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// TimeLine:220204
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TITLE:
自分の意思の永続性。
SUBTITLE:
~ Mistake. ~
Written by BlueCat

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220204
 
 過集中を起こしているとき、自動車を購入する手続きをした。
 まさかそれが悩みの種になるとは。
 
 当初予定していた色と異なる色で契約してしまった。
 
 いや。
 自分のしたことである。
 僕は多重人格ではないから、記憶も残っている。
 その記憶をたどれば ── 逡巡はあったにせよ ── 一定の基準に基づいて判断した結果、外観色を決定している。
 だからその結果について、それを導いた理由も、課程も、僕は知っていて理解することはできる。
 
 しかし当初の予定と異なる色で契約して帰ってきたことに、先日、ふと気づいてしまった。
 それから数日悩んだ末、色を変えて再契約することにした。
 
>>>
 
 これまでの人生で「何故そんな判断したんだろう」と思うことはたびたびあった。
 それがすべて過集中に伴う価値判断基準の齟齬によるものだとは思っていない。
 ただ価値観が異なる状態が(たかだか車のカラーリングといえばそこまでだが)実世界にきちんと影響を与え、それがきちんと自身にフィードバックされることを自覚したのは初めてだったので、ひどく驚いた。
 
 なんだかんだといって、仮想人格のすべては僕自身の内側「だけ」の問題であり、僕ひとりによって完全に制御できているものだと思っていた。
(無意識に位置している仮想人格系はその限りではないが、それらの形成や管理、運用についてはここでは触れない)
 
>>>
 
 僕はもともと、かなり怠惰な性格だったので、社会人になるくらいまでは「なぜそんなに判断を先延ばしにし続けたのだろう」と思うことは多かった。
 ありとあらゆる決断が出来なかった理由は単純で、僕は受け身にしか生きていなかったからだ。
 
 おはようからおやすみまで、一切合切について選択をする必要はなかった。
 与えられるものについて、およそ選択の余地もなく受け入れるか、可能ならばそれを拒否するか。
 拒否できないものは、ひたすらそれにまみれるよりない。
 
 環境は僕に選択肢を与えなかった。
 一番最初に自分にとっての何かを選んで、それを手にしたのはいつだったろう。
 選んで他人に求めたものはすべて、手に入らなかった。
 子供の頃からそれは徹底していた。
 他人が与えるという前提のものは、基本的に、僕の求めているものではなかった。
 
 整理するとこうなる。
 与えられるものは、与える者の勝手によって与えられ、受け取るか拒否するしか選択肢はない。
 僕が欲し求めるものは、それを誰かに頼り、求める限り、手に入らない。
 
 結果として、僕は自分の欲求を満たすことの出来る自由や力を早く身に付けたいと思った。
 思ったものの、自分の欲しているものごとについて欲していると自覚し、目の前に並べられたカードを的確に引き続けるという技術は、へたな子供のそれよりも劣っていただろう。
 
 
 たとえば僕は、高校に進学することを最初、拒んだ。
 進学というのは選択である。
 欲することをそもそも必要としなかった僕にとって、進学することを欲しろと言われても困った。そんなことは求めていないし選択もしたくない。
 ついでに僕の主観によれば僕の家はそのときもなお貧しいはずだった。
 進学をしないで就職した方が良いだろう、という判断は妥当だと思えた。
 もちろん欲してはいないし求めてもいない。それは進学しようと就職しようと同じことだ。
「みんながそうしているから」という理由を僕は持たなかった。
 みんなとは違う環境に育っている以上、みんなと同じものは求めても与えられなかった。
 
 環境に対して単純に受け身になることで生き存えた。
 選択を求められたら選択し、その上で与えられるもの(それがプラスかマイナスかを判断するのは自分ではない)を黙って受け取る。もしくは受け取ったフリをして放棄する。
 自ら何かを求めれば、それは互いにとって摩擦を生むものでしかなかった。
 
 結果的に高校に進学することにはなったのだが、環境は僕に進学することを求めただけではなく、奨学金制度を利用することを求めた。
 
>>>
 
 かように僕は、欲し、求め、選択し、判断することに慣れていなかった。
 欲しいゲームひとつ買うにしても、まず本体が買えない場合が多く(一人暮らしの社会人というのはいろいろ大変なんだ)、まずは攻略本やガイドブック、アートワークなどを買って、次にようやくソフトとハードを買うことが多かった。
 外堀を固めて、そうした「環境」の圧力を観察し、もっとも抵抗の少ないコースを選ぶ。
 
 自分から求め、環境に抗い、力を発揮し、目標に到達する。
 そういう経験を、僕は、プログラミング以外では経験しなかった気がする。
 
 努力はしない。したことがない。
 努力などというもので変わるような結果は存在しない。
 努力というのは実力のうちだから「努力すればなんとかなる」という発想は相当狂気じみている。
 実力以上の力が努力によって発揮できるようになるというのは幻想だ。
 
 頑張りもしない。したことがない。以下同文。
 
 そもそもそうまでしないと到達できないものについて、もし自ら欲したのだとしたら、それは努力など必要ともせず到達できるものだろうと僕は考える。
 したくないことを無理矢理しようとするから、実力が発揮できない。
 それでも結果を求められるから、努力だの頑張りだのというありもしない幻想を焚きつけることになる。
 
 壁を塗るときと同様マスキングや養生をし、環境を整え、失敗しない状況や、成功が必然の流れを作る。まだ持っていないゲームの攻略本を買えば、そのゲームを買うことが必然になるように。
 
