このところ、気功クラスの終わりにやることの多い、
二人で一組になっての押し合い。
これと気功との関係、そして
これをやることでどんな変化が起きるのか、説明していきます。

二人組みで、向かい合って立ちます。
両手を胸の高さか少し低いくらいまでかかげ、肘をまげてお互いの手の平を相手に向けて触れ合った状態にします

片方が押し役で、片方が受ける役、と決めます。
これはあとで交代しながらやっていきます。押し役は、腕力を使わないように、そして相手に体重をかけないように、体軸をまっすぐに保ったまま、沈み込むように相手を押していきます。受け役は、押されると同時に自分も沈み込むように力を受けて、なるべく、持ちこたえます。

大抵の場合、押すほうが強いので、沈み込む力が互角でも、
受けるほうはなかなか持ちこたえられません。それでも、できるだけ持ちこたえていきます。受ける側は、押す側の力を感じると同時に、それと同じ分だけ沈み込み、力が抜けてくればその分、力を抜いていきます。押すほうが先に力を使うので、受ける側は時間的な観点では不利ともいえますが、瞬時に反応して、沈み込む力をうまく使うと、押されてもびくともしない感じになります。

この、『沈み込む力』は、
中国拳法などでも使われています。身体は、沈み込むことで、下向きの重力を横向きの力に変換することができます。この力を生むには、必ずしも大きな身体や鍛えられた太い筋肉は必要ありません。関節を柔らかく使って、丁寧に体重移動していき、滑らかに重心を移動するための筋肉さえあれば、大きな力を生むことができます。

逆説的ですが、この『沈み込む力』は、
全身が程よくリラックスした状態で、ゆったりと動いていくときに、一番大きくなります。これは、『全身がリラックスしたときにその人の気の流れやあらゆる能力が最大になる』という、気功の考え方とよく似ています。このトレーニングを継続していき、全身の筋肉の力みを抜いて、リラックスした感覚で均衡が取れてくると、地に根づいた、しっかりとした力で相手を押しているのを感じられるようになります。

受ける側が使うのも、基本的には同じ力です。慣れてくると、
相手の力が伝わってくる瞬間に、全く同じだけの沈み込む力を生み出せるようになってきます。この力は、筋肉の強さに依存していないので、身体が疲れにくいというのも大きな特徴です。いくら押されても、何度押されても、伝わってくる力に反応して身体が自由に沈み込んでいき、身体の中心軸は全く動じなくなってきます。自分から働きかけないので、意識の力も使いません。重力と、少しのインナーマッスルだけで、寄ってくる力をすべて押し戻してしまうのです。これを、『力のない力』と呼んでいます。

この二つが、身体に染み込むと、今度は、
意識の変化が起こってきます。同じような力の使い方を、意識や感情でも用いるようになるのです。多くの人が集まる都会などで生活をしていると、自分のコントロールのきかない、不特定の圧力というのが、自分にふりかかることがあります。物理的なものにしても、精神的なものであっても、『力のない力』で受け止めていると、余裕をもって対応できるようになります。自分の力をほとんど消費しないので、それ自体も気にならなくなります。どうしても必要なときには、沈み込む力をうまく応用していくことで、いろんなことをポジティヴに解決していくこともできるようになります。

この、『力のない力』のエネルギー源は、自分の力ではありません。
物理的な観点でも、重力を利用しているわけですから、それは地球の持っている力を利用している、ということになります。そういったことから考えてみると、地球に住む生き物は本来、力を持つ必要はなく、力が必要なときには、より大きな力、地球の重力などを応用することができる、と。このような、力を所有しない生き方、というのが可能になれば、もっと、自然と調和した生活が送れるようになるのではないか、と、そんな風に思います。



本来、エネルギーそのものには、ポジティヴもネガティヴもなく、それを方向付けるのは、意識の力であるといえます。ですが、日常生活を送っていると、ネガティヴと判断されるようなエネルギーに出くわすこともあります。自分が幸せな気分でいるときに、周りのネガティヴなエネルギーに影響を受けずにいられる方法はあるのでしょうか。


