私の父親は
記憶(そのほとんどが母親からの悪口だったりする)をかき集めると
どうしようもないダメンズでした。
父親と交わした会話や一緒に遊んだことはもう少し先できちんと書きながら振り返ります。(ダメンズでも直接の思い出はいくつかあるのです。)
今日の話は私が周りの大人(そのほとんどが母親からの悪口)から聞いた父親の「生育歴」です。
父親の父親(私の祖父に当たる人)はちいさいころに一度生家を追い出されたのだそうです。
この辺はとても複雑なのでジェノグラムでの解説が必要になります。

◎が私。線で囲んだ範囲が同居家族。
この写真の通り。
父親の父親(私の祖父)と父親の母親(私の祖母)も離婚し、祖母は長女(私の叔母)を連れて家を出ます。
祖母は同じ町内にずっと住んでいたので私たちとはその後も行き来はありました。
なので、生家に残された父親は父の祖父の後妻に育てられます。
そう、私を「叱らなかった」ひいばちゃん、その人です。
学校は小学校から隣の市の私立小学校に通いました。
高校卒業後、大手会社に就職し、28歳で結婚。29歳時に長女(私)が生まれます。
結婚当初よりパチンコや競馬、競輪、などのギャンブルをよくしていました。
会社での接待なのか、ゴルフもたしなんでおり、道具やゴルフウエアへの投資も怠りません。
麻雀で何日も帰って来ない日もあったようです。
怠りがちだったのは
家計に給料を入れる事。
小学生から
結構な額のお小遣いや電車に乗っての通学なので交通費を日常的に手にしていた父は
学校へ支払うべき月謝からも
時々抜き出しては
遊興をしていたとの事です。
集金が届いていない、と連絡が入れは
「忘れておりました。すみません。」
と、何事もなかったかのように
学校に直接お支払いに行っていたのは
「ひいばあちゃん」でした。
そう、ひいばあちゃんは父親のことも叱らなかったそうです。
言うと夫(私の曾祖父)に父親も叱られるので黙っていたのだそうです。
叱らなかった、というよりは叱れなかった、のかもしれません。立場上。
父親はお金のことは自分が考えなくても、責任を取らなくても
どこかで誰かが助けてくれる、と思って育ったようです。
父親はとても器用な人で
スポーツや勉強もそれなりにこなす人でした。
しかし、何かを突き詰めてやる、やり遂げることはなかったようです。
また、させなかったようです。
とあるスポーツではかなり上達したにも関わらず、
くだんの「ひいばちゃん」が
「けがをするとかわいそうなので、やめさせます。」といってやめさせたそうです。
父親も特にそのことに対して不満はなかったとの事です。(この辺りは本当は葛藤があったかもしれないと私は思うのですが…。今となっては分かりません。)
会話もそれなりにウィットにとんだ気の利いたやり取りができ、
社会的には「人当たりのいい、温厚な人。」という印象でした。
もう、ここまで書いて見渡してみたら
この家庭、危うすぎる!
としか言いようがない。
そして
子どもとしては
やっぱり思うのです。
なぜ
これだけのダメンズなのに
母親は父親と結婚したのだろう?
私は生まれたのだろう?
きっと母親の考え方や生い立ちも影響しているのだろうなあ、ということは
援助職の視点で見ると理解はできる。
私は
20代~30代の頃、こういう機能不全家族の中で育ってきたことを
自分の「欠陥」だと思っていました。
こんな「欠陥」だらけの人間が人を援助しようというのだから
とにかく人の何倍も何倍も努力しなければならない
援助職として「優秀」になって、人から認められなければいけない。
そうじゃないと援助職なんてやっちゃいけない。認められて、優秀に…
今、こうやって自分史を書くことで
色々な執着や
私の中の不全感を癒しているような気がします。
優秀ではないけれども
対人援助職もまだ続けていきます。