徒然なるままに
以下は、ただのひとりごとです。
それ以上でも以下でもありません。
動物占いのタイプで
ライオンがあるけれど、
ライオンというのは
とてもプライドが高くて、
プライドが高い人というのは
何事に関しても理想が高くて、
理想が高いが故に
口ではいろいろと言っていても、
実際はなかなか恋人ができなかったり、とか
あるのかもしれない。
プライドが高すぎるが故に
自分のことを本当に理解してくれる人というのは
なかなかいなくて、
表向きは生まれつき備わった太陽のような明るさで
周りの人々を楽しませていても、
自宅に帰って一人になると、
ふっと寂しい気持ちに囚われたり。
でも、その寂しさを癒すためだけに、
本当は好きでもない相手と付き合ったり、
自分の求めるタイプとは微妙に異なる相手と付き合うと、
どうも自分の心の中に違和感が生じてきて、
なにか違うのではないか、
この人と自分とは実は合わないのではないか、
と思うようになってきて、
一緒にいても心から楽しむことが出来ず、
デートが終わって自宅に戻り一人になると
どっと疲れが押し寄せてきて。
楽しいはずのデートなのに、心から楽しむことが出来なくなっていく。
ライオンというのはプライドが高いが故に、
自分のペースでいられる場所でなければ
とても疲れてしまう生き物なのだ。
そうしたこともあり、
自分がマイペースでいられるような、
自分のことを本当に理解してくれるような、
それでいて自分のタイプとも合致するような。
ライオンというのはそういう人を求めがちだし、
そういう人でなければ
なかなか一緒にいても心休まらないというのが
ライオンなのではないかと
私は考えるのだ。
逆に、本当に好きな相手ができると、ライオンというのは
一生懸命相手に尽くす生き物なのではないかという気もする。
個人的に、恋には
刺激も欲しいけれど、
安らぎも欲しい、という、
年齢的なところから来る心理というのもあるとは思うけれど。
一緒にいて安らげる、安心できる、ほっとする、マイペースでいられる、
そういう相手でなければ
ずっと一緒にい続けるというのは
なかなか難しいんじゃないかな、と。
心休まる相手じゃないと、
昼も夜も周囲に対して警戒しっ放しじゃあ疲れちゃうからね。
昼は仕事でバリバリ頑張って、
夜は心置きなく過ごせる相手と一緒に過ごす、
平凡かもしれないけれど、
そういうのが、人間が人間らしく生きるためには、
実はとても大切なことなんじゃないかな、という気がします。
心にゆとりがないと、
大きな仕事というのはなかなか成し遂げられないのではないかとも思います。
ライオンというのは、
恋を求めているようでいて、
意外と警戒心も高いというか、
どこか冷静に判断しているところがあって、
それが故に、相手から逆に警戒されてしまうというか、
相手の方から離れていってしまうとか、
相性の良くない相手だと、
自分の考え方が相手になかなか理解してもらえず、
二人の関係が良くない状態になってしまいかねない。
そういう、いろいろなこともあって、
やっぱり、私が思うに、
ライオンの相手は
同じライオンが一番相性が良いんじゃないかな、と。
一番分かり合えるんじゃないかな、と。
最近、ものすごく
そう思うようになってきました。
ライオン同士の組み合わせというのは、
同じ考え方、価値観を持っているという意味において、
最大の理解者となり得る存在であるのは確かなのだと思うし、
そういった意味において、
相性も良く、一緒にいて心から安心できる人といえるのではないかと。
ちなみに、私の動物占いのタイプは
「グリーンのライオン」で、
草食系と肉食系が合わさったような不思議な属性で、
要するに両方の要素の良いとこ取り的な性格なのかも、とか思ってみた。
ステレオタイプだとか枠に収まるのが嫌いな私にとっては、
1つの枠に当てはめるのがなかなか難しそうな感じの呼ばれ方で、
なかなか良いかも、とか思ってみたけれど、
どうも他人からは、単に
「変わった人」とか呼ばれてそうな感じがする(苦笑)
それ以上でも以下でもありません。
動物占いのタイプで
ライオンがあるけれど、
ライオンというのは
とてもプライドが高くて、
プライドが高い人というのは
何事に関しても理想が高くて、
理想が高いが故に
口ではいろいろと言っていても、
実際はなかなか恋人ができなかったり、とか
あるのかもしれない。
プライドが高すぎるが故に
自分のことを本当に理解してくれる人というのは
なかなかいなくて、
表向きは生まれつき備わった太陽のような明るさで
周りの人々を楽しませていても、
自宅に帰って一人になると、
ふっと寂しい気持ちに囚われたり。
でも、その寂しさを癒すためだけに、
本当は好きでもない相手と付き合ったり、
自分の求めるタイプとは微妙に異なる相手と付き合うと、
どうも自分の心の中に違和感が生じてきて、
なにか違うのではないか、
この人と自分とは実は合わないのではないか、
と思うようになってきて、
一緒にいても心から楽しむことが出来ず、
デートが終わって自宅に戻り一人になると
どっと疲れが押し寄せてきて。
楽しいはずのデートなのに、心から楽しむことが出来なくなっていく。
ライオンというのはプライドが高いが故に、
自分のペースでいられる場所でなければ
とても疲れてしまう生き物なのだ。
