ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ -17ページ目

ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

書くことにこだわっています。

②では母親との関係性にも言及しました。
つまりは愛着の問題。

あるのだと思います。
それをきちんと整理して向きあいたい
これが自分史を書くことの理由です。

そしてもう一つ。
私には
発達の課題もあるのではないかと思っています。

大学では特別支援教育を専攻しました。
知的障害や発達障害はその意味では身近なものでした。
そこからずっとずっと仕事では発達に遅れやアンバランスさのある人とは出会い、支援する側としてなんとなく分かったつもりでいたのです。

自分自身に発達のアンバランスさがあって
少し生きづらいことになっているなんて気がつきもせずに。

発達の課題に気がつくことができたのは愛着の問題に気がついてからでした。

人生の半分以上を、過ぎたかも知れない
こんなタイミングで自分の課題に気がつくなんて。
ここまでこないと分からなかったことに少しの絶望を覚えながら
やはり
ここで気がついたのだから
しっかり向きあおうと考えました。

私の長所、と言えるかどうか分かりませんが
私は国語の成績だけは自分の他の科目の成績と比べるとずば抜けて良く、
『書かれているものの理解』についてはある一定水準の力があります。

そう。それが私の『書くこと』へのこだわりです。
自分に起こった出来事、感じたことをを書き出して見える化して理解する

私にとっては一番分かりやすい対処方法なのです。

自分の心のクセを修正したい想いで書くことを始めました。

書くということについて①

今回は自分史を書くことに至った経緯について

少し長くなりますが綴ってみました。

 

怒りを感じた時や出来事について書き出して手放すようにしました。

もう2年半ぐらい実践しています。

ちょっとづつ執着しないようになってきています。

 

これを始めてからなぜか

ちいさいころのことを良く思い出すようになりました。

しかも

母親に叱られた記憶ばかりが思い出されます。

 

時は少し遡って

4~5年位前から気が付いたこと。丁度30代半ばの頃から

それは…。

 

私は母親のことが嫌いということ。

 

でもそれは世間一般の常識や育った環境から植え付けられた価値観に覆い隠されて記憶の奥底に深く沈んでいた感情でした。

10代始めから20代、結婚してもなお30代半ばまで

母親は私にとって

敬う「べき」、感謝す「べき」、愛する「べき」、そして従う「べき」存在でした。なんの疑いもなく。

少しのきっかけがあり、実は「べき」ではないのではないか、違うことは違うと言っていいし、価値観が違ってもいい、従わなくてもいいのではないか、という気持ちが湧いてくるとともに、ちいさいころは厳しい躾けや価値観の押し付けで息苦しさを感じていたことも思い出しました。

母親と一緒に居ても安心できない。いつ、私の間違いや誤りを指摘されて叱られるか分からない。私のやりたいことや行きたいところ、欲しいものはすべて否定され、「どうせ、聞いてもらえない、言っても叶わない」と、たくさんの「主張」をあきらめたこと。本当はやりたくないことをしたり、行きたくないところに行ったり、「母親の命令だから仕方なしに従う」ということをずっと繰り返してきた人生があったことを認識しました。

そのことについて今更母親を恨むつもりも責めるつもりもなかったのです。認識できたのでこれから母親の「べき」から解放されればいい、

そう思っていました。恨んではいないと。

ないと思っていたのですが。

 

丁度1年前、

私は怒りを爆発させてしまったのです。

 

本当にきっかけは些細な出来事でした。

親戚とのやり取りなどに母親から干渉をされることに嫌気がさし、しばらく母親に連絡も取らず、電話にも出ないことが続いていました。(実際、仕事中や移動中に電話がかかることが多く、不在着信のまま出られるときに電話に出ればいいやと思っていました。)

ある日の電話に出た途端

「あんた、いつまで怒ってるの?親子は色々あっても仲直りするものじゃない?いい加減に電話にでなさいよ。親をないがしろにする人間は幸せになんかなれないんだから。あんたが幸せになるためにはいつまでもそんな態度じゃダメよ。」

とまくしたてられました。

 

この言葉で

私の中で怒りや恨みをせき止めていた堰が崩壊しました。

「あんたはいっつもそう。私が悪いと否定する。否定されるばっかりの人生。そうね、そんな人生だもの。あんたの子どもで幸せだった時なんて一瞬もなかったわ‼」

そう叫んでいました。

その時、胸の中から悪いものがグワーッと出て行く感じがしました。ちょうど映画の「エイリアン」で人の体からエイリアンが出てくる、そんなイメージでした。

40年生きてきてここまで母親に怒りをぶつけたのは初めてのことです。

 

