今日の「とくダネ!」は
なんかいろいろとエロかった。
例のメールのやりとりだとか、
中野アナがはぁはぁしていたりとか。
女の子がはぁはぁしていると、なんかエロく見えてしまうのはどうしてなのだろう。
それはさておき。
例の実験に関しては、中野アナのはぁはぁを抜きにしても、個人的には結構好きです。
楽しい実験をしている人としては、他にも、米村でんじろう先生の実験とか結構好きです。
サイエンスというのは難しいという先入観を持つ人も少なくないと思うけれど、楽しい実験を通してサイエンスに興味を持たせてくれるでんじろう先生のような方は、今の時代にとってとても重要な役割を果たしているのではないか、と思います。
エコ活動をすることが、人々にとってどのような意味があるのかが理解でき、エコ活動をすることが楽しくなるような、そういう動機付けというか、モチベーションを高めるということが大切だと思うし、やっていて楽しくないとなかなか長続きはしないのではないか、という気もする。
そういった意味において、今週の「とくダネ!」のエコ特集には大きな意義があるのではないか、と思った。
例のメールのやりとりだとか、
中野アナがはぁはぁしていたりとか。
女の子がはぁはぁしていると、なんかエロく見えてしまうのはどうしてなのだろう。
それはさておき。
例の実験に関しては、中野アナのはぁはぁを抜きにしても、個人的には結構好きです。
楽しい実験をしている人としては、他にも、米村でんじろう先生の実験とか結構好きです。
サイエンスというのは難しいという先入観を持つ人も少なくないと思うけれど、楽しい実験を通してサイエンスに興味を持たせてくれるでんじろう先生のような方は、今の時代にとってとても重要な役割を果たしているのではないか、と思います。
エコ活動をすることが、人々にとってどのような意味があるのかが理解でき、エコ活動をすることが楽しくなるような、そういう動機付けというか、モチベーションを高めるということが大切だと思うし、やっていて楽しくないとなかなか長続きはしないのではないか、という気もする。
そういった意味において、今週の「とくダネ!」のエコ特集には大きな意義があるのではないか、と思った。
芸能人のゴシップ記事とか事件報道とかマスコミの道徳観や倫理観について
スキャンダル目当てに芸能人に付き纏う、
芸能人を小馬鹿にしたようなゴシップ記事など、
芸能人に対しておもしろおかしく記事を書いておいて、
死ねば英雄のごとき扱い。
今日は、フジテレビ夜7時-10時の特番を見ていたのだけれど、
芸能人をけなしたかと思えば今度は褒め称えたりと、
メディアというものがいかに身勝手に報道しているか、について
よくよく考えさせられる内容だった。
また、そうした情報に敏感に反応し、芸能人などのゴシップ記事を貪欲に欲しがる消費者というのも微妙な感じ。
マスコミというものは、
道徳観や倫理観がない方が売れるのかね。
そういうの、なんか嫌な気もするけれど。
マイケル・ジャクソンに関しては、
マイケルを賞賛する記事もあれば、
様々なゴシップ記事やスキャンダルなどで信用を極限まで失墜させるような記事が作られることもある。
そうした卑劣な報道がマイケルの精神に与えた悪影響というものは多大なものがあるだろうし、そうしたものが、マイケルを追い込んでいき、結果的にマイケルの音楽寿命を縮める結果に繋がったのかもしれない。
私は、アーティストというものは音楽だけで評価されるべきだと考えているし、マイケルの音楽は全て優れていると思っている。しかし、世の中にはそれ以外の内容で評価したがる人たちが多いということなのだろうか。まあ、話題性がなければ売れないというご時勢的なものもあるのだろうけれどね。売るために話題を作ろうとする人というのはどこにでもいるのだろうし。
松本サリン事件に関しては、マスコミの道徳観や倫理観を問いかける一つの大きな事件になったと思うけれど、今も一部のマスコミで道徳観や倫理観に欠ける報道がされることがある。
マスコミというのは、一般の国民に強い影響力がある存在だからこそ
一般の国民以上に良識が問われるのではないかと私は考えるのだけれど、どうだろうか?