そうしたこともあり、
自分がマイペースでいられるような、
自分のことを本当に理解してくれるような、
それでいて自分のタイプとも合致するような。
ライオンというのはそういう人を求めがちだし、
そういう人でなければ
なかなか一緒にいても心休まらないというのが
ライオンなのではないかと
私は考えるのだ。
逆に、本当に好きな相手ができると、ライオンというのは
一生懸命相手に尽くす生き物なのではないかという気もする。
個人的に、恋には
刺激も欲しいけれど、
安らぎも欲しい、という、
年齢的なところから来る心理というのもあるとは思うけれど。
一緒にいて安らげる、安心できる、ほっとする、マイペースでいられる、
そういう相手でなければ
ずっと一緒にい続けるというのは
なかなか難しいんじゃないかな、と。
心休まる相手じゃないと、
昼も夜も周囲に対して警戒しっ放しじゃあ疲れちゃうからね。
昼は仕事でバリバリ頑張って、
夜は心置きなく過ごせる相手と一緒に過ごす、
平凡かもしれないけれど、
そういうのが、人間が人間らしく生きるためには、
実はとても大切なことなんじゃないかな、という気がします。
心にゆとりがないと、
大きな仕事というのはなかなか成し遂げられないのではないかとも思います。
ライオンというのは、
恋を求めているようでいて、
意外と警戒心も高いというか、
どこか冷静に判断しているところがあって、
それが故に、相手から逆に警戒されてしまうというか、
相手の方から離れていってしまうとか、
相性の良くない相手だと、
自分の考え方が相手になかなか理解してもらえず、
二人の関係が良くない状態になってしまいかねない。
そういう、いろいろなこともあって、
やっぱり、私が思うに、
ライオンの相手は
同じライオンが一番相性が良いんじゃないかな、と。
一番分かり合えるんじゃないかな、と。
最近、ものすごく
そう思うようになってきました。
ライオン同士の組み合わせというのは、
同じ考え方、価値観を持っているという意味において、
最大の理解者となり得る存在であるのは確かなのだと思うし、
そういった意味において、
相性も良く、一緒にいて心から安心できる人といえるのではないかと。
ちなみに、私の動物占いのタイプは
「グリーンのライオン」で、
草食系と肉食系が合わさったような不思議な属性で、
要するに両方の要素の良いとこ取り的な性格なのかも、とか思ってみた。
ステレオタイプだとか枠に収まるのが嫌いな私にとっては、
1つの枠に当てはめるのがなかなか難しそうな感じの呼ばれ方で、
なかなか良いかも、とか思ってみたけれど、
どうも他人からは、単に
「変わった人」とか呼ばれてそうな感じがする(苦笑)
民主党のマニフェストとかバラマキ政策とかについて
民主党のマニフェストで、
バラマキ政策の財源として
「無駄遣いをなくす」とおっしゃっているようだけれど。
公言している9兆円分の数字を確保するために、
「無駄遣いをなくす」との名のもとに、
国民にとって本当に必要な政策まで
無駄遣いという名目で取り止められることになった場合、
国民にとっての利益が失われてしまうかもしれない。
「子供手当て」という、
国民にとって目に見えやすいものが優先され、
国民にとって目に見えにくいものがどんどん後手に回ってしまうのではないかという懸念も感じる。
本当に国民にとって必要なものが何なのか、
国民が目先でしか判断しないからと言って
目先ばかりの政策で国民からの関心を仰ごうというのは
政治家の姿勢として正直いかがなものか、
という気がする。
経済不況時においては、
ある程度のバラマキというのは必要かもしれないけれど、
だからといって過度にバラマキをするというのは
国の財政を疲弊させるだけなのではないか。
本当に必要なところにお金が回らず
国政にとってたいして必要ではないところに
国民の関心を得るためだけにお金を投じるというところに
政治家の浅はかさというものを感じるのだけれど、
どうなのだろう。
だからといって
自民党の政策が良いかというと、そういうわけでもないのが
悲しいところなのだけれど。
自民党でも民主党でもない
第三の選択肢というのが欲しい気もするけれど、
公明党は宗教色があまりにも強く、
社民党も共産党も、私にとってはすでに終わった政党でしかなく、
社民党は辻元さんだけは頑張っているとは思うけれどなぜ民主党に行かないのかが私にはいつまでたっても理解できなかったり、
国民新党も存在理由が微妙だし、
新党日本にいたってはすでに形骸化しており、
進んで投票したいと思う政党が、なかなか出てこないというのが現状なのだ。
そうした閉塞感のようなものを打破してくれるような
勢いのある人や政党というものが
出てきて欲しいと思うけれど、
数人規模の政党では、結局のところ
たいした活動もできず
政権の中枢を担うこともできない。
現在の政治体制は
数の力が備わっていなければ
自身が正しいと思うことが実現できない体制なのだから。
自民党と民主党という
マイナスに染まりきったもののなかから
選ばなければならないという
選択肢の少なさというのが
私はなにか悲しい気がするのだ。
数の力に縛られ過ぎず、
本当に正しいことを実現してくれる人に
政策を任せることができる世の中にならないものだろうか?
