南域結界☆ ジェルソミーナ -19ページ目

8 血縁の記憶

 宰相だとは、一瞬、とても思えなかった。

 いでたちも、雰囲気も、いつもとは大きく、どこかが違う。
 ……いでたちの違いは、すぐに分かった。
 一般庶民のようにガウンを、はだけたシャツの上に、袖も通さず羽織るという、無作法な格好だ。
 ジェルソミーナは食い入るように、その姿を見つめた。

 彼はうつむいて、工具の先で、金板を曲げる。
 暗闇に沈んでいく庭園。波うつ木立。
 青白い光。
 神経質そうなこめかみ、細い首筋。落ち着いた肩、器用な指さき。
 金属片。そして落ち葉……

 表現しきれない、どこか透明な気配が、この庭園を支配していた。
 なにか、その一人でいる姿に、身動きが取れなくなったのである。
 ――孤独の姿だった。
 それを見るうちに、我知らず、彼女は前へ、足を踏み出していた。
 宰相の膝元に、濃い闇が、染み広がっていく。
 その度、頭上からのマイエル光は、彼の輪郭を、闇に浮かび上がらせていく。

 キーツはその気配に気付き、庭園の入り口へ顔を向けた。
(……結界師……)
 不思議となぜか、それだけしか脳裡をよぎらなかった。

 憎しみも、殺意さえも、この時だけはなぜか、思い出さずにいた。
 それは見慣れない、ドレス姿のせいだったのか。
 マイエルの幻想的な、光のせいだったのか。
 普通な状況ではなかった。
 彼には彼女が、初めて出くわす、見も知らぬ人物に見えたのである。
 そう、それはまるで夢の中で、姿形こそはよく似ている、「全くの別人」に出くわした時のように。
 笑みも浮かべず、まっすぐに歩を進める、侵入者の姿は……
 夢ならば、あまりに自然な出来事であった。

 『それ』は、ためらうことなく、彼の傍へ、腰を掛ける。
 そして、彼の手元を見つめている。
 キーツは自分の戸惑いを悟られまいと、目をそらし、中断していた作業に集中しはじめた。

 再び、光が動き始めた。
 ジェルソミーナはじっと、その手元を見つめている。
(……すごい……)
 宰相が、ベンチで何をやっていたのか、間もなく知ることができた。
(……きれい)

 彼女は、大陸、東北の小国で、こんな技術を見たことがある。
 東北の国々では、想像もつかない精巧な機能を持つ、精密で壮麗な、小型の時計が作られている。

(――懐中時計……!)


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7 血縁の記憶

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 気がつくと、夕焼けに染まる、城門の前にまで来ていた。
 マーカス・キーツは、そこで立ち止まった。

 兵士が彼の姿に気がついて、見張り小屋の角で、背すじを伸ばすのが、視界に入った。
 オレンジ色の夕焼けが、道ゆく馬車の窓ガラスに、反射している。
 大気が、足元から冷たかった。

 彼は、今朝がた見た夢を、思い出す。
 眠りから覚めて、またぼんやりとしていて、布地の底に落ち込んでいく……瞬間……
 ふと見えた、幻想とも思い出ともつかぬ、夢だ。
 彼はポケットの中に、右手を差し入れた。
 冷たい痛みが、右手に触れた。


 ――同じ頃。
 同じ敷地内を、歩く、ジェルソミーナの姿があった。
 髪を高く結い上げ、淡いブルーのすっきりとした、最新・最流行のドレスに身を包み、左手に……あのリボンを巻いて歩く、姿だ。
 この日、彼女は、パストラル皇女の命令で、無理やり舞踏会に、参加させられていたのである。

 風はまだ冷たく、吐き出す息が、夕陽に溶けた。彼女は、ずり落ちたショールを、かけ直した。
 いやに冷えこむ。
 オレンジ色の夕陽だけは、冬のものとは思えない、ゆるやかな暖かさだ。
 渡り廊下から、大臣たちの、豪快な笑い声が聞こえてくる。

 舞踏会の華やかな輝きが、窓ガラスをやぶって、あふれ出しそうだった。
 渡り廊下の、無数の宝石。きらびやかな貴婦人たちの姿、笑い声。

 ジェルソミーナは歩き出した。ランタンの火が、いよいよ額を照らし始める。
 小砂利を踏みしめる度、つま先が痛い。
 舞踏会はまだ、始まったばかりであった。
 開宴の時刻に遅れた客が、数名、彼女の背を追い抜いて行った。