人間の身体は、常に、気、もしくはプラーナと呼ばれるような、
エネルギーで満たされています。このエネルギーは、人間の日々の活動によって、増えたり、減ったりしています。

例えば、徹夜して書類を作ったり、創作活動で作品を仕上げたりしたときの朝、
頭と身体がからっぽになって、ぐったりしたような感じになります。これは、エネルギーが減っている状態です。そこで、寝たり、栄養のつくものを食べたり、また寝たりしていると、身体が徐々に回復して、元気になってきます。これが、エネルギーが増えている状態です。

徹夜をした場合などには、顕著に、低エネルギー、
高エネルギーの状態を感じますが、普段、通常どおりの生活をしているときは、エネルギー量についてはそこまで感じることがないかもしれません。ですが実際には、体内のエネルギー量はそのときの気分や体調によって増減を繰り返しています。生活スタイルを安定させることで、ある程度この波を高低の少ない、よりゆるやかなものにすることができます。

気功法は、このエネルギーの波を、
どこまで自分の理想に近づけられるか、という試みであるともいえます。気功には、不老不死についてや医療に用いる外気功、武術で活用される硬気功など、一般的にいわれる健康の領域を越えた側面もありますが、実は、気功という言葉自体も、この50年位で使われるようになったものなのです。それ以前は、『導引術』と呼ばれていました。『気』という概念は昔からあったのですが、それにまつわる方法論をまとめて気功と呼ぶようになったようです。昔の養生法としての気功は導引術、つまり、大地や宇宙のエネルギーを導いて身体に引きよせる術として伝わっていたんですね

このように身体にエネルギーを満たして、
安定化させると、体調や気分、環境に自分が左右されなくなり、いつまでもにこやかでいられるようになると言います。自分がより楽になり笑顔でいることで、自分の周りにも、さまざまに、よい影響が出てきます。

自分にとって心地よいエネルギーの状態を維持しつつ、万一、
周囲でネガティヴなエネルギーが生じた場合でも、その影響を受けないようにするためには、『自分をエネルギーで満たす、そしてそれをより安定させること』です。これは、ほとんどの気功法の初中期の目標であるともいえます。なぜ初中期かというと、気功の場合、エネルギー的に充実した状態が安定化して、ある程度の修練が進むと、それまでと違った意識に到達するからです。この段階では、エネルギー量はあまり問題にならず、むしろ周囲の波長との一体化が一番のフォーカスポイントになってきます。より、『無為自然』に近づいていく段階、ともいえるかもしれません。


もう一点、ネガティヴなエネルギーに対峙するときに重要な要素があります。それは、『
自分の外側のエネルギーを、自分の外側で感じる』ということです。

エネルギーの感受性は人それぞれというとらえ方もありますが、
実際には、人間は常になんらかの形でエネルギーを感じ、影響を受けており、感じる感じないはその人が受け取った情報をどう処理するかに関わっています。

このことについて、皮膚を例にして考えてみます。皮膚は、
全身をほぼ覆っており、周囲の状況をよく体内に伝えています。例えば、熱いものに手を近づけると、「熱い!」という判断を刺激として体内に伝え、皮膚組織や細胞にとって危険が迫っていることを知らせます。すると、そのことによる反射が起こり、さっと手を引っ込めたり、熱いものから飛びのいたりします。もしそのまま手を熱いものに近づけていると、肉体は熱によって影響を受け、皮膚の一部がやけどなどによって傷ついてしまいます。

同じことが、エネルギー体でも起こります。エネルギー体は、
人間の身体を取り巻くように存在し、それになにか影響があると、エネルギー体は敏感に察知し、体内に伝えます。その影響がよいものなら、それをもっと積極的に受け取ろうとします。それが悪いものだった場合、受け取らずに拒絶しようとしますが、ずっとそのままでいると、エネルギー体に悪い影響が及びます。

皮膚の時と同じように考えた場合、
ネガティヴなエネルギーに出会ったときにエネルギー体にとって一番よいのは、そこからいなくなることです。それができないときには、意念で、『これは自分の外側で起きていることであり、自分自身の本質には全く影響しない』という宣言をしてあげます。そうすると、周囲のエネルギーの状態を感知したまま、全く影響は受けずに、外側から眺めている、というような状態になります。

