日産元会長のカルロス・ゴーンについての人物評は、物知り気なマスコミ評論家諸氏によって語られていますが、所詮は10年も前には日産業績をV字回復をさせたと散々におだてていたせいもあってか、逮捕後の評価もいまいち突っ込みが足りないと感じています。誰でも出来るリストラでの業績を回復させた後には、それほどの業績を向上させた形跡もないので只の凡人だろうと思えるのですが、そういう意見が聞かれないのもマスコミが本件については過去のしがらみから抜け出せずに腰が引けていると言う風に見るのが現実かなと感じています。
退職してからはサラリーマンとの付き合いも無くなり現場の情報というものがネットや新聞に限られてしまうので、日産社内ではカルロス・ゴーン逮捕後どうなっているか興味津々ではありますが、漏れ聞く情報も無く本当のところは知り得ないというのは何とも歯がゆい限りとも感じています。
 
私が転職後27年間勤務した会社について色々な角度から感想を述べていますが、業界のトップ企業でも無く、親会社のしがらみをいつまでも絶てない幼児的な面も多々あるように思えました。役員の中には親会社ありきという意見を標榜する社員もいましたが、所詮業種も業態も全く違うので親会社とは違う道を自ら探し出して歩むべきだろうとは思いましたが、そういう考え方を持つ社員は殆どいなかったと思います。
私の勤務していた会社では、自らの道を探し出すという前提となる情報処理の基本知識が役員以下部課長層までも希薄であるというのは何度も書いてきましたが、こういう基本的な知識とか思考姿勢が無いので、とりあえず根拠もない無く与えられたノルマ達成のために面前の仕事をするのが本来業務と思っている社員が大半で、筋違の仕事ぶりだと何時も感じていました。現場では、情報処理業でも下流工程中心のシステムエンジニアの作業ベースの仕事が中心となっていて、元々付加価値の低い仕事の筈なのに利益を無理して得ようとして顧客と揉めて信用を無くしていたと思っていました。
これが何故起きているかと考えてみると、親会社というものの存在を意識しすぎて、歴史ある親会社の様になりたいという願望が根底にあるだけで、その実現の為には色々な施策が求められると思われますが、役員や管理職の情報処理に対するリテラシーの低さに由来して自ら思考する事もなく、直ぐに外部のコンサルタントに頼ったり貧弱な人脈の中での限定された情報に惑わされて変な事業を立ち上げたりしても、直ぐに行き詰ってしまうと見えていました。上意下達の風土では上司に文句も言えずに何時の間にかうやむやにして辻褄を合わせるストーリーを作り上げて年度初めの予算説明会で社員に説明するというようなことが繰り返されていたのではないかと思います。
 
こういう仕事ぶりの会社では行き着くところは社員も少々出来る人は転職するし、のんべんだらりとした社風にどっぷりと浸かる気分の社員が揃ってくるので、そこには社員の一体感は求めるべくもないと思いました。役員が笛を吹けども社員が踊らないという光景が毎年4月の年度予算説明会では繰り返されて、社員は漫然とした予算計画内容も理解が中途半端なので、当然ながら毎年年度途中には数字の下方修正が繰り返されるということが行われていたと思います。
社内では個人のつながりが希薄なので、若い社員同期の仲良し会が出来るくらいで、上司と部下に至っては職場では組織上は同じでも全く他人行儀がまかりとおっているという状況になっていて、社員管理もできない管理職がどういう基準で選択されているのかと疑われるような管理職が闊歩することになっていたと思います。ある程度の売上規模の会社なので倒産の危機は少ないとは思えましたが、日本の経済不調の時には真っ先に影響が出るとは想像はできます。
こういう個人対個人の関係が希薄な職場では、顧客に対しても自然と希薄な態度で接するのが常態となるので、真面目な顧客が信頼して仕事を任せているつもりが、熱心でも無い営業マンとか何でも費用を請求するシステムエンジニアが登場するという対応ぶりで、そういう姿勢を認める顧客のみが残っていくという実態があったと思います。又、顧客に酒席で適当におべんちゃらを並べ立てれば自らの会社の意向になびくだろうと思っている管理職も多くて困っていたこともありました。私がパワハラで担当を外された会社では、担当者が変わったという事や営業部長が自ら酒を飲みたいという事もあって頻繁に酒席を準備して顧客を接待しているつもりでしたが、そういう芸当を披露しているうちに顧客から契約費用の値下げを要求されたという事実もあり、顧客を小馬鹿にするような管理職も多々いるのいだなと思い知らされた時もありました。
現在日本で旬の話題といえば日産会長であったカルロス・ゴーンの話題満載で、かって日産工場の社員2万人の首切りで赤字解消しカルロス・ゴーンをほめちぎっていたマスコミ等が、今般カルロス・ゴーン逮捕後には手のひら返しで紙面やテレビ報道で言い訳を解説しているのは何とも情けないとしか見えないと思っています。何故カルロス・ゴーンの本性が見抜けなかったのかというマスコミに反省の弁が無いのも気になるところです。私がカルロス・ゴーンを見た時に抱いた最初の印象は、人相をみると鼻の穴が大きくて如何にも散財家という風にも見えて、それは自身だけでなく日産にも散財させたという意味で当たっていたのかなと思っています。

