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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(エヴァQ)の感想続き。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(エヴァQ)の感想続き。
致命的なネタバレ含む注意。

前回の記事でも書いた通り、私はエヴァQを絶賛しているわけですが、酷評渦巻くエヴァQを絶賛するのは逆張りかと思いきや、絶賛する人たちは決して少ないわけではないんだよね。むしろ、肯定派と否定派とで激しく論争を巻き起こすもののほうが人々の関心を引きつけ、観客の入りが良くなるのかもしれない。

だからといって、熱狂的なファンは、エヴァであれば何でもかんでも絶賛するかというと、必ずしもそういうわけではない。観客が新興宗教のように作品を崇拝することがある一方で、続編がつまらなければあっさり手のひら返しをすることがあるのもエンタメの世界なのだから。

エヴァンゲリオンが描くのはディストピアの世界。その世界では絶望が支配している。エヴァの搭乗員は14歳。彼らはエヴァに乗って戦うが、エヴァが攻撃されると、搭乗している彼らにも痛みがシンクロする。その「登場人物の痛み」こそが、エヴァが熱狂的な支持を受けた原点。

クリエイターは絶望が支配する世界を描くことによって多くの観客を引き付けた。しかし、そのことが逆に、物語の締めを難しくしてしまったのかもしれない。

絶望を描き続け、観客を引き付けていけばいくほど、安易なカタルシスを持ち込んでハッピーエンドにするのは嘘臭くなってしまう。チープ臭が増してしまう。

ディストピア物のアニメの多くはヒーロー物で、世界の救世主としての役割を運命づけられた登場人物たちが難関を潜り抜け、世界に平和を取り戻す。しかしエヴァの場合は、表面上はアニメ的な記号や萌え要素を取り込み、ヒーロー物の体裁を取りつつも、その真の構造は実はヒーロー物ではなくアンチヒーロー物だ。

アンチヒーロー物といえば映画『ダークナイト』などが知られているけれど、アニメの世界、特にディストピア物でアンチヒーロー物の物語は極めて珍しい存在かもしれない。最近の物語でアンチヒーロー物の要素がある物語としては『魔法少女まどか☆マギカ(まどマギ)』があるけれど、『まどマギ』の場合は、絶望が支配する世界を描きつつも、最後は平和なハッピーエンドだった。その終わり方は、ヒーロー物の物語によくある限りなく平凡に近いハッピーエンドだった。

しかし、アンチヒーロー物の雄たるエヴァの場合は、果たしてそのような終わり方で良いのだろうか。
物語の終盤にカタルシス要素を持ってきて平和なハッピーエンドにすることは、今まで積み上げてきたエヴァの世界観そのものを台無しにしてしまうかもしれない。
TVアニメ版で中途半端なエンディングになってしまったのは、絶望が支配するディストピアの世界観と、エンタメに求められるハッピーエンドとの間でジレンマに苦しめられた結果、物語を締めることができなくなってしまったからではないだろうか。

今回の4部作の最後、4作目は、真エンディングとして、エヴァの世界そのものに真の終止符を打つ物語となる。観客もそれを期待している。しかし、本当にこの物語に終止符を打つことができるのか。実は作り手は、今流行のループ物、リプレイ物の要素を持ち込んできて、エヴァの世界を「終わらない世界(絶望が延々と繰り返される世界)」にしようとしているのかもしれない。

私としては、そうした決着のつけ方でもある程度は満足できるけれど、その手の話は今や(まどマギ、シュタゲなど、短期間に多くの作品が量産された結果)手垢がつきすぎてしまって、「新しいエヴァ」の幕引きとしてはやや不十分な感じもしてしまう。「新しいエヴァ」の幕引きであれば、他のどのクリエイターをも寄せ付けない圧倒的なものを期待してしまう。

そうして観客側がクリエイターに対してどんどんハードルを高くしていくのは、期待感の表れではあるのだけれど、クリエイターにとっては限りなく酷なことなのかもしれない。

今回の4部作の最後、4作目において、安易な、中途半端なエンディングを作ると、期待を裏切られた観客から大バッシングを浴びてしまう。そうなってしまうと、今回エヴァQを支持した人も、支持しなかった人も、一緒になって大バッシングする可能性もある。
次回のエヴァは、誰もが絶賛するものになるのか、誰もが酷評するものになるのか、それともやはり両者が分かれて激しい論争を招くものになるのか。
次回がとても楽しみだ。

