私が3歳の時に妹が生まれました。
その頃のことはあんまりよく覚えていません。
なので祖母や母親から聞いた話が中心になります。
祖母によると産後に入院中の母親を見舞いに行くときに
すねてぐずってすごく手をやかしたそうです。
一丁前に「赤ちゃん返り」をしていたのかもしれません。
実は妹が母親のおなかにいる時の記憶もあんまりありません。
気がついたら妹が家に居た、みたいな感じです。
中学生になってから母親に聞いた話。
当時、父親がギャンブルにハマり、借金を繰り返していたようです。
(これをギャンブル依存というのかもしれませんが、その後父親は特に治療は受けずギャンブルはやめています。)
そんな中での妊娠だったので
妊娠、出産にはかなりの葛藤があったのだと。
一度は死のうと思って家を出たそうです。
これが最後の食事になる、と決めて外食をしたのですが、
3歳ぐらいの私が母親に
「お母さんも食べや、たべや。」と
ずっと話しかけていたそうです。
結局
死ねもせずとぼとぼと家に帰ってきて
姑(私の祖母)に勝手に長時間出て行っていたのをこっぴどく叱られたのだそうです。
わたしはこの「最後の晩餐(予定)」の記憶もありません。
あれだけ辛かった食事での躾の記憶は鮮明にあるのに。
こんなことがあったのだと
後で聞かされるまで全く「知らない」ことでした。
辛すぎる記憶は忘れるようにできているのかもしれません。
でも。
私は自分の娘が小さいころ(当時の私ぐらいの年齢の頃)
二人で外食する時に
えも言われぬ焦燥感や悲しみを感じることがありました。
記憶のどこかに出来事が、3歳の頃の私がいたのかもしれません。
今となっては分からないことです。
そしてそれは過去のことなのです。
このエピソードを聞かされた当時は
父親に対して
激しい怒りの感情を持ちました。
(それまでも持っていたのですが、やっぱり疫病神はお前か!みたいな気持ちです。)
こんなつらい思いまでして育ててくれた母親には感謝す「べき」だと強く思いました。
死なずに育ててくれたんだから母親が悲しむようなことはす「べき」ではない
母親には従う「べき」であると。
自分史を書くことで過去を過去としてとらえ直している今、
そして
奇しくも
対人援助職として
家族関係や子どもの発達、依存症、精神疾患等についてより客観的に捉える視点を得ている今、
3歳の頃の私
母親
父親
中学生の頃の私
それぞれを冷静に理解することができます。
書き出して良かった。
生きていて良かった。
私はそう思います。
最後の晩餐はもう少し先でいいです。
こまりです。
昨年度からぼちぼちと
これまでなんとなく引き受けて続けてきたことを
お断りしています。
なかなか。←こちらでも書いていますが、私は断るのが下手でした。(いまも下手かな?)
1年ぐらい前から
一大決心をして
嫌だな。って思うことは
もう続けないことにしようと決めました。
この「嫌だな」のレベルですが、
体や心を壊すほど強烈に嫌なわけではなく
気の合わない人がいる
とか
内容がイマイチ
とか
なかなか連絡をくれない、コミュニケーションが取りにくい
とか
引き受けることに意味が見いだせない
とか
私でなくてもできる人いるよね?
とか
これまであんまり断る理由にしたことがない理由であっても
お断りをしました。
一見すると
すげーわがままな理由と思われるかもしれませんが…。
人には断る権利がある。
そうなんですよね。
そして選ぶ権利もある。
日々選択しているはずなんです。
子どもさんの支援をしていてこれはいいな!と思ったことがありました。
児童発達支援などでは
発達障害の子どもさんにも
きちんと「断る」「いらないです」が表現できるように
セッションしています。
凄く大事なことだなあと思います。
私も受けたかった~(_ _。) としみじみ思います。
嫌なことは
断る。
もう少し続けてみようと思います。
ソーシャルワーカー小松麻理です。
相談支援の現場で知的障害や発達障害の当事者の方とお話しする機会があります。
その中で結構頻繁に聞くご意見。支援者に対してのご意見ですが…
「僕たち(私たち)に、分かりやすいように教えてほしい」
当然のご意見なんですけれども。
以前にもブログに「伝える」ということについて書きました。
そして4月からは法改正で新たなサービスができたり
サービス内容や対象者が変わっていたりするものもあります。
利用時間、送迎、個別支援計画、各所との連携についても細かく変更がありました。
支援者だけが分かったつもりになるのではなく、
きちんと対象者にも情報提供できること
改正内容についてだけでなく、
どんなことにも必要な事だと思います。
と、言いつつ
法改正の内容については支給決定市町村や事業所さんと
やり取りしながら確認している
4月始めでございます。