応援します。次の日曜日開催になります。
以下、主催者告知
======
日時:平成25年7月7日(日)
集合場所:大手町第一公園(広島県広島市中区大手町2丁目5ー24)
集合時間 13時00分
開始時間 13時30分
街宣と署名活動:開始予定 14時45分(予定)~ 終了16時00分
※デモの終了時間によって前後します。
主催:広島県人零号さん
主催者ブログ:http://hiroshimademo.blog.fc2.com/
主催者ニコニコ生放送コミュニティ:http://com.nicovideo.jp/community/co1408213
告知動画
https://www.youtube.com/watch?v=-WfCJA0nleI
https://www.youtube.com/watch?v=Hx9dd-IKfjg
=====
以下、当ブログより
意外に思われるかもしれないが、広島でも北朝鮮による拉致、および拉致が疑われる事例は多い。
特定失踪者問題調査会は、これまでの事例を分析し、拉致は海岸線で偶然に通りかかった者を誘拐するのではなく、内陸で、日本国内の協力者の助けを得て、北朝鮮の計画に役立つ人材、失踪しても周りに影響が出にくいなどの条件からあらかじめ対象を絞り、狙いを付けて行われているケースが多いと見ている。
また、特定失踪者問題調査会は、広島に、在日を中心とした、拉致を日本国内から手引きする大規模な集団が存在すると考えている。
特定失踪者問題調査会 ■公開リスト詳細■
「北朝鮮に拉致された疑いを否定できない失踪者」で、特定失踪者問題調査会にご家族等が調査依頼を出され、公開を了解された方の資料(広島県内で失踪した方のみ掲載:敬称略)
佐々木 薫
藤倉 紀代/靖浩
田辺 真理子
酒井 勇夫
和田 佑介(小泉訪朝の年に失踪)
広島県警 拉致の可能性を排除できない事案に係る方々
佐々木 薫 花田 昭博 西本 研一 和田 佑介
関テレ 今週の水曜(7/3)アンカー(数日で削除されます)
拉致関連部分のみ
是非、以下の3つの動画すべてをご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=lDpOyl1NP_g (10分)
https://www.youtube.com/watch?v=60XfvmOOZYo(10分)
https://www.youtube.com/watch?v=6em_gMwiV1Q(8分)
何年間もの間、頭にこびりついて離れない事柄がある。問題の解決はすでに不可能となっており、考えるたびに気が重くなる。しかも事態は局面を変えて年々悪化の度を深めている。
永野修身の言は、近年、日本のかつての将兵たちの死が決して無駄ではなかったということを伝えるために、たびたび言及されている。
「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。」
しかし、この言葉が貫徹された結果が極めて厳しいものとなったことについては、もっと語り伝える必要がある。否、まだ語られてなどいない。
多くの英霊が、妻や娘、また婚約者に宛て「あなたを守るために喜んで死んでいきます」と記し亡くなられた。結果として、3年半余りの間に230万の日本人将兵が戦死した。
昭和20(1945)年の酷さは筆舌に尽くし難い。世界の近現代史において類例をみないほどである。
この年、東京大空襲では一晩で10万人以上の民間人が虐殺、地方の大都市もことごとく空襲され、一都市で数千人から数万人単位の民間人が殺された。地方都市の爆撃の極みが広島・長崎の原爆であり、両都市だけで、この年の末までに21万人以上が原爆の直接効果で死んでいる。
特攻はとりわけこの時期に多く行われ、若い者では、16歳、17歳であり、女性の手を握ることもなく逝ってしまわれた。婚約者を抱くことなく逝った者もいた。
ここまででも十分凄惨を極めているが、ぼくの頭を支配し、鬱になりそうなほど打ちのめし、昭和20年をいっそう残酷な年として際立たせているのは、むしろここからだ。