(このことは政治家などにも言えることだと思うけれど)
今回フジテレビが制作した松本サリン事件のドラマは良い内容だったと思う。
今後も、マスコミやメディアには、良識のある番組や記事をより多く制作していって欲しいと思う。
芸能人を小馬鹿にしたようなゴシップ記事など、
芸能人に対しておもしろおかしく記事を書いておいて、
死ねば英雄のごとき扱い。
今日は、フジテレビ夜7時-10時の特番を見ていたのだけれど、
芸能人をけなしたかと思えば今度は褒め称えたりと、
メディアというものがいかに身勝手に報道しているか、について
よくよく考えさせられる内容だった。
また、そうした情報に敏感に反応し、芸能人などのゴシップ記事を貪欲に欲しがる消費者というのも微妙な感じ。
マスコミというものは、
道徳観や倫理観がない方が売れるのかね。
そういうの、なんか嫌な気もするけれど。
マイケル・ジャクソンに関しては、
マイケルを賞賛する記事もあれば、
様々なゴシップ記事やスキャンダルなどで信用を極限まで失墜させるような記事が作られることもある。
そうした卑劣な報道がマイケルの精神に与えた悪影響というものは多大なものがあるだろうし、そうしたものが、マイケルを追い込んでいき、結果的にマイケルの音楽寿命を縮める結果に繋がったのかもしれない。
私は、アーティストというものは音楽だけで評価されるべきだと考えているし、マイケルの音楽は全て優れていると思っている。しかし、世の中にはそれ以外の内容で評価したがる人たちが多いということなのだろうか。まあ、話題性がなければ売れないというご時勢的なものもあるのだろうけれどね。売るために話題を作ろうとする人というのはどこにでもいるのだろうし。
松本サリン事件に関しては、マスコミの道徳観や倫理観を問いかける一つの大きな事件になったと思うけれど、今も一部のマスコミで道徳観や倫理観に欠ける報道がされることがある。
マスコミというのは、一般の国民に強い影響力がある存在だからこそ
一般の国民以上に良識が問われるのではないかと私は考えるのだけれど、どうだろうか?
(このことは政治家などにも言えることだと思うけれど)
今回フジテレビが制作した松本サリン事件のドラマは良い内容だったと思う。
今後も、マスコミやメディアには、良識のある番組や記事をより多く制作していって欲しいと思う。
東国原知事の国政進出に関して
東国原知事の国政進出に関しては、
野心を持つこと自体は決して悪いことではないと思う。
その野心が悪い方向に向かってしまうとアレだけれど、
日本を良くするためにまい進している、という意味においては、
東国原知事はそれなりに良くやっているのではないか、と私は思うし、
東国原知事が国政進出することで日本がさらに良くなるのであれば
国政進出についてはそんなに悪いことではないと思う。
もちろん、宮崎県知事というのはただの踏み台に過ぎないのか、など反発の声も当然あがると思うけれど、長い芸人生活や政治活動などで、そうした反発に耐える精神力というのはある程度備わっているだろうし、東国原知事は自身に対する悪い意見をスマートに受け流すことができる能力を持っていると思う。
(単に右から左に聞き流すのではなく、批評の内容をしっかり理解したうえで、自身にとって必要なものとそうでないものとに分け、必要なものであれば取り入れ、必要でないものは切り捨てる、ということができており、情報の取捨選択能力に優れている、ということかもしれない)
ヒラの国会議員で終わるのであれば、
単に自民党に都合よく扱われるだけになってしまうのではないか。
総裁の椅子を条件にする、というのは
確かに大胆ではあるけれど、
逆に言えば、それくらいのことをしない限りは
今の自民党は次の選挙ではかなり危ないのではないか。
東国原知事の国政進出に関して「出しゃばるな」と堂々と発言している国会議員が実は一番選挙で危ないのではないか、という気もする。(もちろん内心ではほとんどの人が「出しゃばるな」と思っているだろうけれどね)
総裁候補と言葉は濁してはいても、それは周りからの反発を考えて言葉のトーンを下げただけであって実質は総裁の椅子を要求しているのだろうと私は思うし、そのこと自体は私は別に悪いことだとは思わない。
