第30回の方法はジャンニ・ラヴェーラが74年(第24回)に取った方法を踏襲して行われました。

 歌手を2カテゴリーに分け、カテゴリーB(Bigの部)のスター歌手10名は予選をすることなく最終日の決勝戦に進め、今までの入賞歌手扱いとなります。

 カテゴリーA(Aspiranti=候補者)は第1、2夜で各10歌手が歌い、各5歌手(計10歌手)が決勝戦に進みます。したがって各夜5歌手の計10歌手予選落ち(参加曲)となります。

 

 このアリストン劇場に出場する30歌手を選考するのに、音楽祭開催3週間前の1月17日最終選考に残った40歌手を絞り込む審査が行われました、その審査員は地元リグリアの放送局が選んだ若者が半数、ジャンイ・ラヴェーラが選んだ男性が半数でした。そして最も得票したのがカテゴリーAのフランチェスコ・マーニ(Francesco Magni)で、落選したビッグの歌手にはトニー・ダララ(Tony Dallara)ミーノ・レイターノ(Mino Reitano)がいました。

 

 

 

                   エンツォ・マレパッソ (Polydor)       ラッテ・エ・ミエーレ (EMI)           リンダ・リー (Cinevox)

 

 

第30回 1980年2月7日(木)~9日(土) サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo)

司会:クラウディオ・チェッキート(Claudio Cecchetto)、ロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、オリンピア・カリージ(Olimpia Carlisi)

オーガナイザー:プブリスペイ(Publispei) 社[オーナーはジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)]

芸術監督:ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)

芸術助監督:ジャンニ・ナーソ(Gianni Naso)

 

[数]は外人歌手数、1980年の外人の出場は4歌手

・Dischi Ricordi 8[1] (Ariston 1[0], Carosello 1[0], Cinevox 2[0], SIF 1[0], Lupus 1[0], Yep 1[0], Bronze 1[1])

・CGD 6 [1] (CGD 1[0];Derby 1[1]), Baby 2[0], Splash 1[0], Ciao 1[0])

・RCA Italiana 5[0] (RCA 3[0], Una 1[0], Spaghetti 1[0]))

・EMI Italiana 4[1]

・Polygram Dischi 4[1] (Polydor 21[0]);Philips 2[1]))

・Fonit Cetra 1[0]

・Ri Fi 1[0]

・CBS Dischi1[0] (CBS 1[0])

 

 出場歌手を送出しているレコード会社にも時代の流れが見て取れます。各社グループ別に最多がディスキ・リコルディで外人歌手1を含む8歌手を出場させていますが、本体のリコルディからは無く、傘下の有力会社アリストン、カロセッロ、チネヴォックスに支えられている状態です。

 次のCGDグループも6歌手出していますが、直近に提携していた米CBS系が独立し、イタリア現地法人CBSディスキを設立(新会社から1歌手の出場を確保)したため、CGDは突然の経営悪化、ここも本体から一人出すのが精一杯。

 RCAイタリアーナはフォークロック、ニューミュージック系で元気が良く5歌手。勢力を増してきたのが、EMIイタリアーナとフォノグラムからポリグラム・ディスキに改名したポリドール&フィリップス連合。このところ冴えないフォニット・チェトラとサンレモの後から新譜も制作できない経営危機となったリフィからは各1歌手の出場となっています。

 

 

                             リロイ・ゴメス (Philips)  ジャンフランコ・デ・アンジェリス (RCA)       リンメル (Cinevox) 

 

 

<入賞曲>

(11位) コンテッサ Contessa (Fulvio Muzio - Enrico Ruggeri) 出版社 Spaghetti Mus. <A> デチベル (compl) Decibel (Spaghetti –RCA Italiana) ZBSR-7182 [45]

 

 ZBSR-7182  AR-00879

 

  (12位) Voglio Ll'Erba Voglio (Francesco Magni) 出版社 Santa Cecilia <A> フランチェスコ・マー

ニ (vm) Francesco Magni (Ariston - Dischi Ricordi) AR-00879 [45]

 

 

 (13位) カンテローCanterò Canterò Canterò (Aldo Donati) 出版社RCA Mus. <A> アルド・ドナーティ (vm) Aldo Donati (RCA – RCA Italiana) PB-6380 [45]

 

PB-6380 LUN-4905

 

(14位) でも... 行くんだ Ma Vai Vai (Giorgio Bennato) 出版社Anaconda <A> ジョルジョ・ジト と ヂーゼル (compl) Giorgio Zito e i Diesel (Lupus – Dischi Ricordi) LUN-4905 [45]


 

(15位) 想いは果てなく Va' Pensiero (Pippo Caruso) 出版社 Bixio CEMSA <A> リンダ・リー (vf) Linda Lee (Cinevox – Dischi Ricordi) SC-1142 [45]

 

SC-1142 SP-1723

 

(16位) マーラ Mara (Luigi Albertelli - Brunello Tavernese) 出版社 Usignolo <A> ブルーノ・ダンドレア (vm) Bruno D'Andrea (Cetra - Fonit Cetra)SP-1723 [45]

 

 

(17位) 歌姫さま Musica Regina (Leano Morelli) 出版社 Intersong Italiana <B> レアーノ・モレッリ (vm) Leano Morelli (Philips – Polygram Dischi) 6025-247 [45]

