去年の過去記事です。
最近、自分史の更新ばかりになっていましたが、本業のケアマネジメントもぼちぼちやってます。
アクセスを見ると
ソーシャルワーク関係の記事もぼつぼつ読まれていて
嬉しいです。
基本的にこの時に書いたことは
今も変わらず思っています。
実は5歳ぐらいの頃にしていた習い事があります。
お金もないのに習い事なんて…
と思うのだけれども
田舎だし、
個人的にやっている学習塾や習字教室、ピアノ教室は当時結構あって
わりと格安(月謝3000円ぐらい。昭和50年代)な教室もたくさんありました。
保育士をしていた母親が嫁入り道具?として唯一持ち込んだのがピアノだったようで
我が家の荒廃ぶりには似つかわしくなくピアノが鎮座ましましておりました。
という環境もあり…
確か祖母に
「ピアノでも習ってみる?」
と問われ
嫌とは言わなかったので
近所の個人レッスンをしている先生のところで
習い始めたという
そう高くないモチベーションだったと思います。
本当は毎日1時間ぐらい家でもピアノをひいて
一週間でこの曲は弾けるようにという宿題も出されるのですが
真面目にやったためしはありませんでした。
だってそんなにやりたいことではなかったし
得意でめきめき上達するものでもなかったので
全然上手になりませんでした。
当然、レッスンの日には弾けないので叱られる
後から習い始めた年下の子の方がドンドンうまくなる
行くのが嫌で仕方なかった
そんな不毛な習い事を
なんと
5歳から小学校3年生ぐらいまで続けていました。
辞めたいというと叱られそうで言い出せませんでした。
祖母の勧めで習い始めたピアノ
月謝は言い出しっぺの祖母が出してくれていたようです
しかし
祖母が私に「習わせた」のが母親にとっては気にくわなかったようです。
母親は保育士だったので
一応バイエルとかはマスターしていたはずで弾けるはずなのに
一回も練習に付き合ってくれたことはありません。
ひな祭りや七夕、節分の時には保育園や幼稚園並に我が家も飾り立て行事をしてくれた
母親ですが、ピアノを弾いて歌ってくれたことは一度もありませんでした。
私が練習嫌いの問題児で先生の手を焼かしていることも
知らないはずはないのですが
たった5歳の子どもが
習い事に適応できないという現実は
放置されていました。
嫌でたまらなかった私は
小学3年生になった時に
勇気を振り絞って
「ピアノを辞めたい」
と、両親に言いました。
そしたらまあ、
両親共にそろって(父親とかそもそも習い事に関心もなかったくせに)
「一度やると決めて始めたことを途中で投げ出すとはなんという愚かしいことか!」
と散々に説教をされました。
いやいや、やると決めたというよりは断らなかっただけやし。
散々落ちこぼれていることは知っているでしょうが。
やる気ないし、家で練習もしたとこ見てないでしょうが。
どうしても続けると言わなかった私に説教を諦め、やめることを許可した両親ですが
「今後、一度始めたことを辞めるなんてことは二度としないように」
と、約束させられました。
この後、私は学習塾には行くのですが
習い事は二度としませんでした。
我が家には
お金やギャンブルの問題があって
それだけでもいびつで緊張感のある環境でしたが
それ以外にも
色んな綻びがあったのではないか
ケガをするほど叩かれたり
食事を与えない
といった虐待と認定されるような行為だけでなく
それだけが
不適切な養育とは言えない
私は強く思います。
この習い事の顛末については
今となっては過ぎたことなので
仕方がないなあと思うエピソードの一つですが
一つ悔やんでいることがあります。
嫌だということを
言葉や行動で表現しなかったこと
できなかったのかもしれないけれど
もっともっとそれが素直に表現できていたら
後の人生の生きづらさや傷つきやすさは
もっと少なかったのではないのかなあと
今でも悔やむ気持ちがあります。
そう、今でも悔やむ気持ちがあるということは
今でも「嫌だ」を聞いてくれなかった、受け止めてくれなかったことを恨む気持ちもあるということなのです。
特に母親を
