ついこの間までコロコロ転がってケラケラと笑いながら私の膝の上にちょこんと座っていた息子が18歳の誕生日を迎えた。令和の現代では選挙権を持つ新成人である。感慨深い。
私は俗にいう晩婚に近い部類の人生を送っており、30代の中盤で結婚し、後半で息子、40を超えてから娘を授かった。ふたりとも、それはそれは可愛くて孫のように育て、溺愛した。当たり前の話だか私と息子は娘よりも2年とちょっとだけ付き合いが長い。今回はその息子の話を少し書く。
幼い頃から何も長続きのしない息子だった。家の片付け、お手伝いなどを続ければ好きなミニカーやゲームを買ってあげると言うと、狂ったように言われたことをやる。しかし次の日になると忘れる。頑張って続いても2日間であり三日坊主にも届かない継続力のない息子が幼稚園の頃、友達に誘われてサッカーを始めた。
よくある幼稚園とタイアップしたサッカースクールに入った息子は週2回の練習にだけは欠かさず通い始めた。決してうまくはなく、だた友達とボールを蹴るのが楽しかったようである。小学校に上がってもそのスクールだけには通い続けた。そして小学校4年生の夏休みが終わった頃に突然クラブチームに入りたいと言い出した。
そのチームはこの辺りでは結構名の知れたクラブで、仲の良い同級生がそこのキャプテンをやっていたのだ。息子はその友達とプレイするつもりで入団したのだが、入団した途端にその友達はもう一つ格上のクラブチームに移籍してしまった。ちょうど入れ替わりになってしまったのである。
さて、息子はどんな行動を起こすのかと興味津々で見ていたのだが持ち前の明るさですぐに友達を作り、すぐそのチームになじんだ。サッカーは決してうまくはなく、トップチームとサブチームを行ったり来たりするようなレベルのまま小学校を卒業した。
中学校になってもサッカーを続ける子供は、行きたいクラブチームのセレクションを受けるのが慣例である。息子も同様にいくつかの強豪チームに行ってセレクションを受けたのだが全て落ちた。このままだと地区リーグなどの大会に出ることのできないサークルのようなチームに入るしかなかったのだが、また違う友達に誘われて今度は出来立てホヤホヤの新規設立チームに入ることにした。
そにに3年間所属することになるのだが、新しくできたばかりのチームなので選手の数も少なく、中学生活ではかろうじてレギュラーメンバーとしてプレイすることができた。そして高校である。
サッカー部のなかった学校が新規に部を創設するという話を聞いた息子がそこに入りたいと言い出した。なんでも中学で入っていたクラブチームの指導陣がその情報を教えてくれたようである。その学校は私立高校でバカ高い学費と活動費を払わなければならず、その後、進学できるかどうかも分からない。そんな学校に進むことに私は大反対した。したのだが、仮に息子が行きたくない他の学校に行って高校生活を送るのも忍びないので泣く泣くその学校に進学させることにした。
その高校も新規設立チームなので部員数が少なく、息子はレギュラーで3年間を過ごすことになる。新設のチームなので1年生の頃から3年生を相手に試合をせねばならず、いろんな経験を積んだ。考えたら中学生の時も1年生なのに他クラブのトップチームといつも戦っていたのである。私としては息子のプレイする姿をずっと見ることができたので、今考えると本当に幸せな選択をしたのだと思える。
2025年の5月。私の誕生日の日にそれは起きた。地元の団体が主催するサッカーの大会に出ていた息子が相手チームの選手と接触して膝の靭帯を損傷したのである。最初はそのままプレイを続けていたが、監督が交代を告げてベンチに下がった。試合が終わって息子がいる方に行ってみると、膝がもの凄く腫れており、すでに歩けない状態だった。日曜日だったので翌日病院に連れて行きMRIを撮ると「内側側副靭帯損傷」という診断を受けた。のちにその医者はヤブだったことが明らかになる。
とりあえず回復に努めることにし、筋トレなど他の部分を鍛えつつ復帰を目指した。高校生活最後の大会である選手権を1か月後に控えた8月に息子は復帰した。地区大会で優勝した息子の学校は都大会にでることになっていた。息子はその試合で復帰するために調整してきたのである。
復帰戦は練習試合だった。相手は高校サッカー好きだったら知らないはずのない強豪校のBチームである。張り切って出場した息子はキックオフから10分ほど過ぎた頃、ピッチに倒れ込んだ。治ったはずの膝を抱えて痛そうにしているではないか。私は天を仰いだ。大事に至らないでくれ、そう願うしかなかった。
試合後、監督から謝罪を受けた。高校生活の集大成である選手権に出られなくしてしまったのは自分のせいだと言ってきたのである。私も息子も全幅の信頼を寄せているその監督に対し、誰のせいでもなくアクシデントであること、そしてきちんと治療することを伝えた。
通院していた病院を代えてセカンドオピニオンを受けると、息子の膝は最初の時点で剥離骨折していたことが分かった。事前に話し合いをしていた私と息子はすぐに手術する選択をする。きちんと治すには今が一番早い時期であるという考えのもと、9月の終わりに手術を受けた。入院をしない特殊な治療だったので最初の1か月は自宅軟禁状態である。リハビリに通いつつ、ただただ安静に過ごすのだ。
2か月目からは松葉づえをついての移動ができるようになった。できるようになったと言っても家の近所を少し歩いて回るくらいである。3か月目に松葉づえが取れると日常生活が普通に送れるようになった。近所のジムに足繁く通い、一段と体が大きくなっていった。
4か月を過ぎるとボールは蹴らないが走ったりしていると息子は話した。多少は痛いが主治医と確認しながら復帰に向けて進めているということだった。5か月が過ぎる頃に大学が決まった。関東でも強豪の部類に入る強いチームである。息子はそこでまたサッカーを続ける選択をした。いや、そのために手術をしたのである。
そして昨日。
息子の復帰第1戦となる練習試合を観てきた。知らないチームメイトに囲まれ、楽しそうにボールを追いかける息子がそこにいた。明らかに怪我をする前よりも走るスピードが上がっている。しかも格段にである。筋トレのおかげだろう。
大声を出して生き生きと走り回る息子を見ると目頭が熱くなった。長かった。本当に長かった。最初にケガをしてから間もなく1年が経とうとしている今、息子はものすごい勢いで成長している。
息子のチームは強豪校なので推薦で入部してきた、もの凄い経歴を持つ選手は別枠で練習しているそうであり、一緒になることはないそうだ。
「そこに食い込むことはできるの?」
私がそう聞くと息子がけだるそうに答えた。
「伸びしろしかねぇっしょ」
息子よ、復帰おめでとう。オヤジはキミがサッカーをしている、その姿が見られるだけでシアワセなのである。その時間がまだ4年もあるなんで、なんてシアワセな親バカオヤジなのだ。
昨夜はそんなことを考えながら美酒に酔いしれ、当たり前のように泥酔したのであった。
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久しぶりの投稿は長文になった。
しかし、書かずにはいられない嬉しい出来事だった。
4月に入り、我が家の生活は一変した。
しかしこれだけは変わらないぞ。
ビールをこよなく愛する皆さま
であるからして
やっぱり今宵も
キンキンに冷えたビールで
乾杯ッ!
なのである。
ムフフフフ。
息子が生まれた時を書いた不朽の名作もどうぞ。笑