私には長男と長女の2人の子供がいるということを前回の記事に書いた。
息子の話を書いたので、今回は娘のことを書く。
娘の名前は生まれる前から決めていた。というより女の子が生まれたらこの名前にしようと、ずいぶん昔から妻と二人で決めていたのである。なので長男である息子が、もし長女として生まれてきたら、その名前にしていたのだ。それくらい気に入っている名前をつけた娘は当たり前のように可愛い。
息子で慣れたはずの子育てなのだが、女の子となると扱いに困った。風呂はとりあえず一緒に入れるが、オムツを替えるのが大変だった。息子は勝手知ったる私と同様のモノがついており、ウンチをした時でもササッと拭いてしまえばそれで終わりなのだが女の子だとそうはいかない。なのでそのあたりは妻に完全委託することにした。
私が娘に付きっ切りになると息子がヒマを持て余してぐずり始める。なので妻は私に「息子とどこかに遊びに行ってきて」と、いつも言った。大人しい娘は1日のうち20時間くらい寝ているような親に優しい赤ちゃんだった。夜泣きもしない。なので世話がそれほど大変ではなく、イヤイヤ期真っ盛りの息子が大泣きする前に先手を打って遊びに連れて行こう大作戦を常としていた。
そのおかげで息子と過ごす時間はもの凄く長くなったのだが、その分娘を見ている時間が少なくなってしまった。そんな娘は寝る前や寝ている時、あとは無意識のうちに指しゃぶりが癖になってしまったようである。それはおしゃぶりをあげたとしても、いつの間にか指しゃぶりに代わってしまうくらいの常習状態だった。そんな癖が幼稚園の年中さんくらいまで続いた時、私はふと考えた。これはもしかして、私の愛情が足りていないのではないか?と。
考えてみれば休日はいつもお兄ちゃんと、どこかへ出かけてゆき、平日は早い時間に出かけて遅い時間に帰ってくるお父さんになっていたではないか。私は反省した。これではいかん。できるだけ息子と平等に、いや、今の状況から考えると娘の方と、より濃密な時間を過ごさなくてはいけないだろう。そして私はそのようにした。
家では同じくらいの時間2人の子供と触れ合った。休みの日は息子を妻に預けて娘と出かける時間を増やした。近所の公園や動物園などに務めて出かけるようにしたのた。それが当たり前になった頃、気づけば娘の指しゃぶりを見かけることがなくなった。このことが原因だったかどうかはさておいて、娘と過ごす時間が多くなったことは私にとって非常にシアワセに感じる日常の変化だった。
そんな娘は小学校の低学年から新体操を習い始めた。お兄ちゃんがサッカーをやっているので何かをやりたかったのだろう。近所にあるスポーツ団体が主催する新体操教室に通い始めた娘はすぐに頭角を現した。体が柔らかい娘はいろいろな振り付けをすぐに覚えた。しかもうまいのである。選抜チームに選ばれて発表会に出るようになった。練習は休みの日の午前中にあり、送迎バスが出るのでバス停まで私がついていくのが決まりになった。バスが来るのを待つ間、ゲームをするのが楽しかった。通り過ぎる車の数を数えて今から何台目にお迎えのバスが来るのかを当てるのだ。
だいたい二人ともいい線を行くのだが、なかなか当たらないのが面白かった。そのようにして待っていたバスに乗り込んだ娘が角を曲がって見えなくなるまでバス停で手を振るのも楽しかった。あとからどの段階まで手を振るのが見えたのかを娘が報告してくれるからである。練習が終わり迎えの時間もピッタリの時間にバス停に立った。運転手にお礼を言ってから降りてくる娘の姿がひどく愛らしかった。
しかし新体操の先生は昔ながらのスパルタで娘にとって楽しさより辛さが勝つようになったようである。新型コロナで世の中がステイホームになったタイミングで娘は新体操をやめた。そしてその次にダンスを始めた。そのダンスは今でも続けているのだが、これもスジがあるようで教室の選抜チームに選ばれて、私にとっては東京ドームのような大舞台といえるホールなどで踊ったりしている。
そして娘はこの春、高校受験に挑んだ。中学の三年間、ダンス三昧だった娘は勉強が得意ではない。定期テストではいつも頑張った割には結果が出ない事の繰り返しが続いていた。そんな娘が志望した都立学校は娘の成績だとかなり頑張らないと合格できないレベルであり一般入試では厳しいのではないか?と私は内心あきらめムードでいなくてはいけないレベルの学校だった。
「二人とも私立高校か、、、」
などと、ため息をつく日々が始まった昨年の10月のことである。娘が通っている塾が主催している模擬テストが行われた。塾に通っている生徒全体と、提携している塾同士の情報を総合しているのだろう。志望している高校に合格する確率がかなりな精度で出てくるテストなのである。娘はそのテストでE判定という驚愕の結果をたたき出した。合格する可能性は20%以下ということなのだ。私はすぐに志望校を変更するよう勧めた。しかし娘は言うことを聞かない。なんせ、同じ学校の友達4人でその学校に行く約束をしたそうなのである。
他の友達はA判定もいれば、悪くてもC判定だったそうである。大丈夫か?私はすぐに手を打った。推薦入試を受けるよう妻に言って手続きをさせたのである。その日から推薦入試で行われる作文や面接の練習を一般試験の勉強と同時進行で進めるようにさせた。娘は作文が得意だったのだ。大人の私が読んでもなるほど、と納得させるような文章を書くのである。よし、作文は行けるだろう。面接は私が得意である。私は面接官として、とある会社の面接に過去何度も立ち会ったことがあるので必勝パターンを知っているのである。
推薦入試がある1月の中頃まで、娘は本当に勉強に励んだ。推薦入試の作文、面接対策も私を巻き込んでじっくり取り組んだ。こんなに勉強を頑張る娘は今まで一度も見たことがない。これは、もしかするともしかするぞ、と感じ始めた矢先に推薦入試の日がやって来た。
