【一昨日のビール】

ロング缶:3本

レギュラー缶:1本

芋焼酎ロック:5杯

 

【一昨日の実績】

自転車:×

筋トレ:〇

お菓子断ち:×(素煎りピーナッツ大量)

 

 

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2024年6月22日土曜日。

この日、息子のサッカーの公式戦が行われるという事だったので早起きをした。場所は立川なので自転車でもあっという間についてしまう距離である。

 

それでは参ろう!レッツゴー1匹!

公式戦勝利に向けて、二日酔いの体にムチ打ち、吉幾三!

 

 

やって来たのは、もちろんここ。どんなに遠回りだろうが、車の通りが少ないサイクリングロードを選ぶのが私流。しかし、この日の目的地はここを通るのがベストルートとなる多摩川だ。ラッキー。

 

 

前日、Lotusさんにこの橋の上から見える大岳山の山並みが美しいと聞いたので立ち止まる。

 

 

こちらは槍ヶ岳、ではなく大岳山。

 

 

おお!こちらはロッキー山脈、ではなく大岳山。

どれが大岳山なのか分からないので、とりあえず見える山を全部撮った。

 

 

言わずと知れたサガン鳥栖、いや、多摩川左岸に渡った。青いワイズロードはまだ開店前。

 

 

この日も天気が良く、遠くの彼方にあの有名な八甲田山が見えたので驚いた。

 

 

いや、富士山だった。

 

 

天気の良い休日の朝はランナーやウォーキングを楽しむ人、自転車乗りがたくさんいた。そんな中、人影が途切れた瞬間をパチリ。何とも気持ちの良いサイクリングである。

 

 

するとどうだ。遠くの方に石川さゆりの唄で有名な天城山が見えるではないか。

 

 

いや、富士山だな。このパターンは、しつこく続く。

 

 

ここからは綺麗な富士山が良く見える場所なのだが、他のローディさん達が大勢で撮影会を行っていたので、しない、じゃなかった、スルー。

 

 

目的地に近づいてきたぞ。多摩モノレールの線路下にやって来た。立川と日野を繋ぐこの橋の名前は舘ひろし、じゃなかった、立日(たちひ)橋というそうである。インスパイアザネクストでもないぞ。

 

そしてこの写真をよーく見ているとジワリと浮かび上がってくる、恐ろしい、いや、素晴らしいものが見えてくる。

 

 

あ、富士山だった。

 

息子の試合は4-1で快勝。幸先の良い休日がスタートした。この日は夕方からムフフな予定があったので、エヘヘな気分で自宅に帰る予定だった。予定だったのだが、試合中に息子が相手選手と接触し、転んだタイミングで運が悪いことに手を踏まれてしまった。しかも靴はスパイクである。利き手がぷっくり腫れているので、コーチに骨折の可能性があると言われたそうだ。試合会場からの帰り際に息子に呼び止められて、そのようなことを聞いた。なので自宅で合流したら、とりあえず病院に行くことにした。

 

取り急ぎ帰宅したのだが、この日は休日なので、まずは開いている病院探しから始まる。しかし、駄菓子菓子、息子はこの手の怪我でいろんな病院に通院しており、選択肢は多いので勝算は大いに有りなのである。そしてさっそく開いている病院を見つけ、予約の電話をすると、すでに一杯なのでとりあえず来院して順番待ちをしてくれとのことだった。キミに決定!である。

 

そこで問題が持ち上がった。この日、妻が仕事で車に乗って行ったので移動手段が自転車か、もしくは公共交通機関に限定されるのだ。朝、息子は自転車を自宅に置いて電車で試合会場に向かった。となると私が自転車で病院に行ったとして受診後、自宅に帰る際は自転車が一台だけになるので、片方が歩き、もしくはバス、はたまた大人の野郎二人乗り(あり得ない)で帰らなくてはならなくなる。幸い病院は駅からすぐの場所にあるので、息子がそこまで行く事に関しては問題なし。さて、帰りはどうしようか。などと、シリアスに考える事などは全くしなかった私なのである。