ただ、総裁や首相になっても、単にお飾りで祭り上げられているだけ、になってしまうケースというのもよくある気がする、誰とは言わないけれど。
今回の東国原知事の件に関しては、そうならないように、
マニフェストに自身の政策を盛り込むことを要求することで
お飾りで終わってしまわないようにちゃんと予防線も張っている、ということなのだろう。
国政に出ても結局はただのお飾りで、
周りからはお飾りとしての存在価値しか認められず、
タレント議員は一般の国会議員と比べて一段階低く見られたり、
国のために頑張ろうとしても周りからは出しゃばるなと言われたり、
そんな環境では、やりたいことがやりたいようにできず、
身分は国会議員でも実体はお飾りで、中身のないカラッポな生活。
それじゃあ国政に出ても結局意味ないじゃん、
なら地方ではあってもトップリーダーとして実力を発揮できる場所の方がまだ良いじゃん、という気もするけれど。
東国原知事や石原東京都知事などが首相になると、今の国会議員たちと比べるとずっと良い首相になると思うけれど、今の日本だと、様々なしがらみもあって、なかなか難しいというのが実情だろうと思う。
たぶん、そのことは本人達が一番よく分かっているんだろうね。
野心を持つこと自体は決して悪いことではないと思う。
その野心が悪い方向に向かってしまうとアレだけれど、
日本を良くするためにまい進している、という意味においては、
東国原知事はそれなりに良くやっているのではないか、と私は思うし、
東国原知事が国政進出することで日本がさらに良くなるのであれば
国政進出についてはそんなに悪いことではないと思う。
もちろん、宮崎県知事というのはただの踏み台に過ぎないのか、など反発の声も当然あがると思うけれど、長い芸人生活や政治活動などで、そうした反発に耐える精神力というのはある程度備わっているだろうし、東国原知事は自身に対する悪い意見をスマートに受け流すことができる能力を持っていると思う。
(単に右から左に聞き流すのではなく、批評の内容をしっかり理解したうえで、自身にとって必要なものとそうでないものとに分け、必要なものであれば取り入れ、必要でないものは切り捨てる、ということができており、情報の取捨選択能力に優れている、ということかもしれない)
ヒラの国会議員で終わるのであれば、
単に自民党に都合よく扱われるだけになってしまうのではないか。
総裁の椅子を条件にする、というのは
確かに大胆ではあるけれど、
逆に言えば、それくらいのことをしない限りは
今の自民党は次の選挙ではかなり危ないのではないか。
東国原知事の国政進出に関して「出しゃばるな」と堂々と発言している国会議員が実は一番選挙で危ないのではないか、という気もする。(もちろん内心ではほとんどの人が「出しゃばるな」と思っているだろうけれどね)
総裁候補と言葉は濁してはいても、それは周りからの反発を考えて言葉のトーンを下げただけであって実質は総裁の椅子を要求しているのだろうと私は思うし、そのこと自体は私は別に悪いことだとは思わない。
ただ、総裁や首相になっても、単にお飾りで祭り上げられているだけ、になってしまうケースというのもよくある気がする、誰とは言わないけれど。
今回の東国原知事の件に関しては、そうならないように、
マニフェストに自身の政策を盛り込むことを要求することで
お飾りで終わってしまわないようにちゃんと予防線も張っている、ということなのだろう。
国政に出ても結局はただのお飾りで、
周りからはお飾りとしての存在価値しか認められず、
タレント議員は一般の国会議員と比べて一段階低く見られたり、
国のために頑張ろうとしても周りからは出しゃばるなと言われたり、
そんな環境では、やりたいことがやりたいようにできず、
身分は国会議員でも実体はお飾りで、中身のないカラッポな生活。
それじゃあ国政に出ても結局意味ないじゃん、
なら地方ではあってもトップリーダーとして実力を発揮できる場所の方がまだ良いじゃん、という気もするけれど。
東国原知事や石原東京都知事などが首相になると、今の国会議員たちと比べるとずっと良い首相になると思うけれど、今の日本だと、様々なしがらみもあって、なかなか難しいというのが実情だろうと思う。
