私が転職して27年間勤務した会社は、コンピュータに関する業務や製品を扱う情報処理業界という業種」でしたが、情報処理業の下流工程専門という立ち位置を社員全員が認識していなくて、多分そういう事実を意識して仕事をしていたのは全社員のでも私一人だけだったと思っています。そういう事実は口を出して説明をするような事ではないので他の社員にあえて説明をすることはありませんでしたが、システムエンジニアと称する世間よりは能力的に落ちる社員の仕事振りに、裏方として顧客と内容を調整しつつ、自分自身の判断で契約が締結できる内容に顧客を誘導するという事は常に行っていました。
情報処理の下流工程専門と言うのは、インターネットで公開されている情報処理業界の大学生の就職先希望会社ランキングとも関連していると思いました。私の勤務していた会社は大学生の就職先希望ランキング会社の10位以下のグループなので名前は聞いた事はあるけれど、どれほどの仕事をしているかどうかは学生にも不明瞭であったと思います。他社が手がけていないような特別な仕事をしているような事も無く、普通に情報処理と一般論でくくられているような仕事をしているだけの会社で、親会社の名前がついているので倒産はしないだろうという安心感だけがあるような会社であると認識されていたと思います。当然ながら、10位以下の会社なので仕事も就職先希望ランキング上位会社が手掛ける事案のから流れてくるもののあり、自然と就職先希望ランキング10以下の会社では下流工程中心にならざるをえないという環境にあったと思います。
 
情報処理の下流工程専門と言う意識が希薄なので、社内では色々の問題が出ていると感じていたのは、社員の中でもやっぱり私一人だったかも知れないと思っています。
管理職や役員が出入りの業者やコンサルタントの口車にのって色々なツールが上意下達で社員全員のパソコンに突然導入されて、役員指示なのでという理由で社内の情報処理基準ともいうべきものは有るのか無いのかさえも意識されずに、担当者が上司からの言われるままに作らされた適当な言い訳らしき導入理由が社員に説明されることが度々ありました。情報処理専門会社の社内業務専用パソコンは業務ごとに画面を変えては使い分けをしなくてはならないという状況で、こんな不便極まりない社内システムを使っていて、他社の情報システム改善をしますとか、ましてやシステム開発などと言う実務をしたことの無いような仕事を、あたかも何でも出来ますとおこがましく宣伝していたのは、情報処理の下流工程専門と言う極めて技術レベルも低く付加価値の低い仕事しか出来ないという現実を把握できていなかったという事ではなかったと思います。
同様の事は社内の技術情報の掲示板でも示されていて、例えばシステム開発については2・30年も以前の陳腐なコンセプトが事細かに書かれているものが掲載されていたりして、仕事にあぶれたシステムエンジニアが持て余す時間の限り書いたもので、実務経験が無いというのが直ぐに分かろうという代物だったのですが、社内ではこれがわが社の標準だと意味も分からず大声を発している管理職や役員がいました。情報処理そのものが理解出来ない管理職や役員には、何となく細かく書いてあるし、目いっぱい文字が並んでいるのが本当らしく見えていたという風にしか思えませんでした。自社のシステムエンジニアの技術レベルが正確に把握できていないという事が如実に現わされているなと思いつつ、私が自分で判断した限りでは、世の中の常識とか技術動向とはかけ離れた技術資料が掲示板に多数あり、そういう資料を読んで納得はできないと思い見ていました。
資料の掲示板はあちこちのサーバーに分散していて見つけるのも面倒でしたが、本当に役立つ資料はすくないので結局のところ自身で創作するしかないのが実情でした。幸いな事にインターネットでの情報収集が大いに役立ったことは言うまでもありませんが、顧客もインターネットで散々検索をしているだけに提供する情報は最新とか海外の情報とかいうような風にならざるを得ないことも多かったと思います。当然ながら、こういう自主的な営業活動をしていたのは社内でも私一人だったと思います、大半の社員は上司から言われると動くような受動型で自身では何も考えられないような社員が多かったと思いました。
9月27日付の日経新聞の「私のリーダー論」というコラムにオリックスの井上社長へのインタビュー記事があり一読して言動に少し触発されて、私が転職後27年間勤務した会社との真逆の違いを感じましたので記述することにしました。新聞記者のインタビュー記事だけでなく新聞記事には、書いた記者の経験や耳学問のみで書かれている記事が大半であると思っています。記者の殆どが、業界の実務経験をしていないし業界常識とか業界ごとの全く違う働き方も何処まで理解しているか不明で、私も日経記者とのインタビューを付き合った経験から会話をしているうちに、インタビューする記者に対して情報処理とは何ぞやという入門編説明をしたという記憶があるので、新聞記事は鵜呑みにしないという読み方をしています。そういう前提付きながら、私が気になったオリックス井上社長のインタビュー記事と私が勤務していた会社の職場感想を紹介したいと思います。
 
