そして、部屋の総面積が限られてくると、

ダイニングルームと台所は共有され、台所で作られたものは、

すぐ横のテーブルへと運ぶことが簡単になり、これも効率的になったといえる。

さらに、ダイニングキッチンの食卓テーブルには

一人一人の皿を置くスペースが制限されたことや、

効率化時代の流れを受けて、一人一人の器へ盛り分けて出す形が薄れ、

大皿より各自取り分けるスタイルが普及していった。

そのことは自己管理がしっかりできていないと、

食べ過ぎたり、好きなものは食べるけれど嫌いなものは食べないといった、

栄養摂取に偏りが出ることにつながっていく。

ダイニングキッチンは家族がくつろぐリビングルームの役割も果たし、

そこにはテレビが入ってくる。

テレビを見ながらの食生活が一般化していくことになった。

そうなると当然、テレビと向き合い会話はなくなっていく。

こうした背景を改めて考えると、

食そのものではなくて住環境が食事のスタイルを

すこしづつ偏ったものに影響していった一面もあると感じざる得ない。


外食は楽しいものだと流行りだした背景にも、

当時のウサギ小屋のような集合住宅から開放されて、

広く明るい空間で好きなものを食べたいという

欲求の高まりとちょうど上手く時代が合わさったのかもしれない。


 最近、若者向けの家具の売り場に、簡単なちゃぶ台を見かける。

1DKあるいは1Kといった狭い住宅に一人暮らしをするには、

折りたたみ式のちゃぶ台は効率的で、おそらく居住空間の中心を占めているだろう。

ただ、そこで見られる光景が、食卓としての役割は愚か、

誰かと食事をしたとしてもちゃぶ台を挟んでケイタイとにらめっこでは、

あまりに嘆かわしい。楽しい食事のために用意された食卓として、

元々のちゃぶ台のある風景を思い描いてもらいたい。






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昭和30年、40年のこのころと大きく変わった「住」の一つに、


