ここ1年、携わっている仕事。


ようやく終わりが見えてきました。



1年前にやれといわれて検討状況を見せられたときには、


到底期限に間に合うなんて思えなかったですが。


どうやら年度内には予定通りのサービス提供ができそうです。



「あれを使いたい」という要件。



システム開発の世界では「失敗する」代表のようなはじまり。


そしてそれが海外で作られたパッケージだっていうのだから、


社内で常に「あぶなっかしいプロジェクト」と見られるのも当然。


PMOからも常に厳しい指摘を続けられてきました。



お世辞にも少ないとはいえない制約条件を飲んでもらいながらの


船出となるけれど、果たして計画通りの収益を生んでくれるか?


人を減らせない会社での「合理化」という無意味な案件とは


一線を画したプロジェクトだけにうまくいって欲しい。




今は手作業の限界もあり、取引は1日2000件程度。


参加者が6社しかないにもかかわらず市場シェア1%。


だけど、ちょっと価格を良くすれば取引量が増えることは実証済。


自動化で平均10000件/日を見込む。(これでもまだ5%)



1件あたりの利益が400円程度として、


1日1万件増えれば月6400万円。年間7億6800万円。


投資金額の7億円は1年程度で回収。


「キャパシティが限界だから取引抑制しないと」


なんて。


前向きなシステム障害対応なら楽しくやれるのだろうけどなあ。





<育てる>


自分の3年前と比べて明らかに物足りない。


といっても、同水準を求められるわけではない。


だめなところをあげるのではなく、


どうすればよくなるかを考える必要がある。



何が足りないか?経験だろう。


人の基本的な能力なんてたいした差はない。


でも、スタートの少しの差のせいで


与えられるチャンス、そして経験に差が付き、


気がついたら・・・なんてことだと思う。



成長に必要なもの。失敗と成功だろう。


自分で考えて、自分の責任で失敗する。反省する。


成功する、物足りない、改善点を考える。


次はこうしたいと考える。


その繰り返しが人を育てると思う。



と、考えると自分の仕事の仕方では人は育たないか。


あまりに簡単に結論を与えすぎているかもしれない。


自分の中では考えた経緯があっても、


言葉に出るのは結論だけだったりするから。


これでは人は育たない。



とりあえず。


今は失敗を吸収する余裕も出てきたので、


任せられるだけ任せてやってみよう。




<判断力>


全てを理解していれば判断というのは難しくない。


ただ、情報が不足しているからこそ


判断には不確実性が伴って悩んでしまう。



可能な範囲で全てを理解する。百聞は一見にしかず。


伝聞よりも1度見て理解すると正しい判断に役立つ。


もちろん100%全知というわけにはいかない。


自分の知識を演繹して論理の組み立て、


不確実な部分があってもリスクの範囲がわかっていて、


飲める範囲ならそれで判断。


物足りなければ「自分の目で見る」。



演繹の土台として本を読むことも役に立つ。


自分の経験を縦軸、読書による知識を横軸。


両面で広げれば演繹的に理解できる面積が広がる。



ただし、縦軸、横軸を伸ばした分、


掛け算で判断力が伸びるわけではない。



実経験×間接知識×応用力(0~1)



こんな感じかな?