カルロス・ゴーンの不正追及で一つだけ気になることがあります、マスコミでも全く発言する人はいないようですが個人的には十分にありうる話と思うのは、現在カルロス・ゴーンは法人としての会計処理の表記問題と報道されていますが、正当な報酬としての処理を誤魔化すくらいの人間が他にも色々な手口で日産から金を巻き上げようと思っていたというのは十分に考えられると思います。法人の会計処理には「使途不明金」という項目があり、相手から契約書どころか領収書ももらえない支払いについては税金を支払って処理するという事ができます。日産に長年居座ったカルロス・ゴーンも当然ながら日本での会計処理について熟知していたと想像すると、私腹を肥やしたいとばかり考えていたカルロス・ゴーンがやっていないはずはないと思えて、マスコミから日産に対して検証をしてほしいと思っています。参考までに、使途不明金の定義を紹介しておきます。
「使途不明金とは、法人が交際費・機密費・接待費等の名目で、支出した金銭でその使途が明らかでないもの、または法人が使途を明らかにしないものをいいます。
 一方、使途秘匿金とは、使途不明金のように金銭の支出のうち、相当な理由なく、相手方の氏名、名称等を帳簿書類に記載していないものをいいます。
 更に、使途不明金は全額損金に算入されず所得に課税されるのに対して、使途秘匿金は全額損金不算入となるだけでなく、通常の法人税に加え、支出額の40%の追加課税が行われます。」
 
カルロス・ゴーンが日産という会社を食い物にしていたという事件について考えてみると、私がサラリーマンとして勤務していた会社では当然ながらそんな事件は起きてはいなかったのですが、社内の勤務実態に上意下達という風土があるとすれば程度の差こそあれ同様のことは起きていたのではないかと思います。使途不明金などというのは日本の会社では何処でもある話なのですが、当然ながら後ろめたい気持ちのある平凡なサラリーマン集団では黙って処理してしまうのが通例と思います。
今から30年以上も前には、右翼の街宣車がビルの前に停車して総務部から金をもらえると「xx会社、がんばれ」とがなり立てて去って行くのですが、中には金をもらえないとビルの前で長々と大音量で会社を誹謗する街宣を始めるので社員が「あれは金をもらえなかった右翼団体だね」という会話が職場に流れて、使途不明金というものが何故あるのかを勉強することもできましたが、現在喧伝される表面的体裁づくろいするばかりのコンプライアンス重視とかいうような事が言われるようになると、使途不明金は益々裏に隠れているような存在になっているなと感じています。
かって自分の勤務していた会社では表面的には真面目そうに見える会社でしたが、社内で色々な頼みごとをすると相手の態度が変だなと思われることもあったのは事実で、情実や人間関係の裏での関係などについてもカルロス・ゴーン級ほどではなくてもあったと想像をしています。
そういう事は関係者だけで内々にしておこうというのが通例なので一般社員には知られることはないと思っているらしいのですが、人間というものは態度とか発言とかで心の影が出るときもあり、そういう感覚を持っていた社員は薄々気づいていたと思います。こういう風土が静かに根を下ろして蔓延していると、社員は上司に従順なのはいいが仕事も平凡で積極的には出来ず、他人の寄せ集めのような組織なので人間関係も希薄で一体感がないので会社の業績も伸びないということに連鎖しているのではないかと想像をさせたカルロス・ゴーン事件だと思いました。
前回の続きを書こうと思っていたら、日産カルロス・ゴーン逮捕のニュースが流れてマスコミが大騒ぎの状態となっているので私見を述べたいと思い筆をしばし止めたいと思います。
大騒ぎしているマスコミはカルロス・ゴーンをどのように報道してきたかと言えば、日産の救世主みたいに散々持ち上げていて、10年以上も前に後に犯罪者となる気配も感じ取れない様な人気者気取りのカルロス・ゴーンをインタビューしている場面をテレビで流していて、インタビューアの無能を表明しているのも気づかないで、当時の映像を流すほどの程度のものかとマスコミの低能さにあきれているばかりです。カルロス・ゴーンに対して国からも勲章を授与していて、馬鹿さ加減はマスコミに限らないとしか思えませんというのが感想です。
 
