移住を考えている絵美たちにとって、この話が本当ならば阿沙比奈村以外で、とはいっても無一文で過ごさなくてはいけないし、借金も返さなくてはならないから途方に暮れていた。しかし”かたつむり農園”は住み込みできるのは魅力。仕事はきついが、取り立て屋に追われなくなるよりずっといい。

 「それにうちらの居場所もなくなるのかもしれない…村を乗っ取るそうで…そればかりか、その農園も牧場も買収されるって…」

 「え?どういうこと?」

 「詳しいことはわからないけど、”シラハタホールディングス”という巨大企業群が、村を自分たちの領土にする計画があって、今進行中なの。おそらく”HAGE”という裏組織に資金を提供されたおかげで、ここまで巨大化したのかも。これ、”ハゲ”じゃなくて”ヘイグ”よ」

 「”HAGE”…?聞いたことがないわ…」”HAGE”とは、”Hateful Agency of Great Expert”の頭文字から付けられた。読み方は”ヘイグ”。すなわち”偉大なる達人による憎しみに満ち溢れた組織”を意味する。この組織は企業や団体などに資金を提供し、それを受け取るとたちまち悪の手に染まっていくのだ。その資金源は不明だが、おそらく彼らを操っている別の組織が関わっているそうだ。元々は”Heartful Agency of General Expert”という慈善団体だったが、幹部が変わってから一変して闇組織に成り下がった。やがて資金を提供されたシラハタホールディングスは、阿沙比奈村を自分たちの領土にしようと目論んだのだ。シラハタホールディングスは、シラハタフーズや”玉子ファンタジーランド”などを運営するシラハタランド、シラハタファーム他数十社を傘下に収めている、巨大企業群だ。そして村ごと買収して新たに国を作る、それが”シラハタワールド”だ。阿沙比奈村にあるシラハタファームは百合園ドーム200個分の広大な敷地に動物園・博物館・約2万羽のケージ、そして建設中のホワイトフラッグタワーを擁し、昼夜問わず重機などの建設機械の音を響かせている。彼らは周りのことなどお構いなしだ。

 「だから騒音で眠れないのよ。とにかく一日でも早くタワーを完成させるためにね」

 「タワー?何のために?」

 「ここのランドマークというか、シンボルにしたいのよ。そんなもの建てられても村の景観が損なわれるし、だいいち似つかないわ。高さは260m、50階はあるね」

 「あんな超高層タワーなんて要らないよね。出来たところで村が栄えるわけでもないのに」

 「しかも村長の許可も貰わずに勝手に作っちゃってるの。でも一応、地主からは許可を貰ってるみたい。でないと土地は買収できないし。村人はもちろんのこと、百合園とか近辺住民までも楽しみにしてるのよね。買い物なんか隣町の百合園まで行かなきゃならないもの」

 「便利になるけど、それでいいのかな。いずれはこの村で世話になるつもりだし」

 「多少不便でもいい。村は村なりの良さがあるもの。それをぶち壊したところで得をするのは彼らだから」

 「ひどーい!何としても守らないと!」

 「そうよ、負けてられないわ!」絵美ととも子は阿沙比奈村を我々の手で守っていこうと誓ったのだった。

 

 「じゃんけんぽん」の営業最終日を迎え、この日はいつもより多めに作った。開店まもなく普段は素通りする人も買いに来てくれた。

 「いつもこんなのであれば…なんで店じまいになると皆買いに来るのだろう…」絵美は不思議そうに思った。

 「ありがとうございます!」野絵の元気のいい声を響かせると、

 「店を閉める前にもっと買っておけばよかったよ」買ってくれたおじさんは悔しそうだった。

 「もうこんなに売れちゃってる…」開店して一時間も経たないうちに、おにぎりはほとんど売り切れになった。

 「まだご飯が残ってるから、作っとくね。野絵ちゃん、お店お願い」絵美は炊飯器に残っているご飯でおにぎりを作っているうちに、いつの間にか売り切れになっていた。

 「叔母さん、全部売れちゃった」

 「あら、からっぽじゃない。野絵ちゃんの接客が上手だったからよ」

 「バイトやってたおかげかな」野絵はコンビニなどでバイトを経験しているだけあって客相手は慣れたものだ。

 「あとこれだけね。もう終わりよ」絵美が作ったおにぎりをケースに並べたとたん、買いに来ると、あっという間に売り切れた。いつもなら大量に売れ残るが、この日は開店してから数時間も経たぬうちに完売になった。そして「じゃんけんぽん」の看板を下ろした。

 ”閉店のお知らせー本日をもちまして当店は営業を終了いたしました。長らくのご愛顧いただきありがとうございました。じゃんけんぽん店主より”