8月15日、敗戦を迎え、アメリカ軍が進駐してくると、神奈川県下では最初の10日間で1,336件の強姦事件が発生した。時間が少しさかのぼるが沖縄戦では米軍上陸後、推定1万人がレイプされたという記録も残されている。内務省は、「日本の婦女子の操が進駐軍兵士らによって汚される恐れがある。それならば性の防波堤を作って一般婦女子を守りたい、との思惑から」政府公認の売春所を設立してしまう。他に生活の術の無い戦争未亡人や子女が溢れ、都内だけで約1600人、全国で4000人の慰安婦が働いた。
(wikipedia 特殊慰安施設協会 参照)
『西尾幹二のインターネット日録』
には、次のように記されている。以下抜粋。
=====
・・・元都立大教授、東洋大学長の磯村英一氏は、敗戦のとき渋谷区長をしていて、米軍司令部(GHQ)の将校から呼ばれて占領軍の兵士のために女性を集めろと命令され、レクリエーション・センターと名づけられた施設を作らされました。市民の中には食べ物も少なく、チョコレート一枚で身体を売るような話も広がっていた時代です。磯村氏は慰安婦問題が国際的話題になるにつれ、自国の女性を米軍兵士に自由にされる環境に追いやった恥を告白せずにはいられない、と懺悔しています(「産経新聞」平成6年9月17日)
・・・パンパンとかオンリーという名で呼ばれた「日本人慰安婦」が、派手な衣裳と化粧でアメリカ兵にぶら下がって歩いていた風俗は、つい昨日の光景として、少年時代の私の目に焼きついています。米軍によるこの日本人慰安婦の数はおよそ20万人いました。
『りべらる』というカストリ雑誌には、若い女性が特殊慰安施設に連れて行かれて、初めての日に処女を破られ、一日最低15人からの戦場から来たアメリカ兵の相手をさせられ、腰をぬかし、別人のようになったさまが手記として残っています。
「どこの部屋からも、叫び声と笑い声と、女たちの嗚咽がきこえてきました。」「二、三ヵ月の間に病気になったり、気がちがったりしました。」「これは何年にもわたって、日本全土にわたって行われたことの縮図だったのです。」(昭和29年11月号)
=====
英霊たちは、日本の女性たちを守ろうとし自らの命を差し出したが、それがために戦後、彼女たちは後ろ盾を失うこととなり、残された未亡人や、娘たち、婚約者たちは処女のまま、慰み物として米兵に差し出されることとなった。本来、国家を守った英霊たちの妻、花嫁になるはずの女性たちが、その夫や父や婚約者を殺した敵兵の売春婦になったのである。しかも英霊たちも残された女性たちも、日本という国家の求めに応じて、自分の身を投げ打ったのである。
この事実を思うとき、ある聖書の言葉を思い出さずにはいられない。
「あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない」
(出エジプト記23章19節、申命記 14章21節 新共同訳)
子供を養うための母の乳でその子供自身を料理するような秩序の錯誤と、無慈悲な行動とを戒めたものである。
いわゆる“従軍慰安婦”に関し、軍による強制連行の証拠がないということを世界に向かってはっきりと主張しないことにより、日本政府は、英霊と、英霊を捧げた上に自らをも捧げ尽くしたご遺族に対し、追い打ちの責め苦を与え続けている。これは国家の裏切りである。
この国の かく醜くもなりぬれば 捧げし命 ただ惜しまるる
22歳で夫を国に捧げ、子供たちを育てた後、92歳になった女性が人生の終わりに近づき、詠まずにはおれなかった歌である。
日本政府よ、この屈辱の上に、さらに何を恐れるのか。
最後に、今月、靖国神社の社頭掲示になっているご英霊の遺書の結びを紹介して終わる。
陸軍大尉 望月 重信 命(みこと)
昭和十九年五月二十二日 フィリピンにて戦死
長野県 更級郡 篠ノ井町出身
三十五歳
・・・然し、私達をして死に甲斐あらしむるか否かは、あとに残られた皆様の責任であります。今後まだまだ大いなる、それこそ非常なる艱難が国家の上に、皆様の上に、必ず降りかかってくるでありませう。その時になって、どの様な苦しいことがあっても、皆様は決してへこたれたり、悲鳴を上げるような事があってはなりません。どうかこの事をこの社前におきまして、くれぐれもお願いいたしまして出発のご挨拶といたします。・・・
昭和十四年五月一日
永野修身の言は、近年、日本のかつての将兵たちの死が決して無駄ではなかったということを伝えるために、たびたび言及されている。
「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。」