私はカルロス・ゴーンの日産就任当初からおかしい奴だとしか思えませんでした。社内合議制の社風でにっちもさっちもいかなくなった当時の日産社長がカルロス・ゴーンを招聘してワンマン体制を作らせて、赤字体質の根源である2万人の余剰人員削減をやってもらって赤字を解消したという事だと捉えています。人員削減で赤字解消なんてものは凡人も出来る対策なのでマスコミがほめる程のことではなく、かえって2万人の社員削減をして恨みをかうような事なので、役者としてカルロス・ゴーンが日産社長として2万人の社員の首を切りましたという時点で退場させればよかったのでしょうが、それが出来ずにずるずるとカルロス・ゴーンの独裁体制が出来てしまって日産の社員は手も足も出せなくなっていたのだろうと思います。
今回のカルロス・ゴーン逮捕のきっかけとなった告発者が日産社員ではなく外国人役員という事なので、報酬を巡ってカルロス・ゴーンと意見対立して喧嘩をしたのか、それとも外国人独特の正義というものに対する心情から出たものか不明ですが、いずれにしても盤石と思っていた日産カルロス・ゴーン体制がほころんだという見方が正しいのではないかと思います。
マスコミがクーデターという言葉を使っていますが、クーデターではなく窮鼠猫を噛む諺のような事件で、カルロス・ゴーンがまっとうな経営者ではなく単なる蓄財目的として会社を利用していただけの事に気づいた日産社員の長年にわたる恨みがあったのではないかと思います。カルロス・ゴーンが欧米流の人事で独裁が果たせると考えたのは、日産の役員や社員の大人しそうな外見から感じて何でも出来ると勘違いしたものと思われますが、常識外の蓄財欲も裏にはあったと推測をしています。
 
カルロス・ゴーンが日産に就任していた頃に日産社内に何が起こっていたかというのを聞いたことがありますので紹介しますと、カルロス・ゴーンが日産に社長として就任して直後から、外資系会社からの転職者が大挙して入社して要職についたので、日産プロパー社員は外資系会社からの転職者連中との間に軋轢が生じていたということでした。カルロス・ゴーンが会社を私物化するための基礎固めに、仕事の出来よりも高給だけを求める外資系会社からの転職者を会社犬として採用したとも思えるほどの出来事であったという事でした。今回の日産カルロス・ゴーン背任事件で、散々に日産という会社を食い散らかした外資系会社からの転職者達は危険を察知して、地震が起きる前兆でネズミが逃げていくのと同じく日産から逃げ出していくのではないかと推測しています。
週刊文春でもこれほどの事件を察知出来ていなかっいたのが残念ですが、それほどに会社の背任事件は当事者意識が薄くて記者がネタを探し当てるのに難しいとも思います。その素地は日本の固有のものではなく人の持つ欲に起因していて、日本でも少額の金を内々で得たりすると所謂サラリーマンの役得でしょうという風に軽く考える素地もあり、会社という法人という名のもとに裏金が流れているのは衆目の事実として存在しており、今回の日産背任事件は金額規模が桁違いというのは単に外国人という特性からきているのではないかと考えています。
昨日夜、27年間勤務した会社での仕事の出来事の夢を見た。現在もサラリーマン現役のころの夢はよく見ますが、今回の夢は少し毛色が違い印象に残りました。悪夢なのか、退職して4年も経過しているのに顧客から私に対してシステムエンジニア体制の不備を責められて、その顧客の要望を後任者に伝えたところで目が覚めた。
夜中の眠い時間にうとうとしながらも、私が新規に契約した顧客は担当が私から誰に代わっているのか知らないし知りたいとも思えないのですが、顧客との間に起きている問題は多分にその内容は予想ができるものと思えました。
 