多数決で決められる大多数の意見というものは、
必ずしも優れた意見ばかりとは限らないというのが現実なのではないだろうか。
多数決の名のもとに
優秀なマイノリティの意見が埋没することの危険性を感じるのだけれど。
そういう意味において、
総理大臣を直接選挙で選ぶことが出来れば
日本の政治は大きく変わるのではないかと
私は思うのだけれど、
現実としてはやはり難しいのだろうね。
バラマキ政策の財源として
「無駄遣いをなくす」とおっしゃっているようだけれど。
公言している9兆円分の数字を確保するために、
「無駄遣いをなくす」との名のもとに、
国民にとって本当に必要な政策まで
無駄遣いという名目で取り止められることになった場合、
国民にとっての利益が失われてしまうかもしれない。
「子供手当て」という、
国民にとって目に見えやすいものが優先され、
国民にとって目に見えにくいものがどんどん後手に回ってしまうのではないかという懸念も感じる。
本当に国民にとって必要なものが何なのか、
国民が目先でしか判断しないからと言って
目先ばかりの政策で国民からの関心を仰ごうというのは
政治家の姿勢として正直いかがなものか、
という気がする。
経済不況時においては、
ある程度のバラマキというのは必要かもしれないけれど、
だからといって過度にバラマキをするというのは
国の財政を疲弊させるだけなのではないか。
本当に必要なところにお金が回らず
国政にとってたいして必要ではないところに
国民の関心を得るためだけにお金を投じるというところに
政治家の浅はかさというものを感じるのだけれど、
どうなのだろう。
だからといって
自民党の政策が良いかというと、そういうわけでもないのが
悲しいところなのだけれど。
自民党でも民主党でもない
第三の選択肢というのが欲しい気もするけれど、
公明党は宗教色があまりにも強く、
社民党も共産党も、私にとってはすでに終わった政党でしかなく、
社民党は辻元さんだけは頑張っているとは思うけれどなぜ民主党に行かないのかが私にはいつまでたっても理解できなかったり、
国民新党も存在理由が微妙だし、
新党日本にいたってはすでに形骸化しており、
進んで投票したいと思う政党が、なかなか出てこないというのが現状なのだ。
そうした閉塞感のようなものを打破してくれるような
勢いのある人や政党というものが
出てきて欲しいと思うけれど、
数人規模の政党では、結局のところ
たいした活動もできず
政権の中枢を担うこともできない。
現在の政治体制は
数の力が備わっていなければ
自身が正しいと思うことが実現できない体制なのだから。
自民党と民主党という
マイナスに染まりきったもののなかから
選ばなければならないという
選択肢の少なさというのが
私はなにか悲しい気がするのだ。
数の力に縛られ過ぎず、
本当に正しいことを実現してくれる人に
政策を任せることができる世の中にならないものだろうか?
多数決で決められる大多数の意見というものは、
必ずしも優れた意見ばかりとは限らないというのが現実なのではないだろうか。
多数決の名のもとに
優秀なマイノリティの意見が埋没することの危険性を感じるのだけれど。
そういう意味において、
総理大臣を直接選挙で選ぶことが出来れば
日本の政治は大きく変わるのではないかと
私は思うのだけれど、
現実としてはやはり難しいのだろうね。
マクドナルドと蚊の関係性について
私はマクドナルドで読書しに行っているのに、
周りの人からは
恋人を作りに行っている
みたいに思われているようで、
なんか嫌だ。
マックに行く度に
蚊にちょっかいをかけられ、
知らず知らずのうちに
体のあちこちを突っつかれて、
自分の部屋に帰ると
痒くて痒くて仕方ないのだ。
O型の人は蚊に刺されやすいという話はあるけれど、
それにしても刺されすぎじゃね、とか
つい思ってしまう。
蚊の話なのか、
それとも別の内容を蚊で例えただけなのか、
それはまた別の話。
周りの人からは
恋人を作りに行っている
みたいに思われているようで、
なんか嫌だ。
マックに行く度に
蚊にちょっかいをかけられ、
知らず知らずのうちに
体のあちこちを突っつかれて、
自分の部屋に帰ると
痒くて痒くて仕方ないのだ。
O型の人は蚊に刺されやすいという話はあるけれど、
それにしても刺されすぎじゃね、とか
つい思ってしまう。
蚊の話なのか、
それとも別の内容を蚊で例えただけなのか、
それはまた別の話。
ターメリックは恋のスパイス
女の子の手料理というのは、
結構攻撃力が高いよね。
個人的には肉じゃがとかが結構好きです。
