ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ -18ページ目

ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

私は長女だったので

3歳で妹が生まれるまでは

家の中の人や物は独り占めしていました。

祖母、曾祖母、両親の関わりも多かった。

 

特に曾祖母ひいばちゃんは何をしても怒ることがなかったので

一緒に居て一番安心できる人でした。

祖母も曾祖母も

当時「縫子」をしていたため

よく着物を縫っていました。

 

曾祖母は浴衣や着物も私用にとこしらえてくれています。

 

そして

沢山の本もありました。

 

幼児用の数や文字を学習する本

マンガ日本の歴史

童話大全集

 

今思えば

誰の差し金で

これらの書籍が我が家にあったのかは

ちょっと分かりません。

 

親が必死に幼児期から

何か知識や教養を身に着けさせようとしていたのかもしれません。

 

これらは

だいたい

小学校に上がる前には

自分で読んでいました。(内容の理解はもっと成長してからにはなりますが。)

大人になっても童話全集は時々読み返します。

 

でも。

ちいさいころに

一番好きだったのは

犬が赤いゴムボールを探して歩く

写真絵本でした。

ヨークシャーテリアやブルドックなどの犬が沢山出てくる

かわいらしい絵本です。

 

読んでほしいとせがむ絵本は

これ一つ。

ひいばちゃんだけが

毎日毎日飽きもせず

私に読み聞かせてくれました。

 

沢山の本と

ただ一つのお気に入りの絵本と

叱らないひいばあちゃん

 

ちいさかった頃の私の安全基地とそのアイテムだったように

思います。

 

こまりです。

今日の訪問。
子どもさんへの福祉サービスの支援終了。
児童発達支援の後、
放課後等児童デイサービスを利用『しない』選択をした。

なので
相談支援も終了。

発達障害だから
必ず
児童デイサービスにいかなければならないってことはない

それぞれの子どもさんに応じて
それぞれのご家庭で
考えたらいい。

どうしても
しんどくなったり
困ったときに
また相談できる場所があること

それが大事だと思います。

こちらの行政区は
保健師さんたちが頼もしい。

きっと
大丈夫。

おともだちの家に遊びに行けるようになりたい

放課後に近所のお友達と遊べるようになる!

大事な願いです。

これからの小学校での生活が
幸多いことを願っております。

これまでの関わりに感謝です。
ありがとうございました。

こまりです。

 

いまだに

よくわからないこと。

てか、中年女子になってみてやっと人から解説されて分かったこと。

 

Aさん:「ねえ、コマツさん。●●会の役員是非やってくれないかしら。」

コマツ:「え?何でですか?私ですか?一回やったので私もういいですし、忙しくてできませんよ。」

Aさん:「いや、そういわずに。■■の会長さんもコマツさんだったらちゃんとお話ししたらきっと引き受けてくれるって、言ってた。

なのでちょっと話したいんだけど。」

コマツ:「いや、無理です。」

 

なんでさ。

Aさんからのオファーなのにさ。■■の会長さん出てくる?

この話、友達にしたら

「えー、絶対Aさんって人が自分で言ってんだよ。『コマツさんだったら押せば(めんどくさいことや嫌な事でも)引き受けてくれる』って。他人が噂してるよ、ってわざわざいうのって絶対その人が言ったり思ったりしてるんだよ。」

 

なるほど。

で、このパターンのオファー、何度か受けたことあるけど、

大抵の場合が

めんどくさい嫌な役どころしか来ない。

「○○さんも、●●さんもコマツさんがいいって言ってた≧(´▽`)≦」

 

もう騙されんで!(遅いわっ(;^_^A)

 

「○○さんが言ってるよ~」

はその人の言葉なんだね。

という中2女子みたいなことは

中年女子になっても続くのだ。

 

めんどくせえ。

 

 

 

仮死分娩やら股関節脱臼やら

結核菌感染の疑いやら

をくぐりぬけて

2才頃になった私ですが

 

体が弱かったようです。

保育園には行っていないのですが

よく高熱を出し

咳が止まらない夜もしょっちゅうでした。

ピンクやオレンジ色の変な味の水薬を

いつも飲んでいたのはちょっと記憶にあります。

 

何とか身体を丈夫にしようと

母親は食事には気を使ったようです。

 

実はこのことが

私にとって

とてもつらい体験になってしまうのですが。

 

 

子どもが好むか、好まざるかは関係なく

「体に良いもの」

を与えらました。

 

一番嫌だったのが

温かい牛乳とホウレンソウ

牛乳って温めると匂いしますよね。

あれが耐えられなかった。

でも、「臭い」とかいうと

「食べ物を臭いなんて言うとバチが当たる」

と、両頬をつねられ、飲み終わるまで食事を終わらせてもらえない。

ホウレンソウは触感が嫌で

吐き出しては

「もったいない!」と叱られていました。

 

二番目に嫌だったのが

煮金柑とそのシロップ。

ピンクやオレンジの薬の後に必ず出てくる

あの甘苦い食べ物。

 

はっきり言うと幼稚園に行く前の数年間の食事は

苦痛だらけで

全然美味しくも楽しくもりませんでした。

私が特別なのか?娘に2~3歳頃のことを聞いてもあまり覚えていないのですが、

何十年もたった今でもあの時の食卓の風景が

私には苦みと苦痛と一緒に思い出されます。

今でも牛乳は好きではありません。(給食ではほぼ息を止めて飲んでいました。)

もちろん、ホットでは一口も飲もうとは思いません。カルボナーラとかも好きではありません。

 

食に関する躾や強要は厳しく、

この後も家庭の食事では叱られた思い出が圧倒的に多いです。

3歳頃には私はよく嘔吐していた記憶もあります。

 

家庭で厳しく躾けても

好き嫌いしない子供には育ちません。

私が身をもって証明しています。

逆に好き嫌いや食事へのネガティブイメージを強化させて

小学校就学後の給食で食べられなかったり、食事が遅かったりして

嫌なエピソードは増えるばかりです。(小学校のことはまた後日書きます。)

 

病弱で室内で遊ぶことの多かった私は

必然というか、

幸いなことにというか

大きなケガの記憶はありませんでした。