ブログでずっと書いてきた通りに、現場の責任者である事業部長や営業部長は自身の給料分位は自身で稼ぎ出すくらいの思考や実行力もなく仕事はすべて現場任せで放任し、ノルマだけは課して毎週管理するのが仕事だと勘違いしている連中が大半なので、そういう連中の頭の中は顧客に対しては金銭面での取引額にしか興味がない位の認識しか無く、契約額が減額でもされそうなら大騒ぎして担当者の尻を叩くくらいの芸当しか出来なくて、顧客の事情などは知りたくもないし知ろうともする気さえ起きずに、常に自社利益が優先課題という思想が頭にこびりついていたのが実情だったのだろうと思います。顧客都合は自社都合よりも優先されることはなく、常に自社の利益が確保のみが頭になかにあるので、顧客との間で何か問題があっても、金の損得問題ばかりが優先するので顧客の要望とは相いれない場合が多く、それは屁理屈の創作だけはたけているという変な社風により常に顧客は小馬鹿にされて適当にいなされて終わるので、真面目に考えている顧客から見ると新規の契約をしたいとも思えなくて、それよりも早く縁を切りたいと考えているのではないかと想像をしています。
夢に出てきた顧客は、色々な会社の不都合な事実は全て私がベールをかけて覆い隠していたので、多分顧客は薄々おかしいと感じながらも顧客からの問題提起に対してすべて対応している私に免じて何か事があっても大目に見てくれていたのだろうと思います。私も当然ながら会社に報告できないこともやらされたりしましたが、全ては会社の売上と利益の確保という命題のもとに自身の腹になかにしまい込んでいました。しかしながら、担当者が変わって私が顧客の前にかけていたベールがはがれ落ちて裏舞台が丸見えになると、顧客は実態が理解できて軋轢が生じたものと想像は容易にできます。
そして私から変わった担当者が馬鹿正直に営業部長や事業部長に顧客との問題を相談しても、出てくるのは誰でも思いつくような回答ばかりなので、顧客の信頼はどんどんと地に落ちていったものと想像をしています。所詮は現場責任者である事業部長や営業部長の思考が顧客優先主義ではなく自己都合主義で動いていた結果であると想像ができますが、そういう原因分析や対策もできなくて時間だけが経過し、顧客から愛想をつかれている実態が夢となって表れたのかなと想像をしています。今頃何だろうね、やれやれという気分で朝を迎えたました。
昨日、日経新聞で紹介された某総研の子会社によるシステム開発受託の失敗について記事が出ていたのを見て、私が勤務していた会社の事業部が受託した役所体質の会社の基幹システム刷新プロジェクトで多数の障害を引き起こした時との対応の差異が真逆であると思われたので言及するという事にしました。
役所体質の顧客の基幹システム刷新プロジェクトで受託した事業部が引き起こした事件・事故については以前のブログで事実のみを記述しましたが、ここでは某総研の子会社との対応差を見たいと思っています。
日経の記事の関連部分のみ引用すると「システム関連事業の大型案件で新たに損失を計上したことで、前日2018年9月期の連結純利益が前の期の11%減の34億円になったと発表。増益計画から(2%増の39億円)から一転、減益になった。・・・・・・。損失計上の対象案件は子会社が受注。詳細な内容はあきらかにしていないが、終盤テスト段階で予想外の問題が見つかり、初期段階から作業をやり直さざるを得ないと判断したという。追加の人員投入や工程遅延などでコストがかさみ、7~9月期に受注損失引当金17億円を計上。同案件は4月~6月期にも3億円の損失を計上した。・・・・・・。」
この損失を計上した某総研とは別の顧客で会議や打ち合わせに同席して面識もあるのですが、印象としては私が勤務していた会社の茫然自失のようなシステムエンジニアとは違い若くて気合が入っているというシステムエンジニアが多いものの、情報処理に対する知見が浅いので何かと顧客や私から突っ込みを入れられるというような事があったかと記憶しています。会社は財閥系会社ということもあり社員としての態度は礼儀正しく好感の持てたと印象には残っています。

私の勤務していた会社の某事業部が受託した役所体質の顧客のシステム開発刷新プロジェクトでは本番開始以降、インターネットに接続できないという常識では考えられない事故を皮切りに色々な障害が多数発ししましたが、私が退職した今でも気になっている重要な障害は、或るプログラムで数値を入力するとゼロと表示されてしまうという障害を本番開始以降に顧客が発見したという事件でした。システム開発をした事業部では直ぐに原因が特定出来なかったというので技術力の限界を露呈しましたが、そもそも半年以上もかけたプログラムテストで発見出来なかった言い訳として想定外の数値であったという言葉がでましたが、私の判断ではそもそもシステム仕様を理解しないで適当な数字を入力してプログラムを合格させていたという事であったのだろうと推測をしていました。
この障害発生から3カ月も経過してから、システムを受託した事業部から鬼の首でも取ったような剣幕で原因がプログラム開発言語のJAVAのバグであったという報告がありました。そうなれば、障害対策としては全プログラムの点検が必要となると思いましたが、どういう訳か障害の出る可能性のある部分のみを修正して一件落着として、素人同然の顧客からも異論は出なかったようでした。障害の発生した部分のみ修正して終わりというのは、素人分かりするたとえ話を考えると、水道管から水漏れがあった場所だけふさいだものの繋がっている腐食しかけた他の部分は漏水するまで放置されるという事と同じであり、根本対策とはとても言い切れるものではないと思います。
ここが、日経記事で紹介のあった某総研子会社との大きな差異で、日経記事では「・・・初期段階から作業をやり直さざるとを得ないと判断・・・」とありますが、役所体質の顧客の基幹システム刷新のプログラムの重大障害対応は一部分のみの修正で終わりました。この背景には受託した事業部としては既に終わったプロジェクトなので金を掛けたくないという方針から納入したプログラム納入後の瑕疵対応をしなかったという事だったと思います。
もっと深刻なのはプログラムを開発したJAVAのバージョンがプログラム開発当時の最新バージョンでは無く、自社で経験済と言う技術レベル問題でかなり古いバージョンのJAVAが採用されていた事で、ここでも受託した事業部の技術力の低さが露呈していたと思います。一般世間ではプログラム開発は過去障害対応済である最新バージョンのツールを使用するのが常識であるのを、わざわざかなり古いバージョンのツールを使用して障害を自ら招き入れたのみならず、障害も直ぐには発見できなかったという開いた口が塞がらないような事が起きたのでした。顧客側にも問題があり、システム開発を受託した事業部は発注者である情報システム部員をどれほど虚仮にしているかという意識が薄く、基幹システムが動けば良いという安易な発想で対応したことも背景にあると思っています。
自己の起こした障害を自らの費用で対応するという考え方は、情報処理業界では当然の事で、赤字案件になるシステム開発案件は多数ありますが、そこには業界人たるモラルというものが厳然として存在するという意識を持っているからと思います。
しかしながら、役所体質の顧客から基幹システム刷新プロジェクトを受託した事業部は、目先の金に目を奪われるばかりで自社損失ゼロという発想しか無かったのは、顧客にとっては最大の不幸であったと思っています。根本的な対応がされないままにシステムが利用されているのを知ると、将来発生すると思われる色々な障害が心配されるばかりと感じています。
 