『自分の外側のエネルギーを、常に外側で感じる』と、自分に対して
宣言することで、エネルギーに対する感性を保ちながら、自分にとって望ましくないエネルギーと対峙することができます。


では、『自分の内側のエネルギー』に、思わしくないものがあった場合はどうしたらよいのでしょう?これは、多くの場合、「痛みの記憶」に関わっています。これについてはまた後日、書いてみることにします。



~    q+    ~-アサイーベジ-ズ80 このところ、飲みつづけているサプリメントがあります。

はじめて飲んだときに、30分位して、目がすっきりして視界が鮮やかになり、意識がクリアになったのがはっきりと感じられたのがきっかけで、それからもう半年以上、続けて飲んでいます。

仕事柄、意識を一定の状態で長時間維持することが多いので、とても助かっています。

この、『アサイー+ベジーズ80』というサプリメントは、もともとIT関連の事業からスタートした会社をやっている知人が作った、ミラクルフルーツアサイーと酵素のサプリメントです。
http://acai-vegez80.jp/

原料となるアサイーベリーは全てアマゾン流域のとある小さな島、ムルトゥク島のものだけを使用し、その村の人が昔からやってきたのと同じように森の中に入って、自生するアサイーベリーをハンドピックして採取しています。アサイーは何年か前から日本でも手軽に手に入るようになっていますが、野生種のアサイーを原料にしているジュースやサプリメントはまだまだ少ないそうです。

最近はハーブなどでもワイルドクラフト(自生する植物を手作業で採取する方法)が増えてきているような気がします。栽培種と野生種で、有効成分がどれだけ違うのか、など詳しいことはわかりませんが、昔ながらの手法で採取することで、アサイー果樹の生育環境を守り、村の人の伝統的な生活を維持するのに役立っているのだろうと思います。

原材料には黒コショウ抽出物も入っているのですが、この黒コショウ、アサイーの有効成分を身体に取り入れるのにとてもよいそうです。

この二年ほどは、朝起きるとまず、冷凍アサイーとバナナなどのジュースを飲んでいます。こちらのアサイーは栽培種ですが、バナナとの相性がすばらしくとてもおいしいので続いています。去年、このコショウの話を聞いてからは、毎朝、がりがりと黒コショウをひいて入れるようになりました。味は、少しスパイスが効いている感じで目覚めによい感じです。寝起きでボーっとしているとコショウをいれすぎ、とってもスパイシーなドリンクにしてしまうこともありますが、最近はそれもおいしいと思うようになってきました。

朝はなるべくフルーツや、こうしたリキッド形態のものをとるようにしています。素材の組み合わせでおいしいドリンクを作るのが楽しくて、違う種類のリキッドを毎朝3つも4つも作っていたときもありました。いろいろな果実と、素材を混ぜて、、傑作も失敗作もありましたが、アサイーとバナナとコショウは、その中でもベスト3に入る、おいしさと、そしてパワーがあると思います。


飲むとなんだかやる気が出てきて目も頭もすっきりするアサイーは、朝から仕事をばりばりこなしたい方、朝食はあまり食べられないという方、朝出かける時間がつい遅くなって小走り(もしくは本気走り)になってしまう方(私です)にお勧めです。




今日のテーマは、『瞑想と瞑想的行為との違いと、現在にフォーカスしていく手法』です。

瞑想、メディテーションと呼ばれる行為と、
同じことを反復して行う中で、瞑想しているかのような状態になる瞑想的行為との違いについて、時間軸に沿って考えてみます。

まず、軸となる、『時間』について。一般的には、
過去、現在、未来を全て一つにしたものを『時間』とよんでいますが、ここでは、『時間の帯域』あるいは『時間帯域』という言葉を文中で使っていきます。『時間帯域』とは、過去から未来までのをある一定の幅をもった時間のことで、今回この文中で使われる場合は、過去と未来の長さがほぼ同じであることを前提とします。例えば、お正月に、昨年を振り返り、今年一年、よい年になりますように、と考えているときは、意識の中で、二年の『時間帯域』を持っている、ということになります。

