今日は母親の事について書きます。
母親は山間地域の小さな村の農家に生まれました。
四人兄姉の末っ子が母親でした。
母親も小さい頃は体が弱く、風邪をこじらせて死にかけたことがあったそうです。
そのことは母親は母の祖母から
『あんたは1回死にかけたので神様に返した子や』と言ってきかされていたそうです。
戦争後数年経過してからの生まれで
まだまだ貧しい農村でしたので母の兄や姉たちは中学卒業後に働きました。
何歳頃のことかは分かりませんが母親は末っ子だったこともあり、親戚に養子に出されたそうですが、その先では酷い待遇だったそうで実家に戻ってきたそうです。
母親だけは高校、短大と進学し、保育士の資格を取りました。
資格取得後は地方都市の保育園で保育士をしていましたが、結婚し、私を妊娠したときに早産するかも知れないと言われて保育士の仕事はやめました。
父親のことで書いたようにひぃばぁちゃんは父親にお金の責任をとらせなかったのですが、
母はそのことを『あんな甘やかした育て方をするから…』と批判しながらも父親のギャンブルで作った借金返済に後から奔走していたようです。つまりはひぃばぁちゃんと同じことをしていました。
それを『イネイブラー』(依存することを助長している人)と言うことは今の私には分かります。
母親は私にとってはどんな人だったかというと
3歳ぐらいの頃はとにかく厳しくて怖かったので一緒にいても落ち着きませんでした。
むしろ
ダメンズの父や絶対に𠮟らないひぃばぁちゃん、母親とは超絶不仲だった祖母と一緒にいるときの方がホッとできていたように思います。
当時、母親は近くの菩提寺のお手伝いに行くのに週に一~二回、夜遅くまで出かけることがありました。
早く寝なさい、も
真っ暗なトイレに一人で行きなさいも
言われないので
母親が不在の夜はなんだかホッとしていました。
そして妹の世話や何だかんだで忙しくしていたのか、よく祖母の家にも預けられていました。
私も自分から好んで祖母の家には泊まりに行っていました。
祖母やひぃばぁちゃんと近所の神社や堤防、公園に行った想い出はあるのですが、母親と出かけた想い出はほとんどありません。
こうやって書いてみるのですが、母親の生育歴はとても薄っぺらく、ふくらみがない感じがします。いろんなエピソードも聴いているはずなのに、父親の時のように、また、私が仕事で他人様の生育歴を書くときのように想像力が働きません。
それは母親が私に多くのことを語ってないからなのか
私が想像力を働かせたくない
働かせていないだけなのか
今は自分ではわかりません。