最近の個人的な面白いネタを経験しましたので、口直しに書いておきます。私は現在抗癌治療中で定期的に病院で点滴を受けているのですが、当日予約した筈の患者のベッド予約がされていなので騒ぎになっていました。この一件は、私が点滴をうけている時病室中に響いて聞こえていました。看護婦言によると「先生は偉いのねえ、先生からはお前が予約しなかったからだろう」と言われて看護婦は少々立腹して「パソコン画面から予約操作が出来るのは先生だけですよ・・・」と言い返してやりましたという落ちがあり大笑いと言う顛末でした。教訓、何処にでもダメな奴はいるんだね・・・
昨今、KYBによる建築物用免震・制振用オイルダンパーの検査不適合製品出荷のニュースを見ていると、相も変わらず技術情報管理の素人集団としか思えないような明日にでも建物が壊れそうな報道がされている時もあり、日本のマスコミのレベルの低さとか視聴者もそういうレベルを許してしまう程の思考力の無さを露呈している現象としか思えません。オイルダンパーは建物の強度とは関係の無いもので地震時の揺れを小さくするだけのものなので、検査データが改ざんされていたとしても建物の揺れが少しばかり変わるくらいの影響しかないはずで、問題は製造現場では納期優先で検査データを改ざんした事にあるので、製品として不合格品を出荷した事が問題の本質と思います。オイルダンパーの検査データ改ざんと建物の強度とを混同して報道しているので、何が問題で建物への影響の有無があるというのは素人には分かりにくいものになっていると思います。
 
KYBのオイルダンパー検査データ改ざんは数値で表されるものなので合格不合格は非常に明快に理解できますが、情報処理における検査と言うものは数値表現が難しく非常に分かりにくく、システムエンジニアの能力レベルに応じて制作された書類やプログラムの検査標準というものが極めてあいまいで、システムの受託者の都合で適当に合格とか不合格とかされる場合が多いというのが感想です。KYBの検査データ改ざん問題を聞いている時に、情報処理の検査データの数値化が難しいというのを思い出したわけです。
情報処理業務のシステム化に当たって、構想とか設計とかいう業務については、検査があるわけでもなく資料が揃えば業務が終了したと考えるのは素人システムエンジニアの仕事であって、作成した構想書とか設計書とかが次の制作フェーズにどう役立つかという内容が無いと単に書いて終わりになるので、検査と言う観点からいえば不合格になると思います。