 

6025-247  3C・006-18472

 

(18位) 太陽に歌う Il Sole Canta (Nicoletta Artom - Giovanni Ullu) 出版社Belriver - Intersong Italiana <A> オーランド・ジョンソン (vm=a) Orlando Johnson (EMI – EMI Italiana) 3C・006-18472 [45]

 

 

(19位) 時は過ぎゆく Passerà (MarcoLuberti - Antonio Coggio) 出版社 Calycanthus – Suvini Zeroni <A> アルベルト・ケリ (vm) Alberto Cheli (CGD – CGD) CGD-10250 [45]

 

CGD-10250  SPH-1035・P

 

(20位) 君が Tu cioè... (Depsa - Giuseppe Faiella) 出版社 Splash <B> ペピーノ・ディ・カプリ (vm) Peppino Di Capri (Splash – CGD) SPH-1035・P [45]

 

入賞曲は以上です

 

 

 日本で各年度のサンレモ音楽祭オムニバス盤が80年以降(不定期に85年と89年は発売されましたが)リリースされなくなりました。特に80年は優勝曲、入賞曲のシングル盤さえ出ていないので、出場曲リストの国内盤ジャケット画像が全く無い寂しい状態になりました。

 またイタリアのシングル盤のジャケット画像もほとんどが私の手持ち分を使っているため、状態が良くない物があります。お許しください。 

 

 

                                         ブル-ノ・ダンドレア (Cetra)    ステファ-ノ・ロッソ (CIAO)       ヘンリ-・フライス (Derby)

 

 

  80年初出場レコード会社はCiao、Cinevox、Lupus、Unaの4社です。前回チネヴォックス(Cinevox)を紹介しましたので、はチャオ(Ciao)とウナ(Una)を紹介しましょう。

 

チャオ・レコーズ(Ciao Records)

チャオ・レコーズ(単にチャオで通っていたようですが)は元プロフェーティ(I Profeti)の結成メンバーでドラマーだったオスバルド・ベルナスコーニ(Osvaldo Bernasconi)がプロフェーティ解散の翌年、芸術監督となって1978 年ミラノで設立されたレコード会社です。

 

 

 

 所属アーティストで一版有名なのはロベルト・ヴェッキオーニ(Roberto Vecchioni)で設立翌年の79年にフィリップスから移籍をしました。その他にステファーノ・ロッソ(Stefano Rosso)、アクァ・フラジーレ(AcquaFragile)やPFMにいたベルナルド・ランゼッティ(Bernardo Lanzetti)などイタリア・ロック界の大物、有名なカンタウトゥーリのファウスト・レアーリ(Fausto Leali)を集めました。

 

 しかしミュージシャンのオスバルド・ベルナスコーニは法律に基づいた契約や経営のマネージメントに疎く、またそれが出来る人材を雇っていなかったのか会社はトラブルが続出しました。

 

 ロベルト・ヴェッキオーニのアルバム「Montecristo」を制作したのですが、フィリップスから契約違反で訴えられ、原盤権を取られてしまったり、設立当初ディストリビューション(プロモート、販売)権をフォニットとしたものの直ぐにCGDに変更し、流通できない不良在庫を抱えたりして81年になって経営破綻をしています。

 

 

ウナ・ソルス・コニウンクシット(Una Sors Coniunxit) [ラテン語でこう読むのだと思います]

 何しろラテン語の会社名でイタリアでも通常は簡単なウナ(Una)だけを使っていたようです。意味は「共に一つの運命を」だと思います。

 

 

 

 71年RCAのエンニオ・メリスと提携して「IT」を興しまたヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)が76年にIT傘下に作った実験的音楽を目的としたレーベルで、RCAイタリアーナがディストリビューションを行いました。丁度カテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)がCGDの傘下でアスコルト(Ascolto)を設立したのと同じ性格を持ったレーベルだと私は思っております。

 

 ウナのアーティストの内、一番日本で知られているのはプログレ・バンド、フォルムラ・トレ (Formula 3)のドラマー、トニー・チッコ(Tony Cicco)で、チコ(Cico)としてアルバム「夜の闇の中で(NOTTE)」も国内盤が出ています。

 

K22P-  226 (1982年12月21日 SEVEN SEAS - キング) チコ/夜の闇の中で (CICO/ NOTTE)

 

K22P-  226  ERS-28013

 

ERS-28013 (CR-10063) (1987年6月25日 RCA - エディソン(RVC) 月影のピエロ/ピエロ・ルネ-レ(PIERROT LUNAIRE)

 

 次に、元ピエロ・ルネーレ(Pierrot Lunaire)のギタリストでアマデオ・ミンギ(Amedeo Minghi)に歌詞を提供したガイオ・キョッキョ(Gaio Chiocchio)がいます。その他ロック・オペラ「L'Eliogabalo」を作ったエミリオ・ロクルチョ(Emilio Locurcio)、ロベルト・クンストラー(Roberto Kunstler)、ゴラン・クツミナック(Goran Kuzminac)など社名通りの曲者揃いです。

 

 流石商業的には苦しく、83年に活動停止をしますが、ITのプロデュースでウナ・レーベルの権利をパナ・レコードやCGDに売り、88年までウナのレーベル名は生き延びました。

 

 

 

サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1980年 3は次回に続きます

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。