その後の母親の言葉。

「あんたにそんなに怒られるとは思いもよらなかった。あんたは長女だし、いつも頼りにしていた。これからも頼りになると思っていたのに。もう頼りにはしない。そんなに恨みに思ってたのなら私の育て方が悪かったんやね。ごめん。」

 

母親とはそれ以来一切連絡を取っていません。

最後の言葉を聞いた時

ああ、やっぱりなあ。となぜか思いました。怒りに任せて暴言を吐いてみても、お前のせいだと責めてみても

何が辛かったのか、嫌だったのか、どうしてほしかったのか、どうしていきたいのか

そんなこと一つも理解されていないということ。伝わらないということ。

でも言わずにはいられなかった。

胸の内から巣食ったエイリアンが飛び出したとしても。

 

そしてまだ私は母親とは言葉を交わせずにいます。

このままなのかもしれません。

今度会っても暴言を吐いて責めるのかもしれません。

母親との関係が今後どうなるか、どうしていきたいか、今は意識に上ってきません。

でも、怒りをため込んで垂れ流して生きていくことはしたくないなあとその時思いました。

それこそ幸せじゃない。

 

母親と仲直りしたいわけではなく、

今更子ども時代に満たされなかった恨みつらみを分からせたいわけでもなく

もちろん、母親のことを変えたいわけでも、変わってほしいと思うわけでもないけれど

 

きちんと子ども時代をとらえ直して

過去のことにしてしまいたい

怒りを手放したい

そう思うのです。

それが正しいのか、適切なのかはわかりません。書き綴っているうちにココロのバランスを崩してしまうかもしれない。しんどい思いをするかもしれない。

でも

自分の人生を自分で理解して

今も、これからも生きていきたい。

そのためには「過去を書き出す」「書き出して過去と向き合う」ことをしたい、と思いました。

 

小松 麻理です。

 

今年、2018年は「書く」ということにこだわって

チャレンジしています。

プロローグ。 自分史を書くことも始めました。

 

私には起こった嫌な出来事や人から言われた嫌なことにすごく執着したり、怒りをため込んで手放せないという

ココロの癖があります。

いつまでも根に持っている

思い出して責めたくなる、腹が立つ

その繰り返しでした。

ネガティブな感情を手放せない

そのことについて数年前までは自分では特に課題とは考えていませんでした。

(私が嫌な思いをずっとしなければいけないのは嫌いなあの人やあの出来事のせいだと思っていました。)

 

でも、ここ最近、

怒りや悲しみに執着して手放せない、思い出しては怒りがこみあげてくる

そんな自分に嫌気がさしてきて、これってエネルギーの無駄使いをしているのではないかなあと考えるようになりました。

もうちょっと楽に生きたい。

 

怒りや悲しみは

感じたことを自覚して手放していけるのではないかなあと思うようになったのです。

 

まだまだうまくいっているわけではありません。

腹も立つし悲しかったり怒ったり苛立ったり

些細なことで傷つく

とても面倒くさい自分がいます。

 

この

感じたことを自覚して手放すためにはどうすればいいのかなあ?と考えた時に

「書く」ということを思いつきました。

ココロの中に渦巻く怒りや悲しみを

一旦、書き出して 吐き出す

客観視する。

なかったことにはならないまでも

一回感じて「終わったこと」にできる。

そんな感覚を得ることができました。

少し生きやすくなりました。

 

メンタルヘルスに課題を抱える人の中には

治療の一環として日記を書いて振り返るという方法を

とられている方もいます。

なので「書き出す」という方法は

結構健全なセルフヒーリングになるのではないかなあと思います。

 

怒りや悲しみを書き出して吐き出している最中に

よく子どもの頃を思い出すようにもなりました。

 

その多くは

母親に叱られた記憶です。

 

ここから私が自分史を書こうと思い立ったことにもつながります。

 

 

この記憶は自分ではあまりないのですが、大きくなってからよく言われたことです。
2、3歳頃
『大きくなったらなにになりたい?』
という質問に対して私は

『カラス』

と応えていたようです。

なんでカラス??

本当にその理由は分からないのですが
あの童謡、七つの子。
『カラス何故鳴くのカラスは山に♪』の歌は結構好きでした。
当時、『8時だヨ!全員集合!』という番組で志村けんさんが童謡の替え歌で
『カラス何故鳴くの?カラスの勝手でしょ♪』と歌っているのをみていました。
なんだかお気楽で自由なイメージがする。
そんな影響があって
カラスになりたい
と言ったのか??

かわいい、かわいいと親が褒めてくれるからでしょうか??


本人にも分かりません。