書しかしてこなかった身としてひとつ実感したのは、声を出すことで文章の組み立てというか文章をより理解できた。頭にスーッと入ってくるから不思議だ。

 そして、音読後の朝の旗振りに出かけて子どもたちに「おはよう!」「行ってらっしゃい!」の声が明瞭な声で出ているのを体感した。声を出して読むだけが確かに心と脳によい刺激を与えているのかもしれない。

 寺田さんの音読に選んだ作品は、夏目漱石から三遊亭圓朝、林芙美子、宮沢賢治など53作品。近代の作家ばかりだ。それが逆にいい。名作の一部でもスーッと情景が浮かぶ。一週間に一話だから月に四話だ。ちなみに、3月は「半七捕物帳」(岡本綺堂)「婦人と思想」(与謝野晶子)「古典風」(太宰治)「幸福」(島崎藤村)「音の世界に生きる」(宮城道雄)と、ほとんど初めて読む作品ばかり。音読した作品を消化し記憶して他人に伝えることで話題が広がり会話も弾む。雑談力もアップする!と寺田さん。この本には、関東大震災に遭遇した若山牧水、広島原爆の体験者の原民喜の生々しい文章には擬似体験を覚えた。あの能登大地震もそうであったのでは?と想像した。

 声に出す読書にいろんな効果があることを音読して初めて知りました!高齢者はぜひ!