私は50歳で転職をした。当時は自分でも思い切った行動だと認識しており、先立つ不安が大きかった記憶が強い。あれから丸4年が経つ。後悔という言葉の「こ」の字も見つからないくらい楽しく過ごしているので、この中高年転職作戦は大成功だったと言えるだろう。
新しい会社の何が良いかと言えば、やはり人間だろう。経営陣をはじめ、バックオフィス、一緒に仕事をするメンバー全てが私に対して親切な対応をしてくれたし、今でもそうである。突然、他の会社からやって来た中年オジサンである私。会社には私より歳上の人間は数えるくらいしかいないので、若い人たちにとってはそうするしかなかったのかもしれない。
我が社はおかげさまで成長を続けており、私が入社した当時と比べ組織形態が大きく変化した。特に昨年度はガラリと組織が変わり、今まで交流のなかった部署の人と一緒に仕事をするようになった。そしてその中の一人なのだが今までと違うタイプの人間が現れた。
見た感じは私と同じくらいか、少し上に見える年齢のようである。角刈りでテキパキと動き、部下にはぶっきらぼうにキツい言葉で当たる。しかし面倒見は良いようで、本人から聞いた話だが仲間を連れて良く飲みにも行っているそうだ。
「俺の背中を見て仕事を覚えろ」
そのような言葉をよく使っていて、まさしく「職人」という言葉がふさわしく、初めて話しかけるには少し躊躇するような雰囲気を持っている男だった。ハッキリ言って私は苦手なタイプである。
私と言えば初めてやることは分からなくてあたり前、どんどん質問してくれたまえ。間違えたら原因を考えて対策を立てましょう。次に同じことをしなければそれで良い、と、若者に媚びて人気を取るようなそんな姑息な行動をとる存在なのである。職人さんと融合するわけがない。なので彼とは仕事の面で何度かぶつかった。彼は他の人がいる前だろうがお構いなしに失敗した人間を叱責するし、俺だったらこうするぞ。だから失敗しないんだ。俺をよく見て真似しろ!自分で考えろ!そんな事も分かんねぇのかよ。そんな言葉を口にするのを見て嫌悪感すら覚えていた。
たびたび仕事で絡むようになり、会議で同席することも多くなったので、そのことについてヤンワリと指摘をしてみたのだが、最初は抵抗するものの最後は折れて「分かりました」と素直に聞いてくれたのは意外だった。「もう時代が変わったんですね」などと寂しそうに言ったのが印象に残る。
しかし、若者に対する態度はさほど変わりはしなかった。私としては頭の中の隅っこに、そのような考えが残っていればそれでよいと思ったので、それ以上しつこく言わないようにした。
徹底的に現場で鍛え上げられてきた彼はある日私に、自分はcornさんより2歳下の年齢だと言ってきた。何かの拍子で私の年齢の話になったのだろう。「へぇ、そうなんですね」歳上にも歳下にも、なんなら新卒入社の人にも敬語を使って話す私はそう言って返した。その頃から何となくではあるが、その職人さんは私を敬って接してくれるようになった気がする。職場では相変わらずのぶっきらぼうで、親分のような存在のままではあったが。
昨日はその職人さんの葬儀に参列してきた。2年ほど前から肺がんを患い、闘病していたのだ。彼は在宅で100%リモート業務を行っていたので直接会ったのはもうずいぶん前である。顔出しをしない会議での声は今までと変わらず元気だったので、私はがんに打ち勝って良くなるものだとばかり思っていた。
しかし病というものは残酷である。2週間ほど前に入院したという連絡が入った。会議を予定していたが、欠席するということだったのだ。そして今週の初めに突然届いたのは訃報を伝えるメールだった。あまりにも急である。
「そんなことも考えられねぇでどうすんだよ。困ったもんだよ、ねぇ、cornさん。俺、もう死ぬからね。死んだら教えらんねぇっつうの」
若者の成長を憂いてそんな愚痴を良くこぼしていた職人さんだったのだが、本当に死ぬなんて。
告別式の終わりに棺の中で安らかな顔をした父親の横にずっと寄り添い、人目もはばからず声を出して泣いていた制服姿の娘さんがいた。私の目からも自然と大粒の涙があふれ出す。聞けば中学二年生、我が娘と同じ歳である。職場ではとっつきにくい職人気質の男だったが、娘さんの前では優しいお父さんだったことが容易に想像できた。
あなたは本当に格好良かったよ。最後まで。安らかに眠ってください。
そう言って別れを告げた。
このブログを書きながらも、まだ涙が止まらない。