 店じまいを済ませると、二人は調理器具など店の片付けをしながら、

 「もう悔いはない。百合園を離れる時が来た」これからの生活に向け、街を離れる準備をしていた。

 「今日はお疲れ。明日からもうここの住人でなくなるのは寂しいが、前を向いていこう」と、絵美は前向きだが、野絵は、

 「でも住む場所、まだ決まってないのでしょ?すぐにはその農園で働くわけじゃないし」当分彷徨う日々になるのは覚悟をしている。だが、泣いてばかりではいられない。生活のために”つなぎ”を考えないといけないのだから。

 

 

 (つづく)

 

 「ところで叔母さん、おにぎりをそのままにしていたら食べれなくなっちゃう。それに明日の準備もあるのに」

 「困ったわ…捨てるのはもったいないし、食べてくれる人いないかなぁ…おにぎりが泣いてるよ」二人は売れ残ったおにぎりの処分に困っていた。ホームレスにあげてもいいと思っていた。

 「きっと喜んでくれるだろうな…」その時だった。

 「あ!思いついた!」野絵はあることを考えたのだ。

 「売りに歩きましょうよ。人が集まる場所、例えば公園とか駅前の広場とか。もしかしたら買ってくれるかも」

 「そうねえ…このままだと傷んでしまうからクーラーバッグに入れておかないと」二人はクーラーバッグに売れ残ったおにぎりを詰めこんだ。

 「それ、あたしがやります!百合園公園まで売りに歩きます!」野絵の一言で絵美は彼女におにぎり売りを任せた。

 「ありがとう、野絵ちゃん。私は明日の準備をするね」

 「重いな…」野絵はおにぎりがぎゅうぎゅうに入ったクーラーバッグを引きずりながら公園まで売りに歩いた。日が暮れ始めていたが、子供たちでにぎわっていた。

 「美味しいおにぎり、いかかですか~安くしますよ~買ってくださーい」すると、小学生らしい少年がお腹を空かせながら、

 「おばちゃーん、おにぎりくださーい」

 「いらっしゃい。でも”おばちゃん”じゃなく”お姉さん”よ。何がいい?梅干し・おかか・シャケにツナマヨ、キーマカレー、色々あるよ。好きなのどうぞ」

 「全部貰おうかな?タダだよね?」

 「ごめんね。タダじゃないよ。そのかわり安くしてあげる」

 「えー?じゃ、いらない」

 「一個でもいいから買ってほしいな」

 「一個じゃ足りないよ。僕ん家、家族が多いから、家族の分が欲しいんだ」

 「何人?」

 「10人だよ。僕は3番目。姉2人、妹3人、弟2人。」

 「今どき珍しいね。じゃ、いいよ。お母さんも大変なんだ」

 「うん。母ちゃん、体弱いから病院通いで、ほとんど家で寝てるんだ。だから働きに行けないんだ」

 「体弱いのに、そんなに産んで兄弟たちが可哀想よ。お父さんは?」

 「単身赴任で年に一回しか帰ってこないよ」

 「全部あげちゃうから、元気出してね」野絵は少年にクーラーバッグに詰め込んだおにぎりを全部あげることにした。

 「ありがとう、お姉ちゃん!でもこんだけ重いと持ち帰れるかな」

 「あたしが家まで持って帰るの、手伝ってあげる」

 「ありがとう」野絵と少年はクーラーバッグを下げながら、少年の家まで持ち帰った。

 「じゃ、お母さんや兄弟によろしくね」

 (子供8人…養うの大変…ま、喜んでくれたらいいか。でも売り上げにならなかったし、叔母さん怒ってるだろうな…)野絵は店に帰ると、絵美は心配そうに彼女を見つめていた。

 「ただいまー」

 「お疲れ。どうだった?全部売れたの?」

 「大家族の男の子に全部あげちゃった」

 「え?どうして?」

 「この子、兄弟が8人もいて、お母さんが病気で働けないの。一個でも買ってと言ったら”タダじゃないといらない”って」

 「でも売り上げにはならないから、あげてもらってもね…」

 「ごめんなさい。ただ可哀想だったので…」

 「気持ちは分かるわ。でもね、売るために行ったのでしょ?それだと一個も売れなかったことになるのよ、わかる?」絵美の一言に野絵の頭の中は、理解できずに混乱していた。そして涙ぐんだ。ただ自分を責めた。

 「でも、野絵ちゃんは悪くないよ。売れるはずがないのに作りすぎちゃって…こんな状態で店を続けるのはもう無理かも…」絵美は詰んでいた。積み重なった借金の返済に困っていた彼女は、とうとう明日限りで「じゃんけんぽん」を畳むことを決意した。野絵とともに新たな移住先を考えていたところ、阿沙比奈村にある”かたつむり農園”で人材募集のビラを見つけた。