そんな事が本当にあるのかと思い出してみると、役所体質の顧客の基幹システム更改プロジェクトでは構想書とか基本設計書という類の書類が山のように作られたのですが、プログラムの制作時には再び同じような仕様書を記入するという事が行われて二重の作業を行っていたことがありました。構想書や基本設計書はプログラム開発には何の関係も無く作られたので膨大なファイルの山が残されただけの結果となり、顧客も資料の位置づけが不明で保管するのかどうか迷って苦労をしている場面を見ていました。
役所体質の顧客の基幹システム更改プロジェクトのシステム検査は単純な操作確認だけで行われて終了させていたので極めて不十分な検査しかしていなかったと思え、同時にプロジェクト中にも受託した事業部のシステムエンジニアがプログラム品質のレベルを故意に数値を変えるなどをしていた事実があったので、客観的に見るとシステムとしては不合格としか思えないと感じていました。
結論として、KYBの検査データ数値改ざんと役所体質の顧客の基幹システム更改プロジェクトのシステム検査が不十分であったことは、同等の出来事ではなかったかと思いました。情報処理では検査の数値化が難しいので、システムの出来具合は業務受託した事業部のシステムエンジニアの能力に依存せざるを得ない現実もあるのだというのがあると思います。システム開発に当たり能力不足のシステムエンジニアが担当すれば不幸なと呼ばれるシステムが出来てしまうという、恐ろしい現実が情報処理という目に見えないものを作る現場では行われていると思います。
私が事業部長からパワハラを受けて以降の約15年間位は、新規に顧客となった新興企業と役所体質の会社の2社のみを担当して会社と言う法人に対しては相当な利益を出して貢献していたと思います。パワハラを受けて以降は当然ながら事業部長と疎遠になり、職場の一員として属してはいるものの殆ど個人会社みたいな状態で退職時まで過ごしました。その期間、役員以下社員の仕事をするという職場での動きというものについては、私自身が社内の個人会社という状態であったが為に割合と客観的な視点で見ることが出来たと思い、会社べったりしかできない社員とは異なる視点で色々な事象を書き述べて来ました。
表面的には体面ばかりを重視して社員の事情は無視するし、社内は色々な理由をつけては社員を拘束するような体質が、知らぬ・存ぜぬという社員の無意識の中にある行動によって職場ののんべんだらりとした空気を醸成して、ノルマの数字ばかりを叫ぶ実務には全く自ら手を染めようとしない、現場の責任者である事業部長や営業部長のむなしい声が響き渡るような事態が延々と続いていたように思います。社員が自ら新しい顧客を見つけられない状況というのは、社員自身の能力的にも問題があるとは思えましたが、それ以前に職場の責任者である事業部長とか営業部長がノルマを口先で叫ぶばかりで、率先して現場で働かないという社風があったと思っています。職場の片隅で社員の動きを見ていて感じたのは、事業部長とか営業部長がノルマを担当者に押し付けて、率先して現場で働かないという社風があったと思っています。その様な仕事の仕方が会社としては伝統として受け継がれてきたので自然に業績は横ばいと言う事に落ち着くのですが、毎年予算編成時には大したイベントや改革が盛り込まれずに小心者らしい小賢しい文言ばかりが連ねていて自己満足しているという事ではなかったのかと理解をしています。
 
会社の雰囲気として成長とか改革を求めずひたすらに安全に事故が起きないことを祈るというのが伝統なのに、役員自身の仕事振りは棚の上に置いて、口先だけは如何にも尤もらしく聞こえる理屈をこねるという事がまかり通っていたので、言ってる事とやってる事との乖離が大きすぎて理解不能と言う風に思える事も度々ではなく多々あったと思います。新入社員もそういう社風に慣れる者が多数派で、反発を覚える切れ者はさっさと転職をしていくという状況でも作られていたと思いました。
社員の大多数は情報処理の下流工程専門業者という立ち位置に或るという認識も薄く、人事部は機能崩壊して役所仕事に堕しているし、文書主義が行き過ぎて契約文面ばかりを確認するのは出来ても、契約内容が果たして内容通りに実行されているのかどうかは判断も出来ないという様な仕事振りが延々と続いても、社内の仕事の仕方について誰も変に思わないのかと不思議に思うばかりでした。
毎日会社に行くことが仕事みたいに思う社員が多数派で、今日もやるべき事を考えて動いているというのは少数派という事も言えるかとも見えて、大学生の入社希望会社ランキングが10位以下グループに属していている会社でランキングが上位になることも出来ない会社であるという実態は、何の情報も持ちえない出来の良い大学生には薄々感じられていたのではないかと推測しています。
先回書いた転職キャリア制度とか上司から退職を迫られるという事案について背景を考えてみました。
転職を勧めるキャリ制度とは、1年間の給与は保証する代わりに自身で転職先の会社を見つける事が必要で、1年後には転職先の会社が見つからなくても退職になるという事だったと思います。当該者は不要な人材なので自分で転職先を見つけてこいという制度で、大企業でも使えない高齢者を集めて一部屋の中に閉じ込めて自分で新規ビジネスを考えろという人事が行われているのと同様の、社員数削減の為に行われている制度だと思います。

