病弱だった私。 | ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

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自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

仮死分娩やら股関節脱臼やら

結核菌感染の疑いやら

をくぐりぬけて

2才頃になった私ですが

 

体が弱かったようです。

保育園には行っていないのですが

よく高熱を出し

咳が止まらない夜もしょっちゅうでした。

ピンクやオレンジ色の変な味の水薬を

いつも飲んでいたのはちょっと記憶にあります。

 

何とか身体を丈夫にしようと

母親は食事には気を使ったようです。

 

実はこのことが

私にとって

とてもつらい体験になってしまうのですが。

 

 

子どもが好むか、好まざるかは関係なく

「体に良いもの」

を与えらました。

 

一番嫌だったのが

温かい牛乳とホウレンソウ

牛乳って温めると匂いしますよね。

あれが耐えられなかった。

でも、「臭い」とかいうと

「食べ物を臭いなんて言うとバチが当たる」

と、両頬をつねられ、飲み終わるまで食事を終わらせてもらえない。

ホウレンソウは触感が嫌で

吐き出しては

「もったいない!」と叱られていました。

 

二番目に嫌だったのが

煮金柑とそのシロップ。

ピンクやオレンジの薬の後に必ず出てくる

あの甘苦い食べ物。

 

はっきり言うと幼稚園に行く前の数年間の食事は

苦痛だらけで

全然美味しくも楽しくもりませんでした。

私が特別なのか?娘に2~3歳頃のことを聞いてもあまり覚えていないのですが、

何十年もたった今でもあの時の食卓の風景が

私には苦みと苦痛と一緒に思い出されます。

今でも牛乳は好きではありません。(給食ではほぼ息を止めて飲んでいました。)

もちろん、ホットでは一口も飲もうとは思いません。カルボナーラとかも好きではありません。

 

食に関する躾や強要は厳しく、

この後も家庭の食事では叱られた思い出が圧倒的に多いです。

3歳頃には私はよく嘔吐していた記憶もあります。

 

家庭で厳しく躾けても

好き嫌いしない子供には育ちません。

私が身をもって証明しています。

逆に好き嫌いや食事へのネガティブイメージを強化させて

小学校就学後の給食で食べられなかったり、食事が遅かったりして

嫌なエピソードは増えるばかりです。(小学校のことはまた後日書きます。)

 

病弱で室内で遊ぶことの多かった私は

必然というか、

幸いなことにというか

大きなケガの記憶はありませんでした。