前回から続く。
救急車で搬送された先の病院で、ひと通りの診察が終わった。あとは会計をして帰るだけである。妻と息子が車で迎えに来てくれるので安心だ。
ちょうど病院の職員が出勤するタイミングと重なっているため、夜間通用口は結構人の出入りが多い。通用口のすぐ横に会計窓口があり、その横に置かれた長椅子に腰掛けながら自分の名前が呼ばれるのを待っていた。もちろん会計を待っているのは私一人である。
会計窓口の職員も入れ替わりの時間なのだろう。引継ぎなどをしているのか、少し時間がかかっている。何をするでもなくボーっとこれからの事などを考えていると、聞き覚えのある声が廊下の奥から聞こえてきた。妻と息子が到着したのである。二人は私の顔を見つけるなり小走りで近寄って来た。私は笑顔で手を振った。
『お父さん、大丈夫?あ、歯がない』
息子がそう言って、心配そうに痛めている足と折れてしまった前歯を交互にを見た。
「とりあえず今日は終わりで、明日また来てくださいって言われた。痛くて歩けないから松葉づえをもらったよ。」
そう言うと、妻が眉間にしわを寄せてさらに心配した。まぁ、怪我以外は元気だからまずは帰ろう。そう言ってカバンを息子に預け立ち上がった。松葉づえをつくのは初めてなのでうまく進むことができない。実は息子はちょうど3か月前に脚の手術をして松葉づえをついていたので、この界隈では先輩である。歩き方のコツを教えてもらいながらゆっくりと進んだ。
妻が駐車場から車を取って来る間に事故の状況などを息子に話す。もらい事故であることを説明すると相手に対して怒りをあらわにした。しかし、意外なもので私自身は相手のことを特に何も思っていない。ただ、ちゃんとした保険に入っているのか?ということだけが気がかりだった。
妻が乗った車が目の前に停まると、息子の介助を受けながら後部座席に乗り込む。つい数か月前までは息子と私との立場が逆転だったことを話しながら苦笑いするしかなかった。ちょっとした衝撃を受けるだけで激痛が走るので、気を付けながら座席に着いた。初めてやって来た病院の帰り道を案内しながら、妻にも事故の状況を説明する。息子と同様に相手に対する憤りを口にした。当たり前だろう。私だって家族がこのような目に遭ったら同じ気持ちになるに決まっている。
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無事に家へ到着すると玄関に入るまでにいろいろな障害があることに気いた。普段は全く気にならない低い階段や段差が私の松葉づえ歩行を阻むのである。何とかリビングまで辿り着き、着替えを済ませるとソファーにドスンと座った。またズキンと激痛が走る。ああ、どうにかならないものか。痛めたのは右足の膝である。服の上からでもわかるくらいに腫れが酷く、曲げることができないのだ。ちょっと捻るだけで痛くてたまらないのである。
まだ冬休み中の娘が部屋からゴソゴソと起きだしてくると、私の姿を見て驚いた。事の成り行きをひと通り説明すると娘も妻と同様に眉間にしわを寄せ痛々しい姿の父をを心配した。
私はスマホを取り出し、今後の事故の対応などを調べていると気分が落ち込んでくるのがわかった。これからいろいろと面倒なやり取りをしなくてはならならいことが書かれていたからである。事故相手の保険屋というと、なんとなく嫌なイメージで治療費やその他の事に対して1円でも安く対応させるような、そんなケチな姿しか想像できないのだ。
とりあえず、私が入っている保険の補償内容も調べてみることにした。すると見事なほどにかすりもしない内容だった。入院に対しては保証されるのだが通院は一切対応していないのである。やれやれなのだ。落ち込む気分がさらに落ちていくのだが、自動車保険の方はどうだったか?何かしら保証されないものか。あまり期待もせずにWEBで調べてみると、ラッキーなことに弁護士特約に入っていることが分かった。相手の保険屋が変なことを言ってきたら弁護士をたてよう。少しだけ気分も上がったので、その勢いで窓口に電話を入れた。
担当者は事故に遭ったことに対する見舞いの言葉を述べたあとに私の補償内容を確認する。そして確かに特約が使えるということを教えてくれた。弁護士が出てくるのはおそらく示談をする際だと思うので、その際は遠慮なく連絡をよこすようにと言われて電話を切った。
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そういえば事故直後に、ショートメッセージで会社の上司にも事故の報告をしていたのだが、そのままだった。詳細を連絡するために電話すると、見舞いの言葉と共に怪我の回復に専念して仕事はその後で良いという言葉を貰った。ありがたい。あとで聞いた話なのだが、事故の報告を受けた社長が、新年の全社朝礼で年明け早々私が交通事故に遭ったことを全社員向けに話したそうである。それを聞いた人から私の上司宛てに心配の連絡がいくつか届いて大変だったとのことであった。新年早々何とも言えない笑い話である。
気分はだいぶ回復したが、何かが足りない。何だろう?