私はまだ許せずに恨んでいるのだと思います。
お金もないのに習い事なんて…
と思うのだけれども
田舎だし、
個人的にやっている学習塾や習字教室、ピアノ教室は当時結構あって
わりと格安(月謝3000円ぐらい。昭和50年代)な教室もたくさんありました。
保育士をしていた母親が嫁入り道具?として唯一持ち込んだのがピアノだったようで
我が家の荒廃ぶりには似つかわしくなくピアノが鎮座ましましておりました。
という環境もあり…
確か祖母に
「ピアノでも習ってみる?」
と問われ
嫌とは言わなかったので
近所の個人レッスンをしている先生のところで
習い始めたという
そう高くないモチベーションだったと思います。
本当は毎日1時間ぐらい家でもピアノをひいて
一週間でこの曲は弾けるようにという宿題も出されるのですが
真面目にやったためしはありませんでした。
だってそんなにやりたいことではなかったし
得意でめきめき上達するものでもなかったので
全然上手になりませんでした。
当然、レッスンの日には弾けないので叱られる
後から習い始めた年下の子の方がドンドンうまくなる
行くのが嫌で仕方なかった
そんな不毛な習い事を
なんと
5歳から小学校3年生ぐらいまで続けていました。
辞めたいというと叱られそうで言い出せませんでした。
祖母の勧めで習い始めたピアノ
月謝は言い出しっぺの祖母が出してくれていたようです
しかし
祖母が私に「習わせた」のが母親にとっては気にくわなかったようです。
母親は保育士だったので
一応バイエルとかはマスターしていたはずで弾けるはずなのに
一回も練習に付き合ってくれたことはありません。
ひな祭りや七夕、節分の時には保育園や幼稚園並に我が家も飾り立て行事をしてくれた
母親ですが、ピアノを弾いて歌ってくれたことは一度もありませんでした。
私が練習嫌いの問題児で先生の手を焼かしていることも
知らないはずはないのですが
たった5歳の子どもが
習い事に適応できないという現実は
放置されていました。
嫌でたまらなかった私は
小学3年生になった時に
勇気を振り絞って
「ピアノを辞めたい」
と、両親に言いました。
そしたらまあ、
両親共にそろって(父親とかそもそも習い事に関心もなかったくせに)
「一度やると決めて始めたことを途中で投げ出すとはなんという愚かしいことか!」
と散々に説教をされました。
いやいや、やると決めたというよりは断らなかっただけやし。
散々落ちこぼれていることは知っているでしょうが。
やる気ないし、家で練習もしたとこ見てないでしょうが。
どうしても続けると言わなかった私に説教を諦め、やめることを許可した両親ですが
「今後、一度始めたことを辞めるなんてことは二度としないように」
と、約束させられました。
この後、私は学習塾には行くのですが
習い事は二度としませんでした。
我が家には
お金やギャンブルの問題があって
それだけでもいびつで緊張感のある環境でしたが
それ以外にも
色んな綻びがあったのではないか
ケガをするほど叩かれたり
食事を与えない
といった虐待と認定されるような行為だけでなく
それだけが
不適切な養育とは言えない
私は強く思います。
この習い事の顛末については
今となっては過ぎたことなので
仕方がないなあと思うエピソードの一つですが
一つ悔やんでいることがあります。
嫌だということを
言葉や行動で表現しなかったこと
できなかったのかもしれないけれど
もっともっとそれが素直に表現できていたら
後の人生の生きづらさや傷つきやすさは
もっと少なかったのではないのかなあと
今でも悔やむ気持ちがあります。
そう、今でも悔やむ気持ちがあるということは
今でも「嫌だ」を聞いてくれなかった、受け止めてくれなかったことを恨む気持ちもあるということなのです。
特に母親を
私はまだ許せずに恨んでいるのだと思います。
前回は小学校1年生の時のことについて書きました。
いちねんせいになったら
学校は嫌だったけど
この頃は成人するまでの人生史上一番「まとも」な家庭でした。
私が1年生から3年生ぐらいまでの間、
なんと!
