男だからどうとか、女だからどうとか、そういう時代じゃなくってきましたね。

 

 

とはいえ、

 

 

「男も女も一緒だー!」

「何も変わりがない!」

 

 

というのは、いささか僕には腑に落ちない部分があったのは正直な感想で。

 

 

 

というのも、生物学上の理由で、男女は役割分担として違うものとしてあるのであって。

 

 

 

ちなみに性別の区別がなく、単体だけで子孫を残していく生物もいるし、我々も元々原初生物のときは、性別というものが存在せず、単体で子孫を残してきたわけで。 

 

 

それを適者生存の中で、結果的に我々は訳あって「性別を獲得した」ということでしょうか。

 

 

 

 

 

と。

 

 

 

 

 

とにかく、男は男の、女は女の、得意なことがあり、その違いを生かすことで集団(例えば家族ね)として機能していることは実際のとこだろうと思う。

 

 

 

ほんで、じゃあ、

 

 

「男と女は違うんだー!」

「男は仕事で女は家庭だー!」

 

 

ということなのかどうか、というと、うーん、そういうことなんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

と思っていた時に、ライフネット生命の創業者である出口治明さんの話を聞いて

 

「あ、そうか」

 

と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その話のなかで、出口さんはさらっと、

 

 

 

 

 

 

 

 

「個性は、性差を超えますから」

 

 

 

 

 

 

 

と仰っていた。

 

 

 

 

 

話の本題のことではなかったので、さらっと言われましたが、

 

 

 

ああ、そうか、そういう考え方すればいいんだ、と。

 

 

 

 

 

 

その昔、男には男の役割が元々あって(闘って餌を獲得してくる)、女には女の役割があって(コミュニティーの関係の中で子供を育てるとか)、それは何千年も続いてきた。

 

 

つまりホモ・サピエンスのほとんどの時代は、そういう狩猟採集の生活でありその環境適応の中で、男女の適性獲得がなされてきたわけで。

 

 

現代社会においても、あくまで”平均値” ”傾向値”として(そして生物的な役割としても)、差がないというのは無理がある気はする。

 

 

 

 

 

だけど、個としてみたときに、

 

 

 

 

その性差よりも個性差の方が優位ですよ、

 

 

 

 

ということ。

 

 

 

 

 

だから、個人に対して、「男だから」「女だから」というのは間違ってますよ。

 

 

 

 

 

ということ。

 

 

 

 

 

 

小西=(1×【性別差】)+(100×【個性差】) 

 

 

 

 

 

である時に、小西の【性別】を元に小西を語りませんよね。

 

【個性】が圧倒的に小西を決めているファクターになってるので。

 

 

ということ。

 

(※性別差よりも個性差にかかる係数の方が大きいことを言いたいのだけど、逆にわかりにくいか)

 

 

 

 

ああ、そうだね。

考え方として、しっくりきました。

 

 

 

ありがとう、出口さん。