ブログを書くと、その都度タイトルと、テーマを付けることを求められる。

私、「タイトル」と「テーマ」の違いがよくわかっていない。

 

テーマ欄を操作しないと「ブログ」と表示されるが、ブログの名のもと、(すでに満7年毎夜)自由記述しているので、ブログの在り方などを書いている場合でない限り、ブログの文字を消して勝手な「テーマ」を書き込んでいたが、書き込んだテーマの数が100に達したらしく、どのテーマも相応しいと思えず、新しいテーマを書き込もうとしても新規作成が出来なくなった。

 

そこで既存の項目を削除しょうと思うのだがそれができない。

 

そこで庄下川のことを書く時には、「尼崎案内」といったすでに存在する(作成していた)テーマで間に合わせるとことになる。

 

今日のブログタイトルは「ブラウン神父」 テーマは文句なく「追憶」。このテーマは作成済だから問題はない。

 

私は、高校3年間、毎週金曜日の朝、学校の最寄り駅である阪急電車六甲駅から徒歩5分くらいのところにある教会でミサの侍者をやっていた。聖体拝領のために朝食抜きで侍者を勤めて、終わったら司祭館の部屋で、駅前で買ってきたパンを一人で齧る。金曜日であることは意味があった。初金(月の第1金曜日)を含むからである。いまどき、カトリック信者でも「初金」といっても通じないであろうが。

 

平日のミサは説教がないので30分で終わった。それから朝食代わりの菓子パンを食べても、そこから急いでも10分かかる学校へ始業予備ベルの鳴る8時前にゆうゆう間に合ったからミサの開始時間は6時半だったか。はっきりは思い出せない。その日は昼食用のパンも買っていたかも。

 

ともかくその時の主任司祭の名はブラウン神父。ドイツ人。

一人でパンだけの朝食を摂っているとブラウン神父は、暖かい飲み物を厨房(母子が住み込んでいた)から取り寄せてくれた。

 

友人の一人(最近神戸で油絵を展示するという案内を受けた)は図書室から、毎度、「ブラウン神父の何々」といった本を借りだしていた。そのブラウン神父が何ものなのか、著者がだれか今でも知らない。

 

 

登校・下校途中の車内での読み物はもっぱら新潮文庫の翻訳小説だった。中学時代は漱石、四迷、鴎外、太宰、実篤が愛読書だった。(角川文庫の書体は好きではなかった)

 

谷崎潤一郎や志賀直哉は肌に合わなかった。肌に合わなかったが直哉のものは、受験問題によく登場したので高校時代になって暗夜行路は丁寧に読んだ。「城崎にて」の蜂の描写を真似て、飼っていた鶏が卵を生み出す情景を綴って雑誌に投稿したら全文掲載された。賞品に何か貰ったが何であったか忘却。

 

直哉の漱石批判の文章に触れてなるほどとおもたこともある。

 

囲碁将棋チャンネルだけ契約したつもりのケーブルテレビのチャンネルを押していて、ブラウン神父という番組があるのを知ったのは昨年。

 

コッツウォルズの何処か架空の町で、探偵ゴッコをやるカトリックの神父が主人公なので、イギリスの景観が楽しめるので愛視聴を始めた。

作者は、カトリックと英国国教会の聖職者の生活の差も良く知っている。

 

イギリス人好みなのか、二重三重のトリックが組み込まれ、殺人が複数に及ぶので筋立てには無理があるように思うが、賄いの老婦人や伯爵夫人やその姪などの脇役の登場が楽しい。

 

かつて友人が読んでいたブラウン神父物は、これだったのかと思った次第。そ」ういえばイギリス人「ブラウン神父」の活躍したのは1950年代。

と同時にイエズス会師であったブラウン神父のことを思い出した。

 

 

そのチャンネルを見ているうちに、フォイル警視正(刑事フォイル 原題はFoil’s War)も繰り返し見るようになった。

 

ブラウン管の残夢テーブル少し濡れ 田中信克
 
ブラウンが御慶にありく雑居かな 会津八一
 
 
 