「気楽に頑張っておいで」
朝、そう言って、あまり緊張させないように送り出した私だがいてもたってもいられなかった。在宅勤務だった私はウロチョロと家の中を歩き回ったり、突然、炊事洗濯家事オヤジに生まれ変わったりと、落ち着きのない時間を過ごしたのである。
試験が終わって帰って来た娘は、作文で書き忘れがあったこと、面接でも言い忘れたことや、必要なキーワードが伝えられなかったことを悔やんでいた。そして結果はそれを反映したように不合格であった。
ヨシッ、気持ちを入れ替えよう!これからは試験一本やりだ!娘はそう言ってキラリと目を輝かせた。残り2週間ほどしかない時間は大好きなダンスも封印し勉強に集中した。幾度か繰り返し受けた模擬テストは最終的にC判定までになった。微妙なラインで希望は心もとないレベルである。
入試本番までの期間、まさしく死に物狂いで勉強に励む娘の姿を見て私は感激するとともに、これだけ頑張ってダメだったら仕方がないな、と、半ば悟りの境地にまで至っていた。
志望校じゃなかったら、いろいろなことが起こるだろう。娘の友達仲良し4人組なのに、1人だけ違う学校に通わなくてはならなくなること、家計にとっては金銭面も大変であること。私は娘が不合格になった時のことを想定して二次募集を行う学校を事細かく調べ始めた。
そんな、良い事よりも心配事が多かった時間が流れて、ついに入試当日がやって来た。私はこの日のために元旦からランニングを始めた。お百度を踏む代わりに毎日欠かさずランニングをして娘の合格を祈ることにしたのである。しかしそのランニングも4日めに交通事故に遭ってしまい不本意なまま途絶えることになった。そんな不吉な出来事経て高校入学試験はやって来たのである。
「ダメもとで頑張っておいで、キミならやれる。あれだけ頑張ったんだから」
そう言って妻と一緒に娘を見送った。
試験から帰宅してきた娘はまんざらでもない顔で、そこそこできたのではないか?と言った。ヤルではないか。
しかしその日、通っている塾で自己採点の答え合わせがあるというので夕方から出かけて行った。そしてその夜、遅い時間に帰ってきた娘は少し目を赤くたまま無言で部屋に入って行った。
とりあえず終わった。長い月日をかけて頑張った娘の入試は一段落である。息子の大学合格、そして妻のお母さんの誕生祝も兼ねて、娘のお疲れ様家族旅行の話は以下に書いた。
ホッとしながらも、どこかでピンと張りつめた気持ちの嫌な時間が流れ、ついにその日が来た。合格発表である。発表は昔のように学校に行って貼りだされる受験番号の紙を目で追って確認するのではなく、登録した志望校のサイトにログインして合否を確認するシステムになっていた。朝の8時半、一斉に各都立高校の発表が行われるのである。
ログインIDとパスワードは私が作ったので私のスマートフォンで結果を見ることにしていた。もちろん私がではなく、娘が自身で直接確認するのだ。
3人掛けソファーの左右に妻と私、娘を真ん中にして座った。息子は早い時間からサッカーの練習に出かけている。緊張の時間がもの凄く長く感じられた。8時25分頃からは小心者の私の身体が小刻みに震えだした。娘も緊張しているようだが私よりは力が抜けているように見える。妻もソワソワしながら自分のスマートフォンを見たり置いたりを繰り返している。そして定刻の8時30分ちょうど。
娘が目を半分とじながら片目で私のスマートフォンの画面を開いた。私はといえば娘のスマートフォンを借りて二次募集している都立高校で自宅から通える範囲の学校を本気で探していたので気持ちが少し遠のいていたような気がする。
「やった!受かってる!」
娘の声は小さく、しかし明らかに嬉しそうに聞こえた。
「うぉーっ!やったー!おめでとう!!」
私は近所の事など全く気にせず大声で娘の頑張りを称えた。
あれだけやったんだもの。頑張ったんだもの。受かるさ。あんなに勉強を頑張るキミを、お父さんは今まで見たことないからね。夜遅くまで机に向かい、翌朝眠そうな顔で朝食を食べる娘の姿を思い返して涙を堪えることなどできる訳がなかった。
おめでとう。3人でソファーから立ち上がり、それぞれをグッと抱きしめて喜びを分かち合った。止まらない涙をぬぐいながら二人の顔を見ると、泣いているのは私だけだったが気にしない。お父さんは泣き上戸の大酒飲みなのである。しかたがない事なのだ。
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もうすぐゴールデンウィークを迎える今、娘は1か月後に控えたダンスのビッグイベントに出場するため日々練習に励んでいるようである。憧れの女子高生になった娘は、本当に充実した毎日を過ごしているようで、それを見ている父親も満たされた気持ちになる。スカートが少し短くなって心配なことは尽きないだろうが、それ以上に娘の成長が楽しみな私の新生活の始まりなのであった。
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在宅勤務から一転して毎日出社となってしまった。
忙しい日々が続き、ついブログを書くということから遠のいている。
しかし、心配プラスチック用、じゃなかった、ご無用。
書ける時に書く。
これが私のスタイルなのである
明日は月曜日だがゴールデンウィークがやって来るではないか、ヤァヤァヤァ。
という訳で、明日の出社に備え
早めに泥酔せねばならぬのだ
ビールをこよなく愛する皆さま
であるからして
やっぱり今宵も
キンキンに冷えたビールで
乾杯ッ!
なのである。
ムフフフフ。
と言いながら、その昔行ってはいけない道に逸れてしまった記事は以下