※クリエイターに対して過激に酷評したり過度なプレッシャーを浴びせ続けると、クリエイターがちゃぶ台をひっくり返して続編が作られなくなってしまう可能性もあるから、クリエイターに対して過激に酷評したり過度なプレッシャーを浴びせるのはほどほどにしようね。世の中には、次回予告をしているはずなのに次回作がいつまでたっても作られずにお蔵入りになってしまう作品群もあるのだから……

映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」「アルゴ」観ました(致命的なネタバレ含む注意)

映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」と「アルゴ」を観てきました。
以下致命的なネタバレ含む注意。(個人的な解釈も含む)

■ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
今回のエヴァはカタルシス要素は皆無。主人公のシンジはヘタレ以外の何者でもない。絶望ばかりが取り巻く社会。シンジが唯一信じることのできた存在がカヲルだった。シンジは自分の選択は唯一の正義なのだと心の底から信じた。しかしその選択は最も悪しきものだった。シンジの選択によって世界は破滅する。既存のアニメーションを含むエンターテインメントに必須のカタルシスはどこにも存在しない。そういう意味において、「観客を置き去りにした」と感じる観客が現れるのはある意味当然のことなのだろう。既存のエンターテインメントでよくあるような「分かり易いカタルシス」は用意されていない(唯一挙げるとすれば、カヲル×シンジのBL要素くらいか)。だからといってこの作品が必ずしも悪い作品かというと、そういうわけでもない。今回はあくまで4部作の3作目という位置付けであって、この作品だけで完結しているわけではないのだから、カタルシス要素が必要なら4作目にきちんと用意することもできるし、4作目でさらに突き放すこともできる。エンターテインメントには様々な選択肢が存在するのだから、観客が特定のタイプの物語以外を「これはアニメじゃない」「これはエヴァじゃない」と主張すること自体がナンセンス。エンターテインメントに対して最もレッテルを貼り付けているのは、実は、こうしたファンの人々ではないのだろうか。私にはそう思える。

最初にシンジが登場するシーンで、シンジが首輪をつけて、ミサト側の勢力から仮称シンジとして呼ばれていたのは、もしかしてレイだけじゃなくてシンジも「入れ替え可能なクローン」もしくは「シンシの代替物(オルタナティヴ)」なのかと思ったけれど、どうなのだろう。シンジの代替物に対して、ニアサードインパクト直前までの記憶をインストールすることによって、代替物に、自分はあたかも碇シンジ本人なのだと思い込ませるという手法。これは綾波レイにも通じる手法だが、レイは自分自身が代替物ということを自覚しているが、シンジは無自覚という違いがある、というように。今回のシンジがシンジ本人なのか、それともシンジの代替物なのかは、今作だけではどちらとも言えない気がする。

今回の「Q(4部作の3作目)」でやったことは、基本的には、「破(4部作の2作目)」でやったことの入れ替えだよね。構図を逆にしてみるパターン。
例えば、「破」ではアスカが搭乗した機体がシトと化した(TVアニメ版では搭乗していたのは別の少年)けれど、「Q」ではシンジが搭乗した機体がシトと化した。
「破」のシンジはヘタレからみんなを助けるヒーローへと一歩近づいた感じだったけれど、「Q」のシンジはヘタレに逆戻り。しかもそのヘタレな決断によって世界を滅亡させてしまう。ヘタレ極まる。