実はこの日の夕方から、長い付き合いの悪友であるT川氏と立川で呑む約束をしていたのだ。ムフフな予定とはこの事だったのである。息子の病院が終わったら、その足で私はエヘヘな飲み会場まで電車で行く。息子は私が乗ってきた自転車で帰宅するという、こんな時にだけ冴え渡る緻密で綿密さが際立つcorn泥酔状態防衛計画が報道関係者に発表されたのだった。そうと決まればあとはやるだけ。息子の怪我が大した事ないことだけを祈って、私の泥酔状態防衛計画を実行に移すのだった。


病院で息子と落ち合い、午後の診察開始時間より1時間前に待合室に入る。腹が減ったという息子に、これで何か食って来いと100万円、あ、千円札を渡して私が待合室に残った。すると、驚いた事に開始時間よりも15分早く診察が始まった。予約をしていない私たちは、いつ呼び出されるかわからない状態になったのだ。


息子は近所の高級鰻店で特上の鰻重、あ、コンビニで弁当を食べているようである。私は急ぎLINEで息子に待合室まで戻るよう伝えた。5分後、息子は食べている途中だったので不満げな表情をしながら現れた。盛りそばが入った真っ白なコンビニ袋を力強く握りしめて。


それから20分後、我々の名前が呼ばれたので診察室へ入ると先生に状況を説明して、ではレントゲンを撮りましょう、という流れになった。


今一度、待合室に戻ると、息子が怒りに満ち溢れたことがすぐに分かる声でボソリと呟く。


「絶対に盛りそばを完食していても診察には間に合った」


私はすぐに憤った。


「何を言っているんだ!結果論で物を言うな!もし、すぐに名前を呼ばれていたらどうするんだ?おい!」


息子も負けていない。


「どんなに時間がかかっても3分あれば、俺はこれくらいの盛りそばなんか食べれるよ!」


私の怒りは頂点に達した。その場で立ち上がり息子の左頬を平手でビシッと打つ。


おい!

いつからそんな大口が叩けるようになったんだ?

しかも親に向かって。

誰のおかげでここまで大きくなれたのだ?

誰のおかげで盛りそばが食べれるんだ?

誰のおかげで病院に来れたんだ?

誰のおかげでレントゲンが撮れるんだ?

誰のおかげでそんな大口がきけるようになったんだ?

都知事選に56人立候補したって本当か?

火星の洞穴に地球外生命体がいる可能性があるって本当なのか?

増税反対!


などと言うわけもなく、立川で呑みたい一心の私は、はやる気持ちを抑えて


「盛りそばは帰ってからゆっくり食べなさい」


と言いつつ頭の中で、この状況だと最速で何時に立川に到着できるか?ということだけを考えていた。


レントゲンの結果、骨に異常はなく、踏まれた事による腫れなので1週間もすれば良くなるでしょうとの診断結果が出された。良かった。これで心置きなく呑めるぞ!会計を済ませ、早々に処方箋を持って薬局に向かう。


めでたく湿布を受け取ると、小走りで自転車をとめている駐輪場を目指した。後ろからゆっくりと歩いてくる息子に苛立ちを感じつつも、ここは大人であり父親である私。


「おい!急げ!1杯目を飲む時間が、あ、1本電車に乗り遅れるではないか!」


とはさすがに言わず「気をつけて帰れ」と自転車の鍵を渡してニヤリと笑うと、疾風の如く駅の方向へと立ち去る私なのであった。

グヒヒ。


そして気になる悪友、T川氏との飲みに続くのだが、それは次回のお楽しみ。




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今、東京は雨である。


ついに遅い梅雨入りか?と思いきや明日は晴れのようだ。


今年の梅雨は7月がメインになるのか?


水不足も心配になる。


ゲリラ豪雨もしかりだ。


線状降水帯が発生すれば、何が起こるかわからない。


嫌な世の中、心配は尽きないのである。


ビールをこよなく愛する皆さま


この件について


とりあえず今夜、呑みながら考える事にしよう


であるからして


やっぱり今宵も


キンキンに冷えたビールで


乾杯ッ!