しかし、この言葉が貫徹された結果が極めて厳しいものとなったことについては、もっと語り伝える必要がある。否、まだ語られてなどいない。
多くの英霊が、妻や娘、また婚約者に宛て「あなたを守るために喜んで死んでいきます」と記し亡くなられた。結果として、3年半余りの間に230万の日本人将兵が戦死した。
昭和20(1945)年の酷さは筆舌に尽くし難い。世界の近現代史において類例をみないほどである。
この年、東京大空襲では一晩で10万人以上の民間人が虐殺、地方の大都市もことごとく空襲され、一都市で数千人から数万人単位の民間人が殺された。地方都市の爆撃の極みが広島・長崎の原爆であり、両都市だけで、この年の末までに21万人以上が原爆の直接効果で死んでいる。
特攻はとりわけこの時期に多く行われ、若い者では、16歳、17歳であり、女性の手を握ることもなく逝ってしまわれた。婚約者を抱くことなく逝った者もいた。
ここまででも十分凄惨を極めているが、ぼくの頭を支配し、鬱になりそうなほど打ちのめし、昭和20年をいっそう残酷な年として際立たせているのは、むしろここからだ。
8月15日、敗戦を迎え、アメリカ軍が進駐してくると、神奈川県下では最初の10日間で1,336件の強姦事件が発生した。時間が少しさかのぼるが沖縄戦では米軍上陸後、推定1万人がレイプされたという記録も残されている。内務省は、「日本の婦女子の操が進駐軍兵士らによって汚される恐れがある。それならば性の防波堤を作って一般婦女子を守りたい、との思惑から」政府公認の売春所を設立してしまう。他に生活の術の無い戦争未亡人や子女が溢れ、都内だけで約1600人、全国で4000人の慰安婦が働いた。
(wikipedia 特殊慰安施設協会 参照)
『西尾幹二のインターネット日録』
には、次のように記されている。以下抜粋。
=====
・・・元都立大教授、東洋大学長の磯村英一氏は、敗戦のとき渋谷区長をしていて、米軍司令部(GHQ)の将校から呼ばれて占領軍の兵士のために女性を集めろと命令され、レクリエーション・センターと名づけられた施設を作らされました。市民の中には食べ物も少なく、チョコレート一枚で身体を売るような話も広がっていた時代です。磯村氏は慰安婦問題が国際的話題になるにつれ、自国の女性を米軍兵士に自由にされる環境に追いやった恥を告白せずにはいられない、と懺悔しています(「産経新聞」平成6年9月17日)
・・・パンパンとかオンリーという名で呼ばれた「日本人慰安婦」が、派手な衣裳と化粧でアメリカ兵にぶら下がって歩いていた風俗は、つい昨日の光景として、少年時代の私の目に焼きついています。米軍によるこの日本人慰安婦の数はおよそ20万人いました。
『りべらる』というカストリ雑誌には、若い女性が特殊慰安施設に連れて行かれて、初めての日に処女を破られ、一日最低15人からの戦場から来たアメリカ兵の相手をさせられ、腰をぬかし、別人のようになったさまが手記として残っています。
「どこの部屋からも、叫び声と笑い声と、女たちの嗚咽がきこえてきました。」「二、三ヵ月の間に病気になったり、気がちがったりしました。」「これは何年にもわたって、日本全土にわたって行われたことの縮図だったのです。」(昭和29年11月号)
=====
英霊たちは、日本の女性たちを守ろうとし自らの命を差し出したが、それがために戦後、彼女たちは後ろ盾を失うこととなり、残された未亡人や、娘たち、婚約者たちは処女のまま、慰み物として米兵に差し出されることとなった。本来、国家を守った英霊たちの妻、花嫁になるはずの女性たちが、その夫や父や婚約者を殺した敵兵の売春婦になったのである。しかも英霊たちも残された女性たちも、日本という国家の求めに応じて、自分の身を投げ打ったのである。
この事実を思うとき、ある聖書の言葉を思い出さずにはいられない。
「あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない」
(出エジプト記23章19節、申命記 14章21節 新共同訳)
子供を養うための母の乳でその子供自身を料理するような秩序の錯誤と、無慈悲な行動とを戒めたものである。