続いて、『行為』ということについて考察してみます。
あらゆる行為は、それが瞑想でも、瞑想的なものでも、時間的な経過の中で始まっていきます。つまり、過去と、現在と、未来を意識の中でつないでいく、言い換えると、意識して時間的な流れの中に『行動を伴って入っていく』のが、『行為』ということになります。

瞑想的行為においては、瞑想状態に入るきっかけとなる、
多くは反復される行為が前提にあり、その行為の間、瞑想状態が続くことになります。ここには、その行為の始まりから終わりまで、ある一定の幅の時間帯域が存在します。そして、その時間帯域が失われる、つまりその行為をやめてしまうことは、多くの場合、瞑想状態から抜けることを意味します。

一方、瞑想やメディテーションでは、
座して集中していくという行為がきっかけとなって瞑想状態に入りますが、そこから先は、行為そのものには影響を受けにくい状態になっていきます。これは、瞑想という行為が、一定の時間帯域には依存しない行為であるからです。瞑想という行為の始まりは、瞑想をしない状態という過去から現在、現在から瞑想をしている未来、という時間帯域に属しています。しかし、瞑想が始まってからは、行為という観点での時間帯域は消滅し、今度は自分が存在する、あるいは意識がそこにある、『今この瞬間』に向かって、時間帯域の幅がどんどん小さくなっていくという現象が起こります

時間帯域がどんどん小さくなって、それがゼロになったとき、
意識は肉体の感覚を超えることになります。これは肉体を越えた、魂の領域、と、とらえられます。魂は、時間との関わりが希薄であり、肉体は、時間帯域と密接な関係にあるといえます。

時間の感覚が固有であるように、日常生活における時間帯域も、
人それぞれです。過去を思い返したり、未来に思いをはせるのも、ある時間帯域を保持しているといえますし、同じ人がいくつもの命題について、別々の時間帯域をもっていて、それぞれが影響しあって現在の自分を映し出していることもあります。つまり、過去を左手で、未来を右手でしっかり握った状態で、現在の自分が定義されている、ということもいえるでしょう。

瞑想は、過去とも、未来とも、結びつかない、
現在へ向かっていく行為です。握り締めている過去と未来を、手放し、時間帯域の幅を徐々にせばめていくことによって、『今この瞬間』の深い深い谷に降りていくことになります。その先には何があるのでしょう。今までずっと自分の中で思い描いてきた過去と未来を、手放してしまうというのは、容易なことではないかもしれません。ですが、時間の間隙に入り込んでいく瞑想という行為の中に、大きな喜びがあるのも、確かなことなのです。


ナショナルジオグラフィックのサイトで、こんな記事がありました。

核融合発電の実現へ、一歩前進

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100129001&expand



EUや日本でも核融合に関する研究は進められていますが、きわめて難しいとされてきた核融合発電が、
『10年以内に核融合発電所のプロトタイプを稼働できるかもしれない』
とまで言われたのは多分初めてのことなのではないでしょうか。

これが実現すると、アメリカは膨大な量のエネルギーを得ることになります。オバマさんの、核兵器廃絶への発言も、これと関係があったのだろうと思います。今後、核融合プラントが世界中に普及するまで、この分野には最高の人材と、可能な限りの財源が注がれることになるでしょう。

IT革命は産業革命以来の大きな変革だと言われますが、核融合発電は、人類が立ち上がって火を使うようになったのと同じくらい重要な変化だと考えられます。クリーンで無尽蔵なエネルギーを手にしたとき、人類はどこに向かうのでしょうか。

いろいろな問題が瞬く間に解決するということではないでしょうけれど、これまで、エネルギーの奪い合いで多くの戦争や国家間の争いが絶えなかったわけですから、そういう意味ではかなり期待をしてしまいます。

これがきっかけとなって、より争いの少ない社会、穏やかで住みやすい世界になっていくことを心から望みます。