なのである。

ムフフフフ。



 

 

【昨日のビール】

ロング缶:2本

芋焼酎ロック:5杯

 

【昨日の実績】

自転車:◯(25キロ)

筋トレ:×

お菓子断ち:◯

 

 

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2024年6月15日の土曜日。

妻は朝から仕事で不在だった。まさしく爪楊枝。

 

午前中に息子がやっているサッカーの練習試合を観に行ってから自宅に戻り、出かける前の娘に食事を作って家事などをこなす。毎週土曜日は午後からラリーに出る、じゃなかった、フリーの時間を迎えるのだが、これが結構中途半端な時間なので何をしようか困ることが多い。だいたいの場合は自転車に乗って体を動かすという事に落ち着くのだが、それももちろん晩酌のビールを美味しく飲む、というただそれだけのためにやる事である。

 

しかし部活で棒高跳び、じゃない、迂闊にボーっとしていると、そのままうたた寝から長時間の昼寝になってしまう可能性があるので気を付けなくてはいけない。現に先日の日曜日は昼過ぎから夕方まで眠ってしまうというヘマをやらかした。私は昼に本気で寝てしまうと、いつまででも寝てしまうという変な能力を持ち合わせているようだ。なかなか意識がこの世に戻って来なくなるのである。そのようなことにならないよう、この日はすぐに家を出た。

 

それでは参ろう!レッツゴー1匹!春眠暁を覚えず、ぐーたらオヤジから抜け出すために、世界の名山へ、吉幾三!

 

この日は多摩川のウガンダ共和国、じゃなかった、右岸を河口に向かって走ることにした。いつも走るのとは逆方向なので景色は新鮮である。ある程度走ってから橋を渡り、サガン鳥栖ではなく多摩川左岸に飛び移った。

 

 

すると、信じられないことが起きたではないか。なんと、遠くの彼方にチョモランマの頂きが見えるではないか。

 

 

あ、富士山だった。

 

 

いつもは走らない場所なので、まさかキリマンジャロが見えるなんて思いもしない。

 

 

あ、富士山だった。

 

 

よーし、決めた!もう今日はマッターホルンの写真ばかり撮ろう!

 

 

あ、富士山だった。

 

 

それにしても、富士は日本一の山。なんど見ても美しい。

 

 

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そして翌日。

 

この日は朝からフリータイムだ。凝りもせずに、またもややって来たチグリス・ユーフラテス川。じゃなかった、多摩川。

 

 

メソポタミア文明、じゃない、迷走ポタリングをしながら、いつもの富士山観測所に到着。しかしこの日は雲に覆われて見えない富士山を妄想するしかなかった。残念。愛ロードバイクのジョニーくんを走らせ多摩川沿いから支流の浅川沿いに移り、さらに湯殿川サイクリングロードへと進んだ。

 

 

ここは東京なのだが、あちこちで田植えをしている、のどかで大好きな場所である。

 

 

この日ものんびりと息子の練習試合を見にきた。2本シュートを決めた我が息子、バカ親は大満足なのである。グヒヒ。

 

 

帰り道の富士山観測所では、うっすらヒマラヤ山脈、じゃない、富士山が見える。しつこい。

 

 

水墨画のように美しい富士山。

 

 

さあ、晩酌が、あ、家族が待っている。

帰ろう。

 

ああ、なんともダジャレが冴えない一日だった、、、

 

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土曜日の夜は14歳になる娘の盛大な誕生パーティーを開いた。



ちょっとやり過ぎ感が否めなかったが、オメデタイので気にしない。

 

 

ビールも刺身もお祝いしているぞ。

 

オメデトウ!

 

ビールをこよなく愛する皆さま

 

であるからして

 

この時期はやっぱり

 

ハッピーバースデーツーユー(梅雨)で

 

乾杯ッ!

