我が町にソーシャルワークはあるのかいっ?! | ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

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自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

ソーシャルワーカーこまり。です。
久しぶりにFacebookで吠えた。
カンファレンスとか、なんとか協議会に出ると決まってある市や包括なんとかや委託相談なにがしの職員ってヘラヘラ笑いながらやってくる。
本人たちはそれが普通だと思っているし、みんながやってることだからあんまり気にもしてないし、可笑しいこととも思ってないかも知らんけど
いつも私は感じ悪いなぁと思う。
そしてやっぱりね、この市が近隣の他の市と比べて
相談援助っていう意味では一番遅れているんだなぁ。
その地域の文化というか、雰囲気というかスタンスというか…
良くも悪くも滲み出るもんやなぁと思います。
以下、Facebookと同じ文章ですが、ブログにも残しておきます。

相談援助が育つ土壌、そうでない土壌ってあると思います。
たとえば
ある市では地域自立支援協議会に複数の専門部会があり、定例会や連絡会の機能を果たす相談支援部会にその市の総合相談を担う機関が部員として参加している、委託の相談支援事業所と障害福祉の関係機関だけでなく、高齢者支援の要である地域包括支援センターも参加しているなど。ライフステージや年齢の垣根を越えて地域課題が議論できる土壌がある、
そんな地域は相談援助が育っていくところかなぁ、と思います。
一方で
『障害は障害、高齢は高齢。介護は介護。困窮は困窮。』と、縦割り一辺倒で一緒に議論する場さえも持とうとしない地域は…。
相談援助はとても貧しいものになっています。
いざ『連携』と意気込んで集まった相談支援部会も永遠の『情報共有』の場でしかなく、誰も『次の一手』を打つことができない、ケースがあがってきても各所でダチョウ倶楽部よろしく譲り合いという名の押し付け合い。
相談機能としては近隣の地域からほぼほぼ周回遅れなもんで先行くランナー(他の地域)の背中すらみえない
こんな地域に生まれてよかったとか、住んで良かったとか思うかね?
田舎へ行けば行くほど行政の『スタンス』がその市町村の相談援助に影響しているようにも思います。
障害福祉も介護保険も医療も。
法改正で大変なのは承知ですが、
その地域に住む人のニーズには真摯に向きあって欲しいなぁと思います。
入り口の時点で
それは違う
うちじゃ、ないし。
無理です
できません。
そんな
シャットアウトの言葉に心折られた人たちの声を
私は少なからず聴いてきました。
一旦、受け止める、そして必要な機関に繋げる
そんな相談援助の基本が
ある地域に住みたいし
そんな地域の機関と一緒に仕事がしたいなぁとしみじみと思った今日一日でした。