だとすると、応用力の伸ばし方が知りたいかも。



狙っていたわけではないのですが、


市長選の最中に現地にいました。


宿泊地もキャンプシュワブの対岸のリゾートホテル。

妄言多謝-辺野古

ちょうど右奥に見えるのがキャンプシュワブで、


その先、陸地が切れる辺りに埋め立てて滑走路を


作るというのが「普天間移設計画」だったらしいです。


車(運良くHV車インサイトでした)で走っていると、


「大浦湾を守れ」といった立看板を見かけました。



沖縄県の人口は約130万人。


人口密度という意味では47都道府県中9位。


なんと8位兵庫県、10位京都府の間。


日本の中ではどちらかというと人が集まった地域。



もう少し詳しく見ると。


本島の中でも南部に人口が集中しているらしく。


中部から北、名護市と国頭郡をあわせても125000人程度。


南側(一番細くなったあたりから南)で90万人が暮らしていて、


日本の中ではかなり人口が密集した地域になるようです。



基地移設問題は「自然を守る」という単純な話ではなく。


人の命と自然、日々の暮らしが入り組んでいます。


人の少ないところに移設すれば自然を犠牲にする。


グアムに移設すれば日本や韓国の安全保障上の問題が


表面化してくる。全てに良い回答は存在しないことが前提。




「観光産業で」という言葉には疑問を感じました。


泊まったホテル自体、開発による赤土の流出で


サンゴを殺しているのでは?と感じることもあり、


自然のためを考えるのであれば観光産業の振興が


良いといえるのかどうか・・・。



本当に自然の美しさを売りにして、


その日にとれた地魚を出してくれるような民宿の方が


よさそうだなあというのが個人的な感想ですが。



「観光産業」として旅行代理店を通じてサービスを


提供しようとすると、品質をを一定にしたりとか、


「自然のまま」とは相容れない「清潔さ」を求められたりとか、


面倒なことが増えるんだろうとも思います。



だからといって基地を頼りに生きていいのか?


ものすごく難しい問題です。


ひとついえるのは。

「東京で納付された税金が地方で使われる」という


発想は捨てるべきではないかということ。


郊外にショッピングセンターを作り、工場を作り。


地方に「地元資本」の起業が減り、


東京本社の大資本が強くなり、


地方には非正規の雇用が多くなっている状況。



植民地時代のプランテーションのかわいい弟


みたいなものにも見えなくもない。


「自由競争」の名の下に東京に富が集中するのは、


外見は違っても結果は同じなのではないかと。


なので。


東京に集まった富を地方に返すことは必要なこと。


「基地と引き換えに」という話ではない。





妄言多謝-慶佐次


慶佐次のマングローブ林。


殆ど人のいないエリアですが、ここを見るための


展望台等の建設には3億円の費用をかけたそうな。



妄言多謝-ジンベエ

美ら海水族館のジンベエザメ。


でかい水槽。遠いのに人が多くてびっくり。



妄言多謝-海の道

4.5kmの海中道路を、海の駅から。


その向こうの橋が浜比嘉大橋。


島を結ぶ橋が結構あります。


あけましておめでとうございます。


キャリアを考えよーと言って始ったお休み。

寝正月でした・・・。



キャリアにまで落とし込めないけど、

もう少し大きな視点では少し考えたかな。


資本主義が落とした影

考えていたことが綺麗に纏められていました。


途上国と先進国という関係だけでなく、

国内で中央と地方という観点でも同じだと思います。


帰省中、近所のアウトレットモールに行きました。

隣にはこれまた大きなイオンがあります。

イオンにあるテナントは、全国どこでも同じようなもの。

昔は、ダイエーの専門店に地元の商店が入って

いたりしたけどそういうのも感じられず。


地元資本の企業が負けて正規雇用が減り、

自由競争の名の下に地方には非正規雇用が残る。

地方分権で地方税の所得割部分を増やしても、

地方の所得自体が減少したら効果なし。


すぐに地元に帰りたいと思ってはいないけれど、

その選択肢すらなくなっていくのは寂しい。


生まれた地方によっては、

生まれた土地で暮らし続けることすら難しい社会が

資本主義がもたらす社会だとして。

資本主義は社会を豊かにしたといえるのだろうか?


もちろん社会主義が良いと思っているわけでは

ないのだけれど。何か良い方法はないものか?