 

なのである。

ムフフフフ。

 

 

私は50歳で転職をした。当時は自分でも思い切った行動だと認識しており、先立つ不安が大きかった記憶が強い。あれから丸4年が経つ。後悔という言葉の「こ」の字も見つからないくらい楽しく過ごしているので、この中高年転職作戦は大成功だったと言えるだろう。

 

新しい会社の何が良いかと言えば、やはり人間だろう。経営陣をはじめ、バックオフィス、一緒に仕事をするメンバー全てが私に対して親切な対応をしてくれたし、今でもそうである。突然、他の会社からやって来た中年オジサンである私。会社には私より歳上の人間は数えるくらいしかいないので、若い人たちにとってはそうするしかなかったのかもしれない。

 

我が社はおかげさまで成長を続けており、私が入社した当時と比べ組織形態が大きく変化した。特に昨年度はガラリと組織が変わり、今まで交流のなかった部署の人と一緒に仕事をするようになった。そしてその中の一人なのだが今までと違うタイプの人間が現れた。

 

見た感じは私と同じくらいか、少し上に見える年齢のようである。角刈りでテキパキと動き、部下にはぶっきらぼうにキツい言葉で当たる。しかし面倒見は良いようで、本人から聞いた話だが仲間を連れて良く飲みにも行っているそうだ。

 

「俺の背中を見て仕事を覚えろ」

 

そのような言葉をよく使っていて、まさしく「職人」という言葉がふさわしく、初めて話しかけるには少し躊躇するような雰囲気を持っている男だった。ハッキリ言って私は苦手なタイプである。

 

私と言えば初めてやることは分からなくてあたり前、どんどん質問してくれたまえ。間違えたら原因を考えて対策を立てましょう。次に同じことをしなければそれで良い、と、若者に媚びて人気を取るようなそんな姑息な行動をとる存在なのである。職人さんと融合するわけがない。なので彼とは仕事の面で何度かぶつかった。彼は他の人がいる前だろうがお構いなしに失敗した人間を叱責するし、俺だったらこうするぞ。だから失敗しないんだ。俺をよく見て真似しろ!自分で考えろ!そんな事も分かんねぇのかよ。そんな言葉を口にするのを見て嫌悪感すら覚えていた。

 

たびたび仕事で絡むようになり、会議で同席することも多くなったので、そのことについてヤンワリと指摘をしてみたのだが、最初は抵抗するものの最後は折れて「分かりました」と素直に聞いてくれたのは意外だった。「もう時代が変わったんですね」などと寂しそうに言ったのが印象に残る。

 

しかし、若者に対する態度はさほど変わりはしなかった。私としては頭の中の隅っこに、そのような考えが残っていればそれでよいと思ったので、それ以上しつこく言わないようにした。

 

徹底的に現場で鍛え上げられてきた彼はある日私に、自分はcornさんより2歳下の年齢だと言ってきた。何かの拍子で私の年齢の話になったのだろう。「へぇ、そうなんですね」歳上にも歳下にも、なんなら新卒入社の人にも敬語を使って話す私はそう言って返した。その頃から何となくではあるが、その職人さんは私を敬って接してくれるようになった気がする。職場では相変わらずのぶっきらぼうで、親分のような存在のままではあったが。

 

 

 

昨日はその職人さんの葬儀に参列してきた。2年ほど前から肺がんを患い、闘病していたのだ。彼は在宅で100%リモート業務を行っていたので直接会ったのはもうずいぶん前である。顔出しをしない会議での声は今までと変わらず元気だったので、私はがんに打ち勝って良くなるものだとばかり思っていた。

 

しかし病というものは残酷である。2週間ほど前に入院したという連絡が入った。会議を予定していたが、欠席するということだったのだ。そして今週の初めに突然届いたのは訃報を伝えるメールだった。あまりにも急である。

 

「そんなことも考えられねぇでどうすんだよ。困ったもんだよ、ねぇ、cornさん。俺、もう死ぬからね。死んだら教えらんねぇっつうの」

 

若者の成長を憂いてそんな愚痴を良くこぼしていた職人さんだったのだが、本当に死ぬなんて。

 

告別式の終わりに棺の中で安らかな顔をした父親の横にずっと寄り添い、人目もはばからず声を出して泣いていた制服姿の娘さんがいた。私の目からも自然と大粒の涙があふれ出す。聞けば中学二年生、我が娘と同じ歳である。職場ではとっつきにくい職人気質の男だったが、娘さんの前では優しいお父さんだったことが容易に想像できた。

 

あなたは本当に格好良かったよ。最後まで。安らかに眠ってください。

 

そう言って別れを告げた。

 

このブログを書きながらも、まだ涙が止まらない。