いわゆる“従軍慰安婦”に関し、軍による強制連行の証拠がないということを世界に向かってはっきりと主張しないことにより、日本政府は、英霊と、英霊を捧げた上に自らをも捧げ尽くしたご遺族に対し、追い打ちの責め苦を与え続けている。これは国家の裏切りである。
この国の かく醜くもなりぬれば 捧げし命 ただ惜しまるる
22歳で夫を国に捧げ、子供たちを育てた後、92歳になった女性が人生の終わりに近づき、詠まずにはおれなかった歌である。
日本政府よ、この屈辱の上に、さらに何を恐れるのか。
最後に、今月、靖国神社の社頭掲示になっているご英霊の遺書の結びを紹介して終わる。
陸軍大尉 望月 重信 命(みこと)
昭和十九年五月二十二日 フィリピンにて戦死
長野県 更級郡 篠ノ井町出身
三十五歳
・・・然し、私達をして死に甲斐あらしむるか否かは、あとに残られた皆様の責任であります。今後まだまだ大いなる、それこそ非常なる艱難が国家の上に、皆様の上に、必ず降りかかってくるでありませう。その時になって、どの様な苦しいことがあっても、皆様は決してへこたれたり、悲鳴を上げるような事があってはなりません。どうかこの事をこの社前におきまして、くれぐれもお願いいたしまして出発のご挨拶といたします。・・・
昭和十四年五月一日
日本の主権を国外に向けてしっかり発信できる人材を、中国地方比例区から国政に送りませんか。
次の動画をご覧ください。尖閣諸島帰属の経緯を分かりやすく説明するというだけでなく、アメリカに向かって尖閣諸島を護るよう焚き付けています。
日本李登輝友の会の理事でもあることから、友の会のメールマガジン 10月11日号(第1702号)でも紹介されていました。
China Invades Japanese Senkaku Islands 【Gemki Fujii 藤井厳喜】
【比例代表】 中国(定数11)
藤井 厳喜
次の動画をご覧ください。尖閣諸島帰属の経緯を分かりやすく説明するというだけでなく、アメリカに向かって尖閣諸島を護るよう焚き付けています。
日本李登輝友の会の理事でもあることから、友の会のメールマガジン 10月11日号(第1702号)でも紹介されていました。
China Invades Japanese Senkaku Islands 【Gemki Fujii 藤井厳喜】
【比例代表】 中国(定数11)
藤井 厳喜
読者の方々に参考になるようなものではないかもしれませんが、次の選挙に向けて国民の一人として簡潔に意見を表明します。投票先はまだ決めていません。
目標:国の形を護る
具体的な政策
最も力を入れるべきこと(選挙の争点)
自主憲法制定
首相の靖国神社参拝
ただ今、力を入れるべきこと
人権法案(名称がよく変わる)の廃案
外国人参政権阻止
大幅な金融緩和
日米同盟関係修復強化
基本的な姿勢として特に、支那の圧力に対し徹底的に抗うこと。
以上は緊急の課題。これだけできれば合格点。
投票先として、これらの課題に対してやる気のある政治家・政党が良い政治家・政党、やる気のない政治家・政党が悪い政治家・政党。以上について言及がない、立場の表明がないものに対しては投票しない。
ただ、政策を掲げていることと本気度や実行力との間の乖離を見分ける難しさには、如何ともしがたいものがあります・・・。
世間的に選挙の争点とされているが、大事ではないもの
TPP、増税、原発・エネルギー問題など
個人的には、
TPPは参加しない方が良いと思うが、保守の間でも意見が分かれ、議論に時間を費やしているとより重要なことを推進することができなくなる恐れがある。
消費税増税はデフレ下ではやってはいけない。
原発は今後も動かさなくては日本の産業・経済が立ち行かない。安定的にエネルギーを代替できる供給源が他に見当たらない。脱原発など不毛なファディズム(Faddism)に過ぎない。
日銀総裁には外国勢力を排し、国益の観点から金融緩和を積極的にやる人を選びたい。
女性宮家創設は必要ない。
社会保障の問題を決して軽視しているわけではない。
ここ数日間の動きから
石原が減税日本に対してやったことは彼が掲げた「大同団結」に反する。河村の面目は丸つぶれ。禍根を残した。石原は合流を15日に公に発表しながら、翌16日には当事者抜きでこれを白紙にする談合を行っており、橋下の意向一つで切って捨てた。酷い話しだ。
決定を一日で覆したことは、新党構想の危うさを世間に晒すことになったのだが、本人の自覚やいかに?