たぶん、そのことは本人達が一番よく分かっているんだろうね。
【音楽】Big Bang「MY HEAVEN」
韓国のダンスボーカルユニット、Big Bangの「MY HEAVEN」です。
日本進出ということで、この曲は日本語と英語で歌っています。
良い感じの曲。
BIGBANG - MY HEAVEN
【めざましTV】MY HEAVEN-mezamasi TV-BIGBANG 歌‐Sings
めざましテレビでの生歌披露。
今日の「とくダネ!」は、実はエンタマイスター復活の布石なのかも。
クオリティの高いものが、あまり人に知られずに埋もれていく、ということはとてもよくあることだけれど、こうしてクオリティの高いものが紹介されるということは、一般の視聴者にとっても決して悪いことではないと思う。
中野アナが二代目エンタマイスターになってくれたら、金曜日は欠かさず「とくダネ!」を観たいと思います。
アラサーというのは結婚適齢期だとばかり思っていたけれど、
もはや熟婚なのか?(苦笑)
女の子に言われるのであれば、
「アモーラ」だか「アモーレ」だとかいう言葉よりは、
「えっち」のほうが好みです。
また、カタカナよりはひらがなの方が好きです。
照れ笑いを浮かべて、ちょっと上目遣いな感じで、そういうことを言われると、
やっぱり嬉しいなぁ、と思ったり。
どんな年齢になっても、女の子は可愛いところがないと、と私は思うのだけれど。
「とくダネ!」で紹介されていた例の服がすけすけになる機械について。
服の中身が見れる仕事というのは、要は毎日裏ビデオを見続ける仕事ということだろうか?(苦笑)
話はちょっとそれるけれど、
中身が透けちゃうというのは、他人事としては面白いけれど、いざ自分が覗かれたり盗撮されたりするのは、どうなんだろう、という気もちょっと感じた。日本って盗撮天国みたいなところもあるし、自分が知らぬ間に盗撮されていたりとか、いかがわしいビデオが流出したりとかよくあるし。人間は他人の行動がよっぽど気になる生き物なのかな、と思った。
話はさらにそれるけれど、
今日のマクドナルドは何故かアニメソングがBGMによく流れていて、
「シャングリ・ラ」とか「咲 - Saki」の主題歌とかが流れていた。
マックでアニソンを聴きながら読書をする、というのはなんだか不思議な感じ。
でも悪くはないかも、と思った。
日本進出ということで、この曲は日本語と英語で歌っています。
良い感じの曲。
BIGBANG - MY HEAVEN
【めざましTV】MY HEAVEN-mezamasi TV-BIGBANG 歌‐Sings
めざましテレビでの生歌披露。
今日の「とくダネ!」は、実はエンタマイスター復活の布石なのかも。
クオリティの高いものが、あまり人に知られずに埋もれていく、ということはとてもよくあることだけれど、こうしてクオリティの高いものが紹介されるということは、一般の視聴者にとっても決して悪いことではないと思う。
中野アナが二代目エンタマイスターになってくれたら、金曜日は欠かさず「とくダネ!」を観たいと思います。
アラサーというのは結婚適齢期だとばかり思っていたけれど、
もはや熟婚なのか?(苦笑)
女の子に言われるのであれば、
「アモーラ」だか「アモーレ」だとかいう言葉よりは、
「えっち」のほうが好みです。
また、カタカナよりはひらがなの方が好きです。
照れ笑いを浮かべて、ちょっと上目遣いな感じで、そういうことを言われると、
やっぱり嬉しいなぁ、と思ったり。
どんな年齢になっても、女の子は可愛いところがないと、と私は思うのだけれど。
「とくダネ!」で紹介されていた例の服がすけすけになる機械について。
服の中身が見れる仕事というのは、要は毎日裏ビデオを見続ける仕事ということだろうか?(苦笑)
話はちょっとそれるけれど、
中身が透けちゃうというのは、他人事としては面白いけれど、いざ自分が覗かれたり盗撮されたりするのは、どうなんだろう、という気もちょっと感じた。日本って盗撮天国みたいなところもあるし、自分が知らぬ間に盗撮されていたりとか、いかがわしいビデオが流出したりとかよくあるし。人間は他人の行動がよっぽど気になる生き物なのかな、と思った。
