身の回りにあったもの。 | ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

概ね小学校入学前ぐらいのことを書いてきました。

良い思い出ばかりではなく、
自分でも結構引いてしまうような
出来事もあったなあ。
パチンコ店や競馬場で車中置き去りとかニヤニヤ
好き嫌い矯正や
楽しくもない怖いばかりの幼稚園とか…。

でも、今私は生きているので
まあ、良しとします。

私が小さいころからあった風景で一番印象に残っているのが

薪風呂。

薪の山と薪をくべる風呂焚き場
(今やくべるも風呂焚きもほぼ死語ですね(;^_^A)

薪をたくさん積んでいたので
ムカデや蛇がその周辺にしょっちゅう出てきていたのは
嫌でしたが、

ひいばあちゃんが
薪をくべてお風呂を焚いているのを
薪の燃えるのを
ジーっと見るのが大好きでした。
もちろん
五右衛門風呂(これもほぼ絶滅危惧種(;^_^A)
なので
お風呂は中敷きをそーっと湯船におとして
その上に上手に真ん中にすわって入るのです。
あちっとならないように気をつけて…。

薪が燃えた後の灰は鍋をこするのに残しておきます。(これもひいばあちゃんがしていた)
昭和50年代にしても珍しい
風景だったと思います。

でも。
小学校に上がってから
薪風呂は自分の家だけだということや
焚くのに手間がかかるので
お風呂に二日に一回しか入っていないのは
私だけだと知ってから
しばらくは

恥ずかしくて
薪風呂のことや薪が山積みに積んであること
薪がない時の燃料として「オガライト」という棒状の燃料を買っていたことは
誰にも言えなくなりました。

子どもは自分の生まれ育っている家庭しか知らない。
「そういうもの」だと思って育つのです。
なんだか、よその家とは違うかも…?
という疑問が生まれるのは
幼稚園や小学校に行き始めてからです。

次からは小学校の頃の話を綴っていこうと
思います。

今では
薪風呂は
ある家を探してでも住みたいぐらい
郷愁の想いを持っています。
今でも
私が
焚火が好きなのは
きっと
この薪風呂の思い出があるからです。