父親が
毎日夕食頃には帰ってくるのです。
そして、給料も家に入れるのです!
おかげで
小学校2年生の頃には
車を買い替えることができていました。(マークⅡですぜ。)
同じころ
弟が誕生します。
今回は母親も
家出をすることはありませんでした。
妹の誕生←母親の家出のエピソードはこちら。
きっと男の子の誕生が父親にも母親にとっても
この上ない楽しみで嬉しさで
待ち遠しかったのだと思います。
私的にも
とても幸せな思いをたくさんしていた時期なのだろうなあと思います。
我が家の子どもはみんな布おむつで育てられました。
弟の時も布オムツ登場です。
布を裁断してオムツに縫うところから作ります。
ひいばあちゃんの仕事でした。
オムツが仕上がっていくのを飽きずに見ていました。
使ったオムツが毎日たくさん干されるので
それをひいばあちゃんと一緒にたたむことが私の役目でした。
なんだか手作りおやつもたくさん登場していたのはこの頃です。
小夏やオレンジの皮を容器にしたゼリーやわらび餅が登場します。
多分これはおやつ作りにハマって母親が作り始め、
菩提寺での檀家さんの集まりなどでふるまうために作っていたのだと思います。(家族のためにというよりは人に料理を褒められたかったのでしょう。)
手作りおやつと
一家全員がそろっての夕食と
赤ちゃんのお世話がある家庭。
長くはこの状態は続かないのですが
それなりに私も幸せでした。
*布オムツは私にとって幸せのシンボルみたいなものです。
娘が赤ん坊の時
私も布おむつを使って子育てをしました。
布おむつは
色んな意味で
私の助けになったのだと思います。
ソーシャルワーカーこまり。です。
相談支援の中でも子どもさんへの支援(障害児相談支援)が増えてきました。
専門機関とのケア会議では色んな視点、手立てが出てきます。
目の前の子どもさんの困り感やつまづきにどう対応するか、向きあうか、子ども自身がどう対処していけるのか、その力はどうすれば伸びるのか、
大人が介入すること、見守るところはどこか…
等々
本当にたくさんのアイデアにびっくりしますし、日々勉強です。
困りごとの視点。
親や支援者、保育、教育者の『困りごと』ではなくて
子ども自身の困りごととして議論される
例えば
食事のことであったり感覚の過敏さであったり。
いい時代だなぁ、とちょっとうらやましくも思ったりします。
私が小さい頃は
偏食や過敏さは
ワガママいうな。
そんなこと言うのはあんただけ。
ガマンしなさい。
で、困りごととして誰も取り合ってくれなかった。
早期から児童発達につながる子どもさんがたくさんなので
私もつい
発達の気になるお子さんはもれなく療育支援につながっているんだ
という錯覚にも陥ってしまう。
今日お会いした保育士さんは相談支援事業所との繋がりは始めてです、と。
相談支援のイロイロを説明しながら
気になりながらもつながっていない子どもさんもたくさんいるんだなぁということを理解しました。
発達が気になる、だからといってみんなに児童発達支援や療育、リハビリなどが必要なわけではないと思うのですが、
その時々の課題にはしっかり向きあえたらいいなぁと思います。
他のことちょっと違う
小さい頃から変わり者
ワガママ
手を焼かす
乱暴者
どんくさい
そういわれ続けて大きくなったらどうなるか…
自己肯定感って大きくなって急に身につくものではなくて
小さい頃からの周りからの働きかけで身につくものです。
自己否定も同じで
小さい頃からの周りからの働きかけで身につくものです。
どうか
多くの子どもが
健やかに
育つように
願います。
恐怖の(⁈)幼稚園を無事卒業し、
私はいよいよ小学校に入学します。
幼稚園のことがあったので、幼稚園当時についてはこちら。
期待に胸膨らむわけもなく
始まりました。
小学校生活が。
入学式の次の日からランドセルを背負うのですが、
ランドセルを上下逆さまに背負おうとするなど
色々やらかしながら学校に行きました。
一年生の頃の担任の先生は定年間近の超ベテランの先生でした。
宿題を忘れるとみんなの前に立たされて両手で両方のほっぺたをパア~ンと挟むように叩く怖い先生でした。(日記の宿題がめんどくさくて一度出していなかったらそうやって叱られました)
宿題のことは私が悪いんで仕方がないのですが。
先生のことはそんなに嫌いではなかったです。
勉強もそれほど嫌いではなく、苦手もなかったのですが
学校は嫌でした。
1年生の頃は
登校しても「頭が痛いです。保健室に行かせてください」
が常套句でした。
2学期~3学期にかけては休むことの方が多かったです。
決定的に嫌なことがあったというよりは
学校生活そのものが面白くなかったのだと思います。
乱暴な男子がいたこと(クラスで飼っていたジュウシマツを下敷きで殴って死なせた!)