オリックス井上社長談
(1)「自分で仕事をコントロールして、他人にコントロールされないことです。上司からは期日を指定されるでしょうが、進捗管理は自分で責任を持ってやる。『自由にやらせてください』と言えばいいんです」
  ↯
 私の勤務していた会社
 社内文書の作成では勝手な真似は出来ない社風で、決められた事は決められた期日までに
 仕上げる事が求められましたが、自主的と言うよりは指示されたので嫌々やらされている
 感が強いと思いました。
 但し、社外顧客とのコントロールはルーズで契約期日等の延伸は度々発生して、大概は顧
 客の責任にして事業部は自己保身から顧客に適当な言い訳を作っては延伸する事が度々あ
 りました。

(2)上司は部下にやらせるんじゃなくて『やりたい』と言わせなくてはいけない。部下に稟議書の作り直しの指示をして嫌そうな顔をされたら取り下げて、上司自らやると言えばいい。たいていの場合は、『やらせてください』と言ってきます。管理職になってからはそうしてきました。部下が自分で」やるという責任感を持つという事が大事です。能動的にやる意識がないと成長しないんです。」
 ↯
 私の勤務していた会社
 部下に指示したら最後まで部下がやるという流儀で、上司が部下に変わって文書を作成す
 るというのは余程出来に悪い部下の場合であって殆どケースでは上司が部下に変わって仕
 事をするなどと言う発想は無い頑固なピラミッド体制でした。能動的ではなく全てが受動
 的で、私だけが自主的に動いているので煙たがられた職場でした。社員の仕事振りが受動
 的な職場は成長とは無縁とも感じていました。

(3)「長い時間働けば生産性があがるというものではありません。朝10時に出社して夕方4時に帰っても構わないと思っています。経理の部署は決算期末は忙しいので残業をしますが、その以外の時期に休むなどメリハリをつけた人事管理をすべきです。改革をしてから、残業時間にこっそり現場を見に行ったのですが、まだまだ変わったとは言えません。これからですね」
 
 私の勤務していた会社
  管理部門が巨大な会社で、同じような業務をする人事・経理・総務の部署が事業部単位で
 存在して社員の数を増やしていました。暇な部署にも関わらず派遣社員を増やしたりして
 いてコスト意識はゼロと言う状態で、こういうスポット的な仕事をする人材は集約する余
 地が十分にあると思えましたが、役員にはコストや体制変更という事には全く無関心と思
 ました。

(4)「パワーポイントの資料を部下に作らせると、自分の作り方とは違うので、1㌻目の図表を3㌻目に移せとか、手戻りが発生してしまう。私に対するパワーポイントの資料は不要、ワードのA4版1枚でいいと言っています。それで要点は伝わります。まだきれいな図表を送ってくる社員が多いですね」
 
 私の勤務していた会社
 資料は一応過去履歴がある社内掲示板がありましたが、暇な社員が作った割にはコピペを
 した資料が大半で、私が自分の資料で利用できたのは極めて少なかった記憶があります。
 社員の顧客や業界動向ニーズの把握度や表現力の低さからきているものと理解していまし
 た。

(5)「組織なんて日々変えています。つくった日から腐るからです。以前は組織は頻繁に変えるのはまずいかなと思っていましたけど、だめだと思ったら次の日に変える、あるいは壊す。これが重要です。」
「極論を言うと、組織なんてないほうがいい。プロジェクト毎にチームをつくればいいのです。最近目に余るのは、『組織をつくらないとモチベーションが高まらない』とか『役職者の社員が増えたため、部を与えないと名誉が守られない』などの理由で、業務の目的や範囲を明確にしないまま組織を作るケースが非常に多いことです」
 
 私の勤務していた会社
  親会社同様、組織作りが命みたいな会社で、情報処理の知識が貧弱な役員に組織論は語る
 のは到底無理で、自分が育った親会社風を踏襲していました。組織が利益の単位となっ
 いて、少ない顧客を巡って事業部間で利益の奪い合いもあり、社内の組織の風通しは極
 て悪かったと思います。

(6)オリックスはすでに大企業病に陥っているのではないかと思っています。原因の一つに組織論の問題があります。部門が増えると自分たちの部門を守りたい意識が働き、部門間のコミュニケーションが悪くなり、社員が疲弊する。それを避けるために、責任と権限と業務範囲が明確で、目的を達成するために組織変更がどうしても必要だというもののみ承認していきます」
 
