ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ -12ページ目

ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

概ね小学校入学前ぐらいのことを書いてきました。

良い思い出ばかりではなく、
自分でも結構引いてしまうような
出来事もあったなあ。
パチンコ店や競馬場で車中置き去りとかニヤニヤ
好き嫌い矯正や
楽しくもない怖いばかりの幼稚園とか…。

でも、今私は生きているので
まあ、良しとします。

私が小さいころからあった風景で一番印象に残っているのが

薪風呂。

薪の山と薪をくべる風呂焚き場
(今やくべるも風呂焚きもほぼ死語ですね(;^_^A)

薪をたくさん積んでいたので
ムカデや蛇がその周辺にしょっちゅう出てきていたのは
嫌でしたが、

ひいばあちゃんが
薪をくべてお風呂を焚いているのを
薪の燃えるのを
ジーっと見るのが大好きでした。
もちろん
五右衛門風呂(これもほぼ絶滅危惧種(;^_^A)
なので
お風呂は中敷きをそーっと湯船におとして
その上に上手に真ん中にすわって入るのです。
あちっとならないように気をつけて…。

薪が燃えた後の灰は鍋をこするのに残しておきます。(これもひいばあちゃんがしていた)
昭和50年代にしても珍しい
風景だったと思います。

でも。
小学校に上がってから
薪風呂は自分の家だけだということや
焚くのに手間がかかるので
お風呂に二日に一回しか入っていないのは
私だけだと知ってから
しばらくは

恥ずかしくて
薪風呂のことや薪が山積みに積んであること
薪がない時の燃料として「オガライト」という棒状の燃料を買っていたことは
誰にも言えなくなりました。

子どもは自分の生まれ育っている家庭しか知らない。
「そういうもの」だと思って育つのです。
なんだか、よその家とは違うかも…?
という疑問が生まれるのは
幼稚園や小学校に行き始めてからです。

次からは小学校の頃の話を綴っていこうと
思います。

今では
薪風呂は
ある家を探してでも住みたいぐらい
郷愁の想いを持っています。
今でも
私が
焚火が好きなのは
きっと
この薪風呂の思い出があるからです。
自分史を書き始めてもうすぐ4か月になるところです。

文章を書きながら思い出した出来事や感情が沢山あります。
あんまりいい思い出でないこともたくさんあるのですが、
不思議と腹立たしい気持ちになることはなく、
ああ、そうだったんだよねー、と
冷静に整理ができています。

これからもぼちぼち続けて行こうと思います。

当時は
疑問に思わなかったこと、
思えなかったこと
分からなかったことを言語化できるのは
気持ちが良いです。
特に感覚のことや人とのやり取りのしづらさ
学校や幼稚園が居心地が悪かったことなどは整理できてよかったです。


人と比べようがなかった
嗅覚や味覚、食べる困難さも
今では理由がきちんと分かるし、
それで叱られたことは理不尽な事だったんだと
自分を責めなくてもいいのだと
安心できました。
このあたりのことはまたいつか詳しく書こうかなあと思います。

愛着にも
発達にも
ちょっとつまづきがあった私ですが
まあまあ元気に生きています。


読むのがしんどくて休み休み読んだ本ですが
自分史を書く
過去にけりをつけ、今を生きる助けになった本。
めっちゃ線とか引きながら
自分ごととして時々読み返しています。
ソーシャルワーカーこまり。です。
久しぶりにFacebookで吠えた。
カンファレンスとか、なんとか協議会に出ると決まってある市や包括なんとかや委託相談なにがしの職員ってヘラヘラ笑いながらやってくる。
本人たちはそれが普通だと思っているし、みんながやってることだからあんまり気にもしてないし、可笑しいこととも思ってないかも知らんけど
いつも私は感じ悪いなぁと思う。
そしてやっぱりね、この市が近隣の他の市と比べて
相談援助っていう意味では一番遅れているんだなぁ。
その地域の文化というか、雰囲気というかスタンスというか…
良くも悪くも滲み出るもんやなぁと思います。
以下、Facebookと同じ文章ですが、ブログにも残しておきます。

相談援助が育つ土壌、そうでない土壌ってあると思います。
たとえば
ある市では地域自立支援協議会に複数の専門部会があり、定例会や連絡会の機能を果たす相談支援部会にその市の総合相談を担う機関が部員として参加している、委託の相談支援事業所と障害福祉の関係機関だけでなく、高齢者支援の要である地域包括支援センターも参加しているなど。ライフステージや年齢の垣根を越えて地域課題が議論できる土壌がある、
そんな地域は相談援助が育っていくところかなぁ、と思います。
一方で
『障害は障害、高齢は高齢。介護は介護。困窮は困窮。』と、縦割り一辺倒で一緒に議論する場さえも持とうとしない地域は…。
相談援助はとても貧しいものになっています。
いざ『連携』と意気込んで集まった相談支援部会も永遠の『情報共有』の場でしかなく、誰も『次の一手』を打つことができない、ケースがあがってきても各所でダチョウ倶楽部よろしく譲り合いという名の押し付け合い。
相談機能としては近隣の地域からほぼほぼ周回遅れなもんで先行くランナー(他の地域)の背中すらみえない
こんな地域に生まれてよかったとか、住んで良かったとか思うかね?
田舎へ行けば行くほど行政の『スタンス』がその市町村の相談援助に影響しているようにも思います。
障害福祉も介護保険も医療も。
法改正で大変なのは承知ですが、
その地域に住む人のニーズには真摯に向きあって欲しいなぁと思います。
入り口の時点で
それは違う
うちじゃ、ないし。
無理です
できません。
そんな
シャットアウトの言葉に心折られた人たちの声を
私は少なからず聴いてきました。
一旦、受け止める、そして必要な機関に繋げる
そんな相談援助の基本が
ある地域に住みたいし
そんな地域の機関と一緒に仕事がしたいなぁとしみじみと思った今日一日でした。
前にも父親のことは書きました。
父親のこと①

両親はこの後私が中学2年生の時に離婚をするので
家族としての父親の記憶はそこまでです。

両親の離婚前1年について
その頃の父親の記憶や記録は
ほぼ母親からの悪口や嘆きでしかなく、
実際、あまり家にも帰って来なくなっており、
ギャンブルへののめり込みがいよいよ深刻になっていたころです。
このことも後々書こうと思います。

一緒に生活したり、父親「らしい」関わりを
かろうじてしてくれていた頃というのは
私が3歳~小学3年生ぐらいまでかなあ、と記憶しています。

よく
「ドライブ」と称して車で連れ出してくれていました。
今、思えばそれは競輪場や競馬場だったのですが、それでも私はドライブが嫌いでは
ありませんでした。
たまに1時間ぐらい車に置いてけぼりにされたこともありましたが。
(よく事件や事故にならなかったなあとつくづく思います)
お金のある時や機嫌のいい時は
喫茶店で
ミックスジュースやクリームソーダを
頼んでくれました。

外食になんて絶対に連れて行ってくれない
家では好き嫌い矯正マシーンのような母親よりは
ずっと気楽に一緒にいられるのが父親でした。
(モノやお金で子どもをつっている、ときっと母親は激しく嫌悪していたと思うのですが…。)

休日、母親が昼間にいないときは
袋ラーメンを作ってくれました。

ちょっとお湯が多め
麺が伸びてる袋ラーメン。

私も父親がちゃんと夕方家に帰ってきている頃には
夕食後に
インスタントコーヒーを作って出すのが
いつもの習慣でした。
コーヒー、クリープはスプーンに一杯。角砂糖は一つ。
今思えば
このコーヒーもお湯が多めの薄いコーヒーだったと思います。

中学生~30歳過ぎまで
父親の不誠実さやふがいなさ、無責任さ、家族にかけた迷惑、苦痛に対して
激しい怒りや恨みの念を持ち続けていました。
事実、それ相応のことをして出て行っているので
無理もないことだし、
私の当時の考えの中には恨む以外の選択肢がなかったのです。
そのことを後悔はしていないし、仕方なかったなあと思うのですが

ちいさいころの私は
確かに

父親のことが大好きだった

それも事実です。

お笑い芸人のはなわさんが歌っている
「お義父さん」
という歌があります。

聴くと毎回泣いてしまいます。

昨年受講したアディクション(依存症)支援の研修の中で
ロールプレイで
依存症の父親を持つ5歳の子どもの役をしました。
(これは全くの偶然でした)

休憩時間に涙がでました。

父親のことを思って流す
涙の訳は
上手くは説明できないのですが

怒りや恨みの涙ではないことは確かなのです。

こまりのブログを読んでいただき、ありがとうございます。

先日はちょっと愚痴めいた内容になってしまいました。なんだかなあ。
この時期に事業所閉鎖って、どうよ?という想いは無きにしもあらずで
これから後もこんな突然の閉鎖騒動は起こるのかなあ~と思うとやるせない気持ちになるのですが、そこは気を取り直して

今日一日、一日
会うべき人
するべき連絡
必要なことに一つ一つ向かっていきたいと
思います。

4月はそんなこんなで
あと、やっぱり季節や環境の変化への対応
色々と重なって
心身共に少し無理をしていたのかな、とも思います。
ちょっとネガティブな考えにとらわれていたり
眠りが浅かったり
一日の時間の使い方がどうもうまくいかなかったり

脳みその慢性疲労⁈

とでもいうような状態でした。

しんどくて調子が悪いこと、それもメンタルの調子が悪い、ってなかなか自分では認めたくないことなのですが、ずっと思っているよりは書き出して認めてしまう方が楽かなあと私は思います。

そんな時こそ
一つ一つやるべきことに向かうということは
大事です。

暮らしも
仕事も
ぼちぼちと。

今日も出会える人がいることに感謝です。