私が転職前に勤務していた会社は営業職や企画職の職場で、人件費削減や能力不足で抱えきれなくなった社員は子会社とか場合によっては取引会社への異動をして、社員を首にするということは行われていませんでした。年功序列とか定年まで勤務する慣習がある古い体質が脈々と流れている会社だったので、保守的なだけに色々な労働争議も発生していて近年では裁量労働制で自殺者が出るなどしていますが、社員の首を切るという事は殆ど耳にした記憶がありません。
転職を勧めるのは、社員個人の資質が会社の仕事の流儀に合わなかったりする場合とかありますが、私見では上司による社員育成ができていなかったのが大いなる原因で、そういう原因を取り除かないと永遠に転職キャリア制度が維持され続けるのではないかと思っていました。何度も書いていますが、役員以下の管理職は実務にどれほどの器量があるのが不明で、そもそも情報処理ビジネスを正確に把握しているのかどうかも曖昧な能力程度で年功とか上司嗜好で管理職になっているので、自身がまともな仕事も出来ない能力しか無いのに部下を育成しようにも出来ない現実があり、結果として部下は放置されてノルマだけ与えられ、毎年同じことが繰り返されてストレスが蓄積されて転職キャリア制度という安易な退職への道を選択する事もあったのではないかと想像をしています。
私がよく知る社員も転職キャリア制度で退職していきましたが、本人の性格とか能力を見ていると、社員から嫌われるタイプでもないし仕事も与えられた事は出来ていたのではないかと思えたので、相当に出来の悪い上司に当たったのかなと思わざるを得ませんでした。役員以下管理職の転職を勧める制度を作った方が会社にとっては社員の能力水準向上という意味で効果的だと思いますが、役員が自分で自分の首を切るなどと言う斬新な発想は自己保身の伝統がある会社では起こるはずも無く、役員は一般社員にノルマを一方的に押し付けて指導監督も出来ずに放置していたという現実があったと思います。
 
一方で上司が部下に退職を勧めるという場合は、そもそも人事部が能力的にも問題無いとして採用した社員に対して何故退職を迫るのかという疑問が出てきます。採用時に人物の能力見誤りをしたという事であれば長年見誤りが続いていた事になり、人事部の採用担当者の能力が疑われても仕方のない事だと思い、人事部の採用担当に退職勧告することの方が問題解決の早道ではないかと思いました。会社は情報処理の下流工程専門会社であるという認識もなく、どういう種類の能力が必要とされているのか不明のまま、闇雲に新入社員や転職者の採用活動をしている実態があったという事も示唆する出来事であると思っています。人事部機能が世間一般会社からは相当に落ちるのではないかと疑われる対応ではないかと思います。
社員を退職に安易に追い込むというのは、そもそも社員を大切にしない会社というのを標榜しているとも思いました。或る職場で能力不足であれば、他の職場への異動とかを最初に考えるべきであるのが日本国内での普通の人事異動の考え方ではないかと思います。私見では、若手担当者へ退職を勧告するのであれば、上司である社員も同様に部下育成が出来なかったので退職勧告する必要があると思えます。私が勤務していた時、他所眼に見て役に立たなそうな社員だなと思えたのは社員全体の過半数はいると思えたのですが、余程出来の悪くて自己保身の強い上司に当たると社員に平気で退職を迫るという現実があったのかと思います。
役員以下の管理職の企業活動における人材に対する正当な評価能力とか倫理観とかを問われるような事案ではないかと思っています。
書けば書くほどに色々な記憶がよみがえりますが、ある時突然転職者が間接部門のライン部長になるという、抜擢されたのか強制なのか不明でしたが異動というイベントがありました。当の本人が社内の事情をどれ程知っているのかは不明でしたが極めて不明朗な人事異動だと思い、裏には親会社の役員の個人的な情実とか人事部長の忖度とか色々な事が想定されると思いましたし、日本の伝統的な会社ではまずありえない人事異動だと思いました。
通常は、入社が突然であるとしても転職者なので一旦は社内で勉強したり社員とのコンユケーションを取ったりして社内にある程度認知された後に異動があると言うが普通だと思います。そういう前提を無視して突然に部外者がライン部長に据えられたので、逆に言うとこの会社の裏には色々の情実が隠されているというのが露見したとも思えるし、社員感情を無視するような無感情の異動をする会社でもあるというのが垣間見えたという事でもあると思っていました。役員が情報処理というものや業界知識が貧弱にとどまらず、普通の常識もかなり落ちるものであるというのも感じさせる出来事で、間接部門の仕事なのでどこの会社でも同じだろうと考えた猿知恵程度の発想しかないとも思えました。私が役所体質の顧客の基幹システム更改プロジェクトで散々に出来が悪いというのを指摘して改善を求めていたら、プロジェクトの途中ながら嘱託を継続しませんと営業部長や事業部長の保身から言われたのを思いだすと、合点がいくような感じのする出来事であったと思います。
私は稟議書の承認押印の為に何度もこの突然に表れたライン部長に稟議書を説明したことがありましたが、ライン部長からは特に質問も無くスタンプを押して終わりで、本当に私が言っている意味を理解しているかどうかが甚だ不明瞭なままでした。この会社がどういう会社なのか分かっていないというのは普通に想像できますが、分かっていないのに堂々と承認印を押していたのは、会社の稟議書が最早役所と同じ無意味な多くの押印で責任の所在が不明であり、形ばかりを重視する体質であることの裏返しでもあるのかなと思っていました。そういう事実は、私が担当していた役所体質の顧客の基幹システム更改プロジェクトは契約書の契約期間が終わるとさっさとプロジェクトを終了していましたが、私の見た限りではプロジェクトは完了しておらず、やり残した仕事が多数あると思いました、多分今頃でも色々な障害が発生してと思いますが、それは仕事を完了しないで終了した証でもあると思っています、かように実例で企業間の契約行為でも文字面だけを見て仕事を終わってしまうという企業倫理にも反するような事をしていても全く感知しなという風土があるというのを感じていました。
 