様々な要素が突然投入されて、観客をもの凄い勢いで置き去りにした、ように思われているかもしれないけれど、その多くはファンにとってはすでにお馴染みのことなので、ネチネチとした説明をすることなく、伏線を回収するようにさらりと流すように登場させた、といったところではないだろうか。
今回登場した新要素の例は以下。
・シンジの母親(綾波ユイ)がエヴァの子宮システムとして取り込まれていること
・綾波レイがクローンであること(量産可能)
・チルドレンは成長しない。14年経っても外見は子供のまま。(もしかしたら、生まれたときからずっと「14歳」の肉体と精神なのかもしれない(別の意味で「中二病」…)。エヴァの搭乗員としての役割を運命として担わされた子供達。彼らはエヴァに搭乗するために人工的に生まれてきたのかもしれない。綾波レイだけでなく、シンジも、アスカも、それ以外のチルドレンも。もしそうだとするならば、チルドレンの代替物を生み出すのはそう難しいことではない。人類補完計画の目的のために、チルドレンをどんどん使い捨てにすることだって難しくない。チルドレンが欠けたとしても補充が利くのだから。そんな彼らは本当に「人間」と呼べるのだろうか? 彼らには「自分が人間だ」という意識はすでになくなっているのかもしれない。レイはともかく、アスカも、カヲルも、メガネ娘も。その意識がないのはシンジだけなのかもしれない)
・人類補完計画とは実は自作自演の人類滅亡プログラム。(人類を「新たなステージ」に到達させるために、人類を滅ぼすことを目的としている。それはどこか、物語を「新たなステージ」に到達させるために、既存の物語の構造を壊す(滅ぼす)ことと似ている)
・人類補完計画を実行するための技術、知識を、古代文明から得ている。それがゼーレ。(古代文明の要素に関しては、「ふしぎの海のナディア」などに通じるかもしれない。ちなみに今回は空飛ぶ戦艦も登場する)
・ゼーレに実体はなく、古代文明の「知性だけが存在し肉体としての実体をもたない生命体」。イメージとしては「涼宮ハルヒの憂鬱」に出てくる宇宙人(情報統合思念体)に近い?

綾波レイが「涼宮ハルヒの憂鬱」の長門有希(無口で本好きの宇宙人)にそっくりに見えたりとか、シトのコア(コアを破壊するとシトを倒せる)の要素が、「ストライクウィッチーズ」の敵(ネウロイ)のコアを連想させたりとか(コアを破壊するとネウロイを倒せる)、エヴァから派生したはずのそれぞれの派生作品の要素があまりにもお馴染み過ぎて、本家の設定が「逆輸入版」みたいに思えてしまうのはなんだか不思議な感じ。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版の「序破急」は、日本芸能における形式上の三区分がモデル。
個人的には、武道における「守破離」のほうが近いのではないかと思った。
序[守](過去のパターンの踏襲)→破(過去のパターンを破る)→急[離](新しいパターンへ)
そういう意味において、今回、エヴァとしての「既存のステージの踏襲」ではない「新たなステージ」を見出すことができたというのは、決して悪いことではないのではないか。
昔からのファンは、「既存のステージの踏襲」を求めている人も少なくないかもしれないけれど、「既存のステージの踏襲」だけでは、今回わざわざ4部作として新たに作る「意味」は無いのではないだろうか。わざわざ新たに4部作として作るのであるから、私は、「新しいエヴァ」に期待する。


■アルゴ
9.11を知っている私たちはアラブのことを一方的に悪者扱いすることが多いけれど、実はアラブは数十年に渡って西欧から虐げられており、西欧、特にアメリカに対して深い憎悪を抱いている。根深い憎しみ。アラブは西欧の支配から脱却するための革命を起こしたが、西欧からは革命家ではなくテロリストとして扱われる。自分たちのやりかたを強硬に押し付けようとする西欧のやり方にアラブが反発するのは考えてみれば当然だよね。

最後のカタルシス要素については、エンターテインメントとしては必須なのは分かるんだけど、カタルシス要素を全部ぶっ壊してバッドエンドにしたい願望ってやっぱりあるよね。破壊衝動に限りなく似たもの。クリエイターであればそうしたことを感じる人も少なくないはず。でも本当にそれをやってしまうとエンターテインメントとしては失格扱いされてしまう。(それをやったのが今回のエヴァなのではないか。個人的には今回のエヴァは好き。終末系の王道っていう感じがする。巷で言われているほど分かり辛くはないと思う(個人的感覚))