おお!そうだ!歯だ!歯がない!上の前歯の一番目立つ歯が折れていて、その隣の犬歯が欠けているのだ。ネットで調べると、どのサイトを見ても折れた歯を再利用するのであれば急いて医者に診せることが重要だと書かれていた。お巡りさんが苦労して見つけてくれた歯である。面倒くさいが行くか。
近所の美容整形も取り扱う病院をいくつか探して予約の電話を入れてみる。1軒目は明日の午後からしか予約できないと言われた。2軒目は当日の午後一番で診てくれるということだったのでそこに決めた。妻に送迎を依頼してから、疲れも出てきたので少し休むことにした。
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妻に歯医者の近くまで送ってもらうと、そこから松葉づえで受付まで向かうのだが、これがなかなかキツイ。両手に慣れない杖を突いて歩くのは見た目以上に体力が必要である。ゼェゼェハァハァ言いながら途中で休み休み、やっとのことで窓口まで到着した。初診であるため問診やアンケートなどを書いて診察を待つ。事故に遭ってやって来たことを事前に伝えていたのと、松葉づえをついている姿を見て病院のスタッフはとても気を遣ってくれる。
名前を呼ばれたので、難儀しながらやっとのことで診察台に座ると、かなりふくよかな女医さんがやってきた。挨拶と共に事故の見舞いを述べてくれた。口をゆすいで診てもらうととりあえずレントゲンで骨の状況を確認することになった。
また松葉づえを取り出し歩いて移動するのが本当に面倒くさいのだが仕方がない。優しいスタッフに案内されてレントゲンを撮り終えた。
『骨に異常はなさそうですね。欠けた歯は今日治します。折れた歯なのですが、元の歯は使えないので破棄しますね。差し歯になりますが保険適用の安価なものとセラミック製のものと2種類あります。しかし前歯なので絶対にセラミックをお勧めします』
ふくよかな女医さんに、そう言われるがまま、セラミックでお願いすることにした。お巡りさんが一生懸命探してくれた元の歯は、あっさり別れを告げることになった。保険が適用されないので自費になることを確認されたが事故の被害者なので何とかなるだろう。ダメだったら自腹で治すか。そんなことを考えていたら「12万円です」という言葉が聞こえて一瞬たじろいだ。いや、前歯の一番目立つところだから綺麗に治そう。自分にそう念じながら出費を正当化するのであった。
『治療は2回に分けて行います。次回はセラミックが入れられるように歯を削ります。その次に歯をかぶせて完了です』
女医さんはキッパリそう言って、少し欠けた歯を治すとともに周りの歯も、あの嫌な金属音がするドリルのようなモノでキンキンと削っていった。初日の治療はここまで。待合室に戻り、少し待つと私の名前が呼ばれたので窓口に行く。
『次回の予約は来週の水曜日が最短になります』
エッ?水曜?今日は月曜日なので1週間以上先ではないか。このみっともない顔でそれまで過ごすのか?そんなことが頭の中を駆け巡ったが、どうもがいても選択肢はそれしかない。そのまま予約を入れて会計を済ませると意気消沈して病院を出た。トホホ、マジか。
妻には連絡を入れていたのですぐに迎えに来てくれた。車の中で治療の方針と次回の予約の話をすると、まずはセラミックの方が絶対良いと太鼓判を押してくれた。しかし前歯のない私の笑顔を見るたびに、憐みの表情を浮かべながら眉間にしわを寄せ、その後に必ず大爆笑になる妻とひとしきり盛り上がりながら帰路に着いたのであった。
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世間は三連休というのにどこにも行けない。
松葉杖を突いてロードバイクには乗れないし、ランニングもできない。
ウォーキングもできないとなると、何をすればよいのだ?
天気の良い週末、気分が浮いたり沈んだりしながら時間をつぶすのは、なかなか大変である
ああ、早く夜になってビールが飲めないかな?
そんな事ばかり考える大酒飲み被害者の会代表なのであった
ビールをこよなく愛する皆さま
であるからして
やっぱり今宵も
キンキンに冷えたビールで
乾杯ッ!
なのである。
ムフフフフ。