社員にはキャリア制度と言って会社になじめない人は1年間の猶予を持って転職先を探すことができるという変な制度がありました。会社に嫌気がさして辞めたければ辞めて下さいと言う、体裁は社員の希望を重視しているように見えますが、逆に言うと社員の育成を誤ったのを忘れた人事部の逃げの制度でもあると思いました。時々、30歳前後の社員が能力に欠けるので会社を辞めて下さいと上司から言われていますという話を聞いたことがありますが、これも人事部が面接して採用した人物なにの、人事部自らの責任があるのを知らん顔をする社風としてあるとしても、やり方が下手糞すぎる田舎芝居同様の指導だなと感じ、管理力の能力不足が全社に染みついていると感じた事がありました。
間接部門の堕落した体たらくの背景があるので、会社の業績も一向にパッとせずにだらだらと横ばい続きという一因となっているのだろうというのが理解できるとも思いました。
情報処理業界の大学生の就職希望先会社のランキングで10以下グループだった会社であったことは以前のブログでも何回も紹介しましたが、これは或る年ばかりでなく万年10位以下のグループであったというのは過去履歴を見ても分かります。これで思い出したのは、大学生を面接するのに人事部以外の社員も動員されて対応をしていましたが、社員の仕事に対する能力が世間並ではないという現実の中で、幾ら大学生の面談をしたところで採用の仕分けなどは出来ないだろうと思っていました。その結果として入社した若手の社員の行動を見ていると、酒席では目立とうとして騒いだりしているのに普段の挨拶は自分の上司だけにしかしないという者や、資料作成に変な拘りがあって能力不足の上司も指導できないので一日中パソコンに向かっている者が新入社員としていました。
面接者である社員が普段顧客との対応も十分にできていないのを認識できていないという背景がある中で、就職希望の大学生の変に癖のある者を見極められる訳も無く、逆にその癖が個性的とか才能があるのではないかと言う風に見えてしまっていたのではないかと推測しています。
私の目から見れば明らかに規格外の品質と思えましたが、そもそも大学生就職希望会社ランキングで10以下の会社では、そういうレベルの人間しか集まらないのかとも思えるのですが、出身大学名だけはブランド志向と見えました。ブランド志向はいいのですが、学業にどれほどの熱心さを持っていたかは極めて不明な大学生が多いのではないかと思えて、やっぱり見極めが出来ないのだろうと思っていました。
面接する先輩社員も知らぬ・存ぜぬという無意識の社風にすっかり馴染んでしまっているので、面接する側の裏側に潜む心理として適当にやり過ごして時間つぶしをすればよいというものがあり、どうせ最後は人事部が決める事だからと言う無責任な安易な態度で大学生の面談に臨んでいるなと言うのは何となく感じていました。
 
管理職や役員にとどまらず部課長層が知らぬ・存ぜぬという社風の中で、上意下達ばかりがまかり通る職場では管理職は部下の育成などは二の次になるのは自然の動きだったと思います。ヒラメ社員とかコバンザメ社員にとっては上司の言動に極端に敏感で、その上司も管理職としての能力不足を自覚していないので役員から言われた場当たり的な言動に振り回されていて、一日中会議ばかりして過ごすのが日課となっていました、所謂蛸壺に一日中入っているようなものと思えました。
重要なのは役員や上司からの意味の無いいい加減な注意とか意見で、管理職は何とか言い訳を考えるのが主な仕事となっていたと思います。部下にはノルマを押し付けて放置して毎週進捗だけを確認するという安易な管理をしているだけで、新入社員や若手社員の育成とか現場教育には殆ど手抜き状態であったという風に感じていました。元々、管理職には能力的に無理と言う人材が多かっただけに、私が勤務していた職場にとどまらず全社的な傾向であったと思っています。
情報処理の下流工程専門会社という認識が社員に無いので、採用する新入社員もどういうスキルとか能力が必要かと言う事も考えられずに、マンネリ化したような採用活動がされて将来を担うとは到底思えないような人材を集めていたと思います。毎度の事ですが、そういう背景には知らぬ・存ぜぬという風土があって無責任という言葉は死語であるというような環境があったと思います。