セイタカアワダチソウ(背高泡立草)は、今では、嫌われものだが、意図的に導入されたものである。

 

秋口に芽吹いたものは可憐でかわいい感じもする。

 

↑↓ 家から道を挟んで対面にある空家の庭。石榴の木が伐採され淋しくなった。大樹になっていた金木犀も伐られて、今年は10月半ば近くまで金木犀の香にむせる機会がなかった。

廻りを埋めているのは蔓ニチニチソウ

 

庄下川の水辺近くに咲いているのも小型である。

 

セイタカアワダチソウ(背高泡立草、学名Solidago canadensis var. scabra または Solidago altissima)は、キク科アキノキリンソウ属多年草である。日本では代萩とも呼ばれ、切り花用の観賞植物としてハギ(萩)の代用として用いられ、同様に茎を乾燥したものは萩の代用としてすだれなどの材料に利用される。

 

簾に使われるのは、この時期のものではなく、今なら木立ちになっているものであろう。

 

北アメリカ原産で、日本では切り花用の観賞植物として導入された帰化植物外来種)であり、ススキなどの在来種と競合する。11月頃まで開花していることから、ミツバチの蜜源植物として、養蜂業者が全国に広めたこともある[1]。河原や空き地などに群生し、高さは1 - 2.5m、良く肥えた土地では3.5 - 4.5m程度にもなる[2]は、下の方ではほとんど枝分かれがなく、先の方でを付ける枝を多数出す。花期は秋で、濃黄色の小さな花を多く付ける。種子だけでなく地下茎でも増える。

 

 

「575筆まか勢」より:

 

いちめんの黄色は背高泡立草 今井杏太郎
おばさんしきりに述べる背高泡立草 五島高資
この辺り倒れながらも泡立草 高澤良一 燕音
つん抜けて本領発揮泡立草 高澤良一 石鏡
ひところの勢ひは何処泡立草 高澤良一 随笑
わが暮るるうしろ背高泡立草 岸田稚魚
七草のため背高泡立草を攘つ 川崎展宏
万歩計泡立草を見て帰る 吉田ひろし
万葉の丘に鉾立つ泡立草 塩川雄三
世の末の花かも背高泡立草 矢野 絢
保線夫にレール・泡立草無限 小宅光子 『雲に風に』
十三夜背高泡立草に 京極杞陽
国土沈むときも旺んに泡立草 横山房子
夜も昼も泡立草の来てゐたり 柿本多映
大利根の曲れば曲る泡立草 角川照子
安達太良の天へ丈なす泡立草 三枝青雲
少年のこころきはまる放課後を泡立草が野を席巻す 前川佐重郎
少年は何を見ている泡立草 外島節子
帝陵の泡立草を刈りゐたり 塩川雄三
席巻といふ語まさしく泡立草 高澤良一 暮津
忘れゐし空地黄となす泡立草 山口波津女
擁き起こすことなし泡立草末期 中原道夫
新木場の夕日背高泡立草 三枝成子
昭和永し旅路いづこも泡立草 安江緑翠 『枯野の家』
末期癌と知りつつせいたか泡立草 石寒太 炎環
枯れ果てて泡立草の高さかな 臼田登尾留
次から次泡立草のかぶれ咲き 高澤良一 燕音
沼を吹く風を黄色に泡立草 和知喜八
泡立草 ぼんやり灯る 武家屋敷 伊丹公子 時間紀行
泡立草くらくら晴るる丘の上 上野美智子
泡立草だつて私は二級河川 筑網敦子
泡立草宮址占領してゐたり 塩川雄三
泡立草昏睡の母に残照 榎本愛子
泡立草枯れて磧のすべて枯る 池田秀水
泡立草毒もつ如き碧き空 西藤 昭
泡立草泡立ちてゐる風の尖 一柳はるみ
泡立草空き地におしくらまんじゅうす 高澤良一 随笑
泡立草立ってた無人精米所 竹村雀宝
泡立草立往生の川っぷち 高澤良一 鳩信
泡立草貧しき仲間勁き仲間 津田清子
泡立草錆つくものは錆つきて 高澤良一 さざなみやつこ
湖西線背高泡立草に延び 京極杞陽
濁流と背高泡立草夜明け 菅原鬨也
火葬場のけむりに靡き泡立草 鷹羽狩行
煙るまま枯れて背高泡立草 辻美奈子
父が消え母消え背高泡立草 藤本敦代
生まれ出て泡立草にまぎれけり 柿本多映
目のうちにそとにせいたか泡立草 岸田稚魚
真白な外車を囲み泡立草 頓宮れい
背高泡立草鉄砲隊をひた隠し 星野紗一
胸中に嘘あたためて泡立草 青柳志解樹
衆恃むごとく泡立草咲きぬ 岸風三樓
見せかけの色ではびこる泡立草 大野ひろし
解せぬ笑い泡立草が裏口に 岩淵稲花
跡取りの軽い子を抱き泡立草 瀬間 陽子
週末の日聚め背高泡立草 高澤良一 宿好
運のなき日は背高や泡立草 平井照敏 天上大風
遠来の客へ総立ち泡立草 川島芳江
酔漢と泡立草の野に迷ふ 藤城茂生
隙あらば田にも入りたし泡立草 芦澤芦水
風遊ぶ休耕田の泡立草 土屋みね子
飛んでゐる背高泡立草の絮 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅

 

同 補遺 より

 