 「とりあえず店はあきらめて、先のことを考えないと。どうせここから出ないといけないから」絵美がこぼすと、

 「そっちの方がいいじゃない。のんびりできそうだし。お店はいつでもできるのだから」と野絵はそこで働きたい意思があった。

 (阿沙比奈村って、とも子が住んでるところじゃない…)和志田とも子とは、絵美の高校時代の同級生で、とも子が結婚して三人の男の子の母親になっても付き合いをしている、数少ない友人でもある。が、その時だった。絵美のスマホの着信音が鳴った。

 「もしもし、とも子?久しぶり。皆、元気なの?」

 「絵美、お願い、助けて…」

 「いったい、どうしたの?」絵美はとも子の一言に返す言葉もなく動揺していた。助けを求められても自分の店も同じような状況だから他人を助ける余裕はない。

 (うちも助けてほしいのに、こののどかな村に何があったのだろうか…)

 「うちの店もかなり経営厳しく借金も増えて取り立て屋が来るたびに…そうしないと立ち退きになるのは必然です。おじいさんから継いだものだから、そう簡単に手放せなかった。それに姪っ子も一緒に住むようになって…」

 「そうなんだ…」

 「それが…店を明日限りで畳むことになったの。もうここではやっていけない。おにぎりもさっぱり売れなくて。おじいさんには申し訳ないが、取り立て屋から逃れるために手放すことに決めたの」

 「で、どこに住むか決まったの?」

 「ちょうど阿沙比奈村の農場で求人のビラを見たのだけど、住み込みもできるそうよ。だからそこでやってみようと…」

 「でも、仕事はきついらしいよ。3Kだけど、やっていけそうなん?」

 「最初は慣れないからきつく感じるだろうけど、生活のためなら頑張っていけそう」

 「絵美、知ってる?隣、花屋さんだったよね?そこの夫婦が何者かに殺されて、店の売上金まで盗まれて…娘さんが配達から帰って気づいたのよ。その娘さん、息子の担任の奥さんなんですよ」

 「そうだったんだ…”リリーガーデン”だっけ?そういえば店の前にパトカーや救急車が止まっていたわ…犯人はまだ見つかってないそうよ」

 「目撃した情報は一度も入ってきてないみたい。おそらくお金目当てにやったとしか。しかも他にも同様の犯行がいくつもあったって…」

 「え?犯行はそれだけじゃなかったってこと?」

 「とにかくお金欲しさにやったのだけど自分の懐には入れずに、そのお金を集めて、どこかへ献金している。これは噂だろうけど」とも子はこの村が緊迫している様子を絵美たちに伝えた。

 

 

 (つづく)

 

 

 翌日ー

 「じゃんけんぽん」の朝は早い。絵美は厨房でおにぎり用のご飯を大きな炊飯器で炊いていた。野絵はまだ就寝中だった。まもなく彼女が起床、

 「あ、店の準備手伝わなきゃ!叔母さん怒ってるかな」慌てて厨房に入ると、

 「おはようございます!寝坊してすみません」

 「あら、おはよう。よく寝れたでしょ?もうすぐ炊き上がるから。よし、できた!」

 「いいにおい…お腹空いちゃった」

 「あら、まだよ。これから作っていかないと」

 「美味しくおにぎりを作るには炊き方だって。研ぎ時間は2分以内、吸水時間は30~1時間半。水加減を5%減らす。炊き上がりのご飯は全体をしっかり返す。具を包むときは、半分のご飯を手に取って具を全体に伸ばす。残り半分のご飯を上から乗せて2,3回軽く形を整える程度に握る。あと塩加減は具の塩分が強い場合は控えめに、だって」

 「よく知ってるね」

 「うん。あたしなりに調べてみたんだ。昨夜、寝る前にね。どうすればコンビニに負けないくらいの美味しいおにぎりができるかって」

 「じゃあ、私が作るのを見ててね」野絵は絵美が作るおにぎりをじっと見つめている。

 「ご飯が炊きあがってから5分くらい冷まして、混ぜるときは空気をたっぷり含ませるようにひっくり返す感じで全体を軽く混ぜる」 

 (わ~!ご飯がツヤピカ~すぐにでも食べたくなっちゃう)

 「握る時、熱くない?手がやけどしそう」

 「そうしないと美味しくなくなるのよ。冷ましすぎてもいけないから粗熱が取れるくらいでね。具を包むときは、ご飯を手の平に乗せて真ん中をくぼませて具を乗せる。その上からご飯を乗せて軽く握る。回数は2,3回くらいね。あまり握りすぎては美味しくなくなるよ。じゃ、野絵ちゃんやってみる?」野絵は絵美に握り方を教えてもらうが、生まれて初めてのことで不安でいっぱいだ。