「アルゴ」の序盤の某シーン。「あらゆる層がターゲット層だ」というのは確実に駄作になるパターンたよね。本当に受ける作品は、ターゲット層をきちんと定めている。ターゲット以外の層からは酷評されようが嫌われようが構わない。その覚悟がなければクリエイターとしては駄目な人間なのだろう。他人に好かれることばかりを意識して、嫌われることを避けたがるのは多くの人に当てはまる特徴だけれど、クリエイターとしては、そうした態度ではいけない。他人から好かれようと安易な受け狙いの作風に陥ってしまう危険があるからだ。そういう姿勢で作りあげた作品は、既存の受ける作品を模した二番煎じや、劣化コピーばかりになってしまう。既存の作品の良さを勉強することもクリエイターには必要なことかもしれないけれど、それ一辺倒になってしまってもいけないのではないか。


と、こんなようなことを思いながら映画を観ていました。

雨の日の桜。

フジテレビの深夜番組「アナ★バン」を見ました。
アドリブにも関わらず、反射神経的に言葉を纏めることができる高島彩さんってやっぱり素敵だなぁ。
僕は高島彩さんの、こうした言葉遣いの才能に惹かれているのだ。
(もちろん高島彩さんには他にもたくさんの魅力があります)

ところで、私のブログやツイッターのアイコンは、気付いている人もいるかもしれませんが、桜です。
何故私のアイコンが桜なのかについて、以下の文章をお読み頂ければと思います。



雨の日の桜。

雨に打たれながら、桜は咲いている。
ふと地面を見ると、そこには花びらがたくさん落ちている。
今年の桜も、もうすぐ終わってしまうのかもしれない。
もしかしたら、あと一週間も持たないのかもしれない。
それでも桜は懸命に咲いている。
そんな健気な姿に、桜を見る人は感動するのかもしれない。
私も、そのような人間でいられるだろうか。
たとえ短い命であったとしても、その短い生のなかで、桜と同じくらいに多くの人を感動させることができる、そういう人に、私はなりたいな。



私のアイコンはまだ「桜のつぼみ」です。
これから、少しずつでも良いから、綺麗な、多くの人を感動させることができる花を咲かせていくことができたら、と思います。

映画「宇宙ショーへようこそ」観ました(一部ネタバレ含む注意)

109シネマズ川崎で、映画「宇宙ショーへようこそ」を観てきました。
最終日ということもあってか、小さめのシアターがほぼ満員。

観客層は、レイトショー上映ということもあってか、大人が中心。
いつものアニヲタさんだとか、サラリーマンだとか。

内容は、小学生向けの分かりやすいストーリー。
「サマーウォーズ」や「かみちゅ!」的な感じ。
宇宙が舞台、という設定だけが先走りしてしまっていて、敵の設定だとか、ストーリーの背景がなんだか浅い気がしないでもない。
安易な感動作という気がして、私はどうものめり込めないところは確かにあったのだけれど、登場人物たちはみんな可愛かった。(悪役もどこか可愛いところがある)

この作品でもそうだけど、最近のエンタメの主流はヘタレ主人公という気がする。
個人的には、もっと格好良い人が活躍する作品とかも見てみたい気がするのだけれど。
(そういうの、もはや時代遅れなのかなぁー。そんなことはないはず)


以下、5段階評価。

■宇宙ショーへようこそ(2010年日本)
ジャンル:邦画アニメ/SF
ストーリー:★★
キャラクター:★★
意外性:★★★
癒し:★★★
音楽:★★★
総合:★★★

【映画】個人的な備忘録(58)

以下は、あくまで個人的な備忘録。

最近観た映画(旧作)

■「スター・ウォーズ」6部作
1~3は正直ちょっと微妙かな、とも思ったけれど、
4~6はけっこう面白い。
なんとなくガンダムっぽいなーとか思ったりした。
(宇宙を舞台にしたSFだとか、若い主人公たちの物語に恋愛要素が絡んだりとか、主人公と仮面男との諍いがあったりとか、マスコット的なロボットが登場したりとか)

C-3PO(要するにヘタレロボ)の存在感はあまりにも大きい。
C-3POがいるかいないかで、この物語の面白さが全然変わってくる気がした。
(C-3POがいないと単なるヒーロー物アクションで終わっていた気がする)


■「となりのトトロ」
よく見ると、「借りぐらしのアリエッティ」といろんな場面で共通項が!
両方の映画を見て、共通項を探してみるのも映画を観る楽しさのひとつかもしれない。
「借りぐらしのアリエッティ」は、「となりのトトロ」に出てくるまっくろくろすけやトトロの視点で人間を描いた作品、と言うこともできるかも?