“ちゃぶ台”を囲んで食事を取っていたのから


“テーブル”へと変化したことが挙げられる。


ちゃぶ台を漢字で書くと、


中国から伝わったと言われる卓袱(しっぽく)料理の“卓袱”という字を書く。


元の意味は中国でテーブルクロスのことを指すという。


昭和初期の大不況の時代、各家庭にちゃぶ台が入ってきて普及していった。


そもそもそれまでの日本の食文化は“膳”で個々に食べていた。


それが食卓を囲んで食べるという日常的な食生活の形態になったのは、


このちゃぶ台の登場からで、海外の風習を取り入れたことになる。


それが、高度経済成長とともに公営住宅が大量に供給されて、


2DK、3DKといったDの字で表されるダイニングキッチンの登場と重なり、


昭和40年前後、ちゃぶ台からテーブルへ、


床に座る形態から椅子に腰掛ける形態に急速に変わっていった。


合わせて都市部では人口が急激に集中したため住宅難となり、


長距離通勤へとつながったことから、


食事どきになるとちゃぶ台を用意して、家族揃って一緒に食べていたのが、


特に朝食を一緒に食べるということが難しくなっていった。


勝手気ままに、それぞれの適した時間に食事をとるには


ちゃぶ台よりもテーブルの方が効率的かもしれない。


また、大量に供給された公営住宅の形態を考えると、


どう見ても板の間に座るよりはテーブルに腰掛けた方が様になる。
         


続く・・・


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故桜沢如一氏が説いた「身土不二」の原則には、


同種の植物、動物でも成育する土地が異なると、


それぞれの環境に適合し色や性質まで異なると述べている。


北海道でつくられた野菜も同じで、


他の土地で育ったものとは成分が違って当然であろう。


それは北海道の水、空気、土地のエネルギーを吸収して育っているからである。


そう考えると私たちが取り入れるべき食材が見えてくる。


それは、その土地のエネルギーに同化して生育する私たちと、


同じエネルギーを持ち、暮らしている土地で育ったものを取り入れる方が、


元気になるに違いない。



 また、その土地の「旬」のものを取り入れることが大事である。


今はスーパーに行くと世界中のいろいろな季節のものが並び、


食材の「旬」が分からなくなっているが、


明らかに「旬」の時期に採れる食材は栄養価が高い。


冬場が「旬」のほうれん草は、夏場に比べ、


カロチンが1.5倍、ビタミンCが3倍も豊富であることが判っている。


そして、「旬」の食材にはからだの自然治癒力を引き出す効果もある。


トマト、なす、アスパラなどの夏野菜は、夏に育つから暑さに強く、


身体を冷やす働きがあり、小松菜などの冬野菜は身体を温める。


このような自然の法則を、従来人間は経験的知恵として心得、


本当に身体に良い食べ方をしていたと思う。


親鳥がヒナにえさを運ぶよう、キタキツネが雪の下に小動物を見つけるように、


熊が川に上った魚を捕まえるように、


本能的に自分たちが今食べるべきものをきちんと知っていたはずである。


食材が溢れ、「○○で△△が治った」などと


特定の食材の過剰効能を取り上げた情報が氾濫する時代、


分析的知識に頼るのではなく、


視覚や嗅覚、触覚や味覚などの感性で食べてみてはいかがだろうか。


その感覚を研ぎ澄ますと、必ず自然との調和が求められ、


そのありがたみを実感できるように思える。





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国道40号線沿いの和寒町の入り口に、


「身土不二」と書かれた看板を見かける


「身土不二」という言葉は「医食同源」「薬食一如」とともに、


最近よく聞かれるようになった。


そこで改めて、辞書にはどう書かれているのだろうかと


広辞苑を探してみたが載っていない。


これだけ「食」への関心が高まる中で、


「食」の信条とも言えるこれらの言葉が


辞書に扱われていないことに不思議さを覚える。


このことを、「身土不二」の原則を海外へ広めた


桜沢如一氏や石塚左玄氏といった食養界の先人たちは、


さぞ嘆いていることだろう。


「身土不二」とは、「身体(身)と環境(土)とは不可分(不二)である」という意味で、


簡単に言うと「人と土つまり環境は一体である」


「人の命と健康は食べ物で支えられ、その食べ物は土などの環境によって育まれているので、人の命と健康もその環境とともにある」という捉え方である。


明治時代より、「身土不二」の健康論が唱えられていながら、


なぜ今になって注目されているのか。


高度経済成長を背景に「食」のグローバル化が進み、


ほとんどの食物を外国に依存している現状。


農業の効率至上主義によって、


本来の健康や本当の幸福が分からなくなってしまった現代。


そして根本の食生活改善が治療に欠かせないアレルギーやアトピーが急増しているなど、


「食」そのものの在り方に危機感を抱いてきたことの表れだといえる。


そう考えると、昨今関心が寄せられ、本誌でも幾度か書かせていただいた、


地元で採れた食材は地元で消費しようという「地産地消」の考え方や、


質の高い食材を提供してくれる生産者を理解し、


ゆったりと食事を楽しむことを進める「スローフード」の意義と基本的に変わらず、


これらの言葉の根源ともいえる。


続く・・・


今週のお肉料理は、「鶏ささみのフライ~チーズしそ梅風味」です。



アンテナキッチンコトコトプラス


淡白な味のささみに濃厚なチーズと梅、大葉を巻きこんでカリッ揚げました。


お魚料理は、旬の「たらのクリーム煮」です。



アンテナキッチンコトコトプラス


お手製のバターソースでコクのあるとろみをつけました。


どちらも低脂肪で高タンパク!素材に旨味をプラスしました。


副菜は東川産の甘い大根をつかった「ふろふき大根~ゆずみそ仕立て」と、


同じく東川産のキャベツと人参、


愛別産えのきを用いて「昆布茶・ごま和え」


それに、「ベーコントマトスープ」です。


今回も地元産の食材をたくさん活用させていただいております。




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