わが暮るるうしろ背高泡立草 岸田稚魚
丈高き泡立草も穂を垂らす 山口誓子
他の草と同じ枯色泡立草 右城暮石 散歩圏
後れじと泡立草も絮飛ばす 右城暮石 散歩圏
来寇の泡立草も立枯れし 百合山羽公 樂土
泡立草 山腹攻めに 爆音都市 伊丹三樹彦
泡立草 日傘ささぬと溺れる妻 伊丹三樹彦
泡立草には火止め水 蒲の絮 伊丹三樹彦
泡立草一級河川にも靡き 阿波野青畝
泡立草列車の席の座高まで 山口誓子
泡立草瑞穂の国の空地占む 右城暮石 句集外 昭和四十五年
泡立草穂すすき雑草合戦図 山田みづえ 手甲
泡立草群れて素枯れて思案かな 金子兜太
泡立草貧しき仲間勁き仲間 津田清子
洗濯重りの籠抱く 泡立草 沸騰 伊丹三樹彦
洪積層いま泡立草 離陸機音 伊丹三樹彦
熊野には泡立草を入れしめず 右城暮石 句集外 昭和五十年
白と黄の勝負芒と泡立草 山口誓子
白穂絮飛ばしてゐたり泡立草 右城暮石 一芸
目のうちにそとにせいたか泡立草 岸田稚魚
禅寺に入るを許さず泡立草 右城暮石 句集外 昭和四十七年
稲の黄を寄せつけぬ黄や泡立草 右城暮石 虻峠
蒙古塚泡立草がつつむなり 阿波野青畝
近江の田今は泡立草のみ黄なり 山口誓子
近江の田泡立草の黄の割拠 山口誓子
運のなき日は背高や泡立草 平井照敏 天上大風
道東や泡立草は鉄路の花 鷹羽狩行
野良猫なりに尾高く挙げて泡立草 中村草田男
防人は泡立草を知らざらん 阿波野青畝
駅柵は泡立草を拒みたり 山口誓子
駐車場泡立草が柵をなす 山口誓子
高低のまま泡立草立たせ置く 山口誓子
 

「俳句検索」では、

 

擁き起こすことなし泡立草末期 中原道夫
 
泡立草くらくら晴るる丘の上 上野美智子
 
帝陵の泡立草を刈りゐたり 塩川雄三
 
泡立草昏睡の母に残照 榎本愛子
 
世の末の花かも背高泡立草 矢野 絢
 
忘れゐし空地黄となす泡立草 山口波津女
 
わが暮るるうしろ背高泡立草 岸田稚魚
 
火葬場のけむりに靡き泡立草 鷹羽狩行
 
胸中に嘘あたためて泡立草 青柳志解樹
 
沼を吹く風を黄色に泡立草 和知喜八
 
大利根の曲れば曲る泡立草 角川照子
 
風遊ぶ休耕田の泡立草 土屋みね子
 
遠来の客へ総立ち泡立草 川島芳江
 
万歩計泡立草を見て帰る 吉田ひろし
 
背高泡立草鉄砲隊をひた隠し 星野紗一
 
酔漢と泡立草の野に迷ふ 藤城茂生
 
飛んでゐる背高泡立草の絮 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
 
煙るまま枯れて背高泡立草 辻美奈子
 
おばさんしきりに述べる背高泡立草 五島高資
 
目のうちにそとにせいたか泡立草 岸田稚魚
 
衆恃むごとく泡立草咲きぬ 岸風三樓
 
国土沈むときも旺んに泡立草 横山房子
 
夜も昼も泡立草の来てゐたり 柿本多映
 
十三夜背高泡立草に 京極杞陽
 
湖西線背高泡立草に延び 京極杞陽
 

「筆まか勢」の方がはるかに多くの例句を採録されている。

 

 

昭和40年代の繁殖状況は、アレロパシー後述)効果でススキ等その土地に繁殖していた植物を駆逐し、モグラネズミが長年生息している領域で肥料となる成分(主として糞尿や死体由来の成分)が多量蓄積していた地下約50cmの深さまでを伸ばす生態であったので、そこにある養分を多量に取り込んだ結果背が高くなり[2]、平屋の民家が押しつぶされそうに見えるほどの勢いがあった。

 

 

しかし、平成に入る頃には、その領域に生息していたモグラやネズミが駆除されてきたことによって希少化し土壌に肥料成分が蓄えられなくなり、また蓄積されていた肥料成分を大方使ってしまったこと[2]、他の植物が衰退してしまったことで自らがアレロパシー成分の影響を強く受けてしまったこと[8]等の理由により、派手な繁殖が少なくなりつつあり、それほど背の高くないものが多くなっている。セイタカアワダチソウの勢いが衰えてきた土地にはススキなどの植物が再び勢力を取り戻しつつある[2]

 

日本各地で刈取りや抜き取りなどの駆除活動が展開されている[12]

 

ちなみに、北アメリカでは逆にススキが侵略的外来種として猛威を振るっており、セイタカアワダチソウなどのゴールデンロッド類の生息地が脅かされている[13]

 

ススキと背高泡立草はサバイバルゲームをやっているようである。

 

庄下川のミゾソバは隆盛へ向かっている。

 

旧の東富松川から見た、三川合流地

 

 

群生地へたどり着く前に、バッテリー切れ

 

ヒルガオ  いろいろ形容詞が付くのであろうが・・・・。

 

ブラシノ木もオーストラリア原産だが、5~6月の花期とは別に、キダチダチュラ同様

10月でもあたらしい花穂を形成している。

 

ブラシノキ(学名:Callistemon speciosus)は、フトモモ科ブラシノキ属の常緑小高木。別名、カリステモン(本来は属名のラテン名である)、ハナマキ(花槙)、キンポウジュ(金宝樹)。 学名のカリステモンはギリシャ語で「美しい雄しべ」という意味

 

 

多分砂漠性のところに育つのであろうから、庄下川沿いに育っているわけではない。