 私の勤務していた会社
 子会社ながら、親会社同様に大企業病になっていたと思いますが、変えたいとか変わりた
 いとかいう発想は全くなく、現状維持していくのが精一杯ですという役員の声が聞こえて
 いたと思います。情報処理そのものや情報処理業界の知識が貧弱なのに、会社経営に当た
 り変な業者やコンサルタントに振り回されているに気づかない程度のレベルの管理職や役
 員が揃っていたと思いました。
色々な思案を巡り合わすうちに思いついたのは、社員全体が無意識に知らぬ存ぜぬの思考を持つようになったのは親会社の影響が大きいのではないかという事でした。全く業態の違う親会社は、顧客が固定されており特段に営業行為を行うことなく契約を結ぶことが出来た事や、会社の利益は経済の動向で決まるので自身がじたばたしても解決できるようなものではないので、社員は自然となすが儘の姿勢で仕事をするという事が延々と続き、自然と知らぬ存ぜぬという思考が身についていったと思われます。
しかしながら、私の勤務していた子会社が担当する情報処理業界は親会社の業態とは全く異なり、製品の移り変わりが激しい事や変な合言葉の様な英語のキャッチフレーズが大手のコンピュータメーカーから発せられて、無知なマスコミがそれを広めるという特異な業界なので、大手のコンピュータメーカーやSI業者は別格としても、中小の企業では余程自社の技術者のレベルを正確に認識して慎重に事に当たらないといけない業界だと感じていました。私の勤務していた会社は、管理職や役員の情報処理の知識が貧弱な上に、自社の技術者の能力レベルも正確に把握出来なくて、情報処理の下流工程専門と言う認識も持てないベースがあり、その上親会社からの伝統である知らぬ存ぜぬ精神ばかりが闊歩する会社だったので、到底正確な業界の動向とかできずに場当たり的な投資とかイベントしか出来ていなかったと思います。結果として、業績が何か特別なイベントにより好調になる場面はあっても、長年の業績はずっと伸び悩んで成長する事は無かったという事につながっていたと思いますが、そういう業績にも管理職や役員は何の責任も無かったように振舞っていたのに違和感を持ちました。そういう現実を目にして、業績を上げるために口先が滑らかな外資系コンピュータ会社からの転職社員を採用すればという安易な発想が出て、多数の外資系コンピュータ会社からの転職者を受け入れていましたが、人数の割には会社の業績に貢献したとは到底思え得ず、私が個人的な努力により稼いだ利益の方が余程大きかったのではないかと思いますが、知らむ存ぜぬ精神の年季の入った管理職や役員は私の努力には何の関心も無いように知らん顔をしていました。
 
親会社とは全く業態が違うのに社員の頭の構造が変わらないので、そこに企業としての業績が上がらない遠因があると感じていました。移り変わりも激しいし、競争も激しいという現実の中で、会社の全員が一丸となってという雰囲気は全くなく、以前から紹介している通り管理職・役員から事業部長や部長層に至るまで実務に関わりたくという態度が明々白々の職場では、社員数から見ても数少ない営業職担当者が適切な指導も受けられずに個人的な思い込みで粛々と顧客との折衝をするとかしていて、技術レベルの低い技術職も面倒な仕事を引き受けてくれる安値の零細な業者探しに明け暮れているという実態があり、社員の意気はものすごく低い職場であると感じていました。そこには、親会社と言う存在を威光に感じているばかりで現実問題に向き合うと言うという姿勢が無いのを、役所体質の顧客の基幹システム刷新プロジェクトでヘマをやらかして顧客役員から騙されたという言葉まで出されたのに、何食わぬ顔で知らんふりをしていた事で傍証されたと思いました。
67歳で退職する後半17年間は、事業部長によるパワハラを受け担当顧客を全て外された後、自力で新しい顧客と契約をして経常利益で20億円以上の利益を会社に授与していたと思います。
当時から毎年の健康診断だけは欠かさず受診していましたが、定期的健康診断では大腸癌は検出されなくて退職後に、大腸癌発症から10年以上経過した状態で漸く発見されました。大腸癌は生理的な理由だけでなく精神的なストレスが原因となるとも言われているので、事業部長のパワハラで1年以上は精神的にも落ち込んでいたことが大腸癌発生の引き金になったと想定しています。総務部は社員に対して毎年の健康診断には受診を五月蠅く言っていたのですが、私の大腸癌の予見が出来なかったので健康診断を受診しても何の効果も無かったというのが退職してから分かったという結論が出ました。
健康診断も形ばかりを重視して診察内容は無頓着で、社員の受診履歴を管理するのが重要という発想があったのではないかと思うと、こういう局面でも役所仕事に徹していて社員の健康診断受診率が100%に近いというので満足して、肝心の診察内容には触れないで社内に健康相談室みたいなものを設置してやり過ごしていました。職場環境調査と称して、パワハラ・セクハラも調査はしても件数管理だけして実態を調査していなかった事や健康診断の受診率ばかりを気にして受診内容は無頓着というのは、知らぬ・存ぜぬという無意識の自己保身があって体面だけは整えるという役所仕事同様の無責任な仕事ぶりに何の疑問も持たないという社風があったと思います。
10年以上も大腸癌と一緒に生活していたので癌が他の臓器にも転移してしたので現在も治療中ですが、抗癌剤の副作用で毎日の生活にも影響が出て大変辛い思いをしています、早期に大腸癌が発見出来なかったのは何故だろうと考えていますが、少なくとも会社に勤務していた時に発症したので仕事が原因としか思えないので、悔恨という言葉を噛みしめるしかないのかと思っています。
 