ポインセチア神父に午後の憩あり 藤岡晴丘
 
裾ひいて神父のまびく貝割菜 伊藤仙女
 
だれよりも神父が食ひぬ南瓜汁 綾部仁喜
 
理髪椅子神父をのせて敬老日 朝倉和江
 
黒衣より掌を出し神父枇杷をもぐ 津田清子
 
懺悔うけて神父いでゆく日除帽 津田清子
 
春一番島に神父のおくれ着く 中尾杏子
 
霜害を神父も嘆きくるるなり 武藤 万瓢
 
鶏合せ覗き去りたる神父かな 吉川 耕花
 
帆柱を伐れば神父が一人立つ 高柳重信
 
海峡やまなこ大きく老神父 下山光子
 
バスクより来たる神父や今日の秋 水野真由美
 
東風に髪なぶらせて神父との対話 原裕 『葦牙』
 
凶年や霧に傘さし神父来る 飴山實 『おりいぶ』
 
手首より覗く冬襯衣わが神父 草間時彦
 
夏痩せの神父午後よりシャツ姿 大島民郎
 
神父カーネーシヨンを持ち散歩 星野立子
 
海棠や道化ごころは神父にも 鷹羽狩行
 
葬の渦とはぐれた神父死鼠の発光 赤尾兜子
 
かまくらの子らに神父の招かるる 沼澤石次
 
極月や神父と出遭ふエレベーター 実渕真津子
 
秋燕や神父薪割る痩拓地 宮坂静生
 
海棠や道化ごころは神父にも 鷹羽狩行
 
年忘れ神父祖国の歌うたひ 佐々木美津子
 
草の絮神父の裾をよろこべる 渡邊千枝子
 
露の栗神父の巨き掌より受く 鷹野 清子
 
理髪椅子神父をのせて敬老日 朝倉和江
 
昼顔や神父をおろす島渡舟 坪井かね子
 
未草神父午睡の刻過ぎて 下村ひろし
 
神父干す木沓に蜥蜴出てあそぶ 山野邊としを
 
泣きし子に神父の見せし蝸牛 藤野 力
 
リラの風握手撒きつつ新神父 矢野 聖峰
 
浦上や花の莚に神父さま 築城 京
 
新海苔を灸つてゐたる神父かな 橋本榮治 越在
 
手首より覗く冬襯衣わが神父 草間時彦
 
甘藷車押すは大江の神父かも 古場青芒
 
神父カーネーシヨンを持ち散歩 星野立子
 
神父の汗どつと惜しげもなし場末 平畑静塔
 
わが仔猫神父の黒き裾にのる 平畑静塔
 
継目なき神父のカラー復活祭 加藤かけい
 
球根植う毛に蔽はれし神父の手 町垣鳴海
 
春一番島に神父のおくれ着く 中尾杏子
 
神父ヨゼフ追羽子よけてすぎたまふ 高橋潤
 
天金こぼす神父の聖書秋夜汽車 齋藤愼爾
 
愛を説く神父に大き火蛾の翳 上田日差子
 
神父老い信者われ老いクリスマス 景山筍吉
 
神父見えて隠れし館文化祭 藤田湘子
 
逍遥の神父を濡らす露葎 向井秀
 
島の子に神説く神父汗涼し 小原菁々子
 
聖書説き世俗に媚びず炉の神父 小原菁々子
 
聖夜ミサ祈る神父の息白し 小原菁々子
 
絵硝子にまどろむ蛾あり神父留守 大島民郎
 
夏痩の神父午後よりシヤツ姿 大島民郎
 
波乗に巡回神父けふ来る日 大島民郎
 
森たどる黒衣の神父ほととぎす 大島民郎
 
見てゐたる神父加はる毛虫焼 朝倉和江
 
竹馬へもどる子高し神父より 朝倉和江
 
降誕祭眼鏡光らせ老神父 伊藤敬子
 
うすらひへ言葉を与ふ老神父 村越化石
 
薔薇のアーチの窄き門神父館 上田五千石 田園
 
三等車神父めざめる谷の雪 沢木欣一 塩田
 
この国の夏鬱々と神父来る 鈴木六林男 王国
 
夾竹桃から 湧く風 信じ 神父昼寝 伊丹三樹彦 樹冠
 
復活祭神父の腰に鍵あまた 有馬朗人 天為
 
昼寝の後の不可思議の刻神父訪ふ 中村草田男
 
神父の竿に虹鱒躍り吾妻笑みぬ 中村草田男
 
ましろなる神父の髯やクリスマス 富安風生

 

 

以前このブログで、ブータンルリマツリとして紹介した草花

 

 

 

 

今日見たら、

 

ルリマツリモドキという新しい名札が立てられていた。

事務室へ行ってブータンルリマツリではなかったのかと尋ねた。

ブータンルリマツリはこれより高性らしい。

 

Yahooの「知恵袋」にも両者の違いを問う投稿がある。

 

ケラトスティグマ

↑こんなが画像をのせているHPなどでは、ルリマツリモドキとブータンルリマツリを同じものとして扱っているものも複数ある。