目標:国の形を護る
具体的な政策
最も力を入れるべきこと(選挙の争点)
自主憲法制定
首相の靖国神社参拝
ただ今、力を入れるべきこと
人権法案(名称がよく変わる)の廃案
外国人参政権阻止
大幅な金融緩和
日米同盟関係修復強化
基本的な姿勢として特に、支那の圧力に対し徹底的に抗うこと。
以上は緊急の課題。これだけできれば合格点。
投票先として、これらの課題に対してやる気のある政治家・政党が良い政治家・政党、やる気のない政治家・政党が悪い政治家・政党。以上について言及がない、立場の表明がないものに対しては投票しない。
ただ、政策を掲げていることと本気度や実行力との間の乖離を見分ける難しさには、如何ともしがたいものがあります・・・。
世間的に選挙の争点とされているが、大事ではないもの
TPP、増税、原発・エネルギー問題など
個人的には、
TPPは参加しない方が良いと思うが、保守の間でも意見が分かれ、議論に時間を費やしているとより重要なことを推進することができなくなる恐れがある。
消費税増税はデフレ下ではやってはいけない。
原発は今後も動かさなくては日本の産業・経済が立ち行かない。安定的にエネルギーを代替できる供給源が他に見当たらない。脱原発など不毛なファディズム(Faddism)に過ぎない。
日銀総裁には外国勢力を排し、国益の観点から金融緩和を積極的にやる人を選びたい。
女性宮家創設は必要ない。
社会保障の問題を決して軽視しているわけではない。
ここ数日間の動きから
石原が減税日本に対してやったことは彼が掲げた「大同団結」に反する。河村の面目は丸つぶれ。禍根を残した。石原は合流を15日に公に発表しながら、翌16日には当事者抜きでこれを白紙にする談合を行っており、橋下の意向一つで切って捨てた。酷い話しだ。
決定を一日で覆したことは、新党構想の危うさを世間に晒すことになったのだが、本人の自覚やいかに?
