本来、エネルギーそのものには、ポジティヴもネガティヴもなく、それを方向付けるのは、意識の力であるといえます。ですが、日常生活を送っていると、ネガティヴと判断されるようなエネルギーに出くわすこともあります。自分が幸せな気分でいるときに、周りのネガティヴなエネルギーに影響を受けずにいられる方法はあるのでしょうか。


人間の身体は、常に、気、もしくはプラーナと呼ばれるような、
エネルギーで満たされています。このエネルギーは、人間の日々の活動によって、増えたり、減ったりしています。

例えば、徹夜して書類を作ったり、創作活動で作品を仕上げたりしたときの朝、
頭と身体がからっぽになって、ぐったりしたような感じになります。これは、エネルギーが減っている状態です。そこで、寝たり、栄養のつくものを食べたり、また寝たりしていると、身体が徐々に回復して、元気になってきます。これが、エネルギーが増えている状態です。

徹夜をした場合などには、顕著に、低エネルギー、
高エネルギーの状態を感じますが、普段、通常どおりの生活をしているときは、エネルギー量についてはそこまで感じることがないかもしれません。ですが実際には、体内のエネルギー量はそのときの気分や体調によって増減を繰り返しています。生活スタイルを安定させることで、ある程度この波を高低の少ない、よりゆるやかなものにすることができます。

気功法は、このエネルギーの波を、
どこまで自分の理想に近づけられるか、という試みであるともいえます。気功には、不老不死についてや医療に用いる外気功、武術で活用される硬気功など、一般的にいわれる健康の領域を越えた側面もありますが、実は、気功という言葉自体も、この50年位で使われるようになったものなのです。それ以前は、『導引術』と呼ばれていました。『気』という概念は昔からあったのですが、それにまつわる方法論をまとめて気功と呼ぶようになったようです。昔の養生法としての気功は導引術、つまり、大地や宇宙のエネルギーを導いて身体に引きよせる術として伝わっていたんですね

このように身体にエネルギーを満たして、
安定化させると、体調や気分、環境に自分が左右されなくなり、いつまでもにこやかでいられるようになると言います。自分がより楽になり笑顔でいることで、自分の周りにも、さまざまに、よい影響が出てきます。

自分にとって心地よいエネルギーの状態を維持しつつ、万一、
周囲でネガティヴなエネルギーが生じた場合でも、その影響を受けないようにするためには、『自分をエネルギーで満たす、そしてそれをより安定させること』です。これは、ほとんどの気功法の初中期の目標であるともいえます。なぜ初中期かというと、気功の場合、エネルギー的に充実した状態が安定化して、ある程度の修練が進むと、それまでと違った意識に到達するからです。この段階では、エネルギー量はあまり問題にならず、むしろ周囲の波長との一体化が一番のフォーカスポイントになってきます。より、『無為自然』に近づいていく段階、ともいえるかもしれません。


もう一点、ネガティヴなエネルギーに対峙するときに重要な要素があります。それは、『
自分の外側のエネルギーを、自分の外側で感じる』ということです。

エネルギーの感受性は人それぞれというとらえ方もありますが、
実際には、人間は常になんらかの形でエネルギーを感じ、影響を受けており、感じる感じないはその人が受け取った情報をどう処理するかに関わっています。

このことについて、皮膚を例にして考えてみます。皮膚は、
全身をほぼ覆っており、周囲の状況をよく体内に伝えています。例えば、熱いものに手を近づけると、「熱い!」という判断を刺激として体内に伝え、皮膚組織や細胞にとって危険が迫っていることを知らせます。すると、そのことによる反射が起こり、さっと手を引っ込めたり、熱いものから飛びのいたりします。もしそのまま手を熱いものに近づけていると、肉体は熱によって影響を受け、皮膚の一部がやけどなどによって傷ついてしまいます。

同じことが、エネルギー体でも起こります。エネルギー体は、
人間の身体を取り巻くように存在し、それになにか影響があると、エネルギー体は敏感に察知し、体内に伝えます。その影響がよいものなら、それをもっと積極的に受け取ろうとします。それが悪いものだった場合、受け取らずに拒絶しようとしますが、ずっとそのままでいると、エネルギー体に悪い影響が及びます。

皮膚の時と同じように考えた場合、
ネガティヴなエネルギーに出会ったときにエネルギー体にとって一番よいのは、そこからいなくなることです。それができないときには、意念で、『これは自分の外側で起きていることであり、自分自身の本質には全く影響しない』という宣言をしてあげます。そうすると、周囲のエネルギーの状態を感知したまま、全く影響は受けずに、外側から眺めている、というような状態になります。

『自分の外側のエネルギーを、常に外側で感じる』と、自分に対して
宣言することで、エネルギーに対する感性を保ちながら、自分にとって望ましくないエネルギーと対峙することができます。


では、『自分の内側のエネルギー』に、思わしくないものがあった場合はどうしたらよいのでしょう?これは、多くの場合、「痛みの記憶」に関わっています。これについてはまた後日、書いてみることにします。