テレビで紹介されるような
高級な食材を使う必要はなくて、
安っぽい食材でも、
愛情がこもっていれば、
それはとても美味しく感じられて、
心の中まであったかくなっていく。
ガードの高い男の子のハートを射抜くには、
手料理というのは結構攻撃力の高い武器ですよ~。
結構攻撃力が高いよね。
個人的には肉じゃがとかが結構好きです。
テレビで紹介されるような
高級な食材を使う必要はなくて、
安っぽい食材でも、
愛情がこもっていれば、
それはとても美味しく感じられて、
心の中まであったかくなっていく。
ガードの高い男の子のハートを射抜くには、
手料理というのは結構攻撃力の高い武器ですよ~。
【映画】個人的な備忘録(27)
以下は、あくまで個人的な備忘録であり、
それ以上でも以下でもありません。
甘口なのか辛口なのかどうなのか。
■ツォツィ(2005年)
ジャンル:洋画/ドラマ
ストーリー:★★★
キャラクター:★★★
意外性:★★
癒し:★★★
音楽:★★★
総合:★★★
備考:
少年の成長物語。
闇の世界を照らす一筋の光のような、希望を与えてくれる作品。
しかしなにか“作られた”印象を感じてしまう。
そのせいか、私の心にはあまり響いてこない。
私には、この物語に描かれている少年が、それほど不幸な少年には見えないのだ。
それは、映画の描写が不足しているためなのか、それとも、別の要素によるものなのか。
この少年は、先進国の人間から見れば不幸で庇護欲をそそる存在に見えるかもしれないけれど、少年の側からしてみれば、他人からの庇護を求めているわけでもなく、現在の境遇のなかで、自分の人生をきちんと生きている。先進国の人間から見れば野蛮な生き方に見えるかもしれないけれど、少年にとってはこれが自分の生き方なのだ。だから他人から慈悲を受けることには反吐が出る。自分が不幸かどうかなんて他人が決めることじゃない、自分自身が感じることだ。他人からどう思われようが、自分が今の人生に満足していれば、それは、その人間にとっては幸せな生き方だといえるのではないのか。
自分と他人との価値観の決定的な相違。そこに腹立ちさえ覚える。
どこかの国にいるどこかの少年は、実はそういうことを思っているのかもしれない。
この映画を観てこういうことを思うのは私だけだろうか?
■プロポーズ(1999年)
ジャンル:洋画/コメディ
ストーリー:★
キャラクター:★★
意外性:★
癒し:★★★
音楽:★★★
総合:★★
備考:
BSフジ。
コメディということもあって、
いろいろとデフォルメ化、単純化しているところがあるけれど。
ドラマとか映画を観て、
男はこういう生き物だ、という風に思い込んで欲しくないかな。
この映画は、なにか
男を悪者に仕立て上げようとしているかのような印象を感じる。
「将来」という言葉を聞いただけで結婚をやめるというような、
世の中の男がそんな男ばかりだとは思い込んで欲しくないかな(苦笑)
「将来」という言葉を、「夢」とか「希望」とかに置き換えてみると、
それを追い求める男は結構いそうな感じもするけどね。
たぶん、「将来」というよりは束縛が嫌いということなのだろうけれど。
もちろん私も束縛されること自体は好きじゃないし、喜んで束縛されたいというマゾな人というのは男にはあまりいないんじゃないかな、という気もする。
そもそも、結婚=束縛だけの関係だとしたら、
誰も結婚したがらないだろうから
人類はとっくに衰退していると思います。
当初の結婚の目的自体が、
金や子作りのためだけに結婚する、という、
それだけを見ても嫌悪感を喚起させるような設定にもかかわらず、
主人公の男がこれでもかと
女性の嫌悪感を喚起させるような
あまりにもひどいプロポーズを連発していく。
いや男ってそこまで馬鹿じゃないから、
と思わず突っ込んでしまいたくなるほど。
この映画がターゲットとしている観客層としては、
結婚生活を数年経て
ストレスを溜め込んだ女性が
こういう映画なりドラマなりを観て
男はホント馬鹿よねーとか言いながら
ストレスを発散させる、といった感じの用途の映画ということだろうか。
少なくとも男性が見るようなタイプの映画ではないのだろう。
アメリカ映画って、この手の映画がなんか多いような気もする。
最近の新作映画でも、
「そんな彼なら捨てちゃえば?」のように
男性からしてみれば、そのタイトルを見るだけで
嫌悪感が沸き立つような、
そんな感じの映画がよくあるような気がする。
日本だと、なかなかそういう映画とかドラマって作りにくい(作ると反発される)ような気がするんだけど、どうなんだろう?