大腸がんが昨年発見されてから事の重大性に驚くと共に、思い出したのは私がかって担当していた顧客に癌で亡くなった若い人でした。癌と告知されて抗癌剤を服用して頭髪が抜けているのを隠すために何時も頭にはバンダナを巻いていたのを思い出します。何でバンダナをまいているのか不思議に思って他の社員に質問して癌が検知されて治療中ですと聞いて漸く理解が出来たという事でした。しかし、当時の抗癌剤では薬効少なくて、癌発症の話を聞いてから半年も経たないうちに亡くなったというので驚きました。
現在では抗がん剤も日進月歩ですと医師から言われて、服用している薬を調べてみると10年も以前からある抗癌剤で、分子標的薬と言われる類のもので最初は転移した癌が小さくなったものの、その後は効果が無くなって、違う抗癌剤を服用することになっています。こぶし大の大きな大腸癌を7時間もかけて摘出した後、今年4月から転移臓器の癌治療をしていますが、終わりが見えない抗癌治療に鬱陶しい毎日を送っています。
管理職・役員から社員に至るまで知らぬ・存ぜぬという無意識の思考が染みついていたのは、会社として社外からの見た目の体裁を悪くしたくないという事もあったと思いますが、組織を守るみたいな気概は無くて単に自己保身ばかりを考えていた社員ばかりであったという風に感じています。顧客の利害・事情よりも自己優先をするという発想しか無いので、真面目な顧客はどんどんと逃げていく結果となり、見返りを要求したり言い分を全部呑むの事を要求する顧客ばかりが闊歩する状況になっていたと感じていました。保身も法人格としての保身から自分自身の保身まで幅広く染みついていて、兎に角何かあっても穏便に済ますというという姿勢ではなくて、何が何でも自分だけが損をしないとか傷を負いたくないという姿勢が常にあり、客観的に見ている私から見ていても変だと思う事は多々ありましたが、上司の方針に従わざるをえないという事だったと思います。
こういう事態を生み出した遠因として社員の年齢構成にあるのではないかと思いつきました、色々な会社が合併して出来た会社だったので、大半の会社は年配者が多い会社であったという事と、バブル期に大量の新入社員を採用していたので、人員構成は4・50歳代がキノコの傘部分の様に高齢者が多くなり、先々望みの無い残りのサラリーマン生活を送るのに変にもめ事に巻き込まれるのは御免とばかりに保身に走っていたのではないかと思います。又、以前にも書きましたが、最前線の責任者である事業部長や営業部長が実務をする気が無いので、その部下である年配者も同様に実務なんかしたくないのを、格好をつけては忙しそうな振りはしていても毎日何をしているのか不明だと思う事が多々あったことも、知らぬ・存ぜぬ思考を生み出していた一因ではなかったかと思います。兎に角実務としての仕事をするのが嫌いな管理職や役員がそろい踏みしているので、その態度や仕事ぶりが事業部部長・営業部長へと組織の上から下へと連鎖していたようにも見えました。
 
