ミーノ・レイターノ (vm)  Mino Reitano
本名ベニアミーノ・レイターノ(Beniamino Reitano)1944年12月7日長靴のつま先部分にあるサン・ピエトロ・ディ・フィウマラ生、2009年1月27日ミラノの郊外アグラーテ・ブリアンツァ没、自作自演歌手、作曲家、俳優。
 
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 彼の母は2才の時に亡くなり、父は故郷の町の小さな楽隊の指揮者で、暇なときはミーノにクラリネットを演奏して聞かせていました。その後ミーノは8年間レッジョ・カラブリアにあるフランチェスコ・チレーア音楽院でピアノ、ヴァイオリン、トランペットを学びました。
 10才の時にシルヴォオ・ジーリの人気テレビ番組「La giostra dei motivi」にゲスト出演しています。彼の兄弟たちとバンドを組み、ロック・ン・ロールに転向していきます。アントニオ、ヴィンチェンツォ (ジェジェ)とフランコのレイターノ兄弟 Reitanoとフランコ・ミンニーテのバンドに加わり、カッサーノ祭の音楽祭で音楽のキャリアをスタートさせました。
1961年最初のシングル盤“Tu sei la luce”/“Non sei un angelo”出され、芸能週刊誌「TVソリージ・エ・カンツォーニ」8月6日(32号)にレコードの紹介が載ったそうです。 この年の後半彼らはドイツに出稼ぎに行きます。レイターノのバンドはクラブに雇われ、西ドイツでトニー・シェリダンと活動していたビートルズとクラブのステージを共にしたと言われています。ドイツで1年半働きイタリアに戻ってきました。
63年彼らの2枚目、3枚目のシングル盤“” Robertina Twist/“/Nun te ne andà”と“Twist Time”/“Silvanetta”をベニアミーノとフランコ・レイターノ&ヒズ・ブラザーズ名義で、エウテルペ(Euterpe)というマイナー・レーベルカラ出しています。
               
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イタリアでは無名でも西ドイツのハンブルグの歓楽街レーパーバーンで演奏勝つ度を続け、西ドイツだけのレコード・リリースもしていました。65年カストロカーロ新人コンテストにロイ・オービソンの英語の曲“イッツ・オーヴァー(It's over)”を歌いましたが最終選考の10人には残れませんでした。幸運なことにリコルディと契約することができ、新人歌手の大切なお仕事、各レコード会社が作っているサンレモ音楽祭のアルバム曲を歌うこと、でミーノは“イ・マイ・マイ・バレンティーナ”を歌いました(この盤でルチオ・バッティスティは“青空に住もう (UNA CASA IN CIMA AL MONDO)”を歌っています)。一人前の歌手としてはカストロカーロで歌ったロイ・オービソンの曲のイタリア語カヴァー“La fine di tutto”でメジャー・デビューを果たしました。
翌67年サンレモ音楽祭初出場では、ルーチョ・バティスティとモゴールが作った“世界を信じたい(Non prego per me)”をイギリスのホリーズをパートナーに歌いましたが、入賞できませんでした。ミーノ・レイターノのサンレモの成績は69年第19回“しのび泣く今宵(Meglio una sera (piangere da solo))”参加曲、74年第24回“恋人たち(Innamorati)”スター部門は優勝曲のみ決定、88年第38回“イタリア(Italia)”6位入賞、90年第40回“Vorrei” スター部門は上位3位まで決定、92年第42回“Ma ti sei chiesto mai”参加曲、2002年第52回“La mia canzone”18位と決してよいものではありません。楽曲の提供は89年第39回新人部門のジターノに“Pelle di luna”を書いています。
 
