昨日のテレビ番組で関ヶ原合戦の首謀者の一人である大谷吉継の役割について、計画までは出来ても実戦での戦術とか大名の掌握は出来ないのが原因で、東軍に一日で敗れたというのを論者が解説しているのをきいていると、1600年の合戦における構図と私が27年間勤務していた会社の実情とが余りにも似ているので少し考えたら、人間の性情で自身の限界を感じたりすることのない人もいるという事かと思いつきました。
石田三成は家康を討ちたい一心で大谷吉継を巻き込もうとするも、家康の石高とは10倍の差があって大谷吉継は石田三成を諫めるも功なくして逆に西軍の一員となって巻き込まれていった時、西軍に毛利や宇喜多を巻き込めば石高も同等になり家康と戦えると考えて西軍の諸将を集めたのだが、豊臣恩顧というだけで恩賞も約束されずに人望の無い石田三成のもとに集まっただけで、実利で人を動かす東軍の家康はあらゆる大名に領地安堵と恩賞を送りやる気を出させたところが西軍とは大きな差があったという解説でした。又、大谷吉継は1586年の秀吉と家康が対峙した小牧・長久手合戦を想定して長丁場の戦いに持ち込めば勝機があると想像していたという解説もありました。そもそも大将の格が違うし戦いも尾張だけでなく近畿や四国でもこの合戦に呼応して合戦があったので全く事情が異なることが理解出来ないで、大谷吉継は最終結果の和解で戦いが終結したという落ちだけを見ていたという事なのかと思いました。大谷吉継の思考は頭の中で考える計画ばかりで実態がついてこなかったのが悲劇なのだが、そういう思考は戦前の日本軍とか現在の官僚にも通じているという意見もありました。又、あれほどの大きな合戦でありながら敗戦の将として自刃したのは大谷吉継只一人であり、家康が論功行賞を行ったのも大谷吉継の陣所であったというのも関ケ原合戦の現実を物語っていると思いました。
私が27年間勤務していた会社では給与に事業部間格差を付けて公平にすると称して事業部利益に応じて最大数十パーセントの格差をつけていましたが、情報処理業の実態も知らない役員が変に公平などと称して制度を決めた事を苦々しく感じていました。
新規事業を始めるので計画を立てて組織を作る等というのは特段の能力を要するものでもなく出来ることですが、情報処理事業の事業計画となると業容が細分化されているという特殊性があり業界・製品動向を見極めるだけでなく他社との優位性等についても十分に調査して慎重な検討をした上で、事業部や新規部門の売上利益や組織要因計画を役員会に提出して、役員の承認を得た事業部や新規部署が出来ているので、役員が承認した事業部や部署の利益の多い少ないは、最終的に役員に責任があるのであって、それを恰も社員の努力が事業部や新規部署の利益に貢献するという思考は見当違いも甚だしいと思いました。
関ケ原合戦における大谷吉継同様に事業計画は立てられても、情報処理業での実務や経験が乏しいので事業部や新規部門の業績は世間の景気動揺やスポット的に発生する特需に左右される傾向があり、業績が努力という言葉で表現される仕事は殆ど無いという実態があり、管理職や役員はそういう実態を把握する能力が無いと思われる所作が社員を困惑させていたと思います。ヒラメやコバンザメ社員はともかく、普通に上司に言われるが儘に仕事をしている社員には逆に不公平感が募ったのでないかと思います。
情報処理業種の事業貢献は個人能力に依存するケースが多いという傾向があり、組織や団体が事業に貢献するケースは企業買収等の特異なケースでしか考えられないことを前提とすると、そもそも情報処理業の役員を担当するにあたって自身がどれほど会社に貢献したかも考えられないでいた証左が、事業部間の給与格差と言う奇妙な事を思いつたのだと感じていました。