ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ -13ページ目

ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

今日は真面目に。
お仕事のことです。

最近の相談で一番困ったこと。

児童デイサービスの閉所-_-#



しかも結構突に「今月末で閉めます。あとは相談さん(障害児相談支援事業所)に探してもらってください。」
とか。

4月の新学期、どこの事業所さんも新入生を受け入れてスタートしているので
4月、5月に突然「閉所します」と言われても次なかなかないです。

色んな助けがあって
なんとか私の担当のご家庭は次の行先確保や継続利用ができているのですが…

閉所騒動によって利用されているご家庭はめちゃくちゃ困ったわけで、色々と代替案も検討したのですがやっぱり「児童デイサービス、ないと困る」に行きつくのです。
児童デイサービスがなかった時代には
一体どうやって放課後を過ごさせていたのかが想像できないくらい今は当たり前に児童デイサービスを活用しています。
でも、今回の騒動で改めて考えました。

いつまで児童デイ?
いつまでも児童デイ?
他の社会資源の活用は?児童クラブで過ごすには?
そして途方に暮れるのです(_ _。)

以下、愚痴ですm(_ _ )m
障害児相談支援だけでどうにかなる問題ではなく、教育とも連携して「支援の必要な子どもの過ごしをどうするか?」考えないといけないことなのですが、
どこの市町村も教育と福祉が連携して話し合う場は皆無に等しく、
あったとしても行政機関内で
現場を知らない人たちがちょこちょこっと会議をするだけで
ましてや私たち相談支援専門員や保護者、当事者である子どもの声はそんな会議に届くはずはなく
それぞれの現場がそれぞれに頑張れという根性論で終わってしまうのが現状です。
(それでもひと昔まえから比べると連携のしやすさは「まし」にはなっています。)

新しい制度や資源ができるとできたことでもう良しとして
「あとはよろしく!」

これを丸投げというわけで。


ケアマネ(介護支援専門員/相談支援専門員)って
制度を使わせるために動いているのではなくって
制度を使ってニーズを解決するために動くものなのです。
屁理屈っぽいけど、この意味の違い、分かってほしいなあ。特に同業者には。

今の介護・福祉の制度の中では
制度を使わせる、にならざるを得ないことも多々あるという…。


なんだかなあ、と思う連休明け1週間でございます。






私は5歳から幼稚園に通うことになりました。

人生初めての家庭以外の居場所。
なんていうと格好いいのですが

入園一年目は
ほぼ毎日、なにかしらの理由で泣いていました。

入園式の日、早々に同じグラスの子の足を踏んだとか踏まないとかの争いから園児全体&保護者の目の前でつかみ合いのケンカをするなど
決して幸先の良いものではありませんでした。

近所の同級生と違うクラスになり、
全く知らない子どもの集団に放り込まれたのは
私にとっては不安と恐怖でしかありませんでした。

一番怖かったのは
他のこどもが私に対して突然怒ってくること。

今思えば
それは私の行動や反応が適切ではない場合が多かったのですが、当時はなぜみんなが怒っているのかが皆目分かりませんでした。

入園式の足を踏んだことも
私自身は人の足を踏んだ自覚がなく、分からないのです。

粘土で作ったお花をくれても目の前で潰したりm(_ _)m
『先生~まりちゃんはわたしがあげたお花潰したぁヽ(`Д´#)ノ』といいあげられるのです。
私としてはちょうだいとも言ってないし、欲しくないし、というリクツがある…。

なぜひとが怒るのか?その後きっと先生にも注意されたのだと思うけど、当時は全く理解できず、先生の言ってる意味も分からず、いつも一緒に遊んでいたお友達も別のクラスで会えず、
他のこどもはいつ怒り出すか分からないという恐怖でとても居心地が悪い場所でした。

年長クラスになると泣くことは減りました。
『なんとなく』人がくれたものは取りあえず受け取ることや足を踏まないようにずっと足を見ていたらいいこと(?!)踏まないように近づかないことを毎日の繰り返しで覚えたようです。

家庭の中では少々不器用で紐が結べなかったり、不注意で衣服の前後ろ、裏表を反対に着ることが多かったり、食事が進まない、好き嫌いが多いことがあったとしても母親に「どんくさい」と叱られるだけでしたが、幼稚園デビューを機に同年齢の子ども同士のやり取りにも不器用さを発揮していくことになりました。

私は歩き始めが10か月ぐらい
言葉の獲得も比較的早かった(でも独り言は多かったようです。)
読み書き、簡単な計算も5歳頃にはできていたため、
暮らしづらさや人との関わりづらさは見過ごされ続けるのです。
そしてそれが多くの人とはちょっと違うという自覚も全くないまま成長していきます。


私が4歳ぐらいの頃だったと思う。
祖母の家に数日泊まっていたある日。(数日泊まらされていたことにも理由があった)