 薔薇の茎で編まれた、アーチの通路を抜ける。庭園には、冬に咲く花が、集められている。
 雪のように降り積もるのは、厚ぼったい花びらをもつ、小ぶりで清楚な白い花だ。


 ――マーカス・キーツは、すでにそこで、いつもの作業に取り掛かっていた。
 夕陽はもはや、西の森に沈みかけ、残っているのは黒みを増した空と、わずかに残る、扇状の光ばかりである。
 彼の手元を、木立の中から、マイエル灯の淡い光が、照らしていた。
 誰も近づかない庭園の、最も奥まった一角であった。

 横長のベンチに足を組み、膝の上で、なにやら作業をしている人影がある。
 ジェルソミーナは、思わず、立ち止まってしまった。
(……キーツ様……?)


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6 血縁の記憶

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「その、訪問しない中央政府高官、っていうのは、「うち」の宰相閣下のことだあなー」
 さりげなく老軍人が、故郷の訛り言葉で言った。

「あんまり、敬意を表する、って感じの方じゃないからねえ」
 うっかり帝都の誰かに聞かれでもしたら、即座に、『背教者』として袋叩きにされ、切り刻まれたあげく、裏山で野犬のエサにでもされていただろうが、
「おほほほほ。ガトー将軍、三橋堂の芋ようかん、ですのよー」
 幸運にも? シトラビンスは、全く、人の話を聞いていなかった。

 パストラル『広報部』の、古めかしいシャンデリア、赤い絨毯。
 広いフロアの一角。
 間借りをする感じで、植え込みの向うに、『諜報部』のオフィスと、諜報部長・ガトーの机はあった。
 ……が、あまりの「仕事の無さ」に、諜報部員の二人は、朝から……ほのぼの、お茶時間に突入しているようだ。
「おー。お茶の渋みが、変わったね。新茶かい」
「おほほほほ」
 "広報部長"の朝の日課、新聞朗読は、あと十分で終わる。
 それが終わったら、"諜報部長"、ガトー将軍は、昼寝の時間だ。

「暇だよ、准佐。なにかこう変わった、おもしろい機密はないかい」
「そうですわねー」
 眠り猫のようなほほえみを絶やさず、シトラビンス准佐は、ようかんを切り分ける。
 優美な手つきで、つまようじを添え、
「でも……今は、これといって、おもしろい丸秘情報もございませんのよ。そうですわねー……特殊部隊でおたふく風邪が大流行なことぐらいかしらー?」
「うむ……そうか。……それは困った、いや。それにしても美味いな……かたいが……」
「あら、いやですわ将軍。敷紙は食べちゃ駄目ですのよ。お外しにならないと……おほほほほ」

 一方で、間借りをしている、広報オフィスは、早朝から、大忙しだ。
 役所の鋼鉄の門が開くと同時に、市民が続々と押し寄せ、今も、カウンターの呼び鈴が鳴りやまない。
 連休明けの、午前中は、猫の手も借りたい異常事態なのだろう。

 ガトーが大きな欠伸をすると、机の下で、ガトーの飼っている老犬も、一つ大きな欠伸をした。
 だるい後頭部を、背もたれに埋めながら、
「まあ……特使団が来ても……閣下のお姿を一目見たら、奴らの気も変わるだろう」
「なんの話ですの」
 横から手酌で、シトラビンスが、お茶を注ぎ足した。
「いや……ようかんが、うまくて、ねぇ」
「あら将軍、私の分をご存知ありません?」
「シトラ、もう一杯、お茶を頼む」
「まあ……っ。おほほほほ」

 シトラビンスが色の白い、うりざね顔を上げると、視線の先――
 窓の奥、林を越えた辺りに、皇帝の住む居城と、いかにも寒そうな、薄い白雲が浮かんでいた。
 城へと続く、螺旋階段を登るのは、赤い花束を胸に抱えた……王女付き・フィーネの姿であろう。
 そして、遥か手前、城壁の上をクッキーをかじりかじり、特殊部隊のジュンクリフ中尉が、散歩をしている。

「ガトー将軍」
 丁寧に、茶葉を、茶漉しに移し入れた。
 ガトーは、音をたてて湯呑みをすする。
「うむ」
「そろそろ。雪が止んでも、いい季節ですわねー」
「……競艇の季節だなあ」
「今年こそ、勝ちましょうね」
「むむ……」
 シトラビンスは、長い睫毛の目を上げた。


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