新入社員が入社しても職場では仕事をしたくないという社員が目立つので、やる気満々の新入社員は意欲を削がれたケースも多々あったのではないかと思います。そもそも、学生が就職希望する時、情報処理業業界の人気会社の10位以下のグループに属するような会社でもあったので、普通に勉学に励んだ学生は上位3社位の会社に入社したいと考えるのは当然で、10位以下のグループの会社に入社したいと考えるような学生は余程勉学に自信がないケースとか、何処の会社でもいいから入社させてくれれば良いという無節操な学生が多くなると思います。
仕事に対する意欲が感じられない職場では、新入社員が配属されても碌な指導も出来ずに、殆ど放置されてやりたいが儘にされているケースが多いと思われて、営業職であっても顧客に対する態度そのものが問題だと見えたような記憶もあります。そこには、学生時代に勉学に励んだとかという行動が仕事への情熱に変わるというような事はなく、何ななく茫然と学生時代をやり過ごしたという経験が仕事振りにも表れて、適当にこなしていますというような言葉も出ていたと思います。毎年御託を並べては仕事もしないで会議で時間を潰しては一年を過ごしている、年配の管理者・役員の行動が新入社員の行動までに乗り移っていているのを見て、会社の実力とはこういう事なのだろうとも思っていました。
私の27年間勤務していた会社の管理職・役員や社員が知らぬ・存ぜぬの思考(=無責任)が無意識の下にあって、知らず知らずのうちに身についたものは企業の要である顧客との間でも隠然として現れるので、色々な局面で顧客との軋轢を生むことになっていたのではないかと思っています。同時に、会社は情報処理という業容を看板に出していてシステム開発からデータ入力迄何でもござれ的に見えますが、実態は情報処理の下流工程専門なので、自分の手に余りそうな事案については直ぐに対応ができそうな外注を探しまくるという実態だったと思います。情報処理と言われると目に見えないソフトウエアというものを扱うので素人目にはそういうソフトウエアやハードウエアを扱うシステムエンジニアが何でも出来る偉く能力が有る人に見えてしまいますが、住宅建築を例にとれば情報処理の下流工程を担当するシステムエンジニアは大工に例えられる人材なので、大工が幾ら沢山いても家は建築できないというのを全く意識しないで、何でも出来ますと標榜しているのは羊頭狗肉というもので分類出来るのではなく、何も出来ないのに何でもやりますという一種詐欺的な感じになっていた看板ではないかと思いました。
 
私が勤務していた時、私の勤務していた部署では時々顧客との価格折衝で困っているという話があり、職場で話を聞く限り顧客が無茶な要求をしていると社員が周りに苦境を説明する場面がありました。顧客に物やサービスを売る立場からはコスト意識が求められますが、社内で積み上げた価格が物やサービスの内容に適合しているかどうかは置き去りにして、価格を呑まない顧客が悪者ばかりにされているのを見ていると、そこには意識の下にある顧客や世間の常識などは知らぬ・存ぜぬという意識があって、自分の会社の言い分が正義であるという風に思い込んでいると思われた場面に数多く遭遇していました。元より知らぬ・存ぜぬの思考が無意識の下のある社員だけでなく役員にも及んでいるので、顧客との信頼関係は単なる一出入り業者と言う風に見られているのも認識出来ず、酒席で散々に騒いで顧客との関係が深まったと見当違いをしている位の能力しか無く、顧客から見ると取引先に価格折衝に何か配慮しようとする気も起きないという現実があるのを認識できていのではないかと感じていました。これが特定の社員だけなら、その社員にも問題があるのかなと思えるのですが、それが多数に及ぶと会社としての基本的な問題であろうと思わざるを得ませんでした。情報処理という業容や技術の理解が浅い役員が思い付きで行った事業の費用は、全て顧客への請求書に上乗せされているので高コストは当然であるというのが社内には行渡っていて、そこには世間の常識と言う思考が入り込む余地はなかったのが顧客と価格問題でもめる遠因にもなっていたと思います。
何度も話題に上げますが、役所体質の顧客の基幹システム再構築プロジェクトでは、システム開発の担当事業部は基本的なシステム開発という仕事が出来もしないのに、旧システムが存在するとは言えシステムのコンセプトや方針を作るのは到底無理だと考えもつかなかったのは、自社が情報処理の下流工程専門会社であって、何時もの外注会社への丸投げで対応できると考えた事と、自身はプログラム開発をシステム開発と混同するような能力レベルであるというのも認識出来ていなかったという事実があったからだと思います。
私が退職まで27年間勤務していた会社の中では知らぬ・存ぜぬという意識が無意識のうちに管理職や役員に染みついていて、たまたま事情を知らぬ新入社員が仕事上で慌てふためいていても上司はしらぬ・存ぜぬという風に裁いてしまうので、当の社員は消化不良を起こして、そういう社風の中に埋没する社員もいれば反感を持つ社員もいたと思います。社内の会議でも堂々と知らぬ・存ぜぬを発言する役員等もいて、現場を把握していないというのを自ら吐露していた事も何度も見聞しました。
知らぬ・存ぜぬというのは考えてみれば無責任という事に繋がるのですが、その根底には何もしないのが良策という思想が知らず知らずのうちに社員にしみ込んでいて、恰もそれが会社の方針であるという風に社員の無意識の底に潜んでしまっているのではないかと思いました。
 