話はさらにそれるけれど、
今日のマクドナルドは何故かアニメソングがBGMによく流れていて、
「シャングリ・ラ」とか「咲 - Saki」の主題歌とかが流れていた。
マックでアニソンを聴きながら読書をする、というのはなんだか不思議な感じ。
でも悪くはないかも、と思った。
【映画】個人的な備忘録(22)
以下は、あくまで個人的な備忘録であり、
それ以上でも以下でもありません。
甘口なのか辛口なのかどうなのか。
■フレディVSジェイソン(2003年)
ジャンル:洋画ホラーアクション
ストーリー:★
キャラクター:★★★
意外性:★★
癒し:★★★
音楽:★★
総合:★★
備考:
BSフジ。
ホラーというよりは、イロモノ系アクションという印象。
ホラーとしてはちょっとアレかもしれないけれど、イロモノ映画として観るのであれば、色んな意味で面白いかも(苦笑)
やっぱり、ホラーは現実感が伴わないと怖くないよなぁ~
それ以上でも以下でもありません。
甘口なのか辛口なのかどうなのか。
■フレディVSジェイソン(2003年)
ジャンル:洋画ホラーアクション
ストーリー:★
キャラクター:★★★
意外性:★★
癒し:★★★
音楽:★★
総合:★★
備考:
BSフジ。
ホラーというよりは、イロモノ系アクションという印象。
ホラーとしてはちょっとアレかもしれないけれど、イロモノ映画として観るのであれば、色んな意味で面白いかも(苦笑)
やっぱり、ホラーは現実感が伴わないと怖くないよなぁ~
裁判員制度で無罪になるためのマニュアルについて
裁判員制度が導入されることで、
裁判員の心に訴えかけることで
無罪を勝ち取るような、
推定無罪を傘に、無罪を勝ち取るためのマニュアルというものが
出てきそうな気がしていて。
例えば和歌山カレー事件にしても、
証拠が足りないなかで被告人の有罪をどう認めるのか、について
証拠が欠けていることを武器に、無罪を勝ち取るためのマニュアルが作られていそうな感じがして嫌だ。
今までは、(一般人と比較して)知識が豊富な裁判官が判決を下していたのが、
裁判に関する知識が(裁判官と比較して)少ない一般の人間が判決を下すということで、
弁護人側の情報操作というか、一般の人間の心理に訴えかけて無罪を勝ち取るような、そういう法廷戦術というか、そういうものが出回らないかどうかが気になるところ。
メディアに流されやすい日本人の国民性というものは、
法廷に関しても同様なのではないかと。
よく報道番組とかで、
冤罪事件に関する追求とかはよく見かけるけれど、
本当は罪を犯したにもかかわらず無罪判決が出た人間に対する
追求というのはほとんど見かけない気がする。
もちろん、すでに判決が出た以上、そうした人間に対して
追求をすることはなかなか難しいという現実があるにしても。
ロス疑惑など、実際はどうだったのか怪しい事件というのも少なくない気がする。
そうした事件について、マスコミが追求するというのは、
冤罪事件に対する追求と比べると、やはり難しい部分があるのかもしれない。
民間人に対する追求よりは、権力に対する追求の方が、いろいろな側面からいってもやり易いことは事実なのだろう。
過去に、民間人への過剰な追求で問題になったケースというのも少なくないだろうし。
マスコミの報道姿勢がどうあるべきか、についてはいろいろな見方があるだろうけれどね。
でも、そういうことを背景にして、
裁判員制度で無罪になるためのマニュアルが作られて、
無罪を勝ち取れば、
マスコミから追求されることもなく、
本当は罪を犯したにも関わらず
のうのうと生活していけるということなのかもしれない。
とりあえず迫真の演技で「自分は無罪だ!」とでも言っておけば良い、というか。
裁判員制度にしろ、事件に関する報道にしろ、
いろいろと表に出てこない、表に出しにくい闇の部分というのが
いろいろありそうな気がして、
数年先の未来とかに、このことが問題になったりしないのだろうか、と。
裁判員の心に訴えかけることで
無罪を勝ち取るような、
推定無罪を傘に、無罪を勝ち取るためのマニュアルというものが
出てきそうな気がしていて。
例えば和歌山カレー事件にしても、
証拠が足りないなかで被告人の有罪をどう認めるのか、について