個人的には、
結婚生活は、やっぱり、
なにか理由があって結婚するというよりは、
二人が本当に愛し合って、
お互いを必要とするような、
いつまでも一緒にいたいと想い合えるような、
そういう感じの結婚のほうが
良いと私は思うんだけどな。
束縛でも、依存でもなくて。
お互いが、お互いを心から尊敬しあって、
一緒に生きていきたいと想うことができる、
そんな結婚生活ができたらとても幸せなのだと思う。
でも、二人の関係がよほど相性が良くないと、
現実には、なかなかそうした関係になれないのかもしれないけれど。
そうした人を見つけるのは、とても大変なことなのかもしれません。
もしそういう人を見つけたら、逃しちゃ駄目ですよ♪
それ以上でも以下でもありません。
甘口なのか辛口なのかどうなのか。
■ツォツィ(2005年)
ジャンル:洋画/ドラマ
ストーリー:★★★
キャラクター:★★★
意外性:★★
癒し:★★★
音楽:★★★
総合:★★★
備考:
少年の成長物語。
闇の世界を照らす一筋の光のような、希望を与えてくれる作品。
しかしなにか“作られた”印象を感じてしまう。
そのせいか、私の心にはあまり響いてこない。
私には、この物語に描かれている少年が、それほど不幸な少年には見えないのだ。
それは、映画の描写が不足しているためなのか、それとも、別の要素によるものなのか。
この少年は、先進国の人間から見れば不幸で庇護欲をそそる存在に見えるかもしれないけれど、少年の側からしてみれば、他人からの庇護を求めているわけでもなく、現在の境遇のなかで、自分の人生をきちんと生きている。先進国の人間から見れば野蛮な生き方に見えるかもしれないけれど、少年にとってはこれが自分の生き方なのだ。だから他人から慈悲を受けることには反吐が出る。自分が不幸かどうかなんて他人が決めることじゃない、自分自身が感じることだ。他人からどう思われようが、自分が今の人生に満足していれば、それは、その人間にとっては幸せな生き方だといえるのではないのか。
自分と他人との価値観の決定的な相違。そこに腹立ちさえ覚える。
どこかの国にいるどこかの少年は、実はそういうことを思っているのかもしれない。
この映画を観てこういうことを思うのは私だけだろうか?
■プロポーズ(1999年)
ジャンル:洋画/コメディ
ストーリー:★
キャラクター:★★
意外性:★
癒し:★★★
音楽:★★★
総合:★★
備考:
BSフジ。
コメディということもあって、
いろいろとデフォルメ化、単純化しているところがあるけれど。
ドラマとか映画を観て、
男はこういう生き物だ、という風に思い込んで欲しくないかな。
この映画は、なにか
男を悪者に仕立て上げようとしているかのような印象を感じる。
「将来」という言葉を聞いただけで結婚をやめるというような、
世の中の男がそんな男ばかりだとは思い込んで欲しくないかな(苦笑)
「将来」という言葉を、「夢」とか「希望」とかに置き換えてみると、
それを追い求める男は結構いそうな感じもするけどね。
たぶん、「将来」というよりは束縛が嫌いということなのだろうけれど。
もちろん私も束縛されること自体は好きじゃないし、喜んで束縛されたいというマゾな人というのは男にはあまりいないんじゃないかな、という気もする。
そもそも、結婚=束縛だけの関係だとしたら、
誰も結婚したがらないだろうから
人類はとっくに衰退していると思います。
当初の結婚の目的自体が、
金や子作りのためだけに結婚する、という、
それだけを見ても嫌悪感を喚起させるような設定にもかかわらず、
主人公の男がこれでもかと
女性の嫌悪感を喚起させるような
あまりにもひどいプロポーズを連発していく。
いや男ってそこまで馬鹿じゃないから、
と思わず突っ込んでしまいたくなるほど。
この映画がターゲットとしている観客層としては、
結婚生活を数年経て
ストレスを溜め込んだ女性が
こういう映画なりドラマなりを観て
男はホント馬鹿よねーとか言いながら
ストレスを発散させる、といった感じの用途の映画ということだろうか。
少なくとも男性が見るようなタイプの映画ではないのだろう。
アメリカ映画って、この手の映画がなんか多いような気もする。
最近の新作映画でも、
「そんな彼なら捨てちゃえば?」のように
男性からしてみれば、そのタイトルを見るだけで
嫌悪感が沸き立つような、
そんな感じの映画がよくあるような気がする。
日本だと、なかなかそういう映画とかドラマって作りにくい(作ると反発される)ような気がするんだけど、どうなんだろう?
