訃報を伝えるスポニチの記事
政治評論家の三宅久之さん死去「TVタックル」など出演
小学生だったある日、うちのクラスに転入生がやってきた。
目の細い、色白の、いつもにこにこしているもの静かな生徒だった。ぼくのやることにいちいち驚き、突っ込みを入れる様が穏やかでなんとも品があり、育ちの良さを感じさせた。
夕食の時間に「最近、目が細くて色白で、いつもにこにこしている転入生が来たよ」と話題にすると、高校生の兄がすかさず「うちのクラスにも同じようなのが来たよ、笑うと目がなくなるんだ」。
「うちのクラスへ来た子もそうだよ、なんていう子?」
「三宅」
「あれ、同じ名字だね、兄弟かな?」
実は、三宅家でも同じ会話が交わされていて、そのことを、あとで三宅君から聞いて「そりゃあ奇遇だね」と二人で笑った。彼とは妙に気が合った。
お父さんは、毎日新聞社の静岡支局長時代、両親の店に社の人を連れてよく飲みに来てくれたようだ。
しばらく後、三宅兄弟はまた新たな土地へと移って行った。
テレビで見慣れた”はげ老人”が三宅君のお父さんだと知ったのはそれから何年も後のことだ。なにげなく番組を見ていたときに、母が、いきなり「これ、三宅君のお父さん」と言った時の衝撃たるやすさまじかった。
テレビの中の老人が、同級生のお父さんだと言われても、住む世界も年齢も、重なるものがなかった。自分が子供だったから、お年を召されているように見えていただけなのだと理解するまでに、さらに何年かかかってしまった。みごとな若はげだった、らしい。
やがて”三宅君のお父さん”がタックルに出るに及んで、自分と非常に近い保守思想の持ち主であることを知った。足が地についた確かな論客だった。靖国神社の花嫁人形の前で思わず泣いてしまわれる映像は特にこころに残っている。
【花嫁人形】靖国神社と特攻隊員
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こういう若者たちが女性の手を握ることなく死んでいってくれて、今日の我々がある。平和がある。国を護るということがいかに尊いことか、多くの人々の犠牲によって成り立っているか。本当に、散った方々の魂よ、安らげと祈ります。
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靖国神社が実によく似合う人だった。
三宅久之が巡る靖国神社
安倍晋三の総理再登板を強力にプッシュしながら、その実現を見ずして逝ってしまわれた。
三宅久之さん、あなたから学んだことは多かった。
ありがとうございました 合掌