こまりです。
今日は久々にピリッとした内容。
「うちの○○、しばらく休むんです。メンタルで潰れまして…」
と関係機関に言いふらしている管理職、けっこういる。
「部下がメンタルで潰れまして…」
って外部の人が聞くと
あそこブラックじゃね?
とか
事業所、大丈夫?
とか
思われてあらぬ噂をたてられかねないと思うので
いらぬことは言わなくてもいいと思うんだけど。
「部下がつぶれてしまったのはそいつのメンタルが弱かったのが原因で、
そんな休職者のいる中で私は頑張っているから偉いでしょ?」
って言い訳言いふらしたいのかなあ?とも思う。
そりゃ、弱い人から潰れるのでそれも事実かもですけど。
休職者がでた、ということをどう受け止めるか?
業務内容や
仕事の環境を
粛々と検討し見直す
それが管理職だと思うのですが。
こういうこと言いふらしている人の中には
パワハラ上司が
かなりの確率で存在すると思う。
残念ながら
メンタルで潰れたら
職場では救ってもらえないことの方が多い。
復帰のノウハウや考え方、つまりは「より良いパフォーマンスで働いてもらう」
ためのマネジメントスキルを言い訳言いふらし上司は持ち合わせていないから。
メンタルで潰れたことのある人、潰れそうな人
きちんと話を聞いてくれる人を持っていた方がいい。
葛藤はあっても復帰はできると思います。
こまりです。
慌ただしい3月。
なんとか生きてます。
数年前にメンタルでダウンした時からずっと私が心がけていること。
忙しい時こそ花を観る
調子を悪くしている時は自分のこと、それも半径50センチぐらいのキャパでで精一杯なので
季節が変わったことに気が付きにくいのです。
だから私は意識して花を見る。
Facebookやインスタグラムにも投稿する(≧∇≦)
そんな3月です。
最近思うこと。
人を試すような言動って
ちょっと哀しい。
それは
信頼できていない証拠。
そういう言動をとってしまうことには
理由はたくさんあるのだろうけど
ちょっと久々に
なんだかなあ~、と思う体験をしたので
一番心に刺さっていた想いを
書き出して吐き出しました。
カラスになりたいと願っていた子ども時代。
このころから私はとても不器用でした。
お箸の持ち方が悪いのか、使い方が悪いのか、
焼き魚を綺麗に食べられなくてよく叱られていました。
「あんたの食べ方よりも猫の方がまだまし。」
結構傷つく言われよう。今になってみたら。
そして
今もできないのが
紐を結ぶこと。
何度言われても分からないのですが、
私が結ぶと
結んだ両端が横にならず、
縦になる。
これは
「死んだ人の着物の紐の結び方」だそうなのですが、
何回やってもなおらない。
リボン結びもできるときとできないときが今でもあります。
今となっては
自分では諦めているので
もう気にしていませんが
この頃は母親から
「どんくさい」
「ろくなことができん。」
そう言われていたので
できないダメな私だと自分でも思っていました。
お針子だったおばあちゃんたちも
「なんて不器用な子どもなんだろう。女の子なのに…」と思って私のことを可哀想だと思っていました。
だから叱らなかったのかな?
明治、大正生まれの女性の価値観としては
「女は手先のことができるのが当たり前」
ですから。
そして
「女なのに」できない私はだめだなんて自分でも思い込んでいました。
その時代、地域、家庭にある価値観って有無を言わさず子どもには植え付けられる。
結構残酷。
でも
価値観が多様化した
今だからこそ
紐が結べなくても
不器用でも
それでもいいんじゃない?
と思えた。
いい時代に生きているなあとも思う。
焼き魚は好きだったので
繰り返し食べるうちに
人並みには食べられるようになりました。
でも、「好物」という要素がないと
きっと上手にはならなかっただろうなあと思う。
「ネコよりもきれいに食べなさい」
では食べられるようにはならない。
好き嫌いをなくすことも然り
病弱だった私。←こちらに書いています。
母親は決して愛情がなかったわけでない、ということは理解するけど
方法や考え方は間違っていたと
やはり思います。
子育てだけでなく、人との関わりで
「愛情はたっぷりあるから、方法は間違ってもいい」
とは私は思いません。
間違いやつまづき、行き詰まり感がある時は
方法を修正できた方がいい。
それに気が付くのは
実はとっても難しいことなのです。