会社が情報処理工程の下流工程専門会社であるという事やシステムエンジニアの技術レベルが落ちるという事もあって、少なくとも私が勤務していた時には、顧客との最前線に立つ営業職にはシステムエンジニアを補佐するほどの力量が無いとまともな顧客とは付き合えないという状況であったと思います。
しかし事案が少ないのは何故なのかという考える余裕も無く、同業の情報処理業者から問題があって契約出来ないので引き取ってほしいというような事案を、世間には名前ばかりが有名な会社であるという事と契約金額も多きいということで長年契約している会社がありました。顧客は名前ばかり売れているものの内実はベンチャー同様という風に思えて、契約の見返りを堂々と定期的に求めていました。担当事業部はコンプライアンスに抵触するような事でも契約の一環であるというような風に社内に吹聴して正当な行為であると宣伝をしていましたが、逆に顧客が求める見返りに自分たちも悪乗りして、同時に悪乗りが正当な行為であるという風に見せかけるために他事業部にもおいしい話だと持ち掛けて、自身の怪しげな行為があたかも正々堂々とした行為であるような振りをしていると見えました。こういう事は社内には知れ渡っいていましたが、役員からは何の疑問も無くひたすら顧客から得られる少ない利益のみを心配しているというのは、コンプライアンスに抵触するかどうかもという思考は知らぬ・存ぜぬという無意識に埋没していたと思っています。
会社では時々社員の職場環境アンケート調査があり、パワハラが受けたかどうか等という質問が来ていましたが、私がパワハラを受けた経験ありと記載しても何の聴取もされませんでした。単に社員がパワハラを受けたかどうか数を数えているだけで何の対応もしようしないと言う発想は、面倒な事には知らぬ・存ぜぬが最良という無意識があって役所仕事らしい統計処理をして終わりという事であったと思っています。
つい最近もセクハラで派遣社員が訴え出たという、マスコミを賑わせて新聞紙上でも取り上げられた事件がありましたが、その時の会社側のコメントはそういう事件があるかないかも知らないというような内容であったのですが、正にこういう天下に明らかな事件でも知らぬ・存ぜぬという意識が臆面も無く出ていたと思います。
私はたまたまサラリーマンを2つの会社で勤務したという経歴があり、企業倫理が違うという風に感じています。新入社員で入社した製造業の会社ではオイルショックの影響で技術職から営業職への転換を強制されたのですが、心機一転して営業職という職種の勉強を顧客から教えてもらうという程に顧客との繋がりは緊密で、どんな少額の契約であっても責任を持って最後まで実行し、最終的には責任はどちらになるかは別にして赤字になってもやり遂げるという社風でした。責任を持って顧客から請けた仕事を完遂するという社風が顧客との付き合い方でした。社風は責任感というものを大切にするという事でしたが、裏返しすると社内はそれだけ役所体質で全てが書面主義というものが延々と続き、会社の社会的体面を重視するということでもあったと思います。たまたま決断力の無い事業部長や営業部長の判断で顧客に裏切られたような事もありましたが、殆どの顧客とは極めて密接な関係が出来上がっていて、事業規模は小さいながらも、相対的に営業力や技術力のあるコンピュータメーカーからホストコンピュータをリプレースされるという事は殆どありませんでした。顧客は同系列会社とか取引先とかいう別の面での付き合いもあり企業対企業の付き合いがあったという理由もありましたが、計算機事業は規模が小さいだけに赤字体質の解消は出来ずに子会社化されて細々と営業をしていると聞いています。子会社となっても昔からの顧客は健在というのを聞いて、事業の基礎となる顧客とは変わっていないのだなと感慨深く聞いたことがあります。子会社となった時には少なからずシステムエンジニアも転職して、何気なく書店で情報処置の棚の本を取って著者を見ると、技術説明がうまいと思っていたシステムエンジニアが大学の先生となっていてことを知り、人間の能力と言うものはどういう環境にあっても変わらないものだと思いました。
 