証拠が欠けていることを武器に、無罪を勝ち取るためのマニュアルが作られていそうな感じがして嫌だ。
今までは、(一般人と比較して)知識が豊富な裁判官が判決を下していたのが、
裁判に関する知識が(裁判官と比較して)少ない一般の人間が判決を下すということで、
弁護人側の情報操作というか、一般の人間の心理に訴えかけて無罪を勝ち取るような、そういう法廷戦術というか、そういうものが出回らないかどうかが気になるところ。
メディアに流されやすい日本人の国民性というものは、
法廷に関しても同様なのではないかと。
よく報道番組とかで、
冤罪事件に関する追求とかはよく見かけるけれど、
本当は罪を犯したにもかかわらず無罪判決が出た人間に対する
追求というのはほとんど見かけない気がする。
もちろん、すでに判決が出た以上、そうした人間に対して
追求をすることはなかなか難しいという現実があるにしても。
ロス疑惑など、実際はどうだったのか怪しい事件というのも少なくない気がする。
そうした事件について、マスコミが追求するというのは、
冤罪事件に対する追求と比べると、やはり難しい部分があるのかもしれない。
民間人に対する追求よりは、権力に対する追求の方が、いろいろな側面からいってもやり易いことは事実なのだろう。
過去に、民間人への過剰な追求で問題になったケースというのも少なくないだろうし。
マスコミの報道姿勢がどうあるべきか、についてはいろいろな見方があるだろうけれどね。
でも、そういうことを背景にして、
裁判員制度で無罪になるためのマニュアルが作られて、
無罪を勝ち取れば、
マスコミから追求されることもなく、
本当は罪を犯したにも関わらず
のうのうと生活していけるということなのかもしれない。
とりあえず迫真の演技で「自分は無罪だ!」とでも言っておけば良い、というか。
裁判員制度にしろ、事件に関する報道にしろ、
いろいろと表に出てこない、表に出しにくい闇の部分というのが
いろいろありそうな気がして、
数年先の未来とかに、このことが問題になったりしないのだろうか、と。
マスコミの使命がどこにあるのか、について
マスコミの使命がどこにあるのか、について。
世界にはいろいろなことが溢れているけれど、
表に出てきにくい裏の部分をあぶり出し、それを世に示す、ということが
マスコミの使命というものではないだろうか。
ときには権力とも戦い、
ときには反感を買われようが、
自らが信じる使命のために戦う、
そういったものが、マスコミの使命というべきものではないだろうか。
そういう、戦う姿勢というものが、
一般市民の心を打つのだと思う。
少なくとも、権力にあぐらをかいているような人間では
国民の心を打つことはできないだろう。
最近は、マスコミやメディアというものが大変力をつけていて、
スポンサー料などで大金を自在に扱ったり、世論を操作したりなど、
大きな権力を振るっていたりするけれど、
その権力の傘に入っているだけの人間には、
やはり人の心を打つことは出来ないのではないか。
ときには傘から飛び出て、自ら戦う姿勢を見せることが
大切なことなのではないかと思った。
もちろんこのことは、マスコミだけに関わらず、
世界にはいろいろなことが溢れているけれど、
表に出てきにくい裏の部分をあぶり出し、それを世に示す、ということが
マスコミの使命というものではないだろうか。
ときには権力とも戦い、
ときには反感を買われようが、
自らが信じる使命のために戦う、
そういったものが、マスコミの使命というべきものではないだろうか。
そういう、戦う姿勢というものが、
一般市民の心を打つのだと思う。
少なくとも、権力にあぐらをかいているような人間では
国民の心を打つことはできないだろう。
最近は、マスコミやメディアというものが大変力をつけていて、
スポンサー料などで大金を自在に扱ったり、世論を操作したりなど、
大きな権力を振るっていたりするけれど、
その権力の傘に入っているだけの人間には、
やはり人の心を打つことは出来ないのではないか。
ときには傘から飛び出て、自ら戦う姿勢を見せることが
大切なことなのではないかと思った。
もちろんこのことは、マスコミだけに関わらず、