個人的には、
結婚生活は、やっぱり、
なにか理由があって結婚するというよりは、
二人が本当に愛し合って、
お互いを必要とするような、
いつまでも一緒にいたいと想い合えるような、
そういう感じの結婚のほうが
良いと私は思うんだけどな。
束縛でも、依存でもなくて。
お互いが、お互いを心から尊敬しあって、
一緒に生きていきたいと想うことができる、
そんな結婚生活ができたらとても幸せなのだと思う。
でも、二人の関係がよほど相性が良くないと、
現実には、なかなかそうした関係になれないのかもしれないけれど。
そうした人を見つけるのは、とても大変なことなのかもしれません。
もしそういう人を見つけたら、逃しちゃ駄目ですよ♪
今週のとくダネ!は
今週のとくダネ!は、
お台場合衆国の話題とかCMの先生とか、結構面白いかも(苦笑)
今日の「とくダネ!」で、
中野アナが現地取材しているのを見て、頑張っているなぁ、と思いました。
いつも、スタジオで小倉さんの横にいるときとか、BSフジの映画番組とかに出ているときはお姫様のように可愛いけれど、
ただ可愛いだけじゃなく、しっかり現場に出て果敢に取材に打ち込んでいる姿というのが、人の共感を呼ぶのかな、と思いました。
でも、危ないので、無理だけはしないで欲しいと思います。
最近「とくダネ!」やBSフジの映画番組を見ていて、
中野アナがどんどん可愛くなっているような感じがします。
中野アナを見ていると、見ているこちらまで、なんだか幸せな感じになってきます。見ている人を幸せにする不思議な力を持っているのかも。
お台場合衆国の話題とかCMの先生とか、結構面白いかも(苦笑)
今日の「とくダネ!」で、
中野アナが現地取材しているのを見て、頑張っているなぁ、と思いました。
いつも、スタジオで小倉さんの横にいるときとか、BSフジの映画番組とかに出ているときはお姫様のように可愛いけれど、
ただ可愛いだけじゃなく、しっかり現場に出て果敢に取材に打ち込んでいる姿というのが、人の共感を呼ぶのかな、と思いました。
でも、危ないので、無理だけはしないで欲しいと思います。
最近「とくダネ!」やBSフジの映画番組を見ていて、
中野アナがどんどん可愛くなっているような感じがします。
中野アナを見ていると、見ているこちらまで、なんだか幸せな感じになってきます。見ている人を幸せにする不思議な力を持っているのかも。
ななめ45°
「ななめ45°」というタイトルを付けてみましたが、
芸人さんの話ではありません。
最近、寺山修司のエッセイを愛読しています。
寺山修司の文章を読むと、
既存の価値観に従属することの危険さをこれでもかと教えてくれる。
三十年以上も前の文章なので、今読み返すと確かに微妙な部分も少なくないけれど、現実の世界を別の角度から眺めることの大切さについて興味深く学ぶことのできる作品であることは確かなのだと思う。
私は、他人の価値観の枠のなかに安易に納まるような人間よりも、
枠から飛び出る人間が大好きだ。
人間は、どんどん枠から飛び出していけば良いと思う。
既存の価値観、既成観念、ステレオタイプ、
そうしたものからどんどん飛び出て新しいものを創造していく、
そういう人たちがどんどん出てくれば良いのにと思う。
私がちょっと変わった人が好みなのも、
そういうところに由来しているのかもしれない。
芸人さんの話ではありません。
最近、寺山修司のエッセイを愛読しています。
寺山修司の文章を読むと、
既存の価値観に従属することの危険さをこれでもかと教えてくれる。
三十年以上も前の文章なので、今読み返すと確かに微妙な部分も少なくないけれど、現実の世界を別の角度から眺めることの大切さについて興味深く学ぶことのできる作品であることは確かなのだと思う。
私は、他人の価値観の枠のなかに安易に納まるような人間よりも、
枠から飛び出る人間が大好きだ。
人間は、どんどん枠から飛び出していけば良いと思う。
既存の価値観、既成観念、ステレオタイプ、
そうしたものからどんどん飛び出て新しいものを創造していく、
そういう人たちがどんどん出てくれば良いのにと思う。
私がちょっと変わった人が好みなのも、
そういうところに由来しているのかもしれない。
70℃の世界
最近暑くなってきたため、私の部屋にある24時間稼動中のパソコンが、熱暴走で自動的にシャットダウンしてしまう回数が多くなってきました。
このパソコンは、内部の温度が70℃になったら自動的にシャットダウンするように設定してあるのですが、シャットダウンが何回も頻繁に起こるということは、部屋の中の温度はいったいどれくらいなのでしょう。測りたくもありません。
しかし、恐らく、冷房をかけないと人間が生活するに適さない温度なのは間違いのない気が。
人間も機械も高熱には弱いのだ。
このパソコンは、内部の温度が70℃になったら自動的にシャットダウンするように設定してあるのですが、シャットダウンが何回も頻繁に起こるということは、部屋の中の温度はいったいどれくらいなのでしょう。測りたくもありません。
しかし、恐らく、冷房をかけないと人間が生活するに適さない温度なのは間違いのない気が。
人間も機械も高熱には弱いのだ。
ドラクエ9とか、ゲームについていろいろ
最近何日間かドラクエ9を遊んでみて、ようやくクリアしたのですが。
ドラクエ9は、過去のドラクエのエッセンスを微妙に取り込んだストーリー展開になっていて(3のオルテガとか、4のデスピサロとか、5の奴隷生活とか)、上手く作ったなぁとは思うけれどどうも心惹かれるものがなく、ご都合主義的なストーリー展開は現代のゲームとしてはやむを得ないものなのかなぁ、とか思ったり。良い意味でも悪い意味でも平凡な感じ。
宝の地図探しだけは面白かったけれど。
個人的には、ドラクエは「5」で終わったと思っているのだけれど。
「5」で、主人公は結婚するのだけれど、結婚相手をビアンカとフローラの二人から選択できて、ビアンカと結婚したときはフローラは他の人と結婚するのに、フローラと結婚したときはビアンカはずっと独身で暮らすところがなんか切ないなぁ、と思ったりしました。