40歳で転職した会社は非常にオープンな職場であったとは思いますが、それだけに以前のブログでも紹介した通りに親会社とは全く異なる異業種への参入ということで私自身もそういう環境に放り込まれたという印象でした。きちんとした教育を受けたサラリーマン兵隊学校卒業生という立場から見ると、惨憺たる惨状を目にして記憶に残したという事になり、結果的には新規事業は何の成果も上られずに終わり社員だけが残されて、親会社の事業部門は子会社に統合されて延命をはかったという事になりました。
元々親会社の社員も情報処理と言うものには疎いというのは理解していたようですが、直ぐに金目当てのコンサルタントを頼りにして適当に胡麻化されているというのを考えもつかないのは、親会社での仕事ぶりが定型的業務をこなしていただけと言う認識も無いという能力的な問題もあったと思っています。信用できる相手を見つけるとかいうのは自身もそれだけの見識があるというのが前提にあるという事が理解出来ていないと思えました。
散々に経営的に悪い経験をした管理者や役員が考えた事は、兎にも角にも損をしないという大損を食らった裏返しの考え方が出て、それが社内の基準となると、顧客の事情や社員能力とは別次元の管理となり、常に損益が気にする風土が生まれ、ヒラメとかコバンザメ社員が率先して行い会社全体の社風として確立していったものと思っています。そこには自社利益優先をモットーとする思想が蔓延して、顧客は置き去りにされていたという現実があったと思います。
私が27年間営業職として勤務していた時、自身の顧客は全て新たな顧客として契約した顧客ばかりだったこともあり、自身が会社と顧客との間に立って自己利益優先の社風から顧客を守るという風な事をして顧客をつなぎとめていたという風に思っています。事業部長のパワハラで私の担当顧客を全て外されると、顧客が契約解除したり契約額の見直しを要求されるなどの事が起きましたが、会社として顧客を失う事についても何の未練もないようでさっさと契約解除をしていました。顧客との関係を友人同士の付き合い程度にしか考えていないという風に思えて、社員の程度の低さを感じされるものだと思い傍観していました。
私の勤務していた会社でシステムエンジニアが責任感もなく仕事をしていたという経験は多数ありますが、役所体質の顧客の基幹システム刷新プロジェクトで本当に嫌になるくらいに苦汁をなめさせられたという事を以前のブログでも紹介しました。責任感というものは契約がある限り永遠に続くものとは考えておらず、顧客からクレームが出ているのにも関わらず知らん顔をしているのが社風を反映しているのかなと思っています。役所体質の顧客の情報システム部員が稟議書を役員に説明に行くと「騙されていないか」というコメントが出ているというのは最悪の状況と思いますが、そんな事には馬耳東風という姿勢が会社の無責任という体質を表していると思いました。
かって勤務していた会社の事を色々と思い出すと、今頃になって勤務していた会社はブラック企業と言われる部類に属するのではないかと思いました。今から3・40年も以前は日本中の会社で残業代の削減が叫ばれ、30歳前後に名ばかりの管理職に昇格させて残業代支給を止めるという施策が行われていたので、日本中の会社が今でいうブラック企業であったと思います。終身雇用が前提のサラリーマンでは会社の方針に非を唱える社員も出ず、今でも早期管理職への昇格というのは日本の伝統文化になって根付いていると思います。
私の勤務していた会社が何故ブラック企業ではないかと思いついたのは、何度も書きましたが事業部長や営業部長は実務をしないという現実があったからでした。役員から一方的に通告されたノルマを事業部長や営業部長は部下に押し付けて後は知らん顔で、ノルマをこなすのはあんたの仕事でしょうという顔をして、部下の仕事を支援もしないし仕事の様子を気に掛けるという事も無く、暇を持て余す余剰の間接部門の社員が次々に何の目的かも知れない会議を次々に作っては時間つぶしを行っているのに自ら参加して日がな一日を過ごしている様に見えました。ヒラメとかコバンザメ社員が事業部長や営業部長にすり寄って仕事の相談をしたりしている場面を見ることもあり、実務を知らない事業部長や営業部長から出る答えは平凡なものしか出てこないのを有難く拝聴するという社員も多々いたように思えました。事業の業績責任者でありながら、事業計画の達成は自分がするのではなく担当者の仕事だと考えているので、事業部損益の大小で業績評価をして給与の格差をつけようという発想が出ていたと思います。会社と社員の意志がばらばらであるのを気づかない管理職や役員がうち揃っていたことの証でもあると思います。
 