 「え…と、塩加減は…」

 「指3本でちょこっと付けるくらいね」それでも野絵は作ってはみたが、なかなか上手くいかず、手にご飯がひっついてしまう。

 (あたしって不器用なんだな…)すると絵美はアドバイスをして、

 「それなら茶碗にラップを敷けば上手くできるよ」野絵は言われた通りにやってみると、

 「できた!案外簡単だったよ!」

 「初めてにしては上出来ね。店に出してもいいくらい。私が味見してみるわ」絵美は野絵が初めて作ったおにぎりを食べてみた。

 「美味しい!塩加減もちょうどいいし、握り方もふんわりしている。これくらいの出来なら十分よ」

 「なんだか”師匠”に褒められたみたいで自信ついちゃった。戦力になるのはまだまだだけど」

 「”師匠”って大袈裟ね。慣れですよ。経験積めばね。あとは買ってきてくれるお客さんに満足してくれるか。まだまだ作らなきゃ、開店時間まで間に合わない!」絵美は照れくさそうに笑いながら慣れた手つきでおにぎりをどんどん作っていく。二人は開店時間までに間に合うように作っていった。

 「なんとか間に合った!」作ったおにぎりは種類別にショーケースに並べた。そして店の暖簾を掲げて、いよいよ開店。しかし、人通りが多い割に店を素通りしていく。

 (やっぱりコンビニに流れていくのね…何か工夫が足りないのだろうか)開店して一時間が経っても買ってくれる客が一人も来ない。その時だった。一組の親子連れが買いに来てくれたのだ。4,5歳くらいの子供を連れた若い母親だった。

 「いらっしゃいませ~」この母子は常連で、数少ないリピーターだ。この店のおにぎりを食べだしてからコンビニや他店のおにぎりは食べられないそうだ。

 「あら、新しく入ってきた子?」

 「うちの姪だよ。私の姉の娘よ」

 「そうですか。元気なお嬢さんですね」

 「ありがとうございます」野絵はニッコリ微笑んだ。

 「また買いに来ますね~」

 「バイバ~イ」彼女はその子供に手を振った。結局、この日に買いに来てくれたのはこの母子だけだった。

 「すごく売れ残ったね…作りすぎたのかも…何がいけなかったのだろう…」米の研ぎ方・水加減・炊き方・具の包み方・握り方…様々な工夫をしてきた、なのに、どこの何がいけなかったのだろう。店の雰囲気が暗いとか目につくようなレイアウトがないとか。それでは客が寄り付かないのは当然かもしれない。少しでも借金を返したいために売り上げを伸ばさないと、毎月取り立て屋がやってくる。絵美はその日が近づいてくるたびに頭を悩ませ、眠れなくなるのだ。

 「こんなに売れ残っても、うちでは食べきれないし、おすそ分けしてもいいけど…」

 「このご時世、赤の他人の素手で握ったおにぎりは不衛生で食べられないから、コンビニやスーパーで買っちゃうもんね。でも、そういう人、本物のおにぎりの味は知らないと思う」

 「手で握ったのと、機械で握ったのとはほとんど変わらないみたい。進化した、というか職人さんが握ったみたいにできるって。それに衛生上好まれてるし」

 「ところで叔母さん、どうしておにぎり屋を始めたの?」

 「うちは昔、おじいさんが食堂をやってて、物心ついた頃には店を手伝ってたの。学校から帰ってきてからでも休みでも。友達と遊びに行くことがほとんどなかったよ。そのうち自分の店を持ちたい、という夢を持つようになって。そのおじいさんも亡くなって跡取りもいなくなった。でも、おじいさんと約束したの。”お前が店を持ちたければここを使え”と」

 「跡取りいないって、この店を継ぎたくなかっただけでしょ」

 「両親は大して儲からないから継ぐのは絶対嫌だった。共働きだったし。それに昔ながらの食堂だから、おしゃれなカフェやレストランに客を取られてしまったし。特に若い人には、こんな古くさい食堂に魅力なんて感じないし清潔感もなくて」

 「古くさい食堂だって一つや二つ良いところがあるのになあ…人情味があふれてるというか、なんだか落ち着きそうで」

 「野絵ちゃん、いいこと言うよね。見た目以上にしっかりしてるよ。なんだか頼もしいな」

 (照れくさいな…叔母さん子供がいないから、あたしを我が子のように可愛がってくれるから嬉しいな。あたしにはお母さんがいないから叔母さんが本当の母親と思っちゃう)

 

 

 (つづく)