訃報を伝えるスポニチの記事
政治評論家の三宅久之さん死去「TVタックル」など出演
小学生だったある日、うちのクラスに転入生がやってきた。
目の細い、色白の、いつもにこにこしているもの静かな生徒だった。ぼくのやることにいちいち驚き、突っ込みを入れる様が穏やかでなんとも品があり、育ちの良さを感じさせた。
夕食の時間に「最近、目が細くて色白で、いつもにこにこしている転入生が来たよ」と話題にすると、高校生の兄がすかさず「うちのクラスにも同じようなのが来たよ、笑うと目がなくなるんだ」。
「うちのクラスへ来た子もそうだよ、なんていう子?」
「三宅」
「あれ、同じ名字だね、兄弟かな?」
実は、三宅家でも同じ会話が交わされていて、そのことを、あとで三宅君から聞いて「そりゃあ奇遇だね」と二人で笑った。彼とは妙に気が合った。
お父さんは、毎日新聞社の静岡支局長時代、両親の店に社の人を連れてよく飲みに来てくれたようだ。
しばらく後、三宅兄弟はまた新たな土地へと移って行った。
テレビで見慣れた”はげ老人”が三宅君のお父さんだと知ったのはそれから何年も後のことだ。なにげなく番組を見ていたときに、母が、いきなり「これ、三宅君のお父さん」と言った時の衝撃たるやすさまじかった。
テレビの中の老人が、同級生のお父さんだと言われても、住む世界も年齢も、重なるものがなかった。自分が子供だったから、お年を召されているように見えていただけなのだと理解するまでに、さらに何年かかかってしまった。みごとな若はげだった、らしい。
やがて”三宅君のお父さん”がタックルに出るに及んで、自分と非常に近い保守思想の持ち主であることを知った。足が地についた確かな論客だった。靖国神社の花嫁人形の前で思わず泣いてしまわれる映像は特にこころに残っている。
【花嫁人形】靖国神社と特攻隊員
=====
こういう若者たちが女性の手を握ることなく死んでいってくれて、今日の我々がある。平和がある。国を護るということがいかに尊いことか、多くの人々の犠牲によって成り立っているか。本当に、散った方々の魂よ、安らげと祈ります。
=====
靖国神社が実によく似合う人だった。
三宅久之が巡る靖国神社
安倍晋三の総理再登板を強力にプッシュしながら、その実現を見ずして逝ってしまわれた。
三宅久之さん、あなたから学んだことは多かった。
ありがとうございました 合掌
政治評論家の三宅久之さん死去「TVタックル」など出演
小学生だったある日、うちのクラスに転入生がやってきた。
目の細い、色白の、いつもにこにこしているもの静かな生徒だった。ぼくのやることにいちいち驚き、突っ込みを入れる様が穏やかでなんとも品があり、育ちの良さを感じさせた。
夕食の時間に「最近、目が細くて色白で、いつもにこにこしている転入生が来たよ」と話題にすると、高校生の兄がすかさず「うちのクラスにも同じようなのが来たよ、笑うと目がなくなるんだ」。
「うちのクラスへ来た子もそうだよ、なんていう子?」
「三宅」
「あれ、同じ名字だね、兄弟かな?」
実は、三宅家でも同じ会話が交わされていて、そのことを、あとで三宅君から聞いて「そりゃあ奇遇だね」と二人で笑った。彼とは妙に気が合った。
お父さんは、毎日新聞社の静岡支局長時代、両親の店に社の人を連れてよく飲みに来てくれたようだ。
しばらく後、三宅兄弟はまた新たな土地へと移って行った。
テレビで見慣れた”はげ老人”が三宅君のお父さんだと知ったのはそれから何年も後のことだ。なにげなく番組を見ていたときに、母が、いきなり「これ、三宅君のお父さん」と言った時の衝撃たるやすさまじかった。
テレビの中の老人が、同級生のお父さんだと言われても、住む世界も年齢も、重なるものがなかった。自分が子供だったから、お年を召されているように見えていただけなのだと理解するまでに、さらに何年かかかってしまった。みごとな若はげだった、らしい。
やがて”三宅君のお父さん”がタックルに出るに及んで、自分と非常に近い保守思想の持ち主であることを知った。足が地についた確かな論客だった。靖国神社の花嫁人形の前で思わず泣いてしまわれる映像は特にこころに残っている。
【花嫁人形】靖国神社と特攻隊員
=====
こういう若者たちが女性の手を握ることなく死んでいってくれて、今日の我々がある。平和がある。国を護るということがいかに尊いことか、多くの人々の犠牲によって成り立っているか。本当に、散った方々の魂よ、安らげと祈ります。
=====
靖国神社が実によく似合う人だった。
三宅久之が巡る靖国神社
安倍晋三の総理再登板を強力にプッシュしながら、その実現を見ずして逝ってしまわれた。
三宅久之さん、あなたから学んだことは多かった。
ありがとうございました 合掌