事業の責任者である事業部長や営業部長は契約取るとか新しい顧客を探すという実務はしないという前提で考えていた社風がブラック企業に列することになると思いました。古い話ですが、某布団チェーンの営業マンが毎朝車に布団を積んで夕方帰って来た時、一日のノルマが達成できないと営業所長から暴言が飛び出すし営業マンは怒り出して喧嘩になるというシーンを毎日見聞したという事を聞いた事があります。営業所長は単なる売上集計者というだけの存在という事でした。
その布団屋の営業実態と情報処理の下流専門会社との違いは何もなくて、実務をしないで契約管理のみしているのであれば事業部長とか営業部長は不要で事務管理者が一人いれば済む話なので、明らかに事業部長や営業部長は余剰要員であると思えました。実務をしないで働かない事業部長や営業部長が多数いたので会社の人件費は相当に高くなり、高コスト体質が出来上がっていたと思いますが、実務に関与していない経歴を持つ管理職や役員は営業現場や業界常識が理解出来なくて、人件費は働かない社員の給料分も上乗せするのは当然であるという感覚しか無いので、現場の営業マンは顧客との折衝で費用を誤魔化して提示するとか色々な言い訳をつけないと顧客の承認を得るのは難しいというのが実態だと思いました。
事業部長や営業部長は顧客のクレームにも対応しているという言い訳も聞こえますが、担当者が解決できなくて上司である事業部長や営業部長が解決できるものではないのを理解出来ない低スキルの営業職や技術職の社員の場合であって、私が経験した顧客からのクレームは無視して何の対応もしなかった営業部長がいたという事実です。
会社に出社しているから仕事をしていると勘違いしている管理職や役員の思考にはあきれるばかりでしたが、私個人としてはそういう環境でも自分で契約の最初から最後まで完結できたので淡々と自分の仕事をこなしていましたが、殆ど営業職の社員は茫然として顧客から言われるままや、上司から言われるままに動いて営業職としてのスキルアップも出来ない事が延々と続いていたと思います。
何も実態を知らないで入社する新入社員はどういう感想なのかを何時かは聞いてみたいと思っていましたが、とうとうそいう機会は無かったのが残念と思っています。
昨日のテレビ番組で関ヶ原合戦の首謀者の一人である大谷吉継の役割について、計画までは出来ても実戦での戦術とか大名の掌握は出来ないのが原因で、東軍に一日で敗れたというのを論者が解説しているのをきいていると、1600年の合戦における構図と私が27年間勤務していた会社の実情とが余りにも似ているので少し考えたら、人間の性情で自身の限界を感じたりすることのない人もいるという事かと思いつきました。
石田三成は家康を討ちたい一心で大谷吉継を巻き込もうとするも、家康の石高とは10倍の差があって大谷吉継は石田三成を諫めるも功なくして逆に西軍の一員となって巻き込まれていった時、西軍に毛利や宇喜多を巻き込めば石高も同等になり家康と戦えると考えて西軍の諸将を集めたのだが、豊臣恩顧というだけで恩賞も約束されずに人望の無い石田三成のもとに集まっただけで、実利で人を動かす東軍の家康はあらゆる大名に領地安堵と恩賞を送りやる気を出させたところが西軍とは大きな差があったという解説でした。又、大谷吉継は1586年の秀吉と家康が対峙した小牧・長久手合戦を想定して長丁場の戦いに持ち込めば勝機があると想像していたという解説もありました。そもそも大将の格が違うし戦いも尾張だけでなく近畿や四国でもこの合戦に呼応して合戦があったので全く事情が異なることが理解出来ないで、大谷吉継は最終結果の和解で戦いが終結したという落ちだけを見ていたという事なのかと思いました。大谷吉継の思考は頭の中で考える計画ばかりで実態がついてこなかったのが悲劇なのだが、そういう思考は戦前の日本軍とか現在の官僚にも通じているという意見もありました。又、あれほどの大きな合戦でありながら敗戦の将として自刃したのは大谷吉継只一人であり、家康が論功行賞を行ったのも大谷吉継の陣所であったというのも関ケ原合戦の現実を物語っていると思いました。
 
私が27年間勤務していた会社では給与に事業部間格差を付けて公平にすると称して事業部利益に応じて最大数十パーセントの格差をつけていましたが、情報処理業の実態も知らない役員が変に公平などと称して制度を決めた事を苦々しく感じていました。
新規事業を始めるので計画を立てて組織を作る等というのは特段の能力を要するものでもなく出来ることですが、情報処理事業の事業計画となると業容が細分化されているという特殊性があり業界・製品動向を見極めるだけでなく他社との優位性等についても十分に調査して慎重な検討をした上で、事業部や新規部門の売上利益や組織要因計画を役員会に提出して、役員の承認を得た事業部や新規部署が出来ているので、役員が承認した事業部や部署の利益の多い少ないは、最終的に役員に責任があるのであって、それを恰も社員の努力が事業部や新規部署の利益に貢献するという思考は見当違いも甚だしいと思いました。
関ケ原合戦における大谷吉継同様に事業計画は立てられても、情報処理業での実務や経験が乏しいので事業部や新規部門の業績は世間の景気動揺やスポット的に発生する特需に左右される傾向があり、業績が努力という言葉で表現される仕事は殆ど無いという実態があり、管理職や役員はそういう実態を把握する能力が無いと思われる所作が社員を困惑させていたと思います。ヒラメやコバンザメ社員はともかく、普通に上司に言われるが儘に仕事をしている社員には逆に不公平感が募ったのでないかと思います。
情報処理業種の事業貢献は個人能力に依存するケースが多いという傾向があり、組織や団体が事業に貢献するケースは企業買収等の特異なケースでしか考えられないことを前提とすると、そもそも情報処理業の役員を担当するにあたって自身がどれほど会社に貢献したかも考えられないでいた証左が、事業部間の給与格差と言う奇妙な事を思いつたのだと感じていました。