給食を食べるのが遅くていつも最後まで残されて泣いていたこと
時々消しゴムや鉛筆がなくなる(自分で無くすこともありましたが、誰かに隠されたり取られたりすること)こととそれを母親に言い出せないこと
勇気を振り絞って文房具を無くしたことを言うと「お前の管理が悪い」と説教をされること
嫌な事だらけの1年生でした。
夏休みや冬休み、春休みの終わる数日前の
なんとも言えない不安感。
何が嫌だったか、怖かったか、しんどかったのか
もう少し自分の言葉で言えたら楽だったろうに、と思います。
そして、自分の気持ちを表現した時に母親が受け止めてくれたら…
自分の気持ちを表現する→言うと叱られる、否定される、修正される→言わなくなる、黙る、うそをつく、誤魔化す→ごまかしがバレてさらに叱られる→いつかどこかで叱られるのでいつもビクビクしている
この頃からこの負のスパイラルは強化されていったのだと思います。
私はいよいよ小学校に入学します。
幼稚園のことがあったので、幼稚園当時についてはこちら。
期待に胸膨らむわけもなく
始まりました。
小学校生活が。
入学式の次の日からランドセルを背負うのですが、
ランドセルを上下逆さまに背負おうとするなど
色々やらかしながら学校に行きました。
一年生の頃の担任の先生は定年間近の超ベテランの先生でした。
宿題を忘れるとみんなの前に立たされて両手で両方のほっぺたをパア~ンと挟むように叩く怖い先生でした。(日記の宿題がめんどくさくて一度出していなかったらそうやって叱られました)
宿題のことは私が悪いんで仕方がないのですが。
先生のことはそんなに嫌いではなかったです。
勉強もそれほど嫌いではなく、苦手もなかったのですが
学校は嫌でした。
1年生の頃は
登校しても「頭が痛いです。保健室に行かせてください」
が常套句でした。
2学期~3学期にかけては休むことの方が多かったです。
決定的に嫌なことがあったというよりは
学校生活そのものが面白くなかったのだと思います。
乱暴な男子がいたこと(クラスで飼っていたジュウシマツを下敷きで殴って死なせた!)
給食を食べるのが遅くていつも最後まで残されて泣いていたこと
時々消しゴムや鉛筆がなくなる(自分で無くすこともありましたが、誰かに隠されたり取られたりすること)こととそれを母親に言い出せないこと
勇気を振り絞って文房具を無くしたことを言うと「お前の管理が悪い」と説教をされること
嫌な事だらけの1年生でした。
夏休みや冬休み、春休みの終わる数日前の
なんとも言えない不安感。
何が嫌だったか、怖かったか、しんどかったのか
もう少し自分の言葉で言えたら楽だったろうに、と思います。
そして、自分の気持ちを表現した時に母親が受け止めてくれたら…
自分の気持ちを表現する→言うと叱られる、否定される、修正される→言わなくなる、黙る、うそをつく、誤魔化す→ごまかしがバレてさらに叱られる→いつかどこかで叱られるのでいつもビクビクしている
この頃からこの負のスパイラルは強化されていったのだと思います。