私がブログを書くきっかけとなったのが、74年の“恋人たち(Innamorati)でした。
ならばミーノ・レイターノ をお読みください。
 
やはりサンレモ音楽祭で好成績を収め、国内盤が出ていないと日本での知名度は低いようです。
 ミーノはサンレモ初出場の“世界を信じたい”の後リコルディではカンタジーリ・ジローネBの出場曲“女をさがす時(QUANDO CERCO UNA DONNA)”を出し、67年後半アリストンに移籍します。彼の活躍はアリストン以降になります。移籍第一弾“68年カンタジーロ・ジローネBで“愛した心 (AVEVO UN CUORE (CHE TI AMAVA TANTO))”が年間ランキング35位、アリストン2枚目の“一つのギターと百の光り(Una Chitarra cento illusioni)”が同19位になり、一躍時の人となります。
 70年になりドゥリウムに移籍する頃はベテラン歌手と呼ばれる安定した歌手になります。ここで出した“タラ・ポキの伝説”はマカロニ・ウェスタンの主題曲です。
 
 
ミーノ・レイターノの国内盤
SH- 231 (19665SEVEN SEAS - キング) 30cm LP第16回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1966)
.マイ・マイ・マイ・バレンティーナ (MAI, MAI, MAI, VALENTINA)
                                                                                                
SH- 231イメージ 2 SR- 3135イメージ 3
 
SR- 3135 (19691020SEVEN SEAS - キング) 30cm 3LPBoxカンツォーネ・スター大名鑑 (PANORAMA DI CANTANTI)
1-11.
愛を囁くとき
(QUANDO DICO CHE TI AMO)

SR- 60910 (1971510SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LP カンツォニッシマのすべて第2集 (CANZONISSIMA (II))
2-
.フィウマラの人々 (GENTE DI FIUMARA')
 
SR- 60910イメージ 4 SR- 6112イメージ 5
 
SR- 6112 (1971610SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LP夏のディスク・フェスティヴァルのすべて (UN DISCO PER L'ESTATE)
2-13.
君の扉を叩くとき
(CENTO COLPI ALLA TUA PORTA)

SR- 6134 (1971710SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LPカンタジーロのすべて (CANTAGIRO)
2-
.
愛した心 (AVEVO UN CUORE (CHE TI AMAVA TANTO))
2-
.ダラダン (DARADAN)
 
SR- 6134イメージ 6 SJET-8371イメージ 7
 
SJET-8371 (19727GLOBE - ビクター音楽産業) 30cm LPミノ・レイターノ登場! (MINO REITANO)
.桑の実のなる頃
(ERA IL TEMPO DELLE MORE)
.男と鞄
(L'UOMO E LA VALIGIA)
.明日への橋
(E SI'...(VADO AVANTI COSI))
.汚れなき愛
(APRI LE TUE BRACCITA E ABBRACCIA IL MONDO)
.タラ・ポキの伝説
(LA LEGGENDA DI TARA POKI')
.愛の説得
(MA PERCHE')
.さらば私の人生
(CIAO, VITA MIA!)
.愛と苦しみ
(UNA FERITA IN FONDO AL CUORE)
.風とカンナ
(CANNE AL VENTO)
10.
私の心が唄うとき
(CANTASTORIE)
11.
この美しき真実
(LA PURA VERITA)
12.
アンネの日記 (IL DIARIO DI ANNA FRANK)
 
GW- 23940  (197331SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LPラヴ・ミー・トゥナイト/くたばれサンレモ (NON FINALISTE DI SAN REMO)
2-
.しのび泣く今宵 (MEGLIO UNA SERA (PIANGERE DA SOLI))

GW- 23940イメージ 8 SR- 817イメージ 9
  
 
SR- 817  (19734SEVEN SEAS - キング) 30cm LP若草の朝/カンツォニッシマ1972-1973 (CANZONISSIMA 197273)
.愛した心 (AVEVO UN CUORE)
 
GXF-  8190 (197925SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LPBoxサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)
7-15.
しのび泣く今宵 (MEGLIO UNA SERA (PIANGERE DA SOLI))

GXF-  8190イメージ 10 KIL-1002イメージ 11
 
KIL-1002(MEDBAR- 002) (2006MEDIANE - キング・インターナショナル (MEDIANE,Italy)) CD バー・ローマ (BAR ROMA) 準国内盤扱い
16.
桑の実の成る頃 (ERA IL TEMPO DELLE MORE)