「おじいちゃんが死んだからお葬式をする。すぐ帰っておいで。」
と連れ戻されました。

4歳の子どもだった当時は何の疑問ももたないこの話。

葬式には親戚や近所の人が来たこと
精進落としの料理が数日続いたこと
しばらく線香の匂いが家中にしていたこと
棺の中に知らないおじさんが寝ていたこと

これぐらいの断片的な記憶。

後に
棺の中の知らないおじさんは父親の父親(私の祖父)だということ
祖母とは離婚して生家には帰らず一人で暮らしていたこと
ひいじいちゃんがひいばあちゃんと再婚し、前妻と一緒に生家を追い出されていたこと
そのことでひばあちゃんやひじいちゃんとは相当な確執があったこと
随分前(祖母と結婚した頃?する前から?)からアルコール依存症(当時はアルコール中毒、アル中と呼ばれていた)になってひいばあちゃんに金の無心をしていたこと
などを聞かされました。
後の話は
私が小学6年生になった頃、何気なく
「ねえ、どうしておじいちゃんとおばあちゃんが私にはいるのに一緒に住んでなかったの?お父さんのお母さんなのにどうしておばあちゃんとおばさんは苗字がちがうの?」
とひいばあちゃんに尋ねた時に聞いた話です。
ひいばあちゃんは淡々と話してくれました。
話を聴いた時、しばらく涙が止まらなかったのを覚えています。

当時のジェノグラム。
父親のこと①でも少し祖父には触れています。
私の父親は
縁遠かった父親の
葬式を出した
脅されて金をむしり取られたひいばあちゃんも
葬式には参列していた。(当時はことのいきさつを私は知らない)
どんな思いで死者を送ったのか?
その後我が家の仏壇に仲間入りした祖父の位牌を
どんな思いで見ていたのか?

その当時
父親は何を思ったのだろう?
父親は祖父のことは何も語りませんでした。
語りたくなかったのか、語れなかったのか。

そして
この祖父は
私の生家の先祖代々の墓地に眠っています。
母親は供養すべき新しい仏ができたので
より一層先祖供養に精を出すようになります。
しかし父親のギャンブルはおさまりません。
葬式を段取りしたのも
その後の埋葬やらも
殆どは母親がとり仕切ったのだそうです。(と、愚痴として母親からその後私は聞きました。)
祖父については消息不明で
亡くなる1週間前に
入院先の病院から連絡があったのが最初で最期です。
享年52歳。
アルコール依存症患者の平均寿命と言われている年齢でこの世を去りました。

2代にわたる依存症の家族。
私のルーツはこの家にあるのだということの重大さを
受け止めることができるようになったのは
この自分史を書き始める
ほんの1年ほど前です。

ソーシャルワーカーとして
依存症の当事者の話を聴く機会が増えてから。
それまでは思い出しもしなかった二つの依存症です。
精神保健福祉士の資格を取得してから
5年以上が経っていましたが
「依存症のことは良くわからないから勉強しなくっちゃ」
(まじめかっ!)
とさえ本気で思っていました。そして研修に行ったり、本を読んだり…。
え?私の家のこと?イネイブラーってひいばあちゃんや母親のこと?
私は…?

でも、これがリアルなんだと思います。
向き合う準備ができていない限りは情報として頭に入ってくるだけでちっとも心に刺さらない。

依存症については「治療しようと決断した、覚悟を決めた」当事者やその家族、一部の支援者の間では知られていることでも
一般社会や治療につながっていない当事者家族がしらないことがあまりにも多い。
「否認の病」とも言われ、当事者も家族もまさか脳の病気だなんて考えもしない。
でも当事者、巻き込まれた家族や周囲の人の人生には少なからず影響を及ぼす。
しかもあまりよろしくない影響を。

私は私自身の人生を生きながら
そして
対人援助の仕事をしている者として
ちょっとすれ違いの家族として
1人でも多くの
依存症やその他の人生の課題を持つ人が

気がつくように
向き合う準備ができるように
やり直しができるように
そう願っています

少しのお手伝いをすることができる今を
生きようと思います。

*以下、自分史には書く予定がなかった内容ですが最近のニュースに対しての私の個人的な考えです。

最近、強制わいせつ事件を起こした元アイドルグループのメンバーのマスコミ報道を見聞きするたびに心が痛みます。
断罪することや他のタレントさんが好き勝手持論を言う、それがテレビでそれが彼らのお仕事なのかもしれません。
アルコールの問題は暴力や窃盗、今回の強制わいせつなど色んな哀しい事件、事故の元になる事は事実です。
もう一つ知っておいてほしい事実があります。
アルコールの問題は自殺とも大いに関連しています。
憔悴しきっている人に追い打ちをかけて
万が一
自殺ということになったとしても
それを
「自業自得」
と切り捨てるのだろうか?
自殺の可能性まで理解してテレビでしゃべっている有名人がどれくらいいるのだろう。
人生や命をマスコミ報道は左右していることを覚悟して欲しいと個人的には思います。
そして
事件を起こしてしまった方も
アルコールや嗜癖の問題を
きちんと課題として受け止めて
回復に向かってほしいと思います。