【映画】個人的な備忘録(57)

以下は、あくまで個人的な備忘録。

最近観た映画(旧作)
以下、ツイッターよりコピペ。

スタジオジブリの映画「耳をすませば」(1995年/日本)見ました。評価6。むちゃくちゃ大好き。胸がきゅんきゅんする。年をとればとるほど、この作品の良さが伝わってくる気がする。

映画「雨の訪問者」(1970年/フランス/イタリア)見ました。ハードボイルド・ミステリ? 古い映画ということもあって、今の時代に見ると、突っ込みどころはいろいろとあるけれど、作品の作りとしては、なんだかお洒落な感じはする。評価3。

映画「私の優しくない先輩」観ました(一部ネタバレ含む注意)

チネチッタで、映画「私の優しくない先輩」を観てきました。
小さめのシアターに、それなりの観客の入り。

ストーリーは簡単で分かりやすい。
ストーリーだけを見ると、安易な感動作に思える。
しかし、それだけで終わらせないのがヤマカン監督のすごいところ。
斬新な映像描写や生々しい効果音などがすごく面白い。
さすがヤマカン!とつい思ってしまう(苦笑)

エンディングロールとともに流される、ノーカットのダンスが良い感じ。
ヤマカンと言えばダンスというイメージはあるよね。
最初のダンス(ミュージカル風)は、ちょっと微妙かな、と思ったけど、ラストのノーカットのダンスは頑張ったなーと思った。
ところで、特別出演のあずまんがどこに出てきたのかさっぱり分からぬ。

でも、あの例の先輩、本当に暑苦しい。。(苦笑)
あんな暑苦しいキモ男、リアルで身近にいたらちょっと引くよね(苦笑)

ヒロインの子はなんとなく加藤ローサやナカミーにちょっと似てたかも。
ラストシーンで、ヒロインの子が「大好き!」というシーンで、
なんかナカミーに「大好き!」と言われた気になった。

以下、5段階評価。ちょっと甘口だったかも。

■私の優しくない先輩(2010年日本)
ジャンル:邦画/ラブコメ青春映画
ストーリー:★★★
キャラクター:★★★★
意外性:★★★★
癒し:★★★★
音楽:★★★★
総合:★★★★

映画「借りぐらしのアリエッティ」観ました(一部ネタバレ含む注意)

チネチッタで、映画「借りぐらしのアリエッティ」を観てきました。
それなりの大きさのシアターに、かなりの観客の入り。

日常のいろんなところに、非日常への入り口がこっそりと潜んでいる。

映像、音楽は綺麗だけれど、ストーリーはちょっと退屈かも。(やっぱり子供向けという感じがする)
でも、映画を観終えて泣いている女の子もいたので、純粋な心をまだ持っている女の子(?)にとっては良い作品なのかも。

内容的には、「ホッタラケの島 ~遥と魔法の鏡~」に近いものを感じた。
でも、小人側からの視点でストーリーが進んでいくスタイルが新鮮に思えた。
小人が、私にはなんだかねずみみたいに思えた。ねずみが夜中にこそこそと人間の物を盗んでいくイメージに近いものがあるよね(苦笑)

以下、5段階評価。

■借りぐらしのアリエッティ(2010年日本)
ジャンル:邦画アニメ/ファンタジー
ストーリー:★★★
キャラクター:★★★
意外性:★★★
癒し:★★★
音楽:★★★★
総合:★★★

映画「インセプション」観ました(致命的なネタバレ含む注意)