ちなみに、ドラクエで一番好きなのは「3」です。「3」は思い切りはまりました。
「3」の世界の城や町などは、現実世界の地名などを元ネタにした名前が付けられていて、(ロマリアとかアッサラームとかカザーブとかポルトガとか)
「3」の地名と現実の世界地図とを見比べて、どこが元ネタになっているかとか、地形の違いについてだとか、そういうのを見比べるのがものすごく好きでした。
私はゲームで興味を持ったことから現実の様々なことについて興味が移り、いろんなことを調べたりとかしていました。
私にとって、ゲームとは知的好奇心を刺激してくれるものだったのだ。
しかし、最近のゲームは、私の知的好奇心を刺激してくれるものが少なく、
単なる時間つぶし的なものや、家族や友達との団欒を楽しむためのものとなっていて、それ自体は決して悪いものではないのだけれど、私としては、どうも昔のように楽しめないというか、満足が出来ないのだ。
いつのまにか、ゲームに熱中する時代から精神的に卒業してしまった、ということなのだろうか。
DS版の「パネルでポン」(パズルゲーム)なんかは、タッチペン操作が面白くて、スーパーファミコン(SFC)版と比べると連鎖操作がし易くなっていて、ミリ秒単位での瞬間判断や、操作に慣れてくれば二十連鎖とか三十連鎖とかができるのが楽しくて楽しくて仕方がなくて、やみつきになるところがあるけれど。
私が本気で楽しめるゲームはもはやパネポンしかないのかも。
Wiiのマリオパーティーとかスマブラとかは子供たち(甥と姪。私は一応独身です)と遊ぶにはなにかと楽しくて。でもマリオカートとかは意外と一緒に遊んでくれなかったりして寂しく一人プレイしたり(苦笑)
しかしゲームばかりして勉強をしない子供を見ると、その将来が若干不安に思えてしまうのは、やはり私が大人になったということの表れなのだろうか。その情熱を学業に費やせば大物になれるかもしれないのに、と、つい思ってしまうのだけれど。子供たちには、詰め込み型の知識に縛られずに、きちんと自分で考え自分で行動できる人になってくれたら嬉しいなぁ、とか思うけれど。
ドラクエ9は、過去のドラクエのエッセンスを微妙に取り込んだストーリー展開になっていて(3のオルテガとか、4のデスピサロとか、5の奴隷生活とか)、上手く作ったなぁとは思うけれどどうも心惹かれるものがなく、ご都合主義的なストーリー展開は現代のゲームとしてはやむを得ないものなのかなぁ、とか思ったり。良い意味でも悪い意味でも平凡な感じ。
宝の地図探しだけは面白かったけれど。
個人的には、ドラクエは「5」で終わったと思っているのだけれど。
「5」で、主人公は結婚するのだけれど、結婚相手をビアンカとフローラの二人から選択できて、ビアンカと結婚したときはフローラは他の人と結婚するのに、フローラと結婚したときはビアンカはずっと独身で暮らすところがなんか切ないなぁ、と思ったりしました。
ちなみに、ドラクエで一番好きなのは「3」です。「3」は思い切りはまりました。
「3」の世界の城や町などは、現実世界の地名などを元ネタにした名前が付けられていて、(ロマリアとかアッサラームとかカザーブとかポルトガとか)
「3」の地名と現実の世界地図とを見比べて、どこが元ネタになっているかとか、地形の違いについてだとか、そういうのを見比べるのがものすごく好きでした。
私はゲームで興味を持ったことから現実の様々なことについて興味が移り、いろんなことを調べたりとかしていました。
私にとって、ゲームとは知的好奇心を刺激してくれるものだったのだ。
しかし、最近のゲームは、私の知的好奇心を刺激してくれるものが少なく、
単なる時間つぶし的なものや、家族や友達との団欒を楽しむためのものとなっていて、それ自体は決して悪いものではないのだけれど、私としては、どうも昔のように楽しめないというか、満足が出来ないのだ。
いつのまにか、ゲームに熱中する時代から精神的に卒業してしまった、ということなのだろうか。
DS版の「パネルでポン」(パズルゲーム)なんかは、タッチペン操作が面白くて、スーパーファミコン(SFC)版と比べると連鎖操作がし易くなっていて、ミリ秒単位での瞬間判断や、操作に慣れてくれば二十連鎖とか三十連鎖とかができるのが楽しくて楽しくて仕方がなくて、やみつきになるところがあるけれど。
私が本気で楽しめるゲームはもはやパネポンしかないのかも。
Wiiのマリオパーティーとかスマブラとかは子供たち(甥と姪。私は一応独身です)と遊ぶにはなにかと楽しくて。でもマリオカートとかは意外と一緒に遊んでくれなかったりして寂しく一人プレイしたり(苦笑)
しかしゲームばかりして勉強をしない子供を見ると、その将来が若干不安に思えてしまうのは、やはり私が大人になったということの表れなのだろうか。その情熱を学業に費やせば大物になれるかもしれないのに、と、つい思ってしまうのだけれど。子供たちには、詰め込み型の知識に縛られずに、きちんと自分で考え自分で行動できる人になってくれたら嬉しいなぁ、とか思うけれど。
次の総選挙について
このままだと、流れが大きく変わらない限りは
民主党が勝つのは目に見えて明らかだと思うけれど、
自民党がトップを変えずに次の選挙に挑むのは、英断なのか、それとも無謀なのか、判断が分かれるところなのかもしれない。
ちょっと思ったんだけどさ、
民主党が勝って政権交代となった結果、
日本の政治や経済がますます駄目になった場合、
政権交代を煽ってきたメディアはどう責任を取るのだろう、とか
ちょっと思ってみた。
民主党サイドのマニフェストで、あまりに度がすぎるバラマキ政策で日々の生活に困窮する低所得者を救うというのは一見良い政策に見えても、目先のことばかりに注力して将来の財政を後回しにしてしまうと、そのツケはいったい誰が払うことになるのだろう。(そのときは自民党に再度政権交代が起こり自民党と一般国民だけがそのツケを払うということか?)