今年のゴールデンウィークはお天気も良く、お出かけには持ってこい。
4月30(月)振替休日。この日は満月ということもあってお水取りに行くことに決めていました。


こちらのお寺大好きなのですが、この上にある神峯神社(こうのみねじんじゃ)にも行きたいなあと思いながらどうしようか迷っていました。
なかなかに勇気がいるのです。色んな意味で。
こちらの神社、とっても日当たりもよくて楚々しいところなのですが、
道中はなかなかの雰囲気で…
人間よりも別のもののエネルギーが圧倒しているような…。
私以外にも参拝者を発見し、人間の気配を感じることができたので行ってみました。



去年は台風がすごかったのですが、
絶対前来た時にはなかったような石が落ちてきている∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
まるで(゚Ω゚;)墓石のように道の真ん中に佇んでいる


そして道中、大きな古木が根こそぎ倒れているのを目にしました。
生きとし生けるものの命には終わりがくること
朽ちてなお、そこにとどまり他の命を生かしている
そんな古木にしばし見とれていました。


頂いたお水で麦茶を沸かして
沢山飲んで体も心も浄化しようと思います。
明日からまたお仕事です。
連休前半。いい感じでリフレッシュできました。

前回、前々回と両親のことについて書きました。
父親のこと①

母親のこと

当時の家庭はまさしく機能不全家庭の状態でしたが、
外側には何事もないように取り繕われていたと思います。

しかし、こんな状態で母親も平気でいられるわけはなく、
徐々に神、仏に頼るようになります。

私は生まれた頃から体が弱く、そんな長女のことや夫の嗜癖などを相談するのに
とある教会に通うようにもなりました。
当時、あまり供養されていなく、放置されていた墓地も見つかったことから
母親はこの嫁ぎ先の先祖供養と墓の立て直しに躍起になりました。
それをしているから、その供養や宗教心がなかったから病弱な子どもが生まれたり、一家の主がギャンブルに走るのだと信じて疑いませんでした。当事者である父親は墓参りも教会やお寺へのお参りもそれほど興味はなく、母親に引きずられるように墓参りや教会に行っていた姿を思い出します。
近所の菩提寺のお手伝いもするようになりました。
4,5歳頃の風景には
菩提寺に母親と一緒に時々手伝いに行ってはよそのおじさんやおばさんに混ざって掃除をしたこと
鎮魂歌というのか、「御詠歌」というのを墓前やお寺の本堂で歌う(みんなは「御詠歌をあげる」という言い方をしていました」信者さんの姿
教会のお祈りはとても眠くていつも最後には寝てしまっていたこと。
おかげで幼稚園児の頃には「玉櫛の捧げ方」を覚えていたこと。
「般若心経」も5歳ぐらいでそらんじていたこと。
お金はなかったのですが神棚と仏壇は立派なものがうちにはありました。
この環境は私にとってはとてもよかったと思います。
嫌な思い出になってないので今でも神社やお寺は大好きです。四国八十八カ所も30代の頃から巡礼しています。遍路でのお作法などもなぜこうするのか?ということを知ると神仏への畏怖だけでなく人への思いやりやより良く生きるための知恵にあふれています。

当時の
母親の口癖は
『ウソをつくな。神、仏は見ている。悪いことをするとバチがあたる』
『親、先祖を大事にしない者は地獄に落ちる。』
この二つでした。
確かに間違いではないし、正しい主張かなぁとも思うのですが禁止や否定の表現って息苦しいなぁと今でもおもいます。
正直であれば幸せ
親や先祖に感謝できれば幸せ

そんな風に言い換えると受け取りは全然違います。

人生を彩り、充実させる条件は

正しさだけではないのでは?と思います。

私は信仰する風景が小さい頃から身近にあって救われたなぁと思うのですが

母親は
『すべき』と『すべからず』に縛られていたのだなぁと思います。

私は様々な思想、哲学、信仰は
人がより良く生きるため、幸せになるためにあると思っています。

より良く生きる、幸せになる、ということは
不幸にならない
地獄に落ちない

と同じ意味でしょうか??

人生において
どちらの表現を採用するかによって
思考や行動、選ぶ言葉は随分と違ってくるようにも思います。

大好きな神峯寺神社前にて。

『自分史』は、毎月私の誕生日の16日、9の倍数の9、18、27日の4回アップしています。
(たまにアップする日がズレるかも知れません。)