チネチッタで、映画「インセプション」を観てきました。
かなりの大きさのシアターに、それなりの観客の入り。

夢ネタの作品はもはや1つのジャンルと言っても良い気がする。
なんとなく「シャッターアイランド」を連想。
夢ネタを扱う作品は、どうしても、「この物語それ自体が1つの夢だ」というパターンに嵌ってしまう作品が少なくない気がする。ラストシーンではそれを提示する形で終わっている。
今の状況は本物なのか夢なのか、メタ構造的、多重構造的な仕掛け。多重構造のそれぞれの階層で物語が同時平行的に進行していく。それぞれの階層での「異常」が他の階層の物語に影響を及ぼしていく。
そういった作品のスタイルというものは、確かに既視感は感じてしまうものの、この作品では映像描写に凝っていて、迫力ある仕掛けで観客を楽しませてくれる。
この作品で描かれる物語はメタ、多重構造的なので、物語にのめり込むことができる人は楽しくても、のめり込めない人はなかなか楽しめないという、観客を選ぶ要素はどうしてもあるのだと思う。
私は「シャッターアイランド」や「いばらの王」だとか、夢ネタや多重構造的な物語を最近やたらと観ているせいか、どうも既視感の方が先に来てしまって、どうもなかなか深くのめり込むことができなくなってしまっている。この系統は個人的に私のツボではあるのだけどね。さすがにちょっと物語の見過ぎなのかもしれない。物語を多く見過ぎると、満足度のハードルがどんどん高くなってしまう。既視感が強くて新しい要素に欠ける物語は、私のなかにあるハードルを乗り越えることができないのだ。

あと、BGMに関して。確かに良い味は出ているものの、煽りすぎな感じがしてちょっと煩かった。日本人に対しては、このBGMの付け方はちょっと煩すぎるのではないだろうか?

以下、5段階評価。

■インセプション(2010年アメリカ)
ジャンル:洋画/SF/サスペンス/アクション
ストーリー:★★★
キャラクター:★★★
意外性:★★★
癒し:★★★
音楽:★★★★
総合:★★★★

2010年夏季開始アニメの感想(辛口編)その5

2010年夏季開始アニメの感想(辛口編)その5です。

私が直接見たアニメに関する感想です。
5段階で評価しました。

個人的な好き嫌いの面が激しく出ていますので、あまり参考にはならないかもしれませんが……
あくまで、個人的な備忘録です。

今回は比較的甘口でいこうと思っています。これでも甘口です。
(と書いたけど、実は今までのなかで一番辛口かもしれない。。)

なお、テレビアニメの批評については、基本的に初回のみで評価しているので、
回が進む毎に面白くなる、逆に回が進む毎につまらなくなる作品がある点についてはご了承ください。

↓各アニメの詳細な放送時間については、こちらで。
2010年夏季開始新作アニメ一覧(2010年7月放映開始のTVアニメ番組) (2010-06-25 19:21:46)
2010年夏季開始アニメの感想(辛口編)その1 (2010-07-03 07:52:14)
2010年夏季開始アニメの感想(辛口編)その2 (2010-07-04 04:39:50)
2010年夏季開始アニメの感想(辛口編)その3 (2010-07-05 04:35:22)
2010年夏季開始アニメの感想(辛口編)その4 (2010-07-07 06:23:52)

■■■2010年夏季開始アニメの感想■■■

■屍鬼
ジャンル:オカルトファンタジー
当初の期待度:★★
ストーリー:★★★
キャラクター:★★★
意外性:★★★
癒し:★★★
音楽:★★★
画質:★★★★
総合:★★★
対象:中高生向け
放映時間:フジテレビ:7/8(木) 25:30~
備考:
なんとなく「ひぐらしのなく頃に」を連想。


■ストライクウィッチーズ2
ジャンル:美少女SFアクション+萌え
当初の期待度:★★
ストーリー:★★★★
キャラクター:★★★★
意外性:★★★
癒し:★★★★
音楽:★★★★
画質:★★★★★
総合:★★★★
対象:中高生向け
放映時間:TOKYO MX:7/8(木) 26:00~
備考:
いくら「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」と言っていても、どう見てもパンツにしか見えない件。
画質が綺麗なのが良い感じ。
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