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 エアコンを装備した自動車を買うこと(奥様(仮想)の提示した必要条件)は簡単だ。
 しかし自動車という意味でいえば、僕は軽トラで間に合っている。
 エアコン付きの軽トラと入れ替えるか。
 いや、その必要はない。
 軽トラは基本的にホームセンタで建材を買ったり、自宅から清掃センタに粗大ゴミを搬送するのに必要で、たとえそれが真夏であろうと、エアコンはなくても問題ない。
 
 それで、好きな乗用車を買おうと思った。
 好きな。
 
 そう。
 好きなもの。欲しいもの。
 誰かにあてがわれて選ぶのでもなく、誰かに言われて欲しいふりをするのでもない。
 自分が好きで、自分が欲しいと思うもの。
 
 最適解として到達するものではなく、最適解を導くための動機そのもの。
 
 ── そんなもの俺にあるのか。
 
>>>
 
 古い車が好きではある。
 日本の、古くて、小さい車が好きである。
 
 しかし古い車はメインテナンスに手が掛かる。
 放っておくとエンジンが爆発したりもするだろう(実話)。
 エンジンが爆発する車を買うことも、エンジンが爆発しそうな車を買うことも、それは許可されていない。
 なるべくならエンジンの爆発とは無縁の車を選ぶ必要がある。これも提示された必要条件だ。
 車は新しければ新しいほど、爆発の危険から遠ざかる。
 
>>>
 
 好きな色というのは、ある。
 子供の頃とも、あるいは20代の頃とも違う色だ。
 あるいはもともと、この色の方が好きだったのかもしれない。
 
 それで。しかし。
 僕が契約に出かけたときに、僕の価値観は眠っていた。
 朝方までゲームをしていたせいかもしれないし、筋トレをしすぎたせいかもしれない。カフェインを摂取したのも悪かったかもしれない。
 しかしそれは現象に過ぎない。問題はアドレナリン反応が制御できなくなったことだろう。
 結果、日中の僕は眠っているに等しかった。
 
 僕以外のどの価値観も、それぞれの「最適」を算出できる。
 しかしどの価値観も「好き」を持っていない。
「好き」なんてものを持っているのは僕だけだろう。
 
 好きが重なったり分散すると、それは厄介な抵抗になる。
 デザインされた価値観に、それは必要ない。
 無駄を削ぎ落とさなければ、最適解は導けない。
 
 そして最適解は、動機そのものでは、ない
 
>>>
 
 仮想人格系は居眠りをしていても物事が自動化される便利なシステムだ。
 通常、こんなものを意図して作り、運用しようという人はいないようだ。
 多くの人は、自分という確固たる存在の中に、もじょもじょと曖昧で矛盾したものを抱えて、自分の中の一貫性を体現している、少なくともそういうつもりになれるのだろう。
 
 居眠りしているあいだに運用されたシステムがもたらした結果について、僕はそれを覆すことにした。実に数週間も逡巡した末。
 熟考の末に自ら導いた最適解を「なんかちがーう」と拒否するのは勇気が必要だった。
 
 たいしたことではない。たかだかそれは自動車の色の問題だ。
 
 自分で選ぶというのは、なんとむつかしいことだろう。
 自分の好きを好きだと思うのは、なんとむつかしいことだろう。
 自分の好きを好きだと伝えるのは、なんと恐ろしいことだろう。
 みんな子供の頃から、こんなにむつかしいことを当たり前にしているのか。
 
 あるいはだからこそ大人になるにつれ、環境に合わせたり、無難な選択をするたびに、タマシイが削られるような思いをするのかもしれない。
 
 僕の場合、最適解を導いて実行するのはごく自然なことだ。
 
「好き」を言うことに対する畏れだ。
 好きと言うこと、好きなものを求めること、それを欲すること。
 それを誰かに伝え、それを手に入れたいと思うこと。 ── その恐怖。
 何か酷い運命が待ち受けているような気がして、息が苦しい。
 
 悪魔に売れるものはだいたい売り尽くしてしまった。
 この上、なにを差し出せば赦されるのだろうか。
 
>>>
 
 奥様(仮想)は僕を甘やかす。
 甘やかすのは簡単だ。
 僕にとって技術的にむつかしいものはない。
 
 甘やかされるのはむつかしい。
 苦しいし、恐ろしい。
 最悪、悲しくなることさえある。
 
 姉妹であるとか、自身であるとか、無難で、裏がなくて、好き勝手に言えて、悪い結果が起こらない範囲で、それを試すしかない。
 
 いつか。
 甘やかされている自分ではない誰かを見て、微笑ましい気持ちになれるだろう。
 今までの僕は、心のどこかで、その弱さを蔑み、その甘やかな関係を憎んですらいたはずだから。
 
 変わることは容易ではない。
 自身の価値観を、記憶を、ジンクスを書き換えてゆくのは、簡単ではない。
 なるほどそれから比べれば、自動車の契約を破棄して再契約する方が楽だ。
 
 変わることは簡単だ。
 自身の価値観を、記憶を、ジンクスを書き換えてゆくのは、容易なことだ。
 なるほどそれから比べれば、自動車の契約を破棄して再契約するのはもっと楽だ。
 
>>>
 
 自ら契約した自動車の色を変えて、再契約した。
 人はそれを優柔不断と笑うだろう。
 実にその通り。
 自分の意思で何かをつかむことは、容易ではない。
 
 ずっとつかまえていることなんて、まして不可能だろう
 きっと、それでいい。
 
 
 
 
 
 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Cross Link ]
 
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[Engineer]
  :青猫α:青猫β:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Form-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Tool-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :暗闇エトランジェ:
 
 
//EOF