メディアに関しても、
煽るだけ煽って、責任は取らない、というのは
あまりにも無責任な体質だと思うけれど。
それにしても。
どうも最近は自民党も民主党もぱっとしない感じがするのはどうしてなんだろうね。
政治に関してもマイナスの話題ばっかりで、プラスの話題がなかなか出てこない。
メディアや国民から誉められるような政治家がもっとたくさん出てくれば良いと思うのだけれど。
地方では、横浜市の中田市長とか、何人かはそういう人がいるだろうけれど、
国政となると、相手方の悪いところを叩いてばかりの人たちが多いような気がする。叩けばホコリがわんさか出るような体質というのも微妙な気がするけれど。
ちなみに、東国原知事や橋下知事に関しては、確かにいろんな見方があるだろうけれど、話題性をふりまいているという意味においては、地方の活性化などプラス材料に繋がっている側面もあると思うんだけど。
でも、この二人は、いろんな意味で危険物的な存在であるといえるのかもしれない。爆弾的な存在というか。
上手く使えば有権者が抱く心の壁を壊すことができるかもしれないけれど、使い方を誤ると暴発して自民党も民主党も両方ぶっ壊してしまいかねない危険性も孕んでいるのかもしれない。要はどう使うかということ。少なくとも、お互いにとって何らかの利用価値があると思ってもらえないと使ってもらえないだろうしね。
民主党が勝つのは目に見えて明らかだと思うけれど、
自民党がトップを変えずに次の選挙に挑むのは、英断なのか、それとも無謀なのか、判断が分かれるところなのかもしれない。
ちょっと思ったんだけどさ、
民主党が勝って政権交代となった結果、
日本の政治や経済がますます駄目になった場合、
政権交代を煽ってきたメディアはどう責任を取るのだろう、とか
ちょっと思ってみた。
民主党サイドのマニフェストで、あまりに度がすぎるバラマキ政策で日々の生活に困窮する低所得者を救うというのは一見良い政策に見えても、目先のことばかりに注力して将来の財政を後回しにしてしまうと、そのツケはいったい誰が払うことになるのだろう。(そのときは自民党に再度政権交代が起こり自民党と一般国民だけがそのツケを払うということか?)
メディアに関しても、
煽るだけ煽って、責任は取らない、というのは
あまりにも無責任な体質だと思うけれど。
それにしても。
どうも最近は自民党も民主党もぱっとしない感じがするのはどうしてなんだろうね。
政治に関してもマイナスの話題ばっかりで、プラスの話題がなかなか出てこない。
メディアや国民から誉められるような政治家がもっとたくさん出てくれば良いと思うのだけれど。
地方では、横浜市の中田市長とか、何人かはそういう人がいるだろうけれど、
国政となると、相手方の悪いところを叩いてばかりの人たちが多いような気がする。叩けばホコリがわんさか出るような体質というのも微妙な気がするけれど。
ちなみに、東国原知事や橋下知事に関しては、確かにいろんな見方があるだろうけれど、話題性をふりまいているという意味においては、地方の活性化などプラス材料に繋がっている側面もあると思うんだけど。
でも、この二人は、いろんな意味で危険物的な存在であるといえるのかもしれない。爆弾的な存在というか。
上手く使えば有権者が抱く心の壁を壊すことができるかもしれないけれど、使い方を誤ると暴発して自民党も民主党も両方ぶっ壊してしまいかねない危険性も孕んでいるのかもしれない。要はどう使うかということ。少なくとも、お互いにとって何らかの利用価値があると思ってもらえないと使ってもらえないだろうしね。