単純に思いつくのは2つ。


・制度そのものを変える

・今の制度でも競争できる「地方」にする。


どちらにしても自分の仕事の延長線上にはない。

前者なら政治家か何かだし、

後者なら起業するかってことだし。

やるからには勝算がないと嫌だし、

でも何もやらないのもどうかと思うし。

自分の人生だけとか、家族だけとかで考えれば

そこまでがんばらなくっても・・・という話でもある。

簡単に結論が出る話ではないし、出す必要もない。

とりあえず意識だけしておこう。



大河ドラマの竜馬を見ていました。面白い。

「上士と下士」

今の世の中、切捨て御免ってことはさすがにないけれど、

格差の固定化と考えたら似ている。

歴史は繰り返すとも言うし、しばらく見続けてみよう。





明日から帰省するので今年最後のエントリー。

1年を振り返ってみます。


ちょうど去年の今頃、長期休暇の最中に電話を受け、

しばらくニューヨークに行ってくれと言われる。

約3週間で現地のプロジェクトの状況を調査、

その後の方向性を出して帰国。


帰国して出社初日。

今のプロジェクトの立上げ検討への参加を伝えられる。


ロンドンで欧米の企業がやっている先進技術を

人を引き抜いてきて導入。

それを東京に持ち込むというプロジェクト。


4月までで予算と開発期間の計画を作成、

7月までで開発内容を確定、

9月まで開発し、10月からテストを開始。今に至る。


東京で実際に「使う」人たちは、

「ロンドンで動いているものを持ってきて欲しい」が

ニーズとなってしまっていて、

「自分たちのビジネスがどうあるべきか」という視点が

殆どなくなってしまっている状態での開始。


「今、どうなっているか教えてください」

「本来どうあるべきか決めてください」

この溝が埋まらない。


結果として、東京のプロジェクトには

「こういうことを実現するんだ!」という夢が感じられない。

やろうとしていることはとても先進的にも関わらず、

受身の姿勢が前に出ている。


もっともつらいのは。これがゆえに開発メンバーに

「画期的なことをやっているんだ!」という

ポジティブな気持ちをモチベーションに

させられずにきたこと。何か暗い。



自分自身の反省。

やはり人を育てるのが下手だ。

相手の問題もあるのかもしれないけれど、

組織として、そこにいる人を活かしていくしかない。

いる人をどれだけ嘆いても、代わりなんていないのだから。


我慢が足りないんだろうな。

自分の中で、先に先に考えて出している結論を、

結論だけで伝えてしまっている。

そしてその結論がそのまま「信仰」されている。


「どうでしょうか?」


そんな質問は正直されたくない。

「これでいいですか?」と「Yes」 or 「No」で回答できる

案を提示するようになってもらわないと。



来年はこのプロジェクトが完了する。

品質、コスト、期限はなんとか守れそう。

計画自体が無茶だったことを考えれば

それだけで及第点だと自分では思う。


そして次。

何をするかはわからないけれど、

ここに大変そうな仕事がたくさんあることはわかっている。

やって欲しいなあと思われているっぽいことも。



でも自分のキャリアを考えるのであれば

もうそろそろ全く違う仕事をしたいと思うし、

「もうここを出たい」と公言してもいる。


「出たい」と言っている人の下で働かせているのも

申し訳ない気もするけど、いたいと言ってしまうと

永久にここにいそうな気もする。


そもそも自分はどうなりたいんだろう?

何を目指しているんだろう?

そのゴールに対して次は何をすべきなんだろう?


仕事と家庭と。

そんなことも含めてどうなりたいかを考えた上で、

初めて次に何をしたいかなんだろうな。


年末年始。

4日間ゆっくりとしながら何か考えられたらいいなあ。





フジファブリック ヴォーカル 志村正彦(享年29歳)


12月24日急逝。(病名不詳)



昨日の深夜、会社から帰る途中に携帯で見たニュースに


目を疑いました。


病名不詳で、自分よりも若い、類稀な才能を持った人が


急逝するなんて。



「次はどんな音楽を作り出してくれるんだろう?」


そんなわくわくする気持ちを与えてくれる人でした。



フジファブリックはどれだけ忙しくなっても、


ライブに行き続けたいと思っている数少ない


バンドのひとつだけに。


心にぽっかりと穴が開いたような気分です。



本当に、突然すぎる。



最近のテーマ。

「シンプルでかっこいいものが欲しい」です。


で、何年ぶりだろう。


紺のスーツを買ってみました。



ロンドン滞在中にSavile Rowに行き損ね、


「ビスポーク」で作ってみたい!と


盛り上がっていたのですが、


どの店でもだいたい18万円以上はする。



さすがにそこまで大それたことをする


気にもならず


「ビスポークの発想を・・・」というここで。

http://www.batak-housecut.jp/


結局パターンオーダー。




で今日引き取ってきました。


生地の光沢も考えていたより良かったし、


何よりも形がいい。


すっきりと体に合っていて。



いつ着ようかな~。

最近のテーマ。


結局はその人次第で、模範解答なんてない。


考えてやってみて、失敗して、やりなおすしかない。



「とつさんの指示のもとやらせてください」



年も変わらぬ後輩にそういわれると、


うれしいというよりもさびしくなる。


「私がやるんで黙ってみててください」くらいを


言われたいなあと感じる。



自分で判断をし、仕事をできるようになるきっかけは


なんだろうか?



「プレッシャーに強い」「ストレスを感じなさそう」などと


言われたりする。


だけど本人的には全くそんなことはないと思うし、


むしろ気が小さいくらいだと自己評価している。



「自信」や「プレッシャーへの強さ」は裏づけがあるはず。


「こうすればうまくいった」というような成功体験がそれ。


スポーツ選手もそう。


結局は練習の繰り返しが自信の源だし、


自信があるからプレッシャーに打ち克てる。


裏づけがなければただ鈍感というだけのこと。



ってことは。


人を育てるということは自身を持たせるということになる。


課題を指摘すれば自身を失い小さくなる。


小さなことでも、独力で成し遂げた経験の繰り返しが


人を成長させるし、その機会をうまく作ることが


「人の育て方がうまい」ってことか。



だとすれば、自分の仕事の仕方は全くだめだなあ。


自信を奪っているかも。難しいなあ。









「休日出勤してもいいから期限を守れ!」


ということで、次の週末の休みが微妙な雰囲気。


不景気だというのに仕事があって幸せだー!


って開き直ってしまいます。



にしても。1週間前にバグの棚卸をして整理をして。


制約として割り切りで合意しただけでも


それなりの数があるのに。


残存バグは減らない。


っていうか消化テストケースの数よりも


たくさんつみあがっているような気が。



今朝見て笑ったメール。(英語です)



「早速テストしてくれてありがとう。


そして、まだ直ってないところがあって申し訳ない。


でも、テスト環境がなくて、テストできずに渡したんだし、


僕はそんなに驚かないけどね。


この件は、このプログラムの主担当者のリーに


引き継いだから彼女と話をしてくれるかな。」



まあ、こんなもんか・・・。

2週間前あたりから体調を崩し始め。


とうとう今週末は完全に回復に努めることに。


その割りにまだ咳をしてますが。。。



「休めないんですか?」と、


いつもお世話になっているマッサージ師さんから


聞かれる。



休んでから会社に行ったら仕事が


溜まっているだけだから休みづらい。


しかも自分の判断待ちで


他の人の仕事が止まるまであるとなると。



そして最近は、「自分にしかできない仕事」が


増え始めている。良くない傾向。


そうならないようにと常に気を使ってきたつもりだけど、


ちょっとややこしい交渉は全部引き受けてしまっている。



人を育てなきゃ・・・と思っていても。


コミュニケーションの能力やら、


周囲の人たちの感情を汲み取る能力は急には変わらず。


「問題がある」ことに気づく能力がなければ、


仕事が改善するはずもない。



どこかで今のメンバーの限界を見切ってしまっている


自分がいて、それが一番の問題か。



でも人間性を変えろって言うのもなあ・・・などと


堂々巡りを繰り返すのでした。





そりゃあ体調も悪くなるか・・・。