父親のこと② | ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

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自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

前にも父親のことは書きました。
父親のこと①

両親はこの後私が中学2年生の時に離婚をするので
家族としての父親の記憶はそこまでです。

両親の離婚前1年について
その頃の父親の記憶や記録は
ほぼ母親からの悪口や嘆きでしかなく、
実際、あまり家にも帰って来なくなっており、
ギャンブルへののめり込みがいよいよ深刻になっていたころです。
このことも後々書こうと思います。

一緒に生活したり、父親「らしい」関わりを
かろうじてしてくれていた頃というのは
私が3歳~小学3年生ぐらいまでかなあ、と記憶しています。

よく
「ドライブ」と称して車で連れ出してくれていました。
今、思えばそれは競輪場や競馬場だったのですが、それでも私はドライブが嫌いでは
ありませんでした。
たまに1時間ぐらい車に置いてけぼりにされたこともありましたが。
(よく事件や事故にならなかったなあとつくづく思います)
お金のある時や機嫌のいい時は
喫茶店で
ミックスジュースやクリームソーダを
頼んでくれました。

外食になんて絶対に連れて行ってくれない
家では好き嫌い矯正マシーンのような母親よりは
ずっと気楽に一緒にいられるのが父親でした。
(モノやお金で子どもをつっている、ときっと母親は激しく嫌悪していたと思うのですが…。)

休日、母親が昼間にいないときは
袋ラーメンを作ってくれました。

ちょっとお湯が多め
麺が伸びてる袋ラーメン。

私も父親がちゃんと夕方家に帰ってきている頃には
夕食後に
インスタントコーヒーを作って出すのが
いつもの習慣でした。
コーヒー、クリープはスプーンに一杯。角砂糖は一つ。
今思えば
このコーヒーもお湯が多めの薄いコーヒーだったと思います。

中学生~30歳過ぎまで
父親の不誠実さやふがいなさ、無責任さ、家族にかけた迷惑、苦痛に対して
激しい怒りや恨みの念を持ち続けていました。
事実、それ相応のことをして出て行っているので
無理もないことだし、
私の当時の考えの中には恨む以外の選択肢がなかったのです。
そのことを後悔はしていないし、仕方なかったなあと思うのですが

ちいさいころの私は
確かに

父親のことが大好きだった

それも事実です。

お笑い芸人のはなわさんが歌っている
「お義父さん」
という歌があります。

聴くと毎回泣いてしまいます。

昨年受講したアディクション(依存症)支援の研修の中で
ロールプレイで
依存症の父親を持つ5歳の子どもの役をしました。
(これは全くの偶然でした)

休憩時間に涙がでました。

父親のことを思って流す
涙の訳は
上手くは説明できないのですが

